私の彼女が書いてくれたイラストです。彼女はアニメーターで。イラストレイターです。
https://youtube.com/shorts/jkCL5tAEnn8?feature=share
【OUJ】もはや国立!?放送大学を解説!【学部・学費・卒業率】
突然ですが、、放送大学と言う、テレビで授業を聴講する、通信制の大学があるのをご存知でしょうか?勝手、私はその大学の聴講生でした。哲学・美学・芸術論の「人間と文化コース」を聴講して居たのです。テレビを観て、勉強して居たのですが、、それから情報コースの「情報史」と言う講座でも勉強しました。あとは「心理学講座」です。教科書は紀伊国屋書店などの大きな書店にて売って居ます。そして、放送大学はラジオでも昔は放送して居ましたから、私は哲学講座で「ソクラテス講座」と「へーゲル読解」と言う番組を聴きました。放送大学は今は民放では放送しておらずに、BS放送で放映して居ますが、如何にせん、残念な事にケーブルTVのJ:COMでは放映してくれないので、私は今はテレビでは受講出来ません。だけど、ネットの放送大学のHPでは、放送大学が用意した動画が見られます。私が聴講して居たのは今から15年程前ですが、、テレビ放映でしたから、大学の講義放送は、全てDVDに録画して。コレクションとしていまだに所有して居ますよ。放送大学はスクリーミングもやって居るので、各地の放送大学・分校のサテライト・キャンパスにて講師の面談授業を受けて勉強する事も出来ます。また正式な学生になると月謝は・・・。
授業料は、1科目(2単位)11,000円です(放送授業の場合)。1科目につき、半年間で全15回(1回45分)の授業があります。たとえば、科目履修生として入学し、1科目だけ履修する場合の学費は、入学料7,000円+1科目の授業料11,000円の計18,000円です。卒業までに掛かる費用は70万円程です。
放送授業の科目は、全部で約300科目。心理学や福祉から、自然科学、外国語、経済や社会のしくみに関するものまで幅広く、興味のある授業科目だけを選んで履修する事が出来ます。
1科目だけ、あるいは好きな科目だけを選んで面接授業科目を履修する場合も、放送大学への入学が必要です。学生の種類は、最長10年間在籍できる「全科履修生」、1年間在籍できる「選科履修生」、半年間(1学期)のみ在籍できる「科目履修生」のどれを選んでも構いません。
放送大学「情報学へのとびら('22)」(テレビ科目紹介)
そして卒業すると正規の大学の、教養学部の学士に成り学士号と資格も取れます。また入学試験はありませんよ。働いて居る人。社会人でも老いも若きも、どなたでも学ぶ事が出来ます。また各地の放送大学キャンパスではサークルや図書館も完備されて居て。今は9万人の学生が学んで居ると言います。まあ、私は学生に成りましたが。テレビ放送を見るだけで勉強に成りますね。ネットで放送大学のHPでも勉強も出来ます。ちゃんと大学の学士の資格を取りたかったら学生に成ればいいだけです。以前、私のblog記事を読んで書き込みをしてくれた人で。高齢の方だったけど。その方は中学から夜学で、高校、大学とずうーと夜学だった為に、夜のテレビ、深夜放送のラジオとか何も知らないと言って居ました。私も若い頃の大学は夜学でしたので苦労は解ります。でも、今は時代が開けて居て昔とは違います。学びたい、勉強がしたいと思えば。こう言った通信制の大学もあると言う事で、今回話して見ました。だから私は大学は2ヶ所行ったと言うことになるのかな?参考になれば幸いです・・・。ああ、ちなみに、放送大学には大学院もあります。そこは入試試験がありますが.....。
「ユキカズ・・・。」
私が倉庫番をやって居たら、やって来て「〇〇ちゃん、ほら財布に札束入れてんでしょ、60万ぐらい入れてるんだろ。(笑)リビング・ニュースなんて何勝手に取ってるの。会社が支払ってるんじゃない。困るよ自分で払ってくれないと!!。(怒声)。」
リビング・ニュースは、地域のミニコミ誌です。勿論無料です・・・・・・。
「ユキちゃん、、事務所に行く?行かないなら俺が書類持って行くから・・。」
「行かねえよ!!」「じゃあ、持って行くから」
書類を事務員に渡して、歩いて倉庫まで帰ろうとしたら、何とユキカズが自転車でやって来て、「何で、自転車で行かないんだ!」「・・・・」自分が行かないと云って居て、すぐ来る。。。。
会社の年配の人に、BSの映画を録画した物のビデオを挙げて居たら・・・。
「俺にも撮ってよ、撮ってよ、〇〇ちゃん!!バウバウアーで!!(WOWOWの事ですワウワウと読めないのです・・・)「何撮るの」「ジェラシック・パーク!!」「そんなのレンタルすれば。」「撮ってよ撮ってよ!」
仕方が無いので、ビデオテープこっち持ちで録画して、渡して観たと聞いたら、「ケ!!、バカヤロー!!」礼を言うどころか、人を罵倒する。いい加減に頭にくるが、そして「何でゴーストが出ないんだ。」「BSだからでしょう、民放でもブースター繋げていれば、ゴーストなんか出ないでしょう。」「フン!家のテレビは出るんだよ。」「ブースター入れた?」「何だブースターって?」「・・・・」「家のテレビはニュースのアナウンサーが6重に見えるんだ!!」「・・・・」
ユキカズが運転する車に乗って居たら、、ミニスカートを履いた若い女の子の横を通ったら、「窓開けろ!」「何で・・・」「良いから開けろ!」開けたら「バカ女!ミニスカートなんて履いて歩いてんじゃねえ!!」そしたら言われた子が「何?何言っているの?」と横にいた友達と怪訝そうな顔をして此方を見て居る。埼玉県警の前を通ったらパトカーが3台、車の横を通った、そうしたら、「無線機のスイッチ入れろ、早くしろ!!。」(ユキカズ、ケンジは本人ら曰く警察無線が聞こえる、無線機を持って居ると云う、違法じゃないのか?)車に積んでいる無線機のスイッチを入れると、「何にも聞こえないじゃないか?。」「窓開けろ!」開けたら、埼玉県警の前で、「バカヤロー、無線で流さずに、パトカーなんて行かせるんじゃねえ!!」
