私は精神疾患者だ。身体障害者と言っても。身体が不自由では無い。だから困るのです。なかなか、精神疾患とはどんなものかと言う事が周りの健常者には解らない。だから薬の副作用があると言うと。「じゃあ、薬を飲むのをやめればいい」と言う。だが飲まないとまた発病するのです。
私は10数年前に、薬を飲んで居なかった。自分の判断で飲まなくたっていいと思って飲まなかったのだ。そうしたら発病した。要するに言いにくいが脳の疾患なのだ。これは、先天的に備わって仕舞ったものなのだろう。障害です。だから私は身体障害者なのですよ。薬を飲んで居れば障害は止まるのです。だから一見健常者と変わらない。だが、無理は一切出来ない。私の場合、薬で寝てしまうし。体が怠くて仕方がない。向精精神薬はキツいのです。掃除も出来ない、そう言う事で、へルパーに頼んで居るのです。それにこれは病院からの指示でもある。私の主治医が必要だと判断して契約を結ばせ派遣されて居るのです。精神疾患者は嫌われる。それは中には飛んだ変な人も居るからだ。でも大概は皆んな大人しいのですよ。ただ、頭の病気と言う事で嫌われるのです。あいつはおかしいだとね。偏見ですね。酷い人になると。「精神病は移るのか?」と言う人まで居る。無知と理解の無さが精神病患者を孤立させるのです。だから皆さん。精神疾患者は厄介ではないのですよ。たまに症状が酷くて、何言ってるか解らない人やら、おかしな挙動をする人間が居るので。精神病患者は頭がおかしいとなるのですね。まあ、確かに重症患者はそう言った人も居ますが。大抵は、そんな事はないのですよ。ただ精神疾患があると言う事で兄弟は縁を切りますね。大抵。要するに頭がおかしくなった兄弟は。認めないと言う事だろうと思います。私の様に軽症の精神疾患者でも。兄弟は見捨てましたから。と言っても、私は障害者手帳2級を持っては居ますが。私は逆にそんな薄情な兄弟だとかは此方の方から願い下げですが。私は今持って差別と偏見の中に身を置いて居ますよ。だけども私は自分がそうだから、人の痛みが良く解る。障害者になって、人に優しくなりました。そして私はブルースと言う音楽の意味が解り掛けて来た。本当の意味で”BluesMan”になれたと言えそうです。私に取ってブルースとは人生です....。
私は高校在学中から大学以降少しまで、バンド活動をして居た事は今までに散々書いて来たが。その事で付き合って居た、バンドのメンバーとの間には、いい事などは殆ど無かったも同然だった。大体が、あるボーカリストは突然人の部屋にレコードを100枚持って来て置いて帰った。私が困ると言うと、「聴いててくれ、そのうちに一緒に住むから」と言い出した。私は怒った。「何言ってんだ、勝手に言いやがって。此のフーテン野郎、、」とさえ思った。「フーテン」とは、職業に就かず、異様な風体で盛り場などをふらつく人。また、家も定職も持たず、放浪生活をする人の事です。そもそも「フーテン」とは、漢字で「瘋癲」と書き、精神の状態が正常で無い事、精神疾患を持つ人のことを指す言葉でした。
それが漢字の「瘋癲」ではなく「フーテン」と言われる様になり、無職でふらふらして居る人の事を指す様になったのは、1967年(昭和42年)に、ヒッピー風の服装をして、新宿駅前にたむろする無気力な若者たちを「フーテン族」と呼んだ事がきっかけと言われて居ます。私が青春時代の半分を過ごした1970年代1980年代に掛けても此の言葉は使われて居ました。最近の若い人には最早死後ですよね。此の頃に流行った漫画で、永島慎二著の「フーテン」と言う漫画があります。
