「ドラマについて......。」
私は大学は夜学だった・・・・・。
昼間、バイトで働いて、夕方の4時半には大学に行かなくては成らなかったから、、授業は夕方の5時からだから.....。4時半に大学に着いて。学食で夕飯を食べて、大抵は80円のうどんか200円のラーメンか380円のカレーライス....。学食は安いから。そして生協の売店ではロック・ジャズのレコードが売って居て、良く買ったっけ・・・。
5時に成ったら授業を受けて、、講義が終わるのは夜の11時だったから、、、、帰って来るともう12時近かったです。
何もドラマは見られませんでした。ああそれでも、「特捜最前線」と「凶悪のライセンス」は夕方の学校に行く前に、再放送がある時は成るだけ見て居ましたけどね・・・・・。まだビデオデッキが出来る前だったから、、黒澤明の「影武者」が夜の9時から放映されるので、、大学の講義を丸1日休んで、見た事もあったけど、翌日、他の学生に昨日の講義の内容を教えてくれと頼んでも誰も相手にしてくれないし、、困った事がありました・・・・・・。
まあ正確に言うと、U-マチックの大型ビデオデッキは、売っては居たけど1台60万円ぐらいして居たし、、カセットテープが1時間で1万円もして居て。よく水商売の人たちが購入して持って居たけどね、、高くて買い切れないですよね〜〜。確かU-マチックのビデオ・ソフトもあるにはあって、「太陽がいっぱい」が確か30万はして居た。アニメでは「哀しみのベラドンナ」がこの頃から売っては居たけど。それも10数万はして居たからね・・・・物凄く高かったですよ・・・・・・・・・。
そんな訳でドラマは見られて居ないです。。。それに働き始めてからもゆきかず、けんじらと一緒に乗ると、帰りは何時も夜の11時頃だったから、ビデオデッキが発売になった1983年までは何もテレビは見られなかったですよ、、厳密には1978年頃に、モノラルのビデオデッキを購入して持っては居ましたが。3倍モードで夕方に放映されて居た。「ルパン三世」のファーストTVシリーズだとか、あと映画を録画して居ましたけどね、あの大バカ野郎のけんじと一緒に乗って居て「ルパン三世の1970年のTVシリーズは、今見ても斬新でいい....。」と言ったら「この大バカ野郎!!なんで1970年のアニメを、今見られるんだよ大嘘を吐くんじゃねえよ!!」と言われてね。あのバカ野郎はビデオデッキの事も知らなかった・・・。自分が大バカ野郎でした。まあ、良い思い出は無いですね。だからドラマは殆んど見ては居ません「高校教師」だとか「北の国から」だとかも見て居ませんしね「前略おふくろ様」も見られて居ませんよ。
ビデオデッキが発売になった時に、アニメ映画「哀しみのベラドンナ」は真っ先にVHSで発売になったのだけども、、モノラルで定価3万円もして居ましたよ。私はそれを発売してから3年後に日比谷ビデオメイツと言う。ビデオ屋に買いに行ったら。私が買いに行った時には、ポニーキャニオン名作アニメシリーズの一環として、ハイファイの紙ケースのもので17,800円して居ました。それ買ったのですけどね。それから18年後ぐらいに、低価格ビデオの5千円のビデオとして売り出されて居ましたけどね....。
今はBS放送、CS放送で昔のドラマはたまに掛かって居ますよね、特にCS放送で過去のドラマが殆ど放映されて居ますよね....。今はいい時代です・・・・・。
昨日、PayPayからの催促状が郵便受けに届いて居て、19,980円払ってくれと書いてあるんだよね。僕は自動引き落としに成って居るのに。変だなと思ってカスタマーに連絡して聞いて見たら11月の終わりから12月分までお金が降りて居ない見たいでした。郵便局から降りて行くのに、確かに残金が6千円ぐらいしか無かったから・・・・・。だから、へそくりから出してコンビニで払って来ましたよ。
