気の病と共に生きる

病気になって17年。今病気になって生きている日々を綴る。

今夜の様子2 病気の原因1

2021-11-23 18:47:02 | 日記

今カレーを食べ終わった。今夜は病気の原因を書くからと緊張して?いつもの半分の美味しさだった😅

でも好きなカレーだけあって全然不味いとか無いけど。あ、カレーの写真📷載せとこう。

それにしても音過敏というのは本当に嫌だし、辛いし、だからといってどうにでもなるものでもないのが現実。

今も隣の壁の向こう側にトイレがあるんだけど、特に嫌いな父親が居ると思うと物音がいつもの倍くらい気になって嫌な気分になる。

アパートにいる時だって、物音に過敏だから、常時ホワイトノイズで音を紛らわせ、こっちの音もむこうの音も遮れるようにしてる。それ以前はずーっと3年位イヤーマフとかノイズキャンセラーとかを使っていた。

でもイヤーマフ(耳栓)とかって長時間付けっぱだと取るときに耳が異常な程痛くなるんだよ。

自分は目が悪いから眼鏡👓を掛けてる(前はコンタクトレンズしてた)んだけど、その上から耳栓すると時間経つ度に耳の付け根が痛くなってくるんだよね。それがどんどん食い込んでって外すときには「痛っ!」ってなる。だから耳に病気もそうだけど皮膚病とかにもなりかねないし軽くて調節幅の広いイヤーマフをするとか工夫必要あるんだよ。

たまーに今も本当に我慢できなくてつらい時は軽くて装着時のキツさが軽めなイヤーマフをするときがある。でもけっこうあれって依存性が高いんだよ。ホワイトノイズもそう。あれは依存性が高い。

あーそうだった💡そー言えば小さい極小の耳栓を人ごみ行くときは付けるんだった。最近外出頻度が少なめだから付けてるの忘れてた😅

あと、最近物忘れがひどい。というか正確にはあまり物事に対して気力が無いというか没頭しない。あと以前より何か一つの事に集中する時間が少なくなったってのも関係してるかも。

実は以前もう自慢にならないけど(過去はコンサートに出てた)エレキギター🎸が趣味でそれに何十時間も練習に費やしてたことがあった。あの当時のコンサートに出演してた頃の自分と今の自分を比較したら雲泥の差の違いがあるかも😅

何がどう差があるかといたら、今は🎸を全くしてない1秒も弾いてない。以前は毎日最低数時間~10時間くらい練習してた。凄い集中力と気力を働かせてたと思う。あーあ、多分当時にyoutubeにギターのプレイ動画を載せまくってたらチャンネル視聴者もいたんだと思うと非常にもったいないことをしたとも思う。

あー、また話題が逸れてた😅

自分の今の病気の引き金になった経緯を書かないといけなかった。

振り返れば、保育園児の頃から同年の男子に弄りものにされてた記憶がある。覚えていることは...

名前が’かずくん’だった気がする。その人にある時耳をビーンって伸ばされて引きちぎられた様な記憶がって、それで今、何時も毎年夏ごろになると汗を凄くかくんだけどそんな時決まって右耳が痒くなるんだけど、触った時に耳たぶ👂の付け根が裂けるような痛みがして気分悪い。

そーだよ、きっとあの自分が園児の時にあいつに耳を引きちぎられた後遺症が残ってるんだって。

でももうそのかずくんという人が誰なのか今どこにいるのかもうそんなことはもういいってあまり考えないんだけど。

今はもう自分の病気に向き合うだけで手いっぱいで誰かを恨むとか復讐したりとか考え付かないしそれに拘りを持たない。

だからって此処に経緯くらい示しておかないと自分の歴史を残すのにも誰かがこれを見てくれるにも、価値が無いからね。

簡潔に書いたらわかりにくいけど、学生時代は義務教育の12年間(正確には9年間かな?)ずっと虐めに遭って苦しんだ記憶がある。今思えば学校へ行ったことで人生が9割型終わったんだと思うくらい。行かない方が人生もっとマシに生きていたと思う。

