久しぶりにブログを書いてみる。
今日は8月15日。
今、この日限定の正午のサイレンが鳴った。母親の買い物に付き合ってショッピングセンターの駐車場でそれを聞いている。
正午のサイレンが鳴ったがこの意味を知っている人はどれくらいいるだろう?
今から77年前に日本はアメリカを主としてイギリス、オーストラリア、中国などの連合国を相手にして戦争をしていた。今でいうロシアの軍事信仰の様に中国や南方の島々を侵攻していた。丁度1945年の今日、日本が連合国に対して降伏した日である。
犠牲者は310万人にのぼる。対して東日本大震災での死者行方不明者数は1万8千人で如何に戦争での犠牲者が多いかというのがわかるかと思う。果たしてそれだけの人々が犠牲になって良いものか?
戦争中の悲惨さを後世に伝える人々は戦争の悲惨さだけを理由に戦争してはいけないと言う。本当にそれで良いのか?
昨今のロシアによるウクライナ侵攻、中国人民解放軍による台湾周辺での軍事演習などで日本国内でも防衛力強化の動きがある。
また、有事の際にウクライナ国民が国を守るために武器を取って戦った様に日本国民もそれが出来るか?みたいな話題をよく耳にする。
ウクライナや隣国韓国の人々の8割から9割は国のために戦うと解答したのに対し日本国民は1割に留まったそうだ。
それはわかる。
自分もいざ有事に直面した時に武器を持って戦えるかというと答えはNO。
そもそも年だし、戦い方や武器の扱いもわからないし、万が一、銃弾に当たって死んでしまったら…これまで何となく思い描いてきたその先の人生は無くなってしまう事になる。
はっきりいってそれは嫌だ。
とはいえ、左寄りの人々が言うように対話で戦争にならない様にしようと言うのも聞いてて呆れるのである。ウクライナを見ても、なお、「話し合えばわかる」なんて幻想を抱いているサヨな人達にはタイムマシンがあるならロシア侵攻前のウクライナに飛ばしてやりたくなるね。
話し合いはとことんする、だけどそれでもダメな時はあるのである。その時のために容易に手出しできないような強大な防衛力と反撃力を構築するべきだと思う。はっきり言って国民は私も含めて当てにならない。
日本は幸いにも周囲を海で囲まれた島国である。だから飽和攻撃にも耐えうる圧倒的な数のミサイルで防衛するべきだと思う。(昔、防衛庁が言っていたハリネズミ防衛)
そのミサイルの隙をついて侵入してくる敵に対してはドローンやロボット兵器を使い防衛すべきである。現在、自衛隊が持っているドローンは偵察用のドローンしか持っていない。攻撃用のドローンも持つべきである。
そして敵基地を攻撃可能な能力を持つべきでいくら防衛しても相手の基地を叩かなくてはいつかこちらが弾切れになってしまう。
この時代、人が介在しなくても戦えるだけの技術はあるわけだし日本はそれが出来る国である。
前にも言ったが国民は当てにならないし、より人的被害の少ないと思われるミサイル防衛、ミサイルによる敵基地攻撃能力とロボット兵器配備は急務だと思っている。
2度と戦争による悲劇を起こさない為に。