お金が掛かるのですよね。お金があるうちにと思って買って居ましたが。カード払いは、お金が引き落とされるのは1ヶ月後以降だから、、ところで、次の引っ越しどうするか?と思って居たら。ケースワーカーの小串さんが、生活保護課に任せてくれたら。私の意向をちゃんと聞いて、考慮したアパートを探してくれて、、、至せり尽くせりです。。。その代わりに厳重な審査がありますけどね。それ通らないと認められません。生活保護は通ったら、良い事だらけですよ、まあ、お金は僅かしか貰えませんけどね......。
「映画について・・・・・。」
皆さんは時代劇なんか見ますか?私がお勧めなのは「切腹」と「仇討」と言う時代劇です・・・・・。
「切腹」も「仇討」も封建時代の江戸時代の話だから、、小林正樹も今井正も武士道を封建的なものとして捉えて居ますよね。特に共産主義者だった今井正は武士道を嫌って居た様ですね・・・・・・。
武士道の非人間性をこれでもかと「仇討」の映画の中で描いて居ますよ、、まあ、評価は別れる所ですが、、「七人の侍」やら「隠し砦の三悪人」と言う様な娯楽時代劇を、撮って居た黒澤明とは違って、可也、シリアスなストーリー展開ですよね。あと、中村金之助(萬屋金之助)のものではやはり今井正監督作の「武士道残酷物語」がありますよね。これも良かったですね...
あと西部劇・・・・。クリント・イーストウッドの「奴らを高く吊るせ」は、アメリカの西部劇ですが、、マカロニの影響を受けて居るので、、何故か「マカロニ・ウエスタン・テーマ曲全集」と言うレコードには「奴らを高く吊るせ」のテーマ曲が入って居ましたよね......。
皆さんには「ガン・クレイジー」を是非見て貰いたいのだけれど、、DVDがもう廃盤扱いで売って居ないのですよね・・・・・・私も、かろうじて。マカロニBOXセットに入って居るのを持って居るだけで、単品では持って居ませんよ....。単品は絶盤かな、もう手には入らないと思いますよ。私は昔、この「ガン・クレイジー」はドイツ版かスペイン版の海賊版のビデオテープで持って居たのだけれども、海外のものは、最後、賞金稼ぎが主人公の亡骸を馬に乗せて帰っていくシーンがあって、、
最後それが余韻があって良かったのですが・・・・・・・。
1967年公開「ガンクレイジー」
確か1974年ぐらいに、テレビで放映されたものも、そのバージョンだったんだけども、、私が持って居るマカロニBOXに入って居た「ガン・クレイジー」のDVDは最後が主人公が賞金稼ぎに殺されたところで。。ぷっつり終わって居て、フランス公開版みたいでした、、ああ、惜しいなぁ〜と思いました。。。
この作品はビデオデッキが発売に成ってから。またやらないかと新聞の番組欄を見て、録画をしようと、放映を待って居たのだけども。テレビでは放映しませんでしたね。劇場でもリバイバル公開はしませんでしたし、、、だからビデオにもレーザーディスクにも成らなかったから、DVDの発売まで待たなければ成らなかったです・・・・・・。
「奴らを高く吊るせ」でヒロインを演じた、、インガー・スティーブンスは魅力的な女優さんで私は大好きでしたが。この映画の撮影後死んで仕舞いました。鬱病だったそうです・・・・・・・・・。
牛泥棒の濡れ衣を着せられた男は、9人の男たちの悪意で縛り首に、奇跡的に助かった彼は保安官となり、男たちを追う!!復讐に生きる男を待ち受ける運命とは???マカロニ・ウエスタンで一躍有名に成ったクリント・イーストウッドのハリウッド凱旋作・・・・・。DVD観て見て下さいね・・・・・。