まあ、呆れる程の大バカ振り・・・・・、、
ユキカズの嫁さんは同じ大学のアナウンサー部に居た人で、15年程前は、ちょっとは知られたキャスターだった、その彼女の伝手で、TVの女子プロが指導するゴルフの番組に出たらしいのだが、それを録画したビデオを皆んなに配って、、観て見たら、アナウンサーが「次は〇〇さんですね、彼はいいスコアを持って居るそうですね、第一打!ああ〜此れは池に落ちましたね〜」「ああ・・・駄目ですね」観て居て、なんだかな、、此れを得意先まで配るなんてと思って居たら・・・。
そしたら、会社に電話が掛かって来て、倉庫に掛かって来たので出て見たら、「おい、常務いるか、なんだあいつは!!」「池ポチャでしょ?」「そうだ、バカじゃないのか!!」そこにユキカズが事務所から自転車でやって来たので「電話ですよ・・・」と受話器を渡したら、「もしもし、変わりました、ああ、あれ、観てくれましたか!!いや〜、私もね、本気を出せば良かったんですがね、ま、うそん気でしたので、、あれ、電話が切れた・・・。」
ある日、車に一緒に乗って居た時、なんか、歌の話になって、そしたら、俺の歌聞いてくれと自宅まで車を回して、ちょっと待っててくれと云う。暫く経ったら、奥さんが「あなた、やめなさい、こんなもの、やめなさいって!!」と、ユキカズと門の前で押し合って居る。「良いんだ、〇〇ちゃんが聞くと言ってるんだ!」「良い加減にしてよ!そんな訳無いじゃない!!」それで車に乗って待って居たら、テープレコーダーを持ってやって来た・・・「さあ、掛けるぞ聞いてくれ」「・・・・」カラオケだ音程が外れている・・・・。
「上手いだろ、此の今の所な、BARのマダムが「擦れていて良い雰囲気で上手いわ〜」と云って居たんだ。どうだ、上手いだろう。俺は世界一だぞ!!」
まあ、ちょっと思い付いてもこのぐらいは思いつく。皆さん此れを読んでもユキカズを利口と思いますか???
皆さん、、毎回ブ男のアップとお見苦しい体系を、お見せしまして御免なさいです..........
Buddy Guy - 16 - Things That I Used To Do - Live 1991
Albert Collins - Lights Are On Nobody Home
Eric Clapton - Have You Ever Loved A Woman.wmv
木村充揮×近藤房之助 - 酒と泪と男と女
「さびしさには名前がない」浅川マキ(v)・渋谷 毅(p)
ユキカズたちとホテルのバイキングに会社で行った時だ、ユキカズがホテルのロビーに飾ってある絵画を見て「ああ、〇〇ちゃん、こんな下手な絵より俺の描く絵の方が上手いぜ!!」と言って来たのだ。レストランに飾ってある有名な絵画よりド下手な自分の絵の方が上手いだと?このバカヤローは際限が無いなと思って聞いて居た。次の日、彼は会社にスケッチブックを持ってやって来た。そして言うのだ。「モネやゴッホなんて大したことないぜ!!私の絵を見てくれ。凄いだろう。上手いだろう。どうだ!!」見せたスケッチブックに書いてあった絵は彼の妹が持って居た「少女フレンド」に乗って居た女の子の絵だった。私は絶句した。その女流漫画家の漫画の絵を真似て書いた、ド下手なイラストだったのだ。私は、妹の描いたイラストを見せてやりたい程だ!!何と言う馬鹿なのだ!!そしてバイキングに成った。私は大皿に肉類とサラダと野菜を摂って最後のピラフを皿に盛ったらユキカズの親父のかしろうが「へ〜〜〇〇ちゃん、ご飯なんて食べるの?」と嫌味を言うのだ。私はピラフを取ったのだ、ご飯とは違う。かしろうは社員旅行で一緒の部屋になったら私が睡眠薬を飲んで効いて来るまで、当時全盛だったプロレス雑誌の「週刊プロレス」を読んで居たら。「さっさと寝て下さい!」「ライトの明かりで明るくて眠れません!!。」と言うのだ。ライトを消して暗い侭で読んで居ると、今度は「ああ〜ページをめくる音がうるさいです!!」と言う。仕方がなく読むのをやめて居たが。私は、薬が効かないと眠れないのだ。だから目を開けて考え事をして居たら。「ああ、息の音がうるさいです!!」と言うのだ。それを聞いていた一人の社員が「こんな部屋で寝られるかよ!!」と出て行ってしまった。もの凄く自分勝手なのだ。
翌朝、ユキカズが言い訳をしたが。私と出て行った社員は気分が悪くて物凄く怒って居た。大体が、その、かしろうさんは表上は早稲田大学を出た事に成って居たが、本当は早稲田塾と言う名の塾に行っただけだった。これは親戚筋から聞いた話だ。確かだろう。早稲田を出たと、行って居る割には物凄くバカだったので。不思議に思って居たのだったが、成る程と腑に落ちた。何しろ、知的障害があるアルバイトの若い子を雇って、「〇〇!冷蔵庫の一番上にあるもの取って見な?」と言ってその子が倉庫の業務用の冷蔵庫の横の段ボールの品物の上までよじ登って行って、冷蔵庫に手を掛けて途中で手が滑って下まで落ちると、かしろう、ユキカズ。ケンジが手を叩いて喜んで「ざまみろ!ざまみろ!ざまみろ!」と笑いながら言うのだ。親父が死んだ時に、葬式会場でユキカズが言って居たが、酸素呼吸機を充てがわれて寝て居て、意識が無い末期癌の親父をユキカズたちは「殴った」そうだ。婦長に見つかり「あなたたちは誰ですか、面会謝絶の患者になんて事を仕手居るのですか!!警察呼びますよ!!」と言われたと自分ら笑って言って居るのだ。許せるか。此れを読んで居る皆さんはどう思いますか?
