「喜連(伎人郷)を着物で歩こう!」 ~楯原神社と如願寺から天野茶屋

喜連で、もっともDEEPなスポットといえば、イベント・オリジナル絵葉書にも登場した楯原神社と如願寺だ。
屋敷小路をあとにした着物姿一行は楯原神社に向かう。

新聞記者の皆さん、いい記事は書けそうですか?

中高野街道を臨む。


楯原神社、到着。相当の古社である。
社伝によると、崇神天皇の御代に・・とあるから、紀元前ということになるが、それはないにしろ、聖徳太子のいた推古天皇の頃の参拝記録があるというから、やはり相当な古さだ。




奥の院には「神宝 十種之宮」が祀られている。
現地説明板の記載を要約すると『この神宝は元は奈良・石上神社にあったが、戦国時代末期織田信長の焼き討ちに遭い、持ち去られたが、幸いにも保護されており、これを知った豊臣秀吉が、生魂の森深く(生魂神社?)に納めた。
幕末の混乱期に再び持ち去られ、行方不明であったが、古道具屋の店頭で発見され、喜連に住む小林某なる人がこれを買い求め、紆余曲折を経て、当社に奉納された。』とある。

拝殿のブルーシートが掛けられているのは藁。
年末には、新たな注連縄が作られる。

隣接する如願寺に入る。


如願寺は中世に存在したとされる喜連城本丸の地と推定され、享保年間築造の本堂の屋根には鯱鉾を載く。




再び、楯原神社を抜け、「天野茶屋」に向かう着物姿一行。


第1部まちあるき の後半のハイライトは「天野茶屋」でお茶席である。
これは喜連環濠地区まちづくり研究会の天野会長のご好意でセッティングしていただいた。






野点を満喫した班も・・・。


動画







天野会長、ありがとうございました。

さて、最上のお
も
て
な
し
を受けた着物姿一行は一路、喜連北集会所にご帰還へ。




これにて、第1部終了!続いて、第2部、コンサートへ。

喜連で、もっともDEEPなスポットといえば、イベント・オリジナル絵葉書にも登場した楯原神社と如願寺だ。
屋敷小路をあとにした着物姿一行は楯原神社に向かう。


新聞記者の皆さん、いい記事は書けそうですか?

中高野街道を臨む。


楯原神社、到着。相当の古社である。
社伝によると、崇神天皇の御代に・・とあるから、紀元前ということになるが、それはないにしろ、聖徳太子のいた推古天皇の頃の参拝記録があるというから、やはり相当な古さだ。





奥の院には「神宝 十種之宮」が祀られている。
現地説明板の記載を要約すると『この神宝は元は奈良・石上神社にあったが、戦国時代末期織田信長の焼き討ちに遭い、持ち去られたが、幸いにも保護されており、これを知った豊臣秀吉が、生魂の森深く(生魂神社?)に納めた。
幕末の混乱期に再び持ち去られ、行方不明であったが、古道具屋の店頭で発見され、喜連に住む小林某なる人がこれを買い求め、紆余曲折を経て、当社に奉納された。』とある。

拝殿のブルーシートが掛けられているのは藁。
年末には、新たな注連縄が作られる。

隣接する如願寺に入る。


如願寺は中世に存在したとされる喜連城本丸の地と推定され、享保年間築造の本堂の屋根には鯱鉾を載く。




再び、楯原神社を抜け、「天野茶屋」に向かう着物姿一行。


第1部まちあるき の後半のハイライトは「天野茶屋」でお茶席である。
これは喜連環濠地区まちづくり研究会の天野会長のご好意でセッティングしていただいた。






野点を満喫した班も・・・。


動画









天野会長、ありがとうございました。

さて、最上のお









これにて、第1部終了!続いて、第2部、コンサートへ。