後、マカロニでは「十字架の長い列」と言う映画があります、、これなども面白い映画ですよ、、
1969年「十字架の長い列」
不法移民を多数流入させて居る人身売買者の撲滅を陸軍から依頼された敏腕賞金稼ぎ。同業の依頼を受けたマードックと共に、標的を追い詰めるが、賞金の分前などをめぐって騙し合いの形相を呈し、一時は窮地に陥ったが、最終的に三つ巴の戦いを制した。冷徹な賞金稼ぎでありながら、ギャングに囲われた愛人を憂い、、金と言うよりも正義のために戦い続けた男ブランドン.....。彼を演じたのはアンソニー・ステファン氏、、、
Anthony Steffen (1930-2004)
貴族の末裔、F1ドライバー兼外交官のご子息、そして自身はパルチザンとしてナチと戦った男。何事も控えめで優しいジェントルマンのステファン氏。
1969「十字架の長い列」より
特製7連発ライフルを使う凄腕の賞金稼ぎ。通称「バイブル」の名の通り、神父の装束に身を包み、信仰に厚く聖書をよみふけっている。ファーゴ討伐を依頼され、一時はブランドンと共闘するが、ファーゴからの和解金と陸軍からの賞金の二重取りを画策し対立、結局はブランドンに射殺された。
本作いちの濃いめキャラ、マードックの使う7連装ライフルは破壊力抜群!
常に聖書と共にあり、ひたすらクールな紳士なのにカネに目がなく、裏切りもお手の物…と言う個性派の、殺し屋マードックを演じたのはウィリアム・バーガー氏
William Berger (1928-1993)
オーストリア出身、アメリカのブロードウェイで役者としてデビュー。なんとキース・リチャーズのルームメイトだったそうです(びっくり)。まあその辺から想像に難くないのですが、理知的で物腰柔らか、誠実そうなバーガーさんですが、可也の精神薬を飲んで居たんだそうで、、、、因果関係は不明ですが65歳とやや早めにこの世を去ってしまわれました…しかし彼の偉大な演技は今もマカロニファンを魅了し続けています!
音楽がやたらカッコイイ!これだからマカロニは奥が深いのです、、、
映画の記事を、書いて来たけど、、動画が載って居なかったから、此処に載せて置きますね。どれも5分程度に纏めてあります・・・・。この機会に観て見て下さいね、、、。
「ガン・クレイジー」のダイジェスト版、、
https://www.youtube.com/watch?v=BHU6rVWV8xk
「十字架の長い列」のダイジェスト版、、
https://www.youtube.com/watch?v=b-sXXTCzccs
良かったら観て見て下さいね。。。
I Girasoli / ひまわり(イタリア映画)
今日は、YouTubeでの「ヨウジ・ヤマモト」のパリコレのファッション・ショーをテレビで見て居た。3時間半は見ただろうか、此処数年分の映像は全て見た。見た感想だけども、彼が、日頃言って居る。汚く見えるものにも美しさはある。成る程、「ヨウジ・ヤマモト」の作る服にはそれがある。ヨレヨレなのに張りがある。いかがわしさとシンプルと言う、両立不可能なものがスレスレの均衡を保って居る。ヨウジは自分の作る服の事を、「いかがわしい服」と表現する。それは、この世界のどんな人間類型を思い起こさせる様な服と言う意味だ。サラリーマンらしくも芸術家らしくも無く、ジャーナリストらしくも学生らしくも無いし、老人らしくも若者らしくも無い。そのどれにも成り切る事を拒む様な、ある意味抽象度の高い服。私は昔から1970年代の格好を服で表そうと思って色々と着て来た。私はまず、昔のマキシを試みた。だから10年ほど前にネットで探した。そしてあるブランドがロング・トレンチコートを発売して居たのでそれを購入して暫く来て居た。
