Cube3で走るオーストラリアの旅2012

シドニー、メルボルン、アデレードそしてタスマニアを訪れ、夫婦のんびり旅行のエピソードや楽しみ方を伝えたいと思います。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012  石造りとパンの町 Oatland

2012年08月18日 | 日記
2月23日(木)
Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 
1編 石造りとパンの町  Oatland

湖の朝は静かで少し肌寒むく、重そうな雲が山の向こうから覆いかぶさっていた。
まだ、ほとんど人通りもなく店の入口は閉ざされ、静かな町を歩いていると、1軒のアンティークのお店の中に人影があったので立ち寄ると、店員の女性が「Good morning」とあいさつをしてくれた。私達を見て久しぶりに会った仲間のように話しかけてくれる。さすがAussieの明るさはどこでも同じようだ。さらに私と幸子は町なかを歩く。この町の人口は600人程だか道の両側には石造りの家並みが続きヨーロッパの古い田舎町に来ているようだった。
町の建物は,Georgian Sandstone Buildings(ジョージア様式砂岩建築、直訳で失礼)と呼ばれておそらく18世紀ごろ英国で流行った建築方法かもしれない。それぞれの家は大きくないが石造りの色合いと今日のどんよりした空は、額にはまった絵になる風景である。通りから少し入った所にCallington Flour Millがある。この製粉所は1837年に建築され、驚くことに現在も稼働している。今、幸子は日本から持ってきたパン焼き機でパン作りにはまっており、ここで粉を買って帰ることにした。店員の女性にプロテインの含有量を質問すると私達を事務所に案内してパソコンで商品データを調べ「Protein13%」含まれると説明してくれた。
1袋購入し、幸子が作るパンの味を楽しみにFlourをカバンにいれた。私達はこの製粉所の向かいにあるBakeryで二つパンを購入し(期待した味とちょっと違ったかな)、Richmondに向かった。
第2編へつづく

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2012年08月09日 | 日記
2月21日(火) 船から見たDevonportの町 TASMANIA Dreamへ出発
私は若者の携帯の目ざまし音で目を覚ました。時計は未だ6時半であり、キャビンの丸い小窓から外を見るとまだ薄暗く到着予定の9時にはまだ時間がある。もう少し横になっていたかったがデッキに出てみると床が少しぬれており、空も雲で覆われていた。予定通りに接岸した船から順調に車は陸にあがっていく。ここでもtASMANIA州の係官が車のトランクを開けさせ、食料を検査している。私達はMelbourneで乗船する時に、係官から注意を受けていたので朝のコーヒー&サンドと一緒にオレンジなどは食べてしまったので問題なく検査をパスすることができ、預けておいた携帯用のガスボンベを受け取りスムースにDevonportの市内に向かうことができた。途中、Launceston方面の標識が見えたので市内には行かずに標識の指示に従いHwyに乗った。約90kmのドライブである。初めてTasmaniaのHwyをドライブしていると気づいたことがある。 NSW, SA ,VICは110kmで走行している時、鳥や沢山の虫がフロントガラスやフロントグリルに当たり、汚れたガラスをワイパーで吹き払ってもきれいにならなかった。ある時、Cube3を降りてボンネットを開けようとした時フロントグリルから鳥のお尻と足が出ていた。きっと飛んでいた鳥が頭からグリルにはまって動けずに死んでしまったのだった。南の島のTasmaniaは少し気温が低いのだろう、フロントガラスにあたる虫はほとんど無かった。
窓から見える景色は山間を縫うように走っているので遠くの視界がさえぎられる為、今までの広大さは感じられなかったが、木々の濃い緑の色合いが昨日までの地域との違いを気づかせてくれる。
2時間もかからずにLauncestonに着いた。この街は70,000人以上の人が生活しておりHobartの次に大きい街である。街は静かなたたずまいをもち、Kings Parkを通り抜けるとSouth Elk Riverにでる。公園の端に駐車して、その川沿いのCataract walkを1km程を歩いた。川幅150m程の両側は岩の壁になっており、ロッククライムを楽しむ人の姿も見える。ゆっくりとした水の流れ、そして川面は薄緑色でおおわれている。上に進んでいくと川幅は狭まり、そこには1904 年に架けられたAlexandra Bridgeと呼ばれる吊り橋がある。そのあたりは、流れが少し速くなり、その流れに乗って楽しむ子供たちを見ることが出来た。
 私達は、日ごろの運動不足を解消するかのように2時間余りを歩いた。
市内でのスーパーで食材を購入する。その時は、必ず購入するのは、氷と10Lの水である。水があればCube3が駄々をこねて、動かなくなってもしばらくは安心できるからだ。
そして、午後2時過ぎに今日の宿泊予定のBinalong Bayに向かう。Binalong BayはTasmaniaの北東部に位置し、近くには牡蠣の養殖場もあり静かな入り江である。
6時半を過ぎたころにCampSite着くと海に沿った道には多くのCamperたちが夕食の支度をしていた。私達は一番奥の場所を確保したが、その後も数台の車がさらに先に進んでいった。
あいにく今夜は、雨模様だ。幸子が夕飯の支度をしている間に、小降りだった雨も少しづつ強くなってきたようだった。私はテーブルと椅子をかたずけCube3の車内にスペースを確保した。火のついた薪は少しづつ雨に濡れてきたが消えることはなく燃えていた。私は雨に濡れ、焚火にあたりながらビールを飲みたかったが幸子の呼ぶ一言で車内に戻ることにした。
雨脚は強くなり屋根にあたる音は激しさを増してきた。日付の変わる頃になると少し雨が落ち着くと何やら外でガサガサと音がする。すると今度は何かが屋根の上を歩きまわっている。きっとPosam(大きなネズミ)がえさをあさりに来たのかもしれない。車内から天井をたたいて脅かしても逃げようともしない。ここのPosamはCamperの残した食料をえさにしており、人に慣れているのかもしれない。Posaは私達よりも先に住んでおり、彼らの好きなようにさせておこうと思った。外を見ると焚火はまだ少し煙を残していた。
今日のCube3の走行は299km。