要するにいい加減な人間が多かったですね。そのボーカリストは、、私がバンドの練習風景の音源を録音した、カセットテープを部屋の棚に大切に保管して居たら、8本中5本のカセットテープを黙って盗んで行った。そして当時私が大切にして居た「続・荒野の用心棒」のレコードも盗んで行った。その人だけでは無い。弟もそうだった、、ある時に私のロック・バンドでの演奏を録音した貴重なテープを、弟に聴かせたら、「ちょっと貸して」と言って、貸したらもう返さなかった・・・・・・・恐らくは弟は私が楽器演奏をする事に物凄いジェラシーを持って居た為に、そう言う行動に出たのだろうと思う。母が言って居た。「あいつはね、『兄貴の様に僕も楽器演奏が出来る様になりたいんだ!!』って言って居るのよねぇ」と、、
しかし私は弟に言った。「お前は勉強一筋の奴なんだから。勉強で勝負しなよ」とね。高校1年生の頃だ。私は初めてのロック・バンドを組んだ。ドラムとベースとギターのトリオだった。歌は無しのインスト・バンドだった。演奏した曲は殆どが、ジンジャー・ベイカー。ジャック・ブルース。エリック・クラプトンの3人が作った「クリーム」からのハード・ロックの曲だった。「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」「ホワイト・ルーム」後、当時エリック・クラプトンが弾いて流行って居たブルース「ハウ・ユー・エバー・ラブド・ア・ウーマン」なども演奏した。どれも1曲が長いのでどの様にもアドリブで演奏出来た。後はハード・ロックのデープ・パープルの「バーン」などを演奏して楽しんで居た。
Cream - Sunshine of Your Love
Cream - White Room ( Farewell Concert 1968)
Eric Clapton - Have You Ever Loved a Woman (Blues) - The Definitive 24 Nights (Remastered 2023)
Deep Purple-Burn (Live in 1974)(London) BETTER SOUND QUALITY!!!
処が、ベーシストが、レコードショップに行った処、何とスケッチ・ブックにエリック・クラプトンのレコードを挟んで万引きして来て。待ち合わせ場所に居た私に「レコードを万引きして来た。後で聞かせてやる」と言うのだ。私は「なんだ〜!!」と思って居たら。背が少し高い補導員のお姉さんが何時の間にか、そいつの後ろに立って居て。そいつの肩を掴んで「はいそこまで、、君、万引きの現行犯逮捕だから」と言うのです。そして何と私の方を向いて、私に「此の事はあんたが命令したのか?」と聞くのですよ。私は「とんでも無い、今初めて聞きました、、」と言ったら、「なら君は関係が無いわね、」と言い。もう一人の子、丁度、その時は女の子も一緒だったから。彼女は盗む時に側に居たと言われて、「何故、注意しなかったのか?その事は同罪です。」と親元に電話を掛けて親に来て貰う様に言われて居た。
そのベーシストは家に電話を掛けたら、丁度、親戚が来て居た処で、「何と言う事をしてくれたんだ!!親戚にも知れ渡ってしまったじゃないか!?」と怒声で電話口で怒られて居た。私は「あの、僕も親元に電話を掛けるのですか・・・」と恐る恐る聞いて見たら、「君はいいわよ、知らなかったのだから。掛けなくて、、」と言われて安堵したのだった。そんな事からそのベーシストとは段々と疎遠になって行きました。大体が今でも覚えて居るけど、バンドの練習場所のドラマーの家に行って見たら。私の他にギタリストが居て。そいつが私を見たら横柄な態度を取り始めたので、、「ああ、もう私とは一緒にこいつらはやりたくは無いんだな」と思って。もう彼らとは一緒に演奏はしなかった、、其れから、ほぼ半年ぐらい経って、私が教室に一人で居たら、あのベーシストが寄って来て言った。「ドラマーが言って居るよ。『矢張りブルージーなギターはお前じゃないとなぁ』とさ」、、でも、私は何を言われても2度と彼らと一緒に演奏する事は無かった、、バンドは、いや何でもそうだが、グループと言うのは信頼関係で成り立って居る、その事が守れない相手とは、私は2度と組まない事にして居る。