ぞんび「死ねばいいのに。」Live PV
ユキカズは1970年当時出来たばかりで、学生が欲しくて受けに来た学生は殆ど取った、明治学院大学に入った。ユキカズは授業には殆ど出ずにアルバイト(ウエイター)ばかりして居たらしい。現に私が小学生の頃、家にステレオが無いので、買ったレコードをステレオからラジカセに録音させて貰いに行って居た時など殆ど毎日ボーリングだのゴルフなどで居た事が無かった。遊んでばかり居た。全共闘の紛争が終わったばかりなのにだ。
「新宿デモに騒乱罪」No.771_1
21 - 国際反戦デー 新宿騒乱 - 1968
私は高校時代と大学時代はバンド関係で忙しかったが、比べてみると対照的だ.......そして或る日、ユキカズが「〇〇ちゃん、俺がアナウンス入れてやるよ」と言うのだ。そして録音しようとして居たテープに吹き込むので「此れからお送り致します曲は、マカロニ・ウエスタンの名曲、荒野の用心・・・。荒野の用心・・・荒野の用心・・・」と言って「ねえ、此れ何て読むの?」と聞くのだ。私は呆れてものが言えなかった。棒という字が読めなかったのだ。大学生だぞ。私は当時小学校3年生だ。「荒野の用心棒」と読めないのだ・・・「ユキちゃん何言ってるの荒野の用心棒でしょ。「棒」でしょ?」「この字、ぼうと読むの?」「知らなかったの?」「知らない・・・。」よく明治学院大学に入れたものだ。そしてアナウンサー部に入って居て。テレビ会社のアナウンサーとして雇って貰おうと入社試験を受けたのだ。そこで言われた事は「君、君の声は電波に乗らないから諦めなさい」だった。まあ、最終宣告をされた訳だ。バカだからユキカズは、今だに自分がアナウンサーに成れなかったのは、自分の声は電波に乗らないからで惜しかったと言って居る。どれだけバカか...。あのゲスどもの話は此処までで終わりとして置こう。書いて居て胸糞悪くなって来た・・・。
まあ、僕も要約、最近になって確かに、ユキカズとか許せないとは思うけど、彼らが何故嫌な人間になったのかと・・・・。
色々考えました、、
その結果見えて来たのが貧困でした、、僕だって生活保護の身の上ですが。ユキカズ達は子供の頃から、貧しい暮らしをして来ました、、親父は結核でしたしね・・・。おかずが買えなくて。。海岸に行ってアサリを拾い、、魚を釣ってその日の飢えを凌いだそうです、、僕はその話を以前に母から聞かされて、かわいそうにと思いました。ユキカズが会社に固守したのも、社長の座に固守したのも、、人から嫌われても、自分のやり方、生き方を変えなかったのも、、
皆貧乏が悪いのですよね、、
僕は被害に遭いましたが。冷静になって考えれば、、次期社長の地位を渇望したのは幼きユキカズが経験した貧困が原因でした・・・・・・。彼は大学時代に無線旅行をしました。半年間、お金を持たずに、、たまにアルバイトをしながら、放浪生活をしながら、旅をしたそうです。彼は、涙橋に行き。百円ベットで寝たとも言いました、、ただ私はその話を聞いて腹が立ちました。そう言う貧しく世間から、見放された人達の実情を詳しく見て、知ったのならば、何故人に思いやりの心を持てなかったのかと言う事です・・・・・・・。
先ほども言いましたが。彼はうちの会社に知的障害者の若者をアルバイトで雇いました。彼らユキカズ、かしろう、けんじは、その知的障害者の若者を揶揄いバカにして、、冷凍庫の一番上のものを取れと命令し、言われた彼は必死になって足を荷物にかけて冷凍庫の上まで登り、荷物を掴んで、下まで落っこちると、、
「ざまみろ!ざまみろ!ざまみろ!」と手を叩いて喜んで居ました。
僕は許せないと思いましたが。とうのその知的障害者の若者は、誰からも相手にされずに、かまって貰えた事に返ってありがたがって居ました。
人って残酷ですね・・・・・。
今はユキカズは、社長の座に居て、あぐらを描いて居る事でしょう。しかし自分はもう棺桶に片足を入れて居るのですよね・・・・・。もう彼も74歳です。後何生きられますか、ユキカズの野望は表上は達成されました。しかし彼は神様に顔向けが出来るでしょうか・・・・・。末期癌で寝て居た親父の顔を殴ったと言ったユキカズたちを、親父のお骨入れの時に真向かいから般若の顔で僕に睨まれた時、ユキカズはオドオドして震えて居ました。ユキカズの奥さんが「〇〇ちゃんの顔般若の面みたいな顔で私たちを睨んで居る怖い」後からユキカズの奥さんが、「〇〇ちゃんに睨まれてから数日うなされて居た」と言って居たと聞きました。所詮は小悪党なのですよ・・・・・・・・。
山本周五郎の小説「赤ひげ」で主人公の新出去定は弟子の保本に言います。「世の中に無知と貧困がある限り、人は幸せにはなれない」と・・・・。ユキカズと映画の話をした事があります。彼は映画は何が好きだと言う僕の質問に
喜んで「ジョーズ!ジェラシック・パーク!ジュマンジ!」と答えました。
僕は若松孝二を知って居るかと言いました。もちろん彼は知りませんでした。若松孝二が買ってはピンク映画の黒澤明と呼ばれた事も。映画界の巨匠である事も、パレスチナに渡ってドキュメントの反戦映画を撮った事も何も知りませんでした。僕は、今からほぼ10年前に若松監督とは会って話をして居るんですよ、、優しい人でした.....。
彼は無知なのです・・・・・・。
彼は、ロックも殆ど知りません。レッド・ツェッぺリンの「天国への階段」を聞いてもその良さが丸で解りませんでした・・・・・・。彼はエレキギターはベンチャーズで止まって居るのですよ、、彼は全共闘の年代です。しかし、同年代の学生が、政治に世の中に反旗を翻して日本の事を真剣に憂いて居た時代に、彼は・・・・・。何も考えなかったのです。ボーリングにうつつを抜かし、社会人になったらゴルフを始めて、、それが良い暮らしだと思って居たのですよ・・・・・。