それで喜んで居た。そして、ある時にループ・ニットを購入した。どれも1970年代の匂いがしたからです。
しかし、今日、「ヨウジ・ヤマモト」のファッション・ショーを見て居て、こう思ったのです。私が、探し求めて居た服のイメージは全てヨウジの服にその要素が詰まって居たのだと。しかし「ヨウジ・ヤマモト」ブランドは高い。1着、安くても軽く26万はします。だから、私は、2年前に「ヨウジ・ブランド」でも彼の若者向けの2万ぐらいで安いスプリング・コートなどが買えるブランドの所から薄手のコートを1着購入した。それは春先に着られる。そして、その時にネットを見て居たら。「ヨウジ・ヤマモト」ブランドで売って居る様なロングのブレザー・コートが6千8百90円で売って居たので、即購入した、着た感じはモロ、「ヨウジ・ヤマモト」だった、安いが品質もそう悪くは無いし。大体がヨウジの服に可成り似せてある。世の中は、今、彼がブームだと彼の服に似せた類似品の服が出回るモノなんですよ。私は結構。安い物でデザインが優れて居てカッコイイ。高級そうに見える服を買うのがうまいのですよ.....。ヨウジ・ヤマモトと違う点は、ボタンが2つしかないと言う事だが、私は服のリフォーム店に持って行って、袖を詰めた時にボタンを3つにして貰ったんだけど。此れでヨウジ・ヤマモトと見分けは着くまいと思って今年も来て居ます・・・・・・。
YOHJI YAMAMOTO pour homme A/W 20-21 Show Footage
しかし本物の「ヨウジ・ヤマモト」ブランドの服は是非欲しい。彼の作る服には哲学がある。私は生活保護費を貰って暮らし始めた。他人は贅沢に買い物なんかしやがってと思うのだろうけど。ところで、私はよく近所の喫茶店に行く。そこで此間写真を撮られた。食事をして居て。フラッシュが焚かれて光が差し込んだので分かったのです。そうしたら店の従業員さんたちが、「あの人、歳行って居るよな....。」「いやまだ若いだろ~~。」とか私の事を話して居た。そしてこう言って居るのが聞こえて来た。「芸術家なんだろ。髪長いし、、」ただ写真は誰が撮ったのか分からない。一瞬だったからだ。こう書くと。また反感を持つ人が居るかとも思うが。私が20歳当時。新宿を友達のギター弾きと歩いて居て。矢張り一人のカメラマンがカメラを向けて私の写真を連写で撮って居た事があった。私はよく分からずに「何だろ?」と思って居たら。その一緒にいた友人が「 BB!!(私の仇名。)今、お前写真撮られたぜ!!」と言うので、「何で?」と言ったら、そのカメラマンらしき年取った男の人が寄って来て。その人はある雑誌の専属のカメラマンで、「次回の雑誌で若者のストリート・ファッションの特集をするのだけども。今日は、貴方の服装が個性的だったので撮った。雑誌に載せるから宜しくね」と言って、名刺をくれた。それから程なく。書店に並んだ、その雑誌の写真記事に成る程、私を写した写真も載せてあった。しかし、私は。その当時、余り服装には凝っては居なかった。
Yohji Yamamoto | Master of the Shadows
どちらかと言うと、有りの儘と言うか。その時の服装は。薄汚れた青いジーパンに、レッド・ツェベリンのギタリスト、ジミー・ペイジの写真がプリントされた白いTシャツ、このTシャツは一緒に歩いて居た友人の知り合いの女の子が作ってくれたモノだった。そして一丁らのジャケットを着て居ただけだった、靴は革靴だった。ジャケットは少し大きくて、ダブ付いて居たし。まあ、色はブラウンだった。丁度、アメリカ映画の「ダーティ・ハリー」でクリント・イーストウッドが来て居たものと同じモノを東急デパートで母に買って貰ったものだった。