其れから、こう言った事もありました。あるドラマーと一時期、組んで演奏をしたのですが、バンド放浪記でも書いて居ますが、そいつは物凄いテクニシャンで、何の曲のドラムでも難なく叩けたのですが。好きなバンドはビートルズと10CC、そしてジェネシスとキング・クリムゾンが好きで、後はクラシックが好きだった。要するに綺麗な旋律のメロディーだ、ロックと言っても、そいつが或日に、私に自分が組んで居るバンドのギタリストの家に行こうと言い出した。私は嫌だったが、何か相手は専門学校の生徒で、プログレのバンドだと言うので、「まあいいか・・・」、と思い行って見た。そうしたら、そのギタリストはベーシストと共にエレキ・ギターでヴィヴァルディーの「四季」の譜面を見ながら演奏し出した。私もギターを持って居たので、演奏して居ると、得意になって譜面を見て居る。私は譜面は見ないでも弾けるから、見ないで弾いて居た。
すると譜面を隠すのだ。私は譜面無しで弾けるので、弾いて居た。するとこう言う。「君、暗譜してるの?」私は、まあ、そうとも言えるが、暗譜では無い。レコードの音源を耳で聴いて覚えて居るだけだ。そして演奏が終わって、私はブルースのアドリブを弾いて見た。3連譜を多用したものだった。すると、そいつがこう言うのだ、、「その今弾いた、真ん中に穴が開いて居る音のフレーズどう弾くの💦」私は「何だぁ〜〜」となって仕舞って居た。その男は先程の「四季」も実は譜面は見ては居たが譜面を見て弾いて居たのでは無くて、ただ格好だけ見て弾いて居る、振りをして居ただけだったのだ。譜面は読めないのだ。私は「成程ねぇ〜」と思って帰って来た事があった。其れから数日経った或日に、自宅の自分の部屋でロック・ギターのフレーズを弾いて居たら。窓の向こうから「何だ!!ブルースとか言って居て、ロックじゃねえかよ〜!!バカくさ!!」と声が聞こえて来た。そいつだったのだ。自分の鼻をへし折られたとでも逆恨みをしたのか?私の隣の家の庭に勝手に入り込んで聴いて居たのだ。私はその後そのドラマーとは絶交した....。
寝起きの写真、、ブサイクだね・・・・・。
今日撮った写真、、行けない!!相当に太って仕舞って居る。ブタじゃ〜!!ブタ見参じゃ〜!!
今日の夕飯、玉ねぎカレーと、ミニサラダとアイス・コーヒー(アイス・コーヒーは私は真冬でも飲みます)
私は結婚はしなかった。まあ、私の場合は精神病ですからね。何か哀しいけど。結婚は出来なかった。親も何もしなかったしね。ただ。夫婦と言うものは。2人で暮らすと言うのは大変な事ですよね。お互いに自由な時間が無くなつて仕舞いますから。言って見れば内包生活ですね。愛し合って結婚しても初めの3年間ぐらいでそんなラブラブな関係は無くなって仕舞うのでは無いでしょうか?お互いに嫌な面も沢山見て来て居るし。私が知って居るもう老年の方ですが。何時も奥さんから、うさんがられて居るそうです。何でも「俺は今度生まれ変わったら。またお前と一緒になるよ」と言ったら「私はまっぴらごめんよ!!」と返されたと苦笑して居ました。でも仲のいい夫婦も居るのですよね。宇崎竜童と阿木曜子とかね。彼らは本当に見て居て羨ましいですよ。なんか2年前の番組でだかな?阿木曜子が立って居たら。すぐに宇崎竜童が、「君、何立ってるんだ。俺が椅子持って来てやるよ」と優しく言って居ましたよ。仲がいいのですよね。
夫婦は、家族であり、一方で一番近い他人でもある。長らく関係性を続けていくには、二人にしかわからない努力もして来て居るはず。でも、外から見ても素敵だなと思う夫婦の間に必ずあるものは、お互いへの尊敬と感謝。見失わない工夫、教えて貰いましょう。
一対で仕上げるべきテーマはまだある。ともに柔軟に成熟して。
作詞家、作曲家としても絶妙なパートナーシップを築き、夫婦としてもう金婚式を迎える、宇崎竜童さんと阿木耀子さん。二人が’96年に作った赤坂のライブハウスで、気がつけば長い道のりと、互いへの今の思いに向き合ってもらいました。