彼は余りに無知すぎた・・・・・。
でも世の中は、そんな無知な彼でも生きて行けます。僕は最近に成って思いますよ。彼は哀れだと、、そして、彼は貧困のせいで、、物事の本質が何も判っては居ません。ユキカズは会社で中卒の、高校中退の社員達を引き連れて、、自分は一人前だと思って居る男です。一生、そう思って死んで行くでしょう。
哀れですね、、
「名前が同じな作家💦」
処で私の本名を明かす訳にはいかないが、ある著名な作家と同じ名でよく間違えられる。著名と言っても知る人しか知らない有名な作家だけど。私はその作家の読者と言うか、その人が好きなので。その作家の書籍を、よく昔から買って居るが、今みたいにインターネットがある訳ではないし。本を予約する時やら取り寄せて貰う時に何時も困って居た。名前だけは嘘は付けない。30代の頃。紀伊国屋書店に行って。その人の本を、取り寄せて貰う時に自分の名を言ったら、店員の態度が改まり神妙になり、「先生、お時間が少し掛かりますが、よろしいで御座いましょうか?」と言うのだ。それ以来、電話注文にして居たが、その際ですら、「先生、またのご注文宜しく御願い致します。」と言われて困って仕舞って居た。最近でも此間の入院中もリハビリの職員にその人と間違わられて仕舞い、弱った。まあ、その作家は今はもう80代になりこないだ亡くなったけど。人は歳まで知らない。大学時代もその後もそうだった。
早稲田のR&B研究会に所属して居た頃、ある早稲田の学生が「〇〇君、君さぁ、アメリカのクリーム誌に評論書いたそうだけど、如何言うルートで書いたの?」と聞いて来たのだ。私はその当時、日暮さんと言う編集長が発行して居た「ザ・ブルース」と言う月刊誌の投稿欄に或るミュージシャンの事をもっと評価すべきだとは書いたが、それ以外の雑誌???。漫画の投稿?「ミュージックライフ」への投稿?、、色々と頭の中を駆け巡ったが、それ位しか覚えが無い?すると、それから1ヶ月ほど経ってから姉が「お前、何時、芸術論など雑誌に投稿してたの?」と聞いて来る。「おかしいなぁ・・・一体どう言う事だ?」と思って読んで見たら、私と名前が同じなその作家だった事が解った。いずれも投稿記事だったのだ。まぎらわしい。。。周りは私が投稿して居ると勘違いして居る。挙げ句の果てには出版社から電話が掛かって来て、「〇〇さんですね、是非当出版社の雑誌に記事を書いて貰いたいのですけども!!」と言われて「ちょっと待って下さい!!私は同姓同名の別人ですよ。僕は。まだ学生ですし、慌てないで下さい。」と言って断った。
それ以来、その作家の本はネットか古書店以外からは購入しない事にして居る。間違われて光栄だったけど、一抹の寂しさもあった。私にはあんな文才も無ければ、教養も無い。その人は人生が残り少ない私が尊敬して居る人の一人です。
此処まで付き合って読んでくれて有難う御座いました。今回は変則的な記事ですので、構成が何時もと違いますがよろしく。。。まあ、今日は頭に来て居たので辛辣な文と成りましたが..........私がユキカズを恨むのは解って貰えたと思います。
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「高校の女子高生」
高校の時に好きだった女性について書いて置こうと思います。彼女は悪い噂を立てられた、そのせいで高校には居られなくなったのだろうと思う。高校2年の時に行った修学旅行で男子学生が泊まって居る、ホテルの向かい側の建物の1階下に、女子が泊まって居たのだけど、不埒なバカが居て。女の子の部屋で。男子学生が女の子と話して居て、朝まで寝てしまったという事があって、後で解って大変な問題に成った事があったが.....。そして1階下だから上からよく見えたのだが。ある時、男子学生が女子の着替えを覗いて居て、その子がパジャマに着替えるので下着姿に成ったら「へっ!!あの子のパンティー見てみろよ!!随分とセクシーじゃねえか?あんな、いやらしいパンティー履いてるんだ!!」と言って居るのだ、ちょうど着替え中だったので、此方から丸見えだったのです。その子はハーフだった。フランス人と日本人の混血だった。しかし悪い噂が漂う。人のボーイフレンドを取ったとか、教師と寝て居るとか。女の子達でさえ良く言わないのですよ。多分嫉妬だろう。正直言って私はその子に惚れて居た。彼女は、カトリーヌ・ドヌーブの若い頃に瓜二つだった。往々にして混血。いやフランス人と日本人のハーフは美人が多い。私は好きだったが、声は掛けられずに居たのですよ。片思いだった。ある日、彼女は同級生の男子学生から叩かれると言う事があった。私は慌てて止めたのだが。何と彼女を打った男は、私を思いっきりぶん殴った。私は口の中を切り、血を床にぺっと履いたら。彼女は泣きそうな顔になり。外に出て行って仕舞った。そんな事があった。それから暫くして私が学食を食べて、庭に出たら、何か人の視線を感じた。私が振り向くと、その子が立って居た。そして一言「ありがとう...。」と言って消え去る様に居なく成った。それから暫くして、その子は高校を辞めた。他の高校に編入したのだ。その数年後、私は渋谷を歩いて居た。すると聞き覚えのある女の子の話し声がした。私が「あれっ?」と見てみたら。その子が外国人の男性と手を繋いで歩いて居た。仲良く英語で話して居た。彼女は凄く綺麗に成って居た。私は「グット・ラック。お幸せに」と呟くと、タクシーに乗った.....。
「白血病だった女の子」