Cube3で走るオーストラリアの旅 2012 MelbourneからTasmania Spritに乗船

2012年08月03日 | 日記
2月20日(月)  
今日はMelbourneに向けて出発。
7時過ぎ起床する。今日はMelbourneからTasmania Spritに乗船してTasmaniaのDevonportに向かう。出港予定は21時。初めての乗船であり船着き場もあまりよくわからない為、早目の時間に乗船手続きを終える予定だ。Johnna Caravan Parkはまだ出発するCaravanはなくひっそりとしている。
今回の旅行で分かった事は、多くのCamperは同じ場所で数日間滞在し、その近辺を散策し、ゆっくりした時間の経過を家族や友人と過ごしている。私達の旅行スタイルは先を急ぐあまり時計との競走になることがしばしばある。よくAussieの友人と旅行の話題になる時、その様な旅行を「Japanese styleだネ」と言い私達を冷やかして笑っていた事を思い出す。
出発して1時間半でApollo Bay に着く。GORにそって家並みが長く続く、この町も1,000人にも満たない人口だがRobeよりMelbourneに近い理由で不動産屋の別荘の価格が少し高価に思えた。私はTwelve the Apostlesを幸子に見せてあげたかったのでInfoを訪ね、その場所を聞くと、そのポイントは、すでに過ぎておりここから西に120Km程戻らなければならなかった。幸子にその事を伝えると「その様な大きな岩は1つ見たから、別にそれ以上見なくてもよい」「岩が1つでも4、5でも関係ない」とさっぱりした表情で言うので私も気が楽になった。 
昼食をすませMelbourneを目指した。Torquayを過ぎるとGORは終わり、北に進むと市内に向かうPrinces FWYに合流する。ここまでくればTasmania Sprit に乗船するまでに充分な時間がある。Melbourneの市内は2回ほどテニス観戦で訪れており、地理的な感覚は持っていた。幸子は日本食材を調達する為、Infoを探したが見つける事が出来なかった。その上、市内の交通の混雑が激しく路面電車の行きかう中、アクシデントがあるとTasmaniaも夢になると思い探すことはやめた。昨年、Melbourne Tennisの観戦した時、幸子と3日間滞在したYHAに行き、受付けの男性に「Can I use a washing machine?」と尋ねると「Basement」と言うので、幸子と一緒に衣類や敷布等の詰まった大きな袋をもって階段を下りた。きっと彼は宿泊客と間違えたのかもしれない
ここの使用料は、通常の半分以下の料金だと思う。たっぷりの量を洗濯し、挙句の果て私達もちゃっかりシャワーを浴びすっきりした気分で港に向かった。あまり公すすることではないけれどここだけの話にしておこう。
 Tasmania Spritは予定を1時間以上も遅れてMelbourenを出発し、Tasmaniaへ向かった。風も波も無く、穏やかである。船は大きな揺れもなく進んだ。
幸子は早速、船内のあるスロットマシーンで楽しそうに遊んでいる。いつもカジノで投資する金額は$15前後であり、パチンコより長時間楽しめるようだ。私は、デッキでビールを飲み、先にキャビンに戻ると、四つのベッドがあったが、今夜は私と若い男性の二人だけのようだ。彼はふるさとのHobart近くにある母親の家に帰るらしい。私は彼に焼酎をすすめると上目づかいに私を見て頭を斜めに傾けた。しかし、飲み始めると味に慣れたのか2,3杯お代りをした。
Tasmaniaのアクセントか、若者のはやり言葉なのか私には理解が難しい会話になっていた。
船中、時間も有り久しぶりに東京の友人Mさんと電話で話した。彼は80歳を過ぎたが相変わらず話す声が元気であり安心した。また昨年からMelbourne郊外のBuangorに住み始めたGold Coast(GC)の友人Rayにも電話をかけると彼は2週間後に家族の待つGCへ帰るらしい。私達はTasmaniaの帰りにBuangorの彼の家でBBQをする約束をした。
 さて、幸子のゲームは、そろそろ終わっただろうか。私は部屋を出てキャビンの階段を上り幸子の様子を見に行った。
今日のCube3の走行は?km。