宇崎竜童さん(以下、宇崎) 大学時代に知り合って、25歳で結婚したんだよね。僕が軽音楽部にあなたを勧誘したのが出会いでね。
阿木燿子さん(以下、阿木) しばらくは部活仲間という感じよね。
宇崎 すぐ結婚を申し込みたかったけど、ね。一目惚れというよりは、何回も前世で会っていて、やっと会えた! という気持ちだったんだよ。
阿木 最初のデートを憶えてる? 部活の先輩が入院してお見舞いに行こうと集合場所に足を向けたら、あなた一人しかそこにいなくて。
宇崎 えっ、そうだっけ。もう50年も前だし忘れちゃった。だいたい、「付き合ってください」と言った憶えもないし。
阿木 まさに歌詞ではないけれど、「知らず知らずのうちに」ね。気がついたら一緒に住んでた。
一見軽率でも価値観は同じ。表と裏の役割のバランスもいい。
宇崎 横浜から赤坂に移り住んだのが結婚して3年後ぐらい。
阿木 ヒット曲に恵まれ、忙しくなって取るものも取りあえず夜逃げみたいな感じで引っ越したのよね。当時の一ツ木通りは、大人の風情のあるいい街だった。
宇崎 日枝神社、豊川稲荷、赤坂氷川神社と神様に囲まれていて、ここに来たら運が上がる気がしたんだよね。
阿木 このライブハウスの上にある部屋に住んでいたんだけど、あの頃はとても忙しくて。
宇崎 ギターと紙と鉛筆とテープレコーダーだけで曲をいっぱい書いたなあ。
阿木 部屋がそんなに広くないから、私は近くの喫茶店で詞を書いて。『横須賀ストーリー』はそこで生まれたの。
宇崎 そういえば、ブギウギハウスというスナックもその頃、始めたよね。
阿木 あれはあなたがやろうって。
宇崎 店をやりたいというより、仲間が集まる場所が欲しかったんだけどね。
阿木 深い考えはなく、あなたは何事も気分で始めちゃう。で、私も「そんなことやめましょう」とは言わない。
宇崎 どっちかが言い出すと、もう一人が「それもいいかも」って。
阿木 軽率なのよ、人生が(笑)。ただ基本的な価値観が似ているの。
宇崎 性格はまったく違うんだけどね。「楽しくやろうよ」というところで意見が合うんだよね。
阿木 たとえば私は対談の仕事をする時は、その前に、その方の作品にちゃんと目を通して、徹底的に準備をする。
宇崎 僕は行き当たりばったり。
阿木 どちらがいいか悪いかじゃなく、あなたは直感型。
宇崎 でも楽曲を作る場合、最後の仕上げはあなたの判断を信じるね。スタートは自分の感覚とひらめきだけど、決着をつけるのはあなた。
阿木 表に出る人。裏を守る人。そういうバランスがうまくいってるのね。
宇崎さんと阿木さんが作った歌です。まだお聴きになって居ない方は、是非聴いて見て下さいね。いい曲ですよ.....。
世良 公則 X 野村 義男 「 身も心も 」
新宿心中 - 原田芳雄
宇崎竜童 「魂の1/2」
生活保護認定に福祉事務所に行った時、、まだ話の段階でしたけど、私は兄弟から絶縁されて居ると言ったら相談員から「病気なのに何でですかね、、」と言われたら。私と一緒に行ったケア・マネージャーが弟さんもお姉さんも「もういいわ、、面倒なんて見たくも無い、、」と言って居たと言って居ましたが。私と相談員の方は黙って居ましたが、、私はそう言われて居る事を。聞いて、あんまりだなと思いましたよ。姉は随分と身勝手な人でして、すぐに人に対してバカヤローだとか言う姉ですから。まあ、何遍も言う様ですが、今まで過去に姪っ子と義理の兄貴から突然電話が掛かって来て。姪っ子は「今から始まるジャネット・ジャクソンのライブ録ってよ!!早く録ってよもう始まっちゃう!!」と電話が掛かって来て、私が買い置きのビデオテープも無いから。。「始まる直前に突然言って来るな!!」と言っても「何で行けないの?」と言う子でしたから。そしてそれに追い打ちを掛ける様に義理の兄さんも「今日の夜1時から、始まる、F1レースの番組朝方6時までやるから全部録ってくれない?」と電話が掛かって来て。当時はビデオテープはスタンダード・テープでも1本、120分テープが2千6百円はして居て。しかもヨドバシカメラまで行かないと売って居なくて。私は病気が悪化して居て、買いに行けないので、、自分で映画とかを録画して居た。ビデオテープを潰して録ってやって居て、、そしたら、毎日言って来る様になって。何でだと思って居ました。姉さん家にはビデオデッキがあるのに、自分では録らずに居て・・・・・・・・・。