長くなるからまた次の回の病気の原因2で話そうと思う。

それと自分の病状がどんなものかといったら多分だけど自分の思い込みだけど日本人が1億5千万人位いるらしいけど、その半分以上の人が体験したことのない奇病レベルかもしれないって思う😅

だって異常なレベルで人の目が気になるから。それに物も気になる。動物も気になる。この世のすべてが気になる。自己視線恐怖だったり、脇見恐怖だったり、ほかに名前知らないけど多分重度の視線恐怖だと思う。もう生きている意味がほぼ無いレベル。しんだほうがマシなレベル。生きた心地がしないレベル。だけど今の時代は良くしたもんでネットで衣食住の殆どが完結するから有難い😊

いやでもそれ(ネット)無かったとしたらマジでヤバかったかも。もう死んでたかも。

でもいまこうして生きていられるのはネットがあるからだと思う。高校の時に少し情報科学の授業でタイピング位学んでおいたの今かなり役立ってるしあの時の経験が今の自分を前向きにしてくれてることにも感謝してる😂

思えばあの高校生の頃が今の病魔の決定的な発端を作ったんだろうとは思うけど、いい思い出もあれば悪い思い出もありそれがなんだか絶妙なバランスで混在していて、今自分がこう(重度の精神障害)なのが良くも悪くもないような感じがして。

なぜこんな視線恐怖が極めて強い状態に陥ったんだろう?って自分でも不思議な感覚。

だって大学に入ってほんの数か月中に発症って自分としては思ってもいなかったことだったし、何かある意味分も無く意味も無く学校を辞めた感じで。

まぁ確かにきっかけとなった原因は何かは見当つくんだけど。人目がもうあの大学へ入学した当初の頃から気になっていたんだと思う。自意識過剰が行き過ぎたその先にある奇病なのかなーって。

もともと自分は全く周りを気にしないタイプだった気がする、本当ごく普通の子だったと思う。

ただあまり周囲と調和するタイプではなくそうとは言え独りぼっちでもなく、自分にとって興味や関心がある物事へはちゃんと順応していけるような感じだったと思う。それに伴って周囲の輪にちゃんと溶け込んでいく感じだった。周囲の輪から全く逸れて独りぼっちのタイプでは決してなかった。良くも悪くもマイペースな性格で友達は多いことも無かったけど少なくも無かった。

小学生の頃は3年になってからかな?その頃異変があった記憶がある。それは差別に遭ったことだ。

あーまた話が逸れた、その話は次回だった😅

つまり人目が気になる要因になったのは何が問題だったのかということを書かないといけない。

例えばクラスの発表会などでステージで何かを一人きりで演じる時などにそれを見ている大勢の生徒がいるとしたら、その時初めてステージに立った時に赤面したり、緊張して上手く演じれなかったり作文を読み上げられなかったことがきっかけでその後、人前で恥ずかしくて上がってしまって上手く自分のいつもどおりにやっていることが出来にくくなったとしたら、それで悩みをかかえることになるかもしれない。

⇧に対しては、自分自身としては、そこまで悩まなかったって言う記憶がある。そこで場慣れするタイプなのかそれともそれ以前に場を踏む前に嫌で不安で参加せず(欠席して)にいなかったのかのどちらかでその先行きが変化しただろう。自分自身は多分だけど場慣れしていたせいか中学時代にも何かの催しの班長になったりそれを無理なくこなせてたし。先ずそういう面ではほぼ問題なかったと思ってる。

なのになぜその後人目が気になるようになったのかだ。一番その問題のない筈だったことに変化をもたらしていったのは何だったのかということだ。

多分長年続いた虐めだと思う。その詳しいことも次回書くつもり。

視線恐怖症。まさかこれで人生が270℃おかしくなるとは思わなかった😣

あたまが回らなくなったのでこれで今夜は終わり。また次回。

長文読んでくれてどうもありがとう。

おやすみなさい。

 

 

 



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