中国の真実をお教えします

 ◆マスコミが報じない中国の真実◆

自由のために

2013年05月31日 | ■中国NOW!

ここ数日間、大紀元や新唐人の本部サイトがハッカーの攻撃に遭い、アクセスができないまたは正確に表示できない状況が続いています。


なぜだかお分かりでしょうか。


はい、もうすぐ習近平主席がアメリカを訪問するからです。


香港では大紀元が、また中共暴徒の襲撃に遭いました。共産党の暴力のもとでは、すべてがこれほど難しいのです。それでもみんな屈する事なく、やるべきことを続けています。


「自由」が当たり前の日本。日本の皆さんには、この「自由」をぜひとも大切にしてほしいですね。


隣の国では、この「自由」のために、血を流し、命を失っている人が大勢いることも覚えていてほしいですね。


今日たまたま、2006年の大紀元の記事を読み、感無量になりました。


香港大紀元印刷工場の多難な起業ストーリー


 【大紀元日本2006年3月7日】香港大紀元は5年前に創刊、中国国内の真相報道を理念とし、中国共産党(中共)の邪悪な本質を暴露した大紀元特別社説「九評共産党(共産党についての九つの論評)」(下略、「九評」)の流布に注力してきた。香港人や香港を訪れた中国人観光客を対象に無料で配布し、多くの中国人が「九評」の存在を知り、「九評」を読んだ読者は、国内外で相継ぎ「脱共産党」の声明を発表した。大紀元の存在は、すでに香港の一国二制度のシンボルとなっており、香港市民が中共の検閲を受けない真相情報を入手する重要なルートになっている。中共政権はそれを恐れ香港大紀元を敵とみなし、発行を阻止しようとあらゆる手段を用いて妨害を続けた。香港中の印刷会社に圧力がかけられたため発行停止が危ぶまれたが、困難を乗り越え、多くの支援者から協力を得て中古印刷機を購入、本年1月から印刷工場を構え、自社印刷を始めた。ところが、妨害の魔の手は収まらず、2月28日、中共に関係すると思われる複数の暴徒が大紀元事務所に乱入し、印刷機材などを破壊した。香港大紀元新聞編集長・呉雪児氏が香港大紀元印刷工場のこれまでの長い苦難の道のりを明かし、「あらゆる困難を乗り越え、新聞を引き続き発行していく決意」を述べた。―編集者注
(大紀元)


 香港では、大紀元新聞の印刷は、中共が大紀元に対するあらゆる妨害の重点となっている。創刊以来5年間、香港大紀元は幾度も中共の妨害を受け、特に印刷においては困難に直面してきた。2005年3月、香港大紀元と提携していた印刷会社は、突然、2ヵ月後大紀元の印刷業務の中止を告げてきた。実は大紀元は当印刷会社にいままで支払いに遅れたことは一度もなく、この業者にとって香港大紀元の印刷は安定かつ高額の収入源であった。

 印刷会社の突然の中止通告に、私たちは諦めずに、ぎりぎりまで印刷会社と交渉したが、事態は好転しなかった。行き詰まった私たちは、ほかの印刷業者と交渉したが、印刷を引き受けてくれるところはなかった。実際、香港の印刷業界は飽和状態にあり、多くの業者は倒産に追い込まれるほど仕事が少ないのが現状で、本来ならば、印刷問題が生じるはずがない。業界全体が中共政権による圧力を受けているのは明らかである。

 2005年5月、私たちは記者会見を開き、中共政権による業務妨害の全容を公表し、立法会に嘆願書を提出した。真相を知った読者からはたくさんの声援の手紙と電話が届き、大紀元は絶対停刊してはならないと励まされた。あの時期、私たちの新聞の発行が遅れたら、読者がいつも電話を掛けてきて、停刊ではないかと心配そうに聞いてくれた。

 記者会見直後、ある印刷企業が、正式な契約を結ばないという条件つきで、印刷を請けると表明した。そうして大紀元時報は停刊の危機から一時的に脱出することができた。

 しかし、正式な契約がないため、出版が保障されないという懸念もあり、香港大紀元は自社印刷することを決定した。

 それを知った多くの読者は、自発的に寄付金を香港大紀元に送った。経済支援したことを中共政権に知られたくないため、匿名で寄付する人もいた。ある90歳の読者は体が不自由なため、友人に頼んで大紀元に送金してくれた。また、あるお年寄りの読者は、少ない退職金で生活を送っているが、毎月100ドルを送金し続けた。各界からの温かい支援に香港大紀元のスタッフは勇気付けられ、寄付金と大紀元本部からの援助により、やっと格安の中古印刷機を購入することができた。

 2005年10月、機材が事務所に搬入された。業界のプロからみれば鉄くず同然のこの機械は、我々にとっては貴重品であった。専門家によると、一般的には新しい機材を購入しても、技術者が組み立てるのに、約半年間はかかるという。この「骨董品」はいつになったら運用できるのかという冗談もでるほどだった。

 技術者を雇う資金がないため、数人のボランティアが手作業で一つ一つの部品にこびり付いていたインクをシンナーで洗浄した。手に付着した黒いインクは1ヵ月経っても洗い落とせず、シンナーの臭いが体に染み付いた。販売業者が技術者ひとりを派遣してきたが、初日にシンナーを大量に吸い込んだためか、突然全身を痙攣させ、意識を失った。幸い大事には至らなかった。

 大勢の人が悪戦苦闘した結果、2ヵ月後には印刷機材の試運行段階に入り、あるプロの技術者は「この機械が新聞を印刷できるなら、奇跡としか言い様がない」と語った。

 しかし、奇跡は起こった。印刷機が香港に届いてから約4ヶ月後の2006年1月26日、香港大紀元が自社印刷した「九評共産党」(新聞版)が出来上がった。工場長はそのときの心情を「自分の初子が生まれたように感激した」と表現した。

 実際、印刷に入ると、仕事が激増し、台湾大紀元のスタッフも全力で支援し始めた。ある老婦人は、毎日夕方ごろ工場に行き、スタッフの食事を作った後、深夜まで工場で睡眠を取り、日付が変わる頃に起床し、印刷したばかりの新聞を折りたたむ作業をする。

 2月15日香港大紀元が印刷した初の「大紀元時報」が誕生した。
自社印刷した初の「大紀元時報」(大紀元)


 しかし、中共による妨害は止まなかった。2月28日夕方7時ごろ、複数の暴徒が鉄鎚で入り口を壊し、香港大紀元の事務所に侵入、購入したばかりのコンピュータ植字機を破壊した。
鉄鎚で壊された事務所入り口(大紀元)

破壊された植字機(大紀元)

大勢のスタッフの努力によって、3月1日「大紀元時報」は予定通り発行された。トップページに写真つきで今回の中共による襲撃を報道し、当日午後に記者会見を開き、中共の暴力行為を強く批判した。香港民主派・何俊仁議員や、劉慧卿議員、楊森議員、梁国雄議員などが声援に駆けつけた。

 破壊された機材は100万香港ドルを超え、大紀元は経済的損失を受けた。しかし、我々は、中共に屈服せず、あらゆる困難を乗り越え、新聞を引き続き発行していく決意である。香港大紀元は中共政権が崩壊するまで、中国の真相を報道し続けることを誓う。
 
====================================

最新の画像もっと見る

コメントを投稿