だから、母さんに新宿のヨドバシ・カメラまで行って貰って、買って来て貰って、録画して録ったビデオテープを毎日宅急便で送って居ました。そうしたら、ある日を差変えに突然言って来なくなりました。私の勘で言うのですが、多分あのバカ親父が姉さん達に多額の借金でもして居たのだろうと思います。おそらくは私に金が掛かるとでも言ってね。私のバカ親父はこれも何遍も言いますが、「お前の持ち物は、全て俺のものだ!!何故ならお前を会社に入れたのはこの俺だ、、俺がお前の給料を出して居るんだ。だからお前の持ちものやら金は全て俺のものだ!!」と言っては、私が録画した映画やテレビ番組のビデオテープとかDVDを勝手に見て、、そしてスポーツ新聞の占いを見て、競輪や、競馬に行く時に「おい、お前の小遣いの金を2万円俺に寄越せ!!今日はな、おめえの運がいいんだ。俺はな。今日はおめえの運で遊ぶんだ!!」と言って、強引に金を私からむしり取って競馬競輪をして、、当時、私が使える金は3万円しか無かったのですよ。それなのに、、そしてある時なんかは、食事をして居たら。「おめえの食事を全部俺に食わせろ寄越せ!!」と言っておかずを取ってガツガツ食べ始めて、最後は私の茶碗をもぎり取って食べて居ました。まあ、私が我慢して居たのは、会社設立と言っても、バカ親父の高齢な兄貴と一緒に立ち上げたのだけども、兄貴と言う男は実質上は、何も仕事が出来ずに、バカ親父の方に寄り掛かって生きて来た人間だから、、馬車馬の様に働いたのはバカ親父でしたからね、、そして、弟が医大の受験勉強をして居ると夜の1時になると弟の所に行き、「おい、勉強なんて辞めろ。お前は高卒でいい。俺の会社に入って会社を俺と一緒に盛り上げておくれ!!」と言ったそうです。
そう言う事があった事やら、これももう何遍も言いますが。弟と義理の兄貴は医大が同じと言う事もあり、眼科に居た兄貴は弟に絶対に眼科に来いと言って、強引に眼科の医局に入れて仕舞ったら、、弟は教授と医局の先生らとうまく行かなくなって、医局を飛び出し家出をして仕舞いました。そして半年間消息不明でしたが、立川の病院に勤務して居る所を見つけて、ようやく家に帰って来ました。そんな事がありました。弟は、結婚をしましたが、、結婚するまで色々有って初めOLと付き合って居ましたが。その子が何時もブランド物のバックだとか、洋服を着て来ると言って別れて仕舞いました。私はその子は「自分の実家はお金がありますよ」と、言った意思表示だったのだろうと思いますが、、弟は嫌だった様です。それで3歳年下の看護師さんと結婚しました。所がうまく行かなくなり、離婚をして仕舞いました。そしてまた恋人を作って(フランスの学会に行った時に居た医療従事者だったそうですが)フランス人の女の子です、彼女と結婚の約束をして居た見たいですが、突然心不全になり死んで仕舞いました。まあ、晩年は弟も姉さん同様に、私を拒絶しましたが。その前は、私に色々とパソコンを買って、送ってくれて居たりしてくれました。私は弟を頼りにして居ましたよ。まあ、今頼りになる人は私の事を心配してくれる、くりまんじゅうさんと、私を励ましてくれる偶然、知り合った私が彼女と呼んで居る恋人の2人でしょうか、彼女たちに私は癒されて居ます。今回また、過去の事を覚書見たいに話して仕舞いました、まだまだ言いたい事は山ほどありますが、このぐらいにして置きます....。