これは可哀想な事をその女の子にはしたのだが。私は1980年代後半に新宿の紀伊国屋書店の中にあった、 ICBMと言うレーザーディスク専門店とビデオ屋を纏めた店があったのだが。そこによく買いに行って居た。或時にそこの店員の女の子に母がハンカチをプレゼントしたのだ。母も誤解を呼ぶ様な真似をしてくれたとその時は思った。田舎から出て来て店の店員をやって居る。独身の女の子がほぼ毎週来る、男の客のお母さんからプレゼントを貰ったらどう思う?いつも週に一回、ビデオのレンタルでその子に大量に頼んで居たのだ。ある日電話で予約をして「言った物は入らなかったら良いですからね。」と言ったら「〇〇さんの商品はなるだけ仕入れる様に致しますから」と言うので変だなと思って居たら。母がハンカチをプレゼント仕手居た事が解って、「どう言う事なの?」と母に聞いたが。母は何も言わなかった。
私は頼みづらくなったが、その店は可也マイナーなビデオでも取り寄せてくれるので贔屓にして居たのだが。ある日、クライテリオン盤の輸入ビデオでカトリーヌ・ドヌーブ、イブ・モンタン主演の「武器の選択」と言うビデオを頼んだのだけども、それまでに日本ヘラルドのレーザーディスクで、要約発売に成った「千夜一夜物語」「クレオパトラ」「哀しみのベラドンナ」のレーザーディスク3枚を予約して購入した時には居たのに、その時は電話が掛かって来て、何時もはその子から電話が来るのに男の店員からだったので変だなと思い行って見ると、その女の子の姿は無かった。そして半月前にレンタル商品として置いてあった、名優、仲代達矢がイタリアに渡って。悪役のガンマン役で撮った、マカロニ・ウエスタン「野獣暁に死す」が中古ビデオとして置いてあった。男の店員は「お客さんこのビデオは邦画ですか?」と何時もの女の子なら絶対に言わないであろう事を聞くのだ。何時の子はどうしたのかと聞いたら。「店を辞めました」と言う。私は、急に辞めたと聞かされてどうしてなのかなと思っていたら。
その男の店員が「お客さん、柴崎さんが「武器の選択」問い合わせたら。アメリカでもビデオとレーザーディスクは発売は未定だったと伝えてくれと言ってましたよ、、」と言うのだ。私はそれまで気に掛けて居なかった。その女店員が辞める直前にまで、アメリカの輸入盤を取り寄せる為に、アメリカの店に何遍も問い合わせを仕手くれて居た事を知った。そして自分が如何に店員としてしか、その子を見て居なかったのか気が付いて、すまなく思った。そして、聞いて見た。何で店を辞めたのかと。すると男の店員が真顔になり「白血病に掛かって治療をする為に辞めました。」と言った。私は何と無く、その男の店員が私に聞いて来たイタリア映画のマカロニ・ウエスタン「野獣暁に死す」を手に取ると、「このビデオは柴崎さんが発注したの?」と聞いた。男の店員は「そうですよ」と言ったから、これ下さいと買って帰って来た。それから、暫く立って売り場に行ってビデオテープを見て居たら。店員同士の会話が聞こえて来た。「柴崎さん、可哀想にね・・・。」と、、私は何か気に掛かって店員の女の子に「どうかしたのですか?今、柴崎さんと言って居たけど?」と聞いたら。その子らは少し憮然として言った。「彼女死にました。」私は家に帰って来てから、彼女が私のために探してくれたビデオとレーザーディスクを暫く見て居た。そうしたら、涙が溢れて来て止まらなく成った。そのビデオは今やDVDになって居るが、私は実家が無くなるまで、そのビデオを大切に持って居たが、弟が死に実家を姉さんが売って仕舞った時に。持って来れずに、他のビデオと共に処分されたのだった。なんか、ほろ苦い思い出です。。。
神野美伽 : 手紙
母は私が好きだった彼女と別れる事に成ったので、気を回しすぎたのだろうと思う。でも今になると母にもすまなく思う。母は今施設に居る。これも何遍も言って居るが、私は母の施設がどんな処にあるのか。どんな施設に居るか。普段はどんな暮らしをして居るのか?全く知らない。姉さんたちが教えてはくれないからだ。今から4年前に母は病院に入院した。近所の病院だった。ケア・マネージャーに姉から連絡が入り付き添って貰って見舞いに行ったが。母はふた回りも小さくなって、眼を閉じて寝て居た。「母さん、僕だよ」と言ったら、母は小さな声で何か言った見たいだった。私には「バカヤロー」と聞こえた。でも久し振りに会えたね、母さん。姉さんたちはどこの施設に入って居るか教えてくれないんだよ。でも、姉さんたちは医者だから、きっといい施設に入れて居ると思う。何せ40万も施設代に掛かって居るそうだから。。。何時迄も長生きしてね、母さん・・・。
吉幾三 - かあさんへ
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原田芳雄 石榴
「私だけの十字架」 特捜最前線エンディングテーマ
働いて居た20代の頃。ある年長の社員が私を連れて来いと言って居る、スナックの主人が居ると言うので、その社員の車に乗ってその店まで出掛けたのだが。その当時、私はまだ若く体重も58kgぐらいしか無くて。今、思えばそんなに食べ物を食べなかったのですね。少食で食べるとすぐにお腹が一杯に成って仕舞い。矢張り、30代の終わり頃から太って来たと言うか、でも50代になると痩せ出して、まあ40代の終わり頃に、毎回書いて居る様に、一気に32kg近くも痩せまして。まあ、何遍も言う様に30kgある一斗缶を両手で300缶トラックに積むと言うことを毎日2ヵ月夏の炎天下にやったら、スクワットの要領ですよね、トレーニングジムで炎天下トレーニングした様な感じで痩せたのです。何遍も言うけど病的に痩せたので社員の人たちは心配してくれたのですが。かしろう、ゆきかず、けんじは3人で見に来て笑いながら「痩せられて良かったじゃない♪」と言うのですよ。でもまあ、かしろうはとっくに死んだし、ゆきかずは70歳を超えたし、けんじは、もはや痴呆だしね。でもね、一度受けた仕打ちは私が生きている限り消え無いのです。話はまた元に戻りますが....。