当時6万円ぐらいして凄く高かったモノだった。確かに履いて居たジーパンは裾を直して居なかったので少し長く、引きずって居たような格好だった。その格好がラフで良いと雑誌には書かれて居た。確かに髪は長く長髪だったし・・・。その格好にギターケースを担いで居たから。尚更、目立ったのだろうと思う。ちなみに友人は写真の専門学校に通って居た。彼は今、どうして居るだろうか、、おそらくファッション・カメラマンになったと思う。もう歳だ。ギターは相変わらずに弾いて居るのだろうか?私のブルースハープを「余り巧くは無いけど。ブラックなフィーリングがある。俺は好きだ。」と言ってくれて居た。親友だった。よく一緒にギターを弾いたよなぁ。。。。
Jimmy Page's Chopin Prelude n.4 - Arms Concert New York 1983
なんてったってジミーペイジ(天国への階段)Jimmy Page
それからこんな事もあった。私の会社にケーキ屋の息子が入社して来た。彼は顔が広かった。そして、少しヤンチャだが。苦労人だった。彼と一緒に得意先巡りをして居た時だ。彼は私に言った。「〇〇ちゃん。少し前まで、バンドを組んで居たと言うけど、楽器は何弾いたの?」そう聞かれたので、「ギターとハーモニカですよ。」と言うと「何、フォーク・ギターで?、、」と言うので「いや、生ギターも弾いたけど。エレキギターですよ」と言って、まだギターダコが残る指を見せたら、「演奏したテープあるだろ。今度、聞かせてくれる?」と言うのですよ。それで次の日に。当時に持って居たカセットデッキを車に持って行って、聴かせたら。突然。「「スイング・ジャーナル」の編集長を知って居るから、会わせてやるよ」と言って。確か玉川沿いのお宅だったと思うけど。「スイング・ジャーナル」の編集長の家まで私を連れて行って呉れたのだった。私は編集長の家に入ると、部屋中がレコードだらけで、特に、壁と言う壁、一面に棚が並んで居て、レコードが収まって降り。その膨大なレコードの数に圧倒して仕舞って居た。彼は編集長に「最近、余り顔を見せに来ないよねぇ、」と言われて。仲良く話して居たが。自分は食料品の卸問屋に入社した事と、何故か私を。「こいつは働いて居る会社の専務の息子で・・・。」と言って紹介し始めた。
kiyasume17歳の時の演奏です。下手ですけど。。。
エブリデイ・アイ・ハブ・ザ・ブルース
そしてこう言った。「こいつ。日暮さんの「ザ・ブルース」に投稿した事あるんですよ....。」と言い出した。確かに私はこの時より少し前になるが。1970年代当時。ブルース評論家の日暮泰文さんと言って、彼はブルースの評論雑誌「ザ・ブルース」と言う月刊紙を発行して居て。出版業界でもブルースの専門家として名を馳せて居たのだけども。その雑誌に、投稿した事があったのです。内容はもう余り定かに覚えては居ないが。確か「ジョニー・オーティス・ショーと。シュギー・オーティスに付いて」と言ったモノだったと思う。便箋に書いて送ったのだが。それが採用されて誌面に乗った事があったのだ。今、思うと彼が何故、そんな事を「スイング・ジャーナル」の編集長に言ったのかと言うと。毎日、私を会社で見て居て。「此処にはあって居ないだろうに・・・。」と思って呉れたのだろう。そして「こいつはジャズ・ブルースのギターも弾くんですよ。」と言って呉れたのです。私はただ、なんか恥ずかしくて黙って居たら。編集長が「日暮さんはブルース得意だからなぁ....。」と呟いて。「ジャズでは誰が好きなの」と聞いて来たので、「一番好きなのは、アルト・サックス奏者のソニー・クリスでしょうか....。」と言ったら、「なんだ。結構渋めだねぇ。」と言って笑って居た。