最近、私が青木志貴ちゃんの写真とかYouTubeの映像を見せて彼女可愛くて美人だろう。と言うと大抵の女性は「けっ!ああ、そう!!」とヘソを曲げる。今日来た。若い訪問看護師に見せてもそうだった。男が描く理想の聡明で可愛く優しい心を持った女性は。殆んど皆無だと言っていい。どの子も自分より綺麗な女の子を見せられると大抵が捻くれる!!女のサガか?しかし私が知って居る身近にいる女性4人は違う。一人はこのgoo blogにいる人だ。彼女は53歳だけども可愛らしい女性で高齢出産だったから。此間息子さんが中学受験だった見たいです?青木志貴ちゃんの事を言ったら皮肉を言うどころか。「kiyasumeさんがこの青木志貴ちゃんに嵌るのは私はよく解ります。リアル・ヴァイオレットちゃんですよね。この肌の透明感といい、凄いです」と言ってくれたし。もう一人は50歳ぐらいの訪問看護師さんだ。彼女も志貴ちゃんをいいと言ってくれて居る。。。そして恋人だ、彼女も志貴ちゃんの事を美人だと言って居る。
もう一人は私のアパートの不動産屋のお姉さんだ。彼女も心が綺麗な人だ。そして美人です。ほのかな色気も漂わせて居る程の人だ。こう言う女性たちと話すと凄く癒されますよ。なんかまた、話が脱線して女性論になって居ますが。可愛い女性と言う人は男から好かれますよ。幾つになってもね、歳取って居るだとか若いとか関係ないです。心が澄んで居て綺麗な人であれば物事を正しく理解出来ます。まあ、これは男でも同じ事が言えるけどね。ただね心が優しい人はすぐに他人から邪険にされて仕舞うのですよね。黒澤明の「白痴」と言う映画があります。確かドストエフスキーの原作の方か映画の方かは覚えてはいないが。「心清きものは「白痴」と見なされる」と言う一節があった様に記憶して居ます。そうそう、女性と言えば東京FMのスカイ・ロケット・カンパニーでディスク・ジョッキーの助手をして居る。32歳の浜崎美穂ちゃんと言う女の子の声が可愛いのですが。なんとベネッセの弁当が外の箱に入った侭で次の日。ベネッセは必ずお客の安否を確かめに電話を掛けてくれるのですが、なんと!!その子が電話を掛けて来たのですよ。
浜崎美保さん、、
浜崎秘書の一人称は「あたん」なんです。絶好調やね~今日好きな人聞いてる?【スカロケ特選トーク】
私は吃驚して仕舞って。よほど、「私はあなたの放送聞いて居て。ファンですよ!!」と言いたかったけど。その子もディスク・ジョッキーだけでは喰えない見たいだ。声の仕事は皆繋がって居るのですよね。前も保証人会社の女の子から電話が掛かって来て「あれ、この声!!有名な声優だ!!」と思った事があった。ゆきかずは顔はハンサムですよ。だから嫁に人気アナウンサーを貰った。大学時代に同じアナウンサー部に居たらしい。そして、私はゆきかずは殺してやりたいと思い続けて居るが。ゆきかずの嫁と彼の娘は恨んでは居ないし。敵意も持っては居ない。恨むのはゆきかずとけんじの2人だけだ。この2人の父親はもう死んだだろう生きて居る訳も無い。ゆきかずの奥さんと娘さんは同じく今は声の仕事をして居るそうだ。風の噂で聞いた。此処で私は恥を晒す様だが女性経験は殆んど無い。女の子を金で買う真似はしたくは無いし。若い頃なら此れでも結構付き合った女の子も居たが。ともかく今となって見てはもう歳だ。女の子や〜いと言う歳では無い。ただ30歳から50歳ぐらいまでの優しい心の綺麗な女性は魅力的に見えるだけだ。そう言う人と間違ってもおかしな関係を持ちたいとは思わないし。ただ、いい女性だなぁと思うだけですよ。よく女と見ると男性の本能を剥き出しにする中年とか老年がいるがはっきり言って恥さらし以外の何者でも無い!!女の人は労って優しくして上げないと行けないですよ。と言いつつ今日も私は青木志貴ちゃんのYouTubeを見ています。だって彼女のファンだから。以上、今日は本当に短いけど、此のぐらいでお終い。。。
【中国】人生初海外でトラブル発生…?広州ファンミーティングの旅!