それで、そのスナックに連れられて行くと。そこの73歳の主人が、「まあ、座れ」と言って。「ねえちゃん、ええとな、ハンバーグに、カレーライス、うどんにな、ピラフにな、スパゲッティ作ってくれや、、」と言うのですよ。私は私以外に誰か人が結構来るのかと思って居たら、その料理がテーブルにヅラっと並べられて、そうしたら、「おめえはまだ若えんだ、全部食え」と言うのです。私は「あのう、12時に昼食べて来たので、それに食べてないにしても、こんな量一辺には食べられませんよ。何かすみませんけど、このアイスコーヒーだけ飲ませて頂きます。」と言ってアイスコーヒーを飲んだら。「おめえは若えくせに、こんなものも食えねえのか?」と言うので「せっかくのご厚意ですが頂けませんので、すみません」と言ったら、「勿体ねぇ、俺が喰う」とガツガツ食べ始めた。しかし自分も食べられずハンバーグにスパゲッテイ喰べたら、フーフー言って居る。
そして「これからはな学問は関係ねぇ、おりゃ〜小学校しか出てねえけれども、こうやってな、スナックを5店舗も持って居るんだ」と言うので「それは凄いですね」と言うと「おめえ、これからは大学なんて行っても何にもならねえぞ!!」と言うので流石に「いやぁ、大学出たからってどうにもならない事も確かにあるけど勉強は大切ですよ」と言ったら。「大学出て俺みたいに、スナック、5店舗も持てるか?」と言うのだ。弱って仕舞って居たら電話が掛かって来て、「何、そんなか、今すぐ3号店に向かう、待ってろ!!」と言って「せっかく呼んで悪いがな、急用が出来た。それじゃあな!」と居なくなった。そこへ会社の年長の社員がやって来て、「あれ社長は?」と言うので「今、急に、用事が出来た様で出て行きましたよ?」と言うと「なら、俺の得意先のパン屋に寄ってから帰るぞ」と言うので「そうですか」と言ってそのパン屋に行くと。
そこの主人も何だか「あんたに聞きたい事があるのだがね?」と言うので「何ですか?」と言ったら。奥さんが出てきて「あなた、大学行ったって聞いたから聞くのですが、息子は今、中学生だけども、どこか大学に入れた方がいいかねぇ?」と聞くのだ。私ははっきり言った「奥さん、大学行くのもいいけど、お父さんはフランス料理店銀座に3店舗あって、その他ブティック、リサイクルショップが青山に5店舗あって。そして此処麻布でケーキ屋とパン屋経営していて、有名なホテルなりレストランに入れて居るのでしょう?」と言ったら、「まあそうだけども」と言うので、「息子さんは大学行くより、お父さんの跡を継いだ方がいいのではないですか?」と先ほどの老人ではないが。私はそう思うと言った。そうしたら「大学って矢張り難しいのか?」と聞いて来るので。「そこそこの処なら私も行ったぐらいですから行けるけど。よしんば一流校に行って、何に成るのですか?」と言ったら黙って聞いて居る。
「私が息子さんだったら、お父さんの跡を継ぎますよ」と言ったら。二人とも黙って居るので「お父さんの仕事を継ぐのには高校卒業してから修行しないといけないんでしょう?」と聞くと「まあな・・・」と言うのでそしたら会社の社員が「中学卒業してからですよね社長!!」と言うので、「それで私に聞いて来たのですか?」と言ったら、「まあ、そうなんだ」と言うので、「大学行くのも時と場合がありますよ、職人の道は厳しいんでしょうから、でも、此れだけの仕事を。息子さんが継がなくってどうするんですか?」と言ったら旦那と奥さんが笑顔になって「ありがとうね、大学行った人に聞いて見たかったのよね」と行ってフランスパンを3本とケーキをくれて・・・・、
帰って来る途中で歳取った社員が「〇〇ちゃん、中卒は皆んな、コンプレックスがあるんだから。大学に行かせろと言えば良かったのに」と言うので「〇〇さん、それは時と場合に寄りますよ。あの旦那さん月どのくらい収入があるのですか?」と聞いたら「月に数千万稼いでる。」と言うので。「大学行ったってそれだけ稼げませんよ」と言ったら「でもねぇ、〇〇ちゃんは俺らの苦労がわからないんだ」とか言って居たけども、それから8年経ってその年長の社員に、「あの時の息子さん今どうして居ますか?」と聞いたら「親父と事業をさらに発展させて凄い金持ちになったよ。〇〇ちゃんの言った通りになったよ」と言って居た。人間、学問が幾ら出来ても貧乏していたんじゃ、どうしようもない。私はそう聞いて安堵した。幾つになっても学問の勉強は出来る。あの場合、ああ言うしか無かった・・・。
Doshaburino Ameno Nakade
そして、けんじだ、或る日、会社でけんじがすくっと席を立ち上がると、「皆んな、ヤマダ電機駅が出来るんだよ!!」と言った。すると皆んながざわつき、「なんですかその話?」と聞いたら「昨日駅を見たら、ヤマダ電機駅を作って居たんだよ、ええ、皆んな!!、」と言うのだ。するとアルバイトの役者を目指している若者が駅を作るのって、、許可が降りるのに、どの位の行政の関与があると思うのですか、駅なんかそう簡単には出来ませんよ?」と詳しい事を言い出したら「だって!!見たんだもの!!駅の看板にヤマダ電機駅と書いて居るんだもの、皆んな知らないのかい?」と嘘デタラメを言う。