私はその他に。『ソニー・ステットとオスカー・ムーア。あとギターではバーニー・ケッセル。そしてグラント・グリーンは可也好きです。」と言ったら、「ナット・キング・コール好き何だぁ。」と言って。「オスカー・ムーアが好きだなんて。流石にギター弾いて居るだけの事はありますね」と言って居た。彼はザ・ナット・キング・コール・トリオの一員であり、当時コールが録音した殆んどすべてのレコードで演奏をして居る。ムーアは優れた、影響力のあるギタリストであったが、自身はチャリー・クリスチャンから影響を受けて居た。バーニー・ケッセルは、スモール・コンボに於けるジャズ・ギタリストの役割を確立したのはムーアだったと述べた事がある。
また、kiyasumeのブルースの演奏です若い頃のギターソロです。前にも挙げてましたが。また上げておきます・
ストーミーマンディー
そんな事を話して居たら。奥さんがショート・ケーキと紅茶を入れて持って来て呉れた。私は遠慮がちに頂いたが。紅茶を飲もうとしたら。奥さんが、膝に抱っこして居た赤ん坊が、口から角砂糖を吹き出して。それがティーカップの中にポツンと落ちた。奥さんは、「あらら、この子、いつの間に角砂糖を口に入れてたのかしらねぇ」と言って居た。私はそれを「赤ん坊だから汚いとは言えないしなぁ、、」と思い。其の儘飲んだ。編集長の家を出て、車に乗るとその人が少し怒り気味に私にこう言った。「なんで、自分を売り込まなかったの?俺は、紹介したんだぜ。」だから言ったんですよ。「紹介はありがたかったけど。自分は、今、音楽どころでは無いんですよ。病気の症状が重くて、、」と言った。すると彼はこう言った。統合失調症の事は俺は通り一片の事しか解らないけど、俺の前では薬飲まなくても良いよ。」そして続けて行った「まだ若いのに・・・。」そんな事とか色々有りましたよ。
It Ain't Necessarily So
Blues In B Flat
Barney Kessel blues
そして最後に、、書いて於ます。高校の時に。「ミュージック・ライフ」に葉書を出した事がある。内容は「ブルースマンのオーティシュ・ラッシュとバディガイに付いて教えてください」だった。すると当時の女編集長が雑誌の投稿欄にコメントを書いて呉れて。そのコメントにはこう書いて呉れた。「君は高校生でブルース演奏して居るの?最近はロックも、なんだか陰りが出て来て居るのよ。此間アメリカに行ったら。エルビン・ビショップのライブを見る機会があったんだけども。彼がブルース演奏したのよ。私もブルース大好きだから。ラジカセ持っていかなかった事を後悔したわよ。私もブルースの事とかもっとこの雑誌で言いたいのよ。でも最近はロックが主流だし、それも新しいウエーブが来て居るのよ。詳しくは次号見てね。しかし、貴方のお陰で私も好きなオーティシュ・ラッシュとバディ・ガイの紹介記事を書けたわ。ありがとう。」と。この二人についてのミニ・コーナを雑誌に作って記事が書いてあった。そんな事もあった。。。
Gambler's Blues (Single)
Buddy Guy - Key Don't Fit
私は小柄です。写真を見れば分かると思います。この数枚の写真は今まで撮った写真から掲載してます。「自分の写真か!!カッコイイとでも思って居るのか!!」と言う人も居るでしょうけど。まあ、堪えてやって下さいね。こうやって写真を眺めると「此処数年間。色々あったなぁ」と思います。。。私は今年で、65歳になります。「何時迄もガキの侭か!!」と言う方も居るでしょうけど。私は私です。。。。
kiyasumeの15年前の写真と最近の写真を並べて紹介します。。。
15年前のkiyasumeです.......