所有して居る、ラジカセです、、、(๑>◡<๑)
私は過去。月3万円の小遣いで自分の好きなレーザーディスクとビデオソフトを購入して居ました。私はまず旅行に行きません。そして最近はよく入りますが。ジョナサンやらデニーズなどのファミリーレストランには滅多に行きませんでした。それはうちではそう言う習慣が無かったからですよ。私の学生時代は殆んどが音楽喫茶で過ごしました。午後1時に行って。3時頃に腹が減っては380円の焼きそばです。それと後はコーヒー1杯です。食事は家に帰れば夕食がありましたからね。だから太らなかった。大学時代は学食です。きつねうどん。やら、たぬきうどんが30円でした。ラーメンが100円。カレーライスが160円ぐらいでしたよ。1976年当時でしたからね。学食は安いのですよ。これは大学に行った人なら解ると思います。
考えて見れば当時から、ジャズ喫茶やらブルース喫茶などでレコードをレンタルして居て。良く新宿の「サムライ」ではジャズのレコードを借りて居ましたっけ。それをカセットテープに録音するのです。私はこの頃に伊勢丹の裏方で働いたり。東京出版で働いたりして居ました。後。紀伊国屋書店でしょうか。どれもバイトでしたが。ああ、隣町の古本屋で少しバイトした事もあったかな。記憶が定かでは無いけど。だから会社で働いてた時には給料もボーナスも親に其の儘、全て挙げて居たしね。私が使えるお金は月に3万円だけだったです。前にヘルパーと訪問看護師にその事を話したら、「見かけによらず、信じられない」と言って居ましたよ。私の部屋を見て、こんなものだろうと思う人と、贅沢だと思う人とが居るんですよ。贅沢だと思う人は若者ですか?此間。デリバリーを取ったら、品物を受け取ってドアを閉めた途端に、「くそっ!!俺なんかより良い暮らしをしやがって!!」と怒って居るんですよね。歳考えてくれと言いたかった。そいつはまだ20代。私は60代だ。私はこのアパートに入るものしか持ち物がないのですよ。普通はどうでしょうか?家を持って居て。借り家でも。車は最低1台はありますよね。そして子供が居ますよ。私の歳ならもう大学生ぐらいですね。いや、もう成人して孫が居ると思います。私は確かに一見若く見える。だから最近では自分の歳を人に教えて居ますよ。
確かに私の知能レベルは30代止まりでしょうね。それは自覚して居ますよ。私は43年間を棒に振った人間です。nothingですよ。何も無い。若い頃は恋愛もしたし。ミュージシャンか絵の方面で生きて行こうとしました。散々言ってますからお判りかと思いますが。でも障害者になった。すべてが無くなりました。私の前からチャンスは消えて行った。いつも泣き言しか言わないと思うでしょうけど。私にはもう何も無いんですよ。最近若い夫婦を見ると話がしたくなる。子供が可愛くなる。歳なんでしょうね。それに、此間はまた障害の発作が起きた。幻聴と妄想の両方が現れたんです。幻聴は隣から「助けて下さい」と言う言葉の数々。それで誰かが襲われて殺されかけて居ると言う妄想を抱いてしまった。苦しかった。だから私は隣の壁を叩いて「ふざけたことをしたらぶち殺すぞバカヤロー。」と怒鳴って隣に行って出てこいとドアを蹴った。しかしどんな状況下に陥っても自分は無くさない自負は持って居ます。それがなければただの本当の狂人だ。統合失調症と狂人とは違いますよ。よく人は結びつけて言うけど。それはあまりに医学の知識が無さ過ぎる。最近では統合失調症の書籍は大きな書店に行けば可成りの冊数が置いてありますよ。もはや現代病ですからね。ただ差別をされるのが嫌なだけです。口を聞か無くなったり。軽蔑の目で見られたり。此間見たいに買い物をして居たら。「ほら、あいつよ!!おかしいの!?。」と言われたりね。嫌うのは構わないですが。本人に解る様に言わないで貰いたいです。もし立場が逆だったらどんな気がしますか?解ってやって下さいね。馬鹿にしたいのは分かりますよ。人は自分より劣った人間を見ると本能的に攻撃したくなったり罵声を挙げたり為るものです。それから最後に、私のblogではヘタクソな漫画やらハーモニカ。ギターソロをblog に挙げて居ますがご容赦を。気に喰わなかったりしたら聴かないで下さいね。私は皆さんと上手くやって行きたいのですから。。私はそのこの間の妄想で任意入院になった、1ヶ月を目安にそれ以降は退院したい時に自由に退院出来る入院形態だ病気の程度が低き患者に適応される。私は1ヶ月で出ようと思ったが。丁度前のアパートが取り壊しに成り、新しいアパートを見つけなくては病院を退院出来なかった事もあって、アパートを見つけて契約して退院と引っ越しが1月31日に成ってしまった。色々ありましたよ。まだ引越しの片付けは殆ど出来ては居ません。それでは、これからもよろしくね。。。。
Freddie King - Hide Away (Live)
Freddie King - I Love The Woman (Live)