そうしたら、皆んなは呆れて、「よく言ってるよ!」とばかりに無視して他の話を話し出したら、けんじはボケーとして居た。そして翌日に成って皆んなに「昨日はごめんなさい、私の見間違いでした・・・」と言ったら皆んなはうんざりした顔でもういいと言った具合でした。。。私にも1980年代にプロレスラーの「アンドレ・ザ・ジャイアントがリングに花束持って上がってきた女の子のスカートをめくってパンティーに手を突っ込んで「でへへ〜」と笑ったんだよ〜〜え〜〇〇ちゃん」ととんでもない作り話を言う。私はバカがまた始まったと相手にもしなかったが、痴呆はバカになるな、今頃けんじはどうしているのだか。もうけんじも70歳ぐらいになる。頭はハゲて、つるっ禿げだ。隠すのに右の毛を左に撫で付けて居る。ザマはない。
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さて、映画です。今回は黒澤明の「椿三十郎」です。。。
1962年日本映画。黒澤監督が東宝からの要請により、「用心棒」の続編として作ったアクション時代劇。「用心棒」で初めて使った刀で切る際の効果音をさらに大きくし、のちのテレビ時代劇に強い影響を与えた。残酷時代劇のブームを招いたことでも有名。
監督:黒澤明 出演:三船敏郎(椿三十郎)、仲代達矢(室戸半兵衛)、小林桂樹(見張りの侍(木村))、加山雄三(井坂伊織)、団令子(千鳥)、ほか
この映画以降、「ドビュ!」とか「ドシュ!」とか言う人を切る際の効果音がTV時代に定着してしまった。この映画は確かTV放映で、高島忠夫の「木曜洋画劇場」で小学生の頃、初めて観たと思う。今は効果音は昔ほど大げさなものは無くなったが。時代劇ではないけどチョン・ユンファの「狼・男たちの挽歌」をDVDで買ったらそれまでのビデオやらレーザーディスクでの迫力がある拳銃の発砲音が、今時の「パン、パン、パン」と言う発砲音に差し替えられて居て買うんじゃなかったとガッカリしたものだ。特にチョン・ユンファ演じる孤独な殺し屋が銃撃戦に巻き込んでしまった女の子を救うために。相手の殺し屋たちと凄まじい銃撃戦をして、その死体を刑事が見ながら、チョン・ユンファが座ったソファに座り拳銃を構えて、追われる者と追う者との悲哀を体現する重要なシーンに掛かるサニー・イップの歌が物悲しい歌でムードがあったのに、DVDではなんと陽気なポップな歌に変わって居た。
それで大いに腹が立ったのだけども。最近はブルースとか演歌とかエレジーだとかはダサいものと言う方向に音楽業界が動いて居る様で嫌ですねぇ。今はブルースぽい曲は殆ど無いしね。だから情緒的な感情が子供達にだんだん無くなって居る。いじめが辛辣になって相手を自殺まで追い込むまで追い詰めて相手が死んでも、どうとも思わない。大体が親からしてパニック映画が好きだ、ジョーズだとかジェラシックパークだとか。私は大っ嫌いですが。いつ頃からだろうか1990年代に入る頃から時代劇も無くなってしまったし、唯一アニメが、進撃の巨人だとかワンピースだとか、あれは言わば浪花節なんだから、ブルースなんですよね。作り手がうまい事、過去の任侠映画だとかバイオレンス映画だとかを取り入れて居るから面白いのですよね。アメリカ人たちも1960年代から1970に掛けては情緒的でいい映画を量産して居たけど。もはや今の映画は・・・・と嘆いて居てもしょうがないのですが....。
Sally Yeh/The Killer -隨緣 /葉倩文
「椿三十郎」
あらすじ。
夜の神社、薄暗い社殿で、九人の若侍が腐敗した藩の改革に熱い議論を交わして居る。
その時、物陰で寝て居た、薄汚れた中年の浪人者(三船敏郎)が表れ、若侍たちは色めき立つ。それを制して、話を聞いて居た浪人が言うには、若侍達が頼りにして居る、大目付の菊井(清水将夫)が藩の不正の黒幕だと言った。
若者達は怒りだすが、社殿は大目付の配下によって包囲されて居た。
この上は斬り死にすると言う9人を制して、その浪人一人が外に出た。たちまち数人を叩き伏せ、此れ以上まだ続けるかと啖呵をきった。
それを見た大目付側の懐刀、室戸半兵衛(仲代達矢)は捕り方を下がらせ、浪人の腕をほめ。仕官がしたければ訪ねて来いと言い残して去った。
浪人は、意気消沈している若侍を見て、「危なくて見てられねぇ」と助太刀をすることにした。
藩では大目付が不正を糊塗するために城代家老を拉致し行方がわからない。
その家老の夫人(入江たか子)と娘・千鳥(団令子)が監禁されて居たのを救い出し、若侍・寺田(平田昭彦)の家に庇護した。寺田の家の隣家は椿屋敷の別名を持つ、黒幕の黒藤のものだった。
浪人は家老夫人に名を尋ねられ、椿を眺め
椿三十郎と名乗った。
一同は、捕らわれの城代家老の居場所を探し、黒藤(志村喬)か菊井か竹林(藤原釜足)の家のいずれかに監禁されて居ると目星を付けた。しかし意見が割れてるのを見て、三十郎は敵の参謀・室戸を直接訪ね、情報を得ようと酒を酌み交わす。
室戸は三十郎を味方につけようと、菊井、黒藤の汚職の実態を話し、自分の相棒になればこの藩を好きに出来ると誘った。
そんな時、若侍の保川(田中邦衛)、河原(太刀川寛)は、三十郎を信用出来ず、三十郎の後をつけ、またその保川、河原が何をするか心配だと、井坂(加山雄三)ともう一人とともに出かけた。
しかし、室戸に見つけられた若侍は捕縛された。
三十郎は四人を救うため、隙をみて番人を斬り殺し、自分を縛らせ四人を逃がした。
室戸は怒り三十郎の仕官を白紙に戻す。
若侍の元に帰った三十郎は、いらぬ殺生をしたと怒鳴りつけた。
家老探しが振り出しに戻り困っていると、椿屋敷から通じる川の流れに家老母娘が証拠の紙片を見つけ、家老は黒藤の家に居ると思われた。
しかし黒藤の警備が厳重で手を出せない。