今までの写真有効使用につき、今回、思い付いた催しですが....。皆さんから顰蹙を買われるの必死でしょうねぇ〜。「豚は引っ込んで居ろ!!」とか、、
だから悪ふざけは此処までです。此処まで見て頂きまして恐縮でした・・・・・・。
「Off・The・Wall」風。「Every day I have the blues」です。18歳当時のバンド演奏です。まだヘタですが、、聴いてやって下さいね。。。。
ファッション・デザイナー山本陽二さん。彼は今年で78歳になります。どうですか、、カッコイイですよね。男として憧れますよ。こんな70代に為りたいですね。。。。
1972年にY’s(ワイズ)を設立した山本耀司氏が81年にスタートしたハイエンドライン、ヨウジヤマモト(Yohji Yamamoto)。
「ヨウジ」等の愛称で呼ばれて居ます
デザイナーの山本耀司氏はオーダーメイドの洋装店を営む母親の下で育てられ、慶応大学法学部を卒業した後、文化服装大学で服作りを学びました。
コムデギャルソンの川久保玲氏もそうですが、日本にも沢山いらっしゃるデザイナーの中でも、極めて高学歴なファッション・デザイナーになります。でも彼らは決して学歴をひけらかす事はしません。ヨウジは自分はアウトローだと言って居ますよ。。。
そんなヨウジとギャルソンの名が世界に轟くきっかけとなったのはパリコレです。
当時ダークすぎる反抗を意味する色としてタブーとされて居た「黒」を全面的に押し出し、ボロ切れのようなルックを展開し、「黒の衝撃」と言う波紋を呼びました。そのコレクションには賛否両論あり、「まるで広島の原爆を彷彿させる様だ」とフランスのファッション誌には可也煙たがられたそうです。
しかしその一方で大きすぎる爪痕を残し、街にはヨウジやギャルソンの黒い服で全身を纏った若者たちが溢れ、「カラス族」と呼ばれる様になります。
ヨウジの反骨精神漂うデザイン
「黒」と言うタブーに真っ向から向き合った表現で、見事モード界に革新を起こしたヨウジ。その服作りは黒を基調としながらも、身体と服の間に空気を纏う様な太いシルエットが特徴的です。これも当時の「身体に沿ったシルエット」という常識を覆す事になりました。これまでもドレープやレイヤード、素材の変化などで、常識を破壊して創造してきたヨウジ。常にデザインの根底には反骨精神と言いますか、「脱構築」の意識が流れて居ます。
「黒の衝撃」とは言っても、勿論モノトーンな色合いばかり言う訳ではありません。むしろシーズンによっては可也多彩なバリエーションに富んだ柄がルックを彩って居ます。モードな軸は外さず、大胆で少し暴力的、ヤクザな雰囲気を持つ此方のブランドは北野武(ビートたけし)さんを筆頭に愛用者の多いブランドになって居ます。
その骨太な作りによって、一つのサイズで可也幅広い体格の人が着る事の出来る「ヨウジ・ヤマモト。」その人毎に異なる表情を見せ、シンプルなアイテムでも非常に味があります。反骨精神の漂う少し強面なデザインも気に入られ、北野作品の衣装として頻繁に利用されて居ます。
服作りのクオリティを重視する姿勢に、厳しい経済的状況が重なり、一度は破産(倒産)し、60億円の負債を抱えた事でも有名ですが、今でもしっかりブランドは存続しております。最近の彼の活躍と人気は凄いですよ。新しい若者たちからも人気があり尊敬されて居ます。ヨウジの服は「レボリューション」だと言う。中国人も居ますよ。ヨウジが作る黒いコートは、俺たちの着る「バイブル」だと言う若者たちが多いですね。私もヨウジのロングベストと黒いズボン。そして黒いコートとシャツを着て居ます。要約、私はこの歳でヨウジに巡り合えました。ヨウジの服は年齢を選びません。まさしく「革命」なのですよね。私が、長年追い求めて探して居た服です。ようやく巡り会えました。ヨウジを特集してくれた。NHKにお礼を言いたい程です。これから死ぬまで私はヨウジがデザインした服を着続けるでしょう。。。
ヨウジの服は、幅広い年齢の人に着られ、それぞれの年齢層ごとに違った魅力を与えてくれます。
今回は此処迄です。また更新出来たら逢いましょうね、、♪( ´▽`)