三十郎は一計を案じ、光明寺の山門で寝て居ると若侍と反対勢力が集って来るのを見たと、黒藤家に嘘を言い警固の一隊は光明寺に向わせた。
上手く事が運んだと、合図の赤い椿を流そうとした。しかし、光明寺には門が無いと気付いた黒藤家の者がいて、三十郎は捕われの身となる・・・・・・・・
処で最近の若者10代から30代は何にも映画のことを知りませんね。話して居ても本当に知識がない。10代とか20代はともかく30代まで何も知らない。この間、押井守が自身の映画撮影で役者になった高校生の女の子たちに「君たち、ブレードランナーと言う映画見たことある?」と言ったら全く知らなくてがっかりして居た。何と中には押井監督のことも知らなくてネットで調べたと言う子まで居た始末だ。いったい彼女らは何映画とかアニメ見ているのだろうか?私もそう言う子にDVDを貸そうとするが興味が無いらしいし........姪っ子に昔、「黒澤明の映画ぐらい見ときなよ」と言ったら「あんな古い監督の映画なんか嫌いだ」と見ても居なくて言って居る。そして20代も後半なってから「わーくん。黒澤明の映画って何観ればいいの???」と要約聞いて来る始末だった。皆んなは、勉強をしろと言いたいです。。。何生きてるんだ!世の中には君たちが知らない。為に成る事が一杯あるのに!!。
だから、黒澤明監督のオリジナル版「椿三十郎」を是非観て欲しい…、もし観られるのなら、その前に前作であり姉妹編の「用心棒」も、出来たら先に観ておく事をお奨めする。
“三十郎”のキャラクターは、この作品で確立したものであり、またこちらを先に観ておくと、さらに「椿三十郎」が楽しめる仕掛けもあるからである。
用心棒(プレビュー)
「用心棒」の中で、次のような場面がある。ヤクザの清兵衛に、「旦那のお名前は?」と聞かれた用心棒、おもむろに戸外を見ると、一面の桑畑が眼下に見える。
そこで答えるセリフが「俺の名は、桑畑三十郎…、もっとも、もうじき四十郎だがな」。
「椿三十郎」の中で睦田夫人に名前を聞かれて「私の名前は…椿三十郎。もっとも、もうじき四十郎ですが」と答えるセリフは、この「用心棒」の、名前を名乗るくだりの反復ギャグであり、パロディとも言える楽しいセリフなのである。だから、「用心棒」を先に観ておれば、此処はもっと楽しめるシーンである。そう言う訳だから、他にも幾つか反復ギャグ的なシーンを探す事が出来る。
「椿」の方で、三十郎が、菊井の手の者をアッと言う間に斬り伏せて「いけねえ、あの3人、もう斬られてるぜ」と室戸半兵衛を騙すシーンは、「用心棒」にもそっくりなシーンがある(「用心棒」の方は、「もう斬られてるぜ」と亥之吉(加東大介)に言って仲間を呼びに行かせてる間に斬り捨てる…と言う違いはあるが)。
仲代達矢扮する卯之助に、とうとう騙した事がバレるシーン、此処でもやっぱり、三船は仲代に、刀を取り上げられる。
役者も面白い取り合わせがある。ヤクザたちのパトロンとなって背後で糸を引く2人の悪人(大店の主人)が、志村喬と藤原釜足。
この2人が、「椿三十郎」でも、茶室の2悪人として再登場。従って「用心棒」を観て居ると、此処でも笑えてしまうはずである。
ラストの決闘では、血しぶきこそ噴出しないが、やはり仲代達矢が奇策で倒され、そしてその体の下に血の海が出来ている。
そして三十郎は、やはり、「あばよ」と一声、見送る人々に背を向けて去って行くのである。
俗に、時代劇映画の歴史では、“三十郎以前、三十郎以後”と呼ばれる、大きな転換期がある。それは、「椿三十郎」以前の時代劇では、主人公が幾ら大勢の悪人を斬り倒しても、一切血は吹き出ない…。何十人叩き斬っても、刀は刃こぼれしないし、主人公の衣服には一滴の血も搔からない…。
これが常識だったのである。
従って当時の観客は、三十郎が17人を切り倒した後、衣服に返り血が付いて居なくても、それが当然の事として、まったく疑問に思わなかったのである…ラストの大量の血しぶきシーンでは、ただただビックリして、前述シーンとの矛盾なんてどっかにすっ飛んでしまったのである。
そして「椿三十郎」以後は、刀で相手を斬れば、バシャーっと血糊を盛大に噴出させるのが逆の常識として定着してしまったのである(おかげで、優雅に悪人をバッタバッタと斬り倒しても、キンキラキンの衣装に一滴の血も付かなかった旗本退屈男シリーズの市川右太衛門や若さま侍の大川橋蔵らのチャンバラ・スターは、以後映画界からの引退を余儀なくされてしまう事となる)。
高倉健主演の東映ヤクザ映画では、健サンが敵を斬る度に返り血を浴び、全身が赤く染まって行く事となる。
黒澤は、映画の歴史を大きく変えてしまったのである(黒澤本人は、血糊が吹き出る映画が流行した事を大変悔やんで、以後人間の体から血が吹き出るシーンは撮らなくなったと言う)。
「椿三十郎」における、菊井邸でのチャンバラ・シーン後における三十郎の騙しのトリックは、斬られても血が出ない、その当時の約束事が守られて居たからこそ成立する、そのギリギリでのフェイクなのである。
黒澤版では、一気に17人を目にも止まらない早業で斬り、刀も取り替えない。
1本の刀では、刃こぼれと血脂で数人しか斬れない…ぐらいの事は、黒澤は「七人の侍」においてとっくに描いて居る(三船扮する菊千代が「1本の刀じゃ5人と斬れん」と言って居る)。
その黒澤が、このシーンでは(返り血を浴びない事も含めて)リアリズムを徹底的に無視する演出をほどこして居るのは、この映画を、荒唐無稽なマンガである…と言うスタンスで統一させて居るからに他ならない。ラストの、水道管が破裂したような大げさな血しぶきも含めて・・・・。
Tsubaki Sanjuro - Duelo final