今回は、皆さんお知りになりたいであろう、生活保護についてです。長い文章になりますが、皆さんの偏見を無くす為に記載しました。最後までゆっくり読んでやって下さいね。其れではどうぞ・・・。(๑>◡<๑)
ルルティア(Rurutia) - 氷鎖(Hyousa) //Music-Box Ver.//
つい先日、日本の人口は8年連続で減少していると言う発表があったばかりだ。労働力不足の解決が喫緊の課題と言われながら、いったん弱者に転落するとなかなか労働力として復帰しづらい仕組みは改善されないまま。ライターの森鷹久氏が、生活保護受給者から働く社会人として自立する難しさについてレポートする。
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渋谷区内の喫茶店に現れたのは、ブカブカの着慣れないスーツに身を包み、コンビニのレジ袋をぶら下げた・水田伸介さん(27歳・仮名)。27歳にして昨年12月に晴れて社会人デビューしたと言う男性だが、新卒者のようなキラキラした”フレッシュさ”は感じられない。財布や携帯をビジネスバッグではなく、レジ袋に入れているあたりからも、一般的な社会常識から逸脱した、彼の感覚をうかがわせる。
そのズレた感じの出所をたどろうと彼のこれまでの生活について話を聞くと、昨年の10月までは神奈川県横浜市内の就労支援施設で働きながら、生活保護者向けの寮で生活を送っていたことから話は始まった。
「以前は月に10万円ちょっとの生活保護を受けていました。作業所(支援施設)で働いて、月に数万円…とは言え5万6万ではありませんが給料も得ていました。寮費は食費込みで月に10万円くらい。食事は質素でしたが毎日出るし、バスも電車も地下鉄も、公営のものならタダで乗れる(※自治体により公共交通機関の無料乗車券が取得できることがある。割引券の場合も)。スマホも持てたし、衣食住に困ることはなかった」(水田さん)
水田さんの半生を振り返ると、それは壮絶としか言いようがなかった。物心がついた時には、関西地方の児童養護施設で生活しており、小学校低学年の時に、神奈川県内の親族の元に移り住んだ。しかし、一年もしないうちに居心地が悪くなると、関西の知人宅に潜り込み、万引きや窃盗などをして飢えをしのいだ。補導や逮捕された経験も数知れず。無理やり親族宅に連れ戻されたが、罵倒され、暴力を受けるようになり、発達障害の診断を受けてからと言うもの、自身がこの世に生きてはいけないのではないかと思い、自殺未遂を繰り返した。
なんとか18歳までを生き抜くも、親族からもいよいよ見放された。そんな時に助けてくれたのは、かつて生活していた児童養護施設の関係者の女性だ。女性の尽力により、生活保護を受けられるようになった。そして、社会復帰のために就労支援施設に入ったのだった。
施設では丸二年間を過ごした。年齢や境遇、様々な人がいたために友達と言えるような人はついぞ出来なかったが、施設の職員は皆優しく、今でもたまに食事を共にする。こうしてようやく「社会復帰」をした水田さんだったが、いつ「元通りになるかも知れない」と不安な日々を送る。
「確かに形だけは社会復帰なのかも知れません。生活保護も打ち切られ、寮も出ました。しかし、私のような経歴ではまともな職場で、まともに働くことは出来ません。今は、小さな運送会社で事務の仕事をしていますが、給与は月に10万円行くか行かないか。社会人デビューとは言え、フルタイムで入る仕事が出来ないからです。
ボーナスはもちろんなし。都内の風呂なしアパートは月に三万円もするし、交通費も全て自身で出す。食事も当然自分で買ったり作ったりですが、携帯代、光熱費を払うと手元には数千円も残りません。契約社員で一年毎の更新ですが、正社員になれる可能性はありません。そもそも、会社の景気が良くなく、私のような“傷モノ”を安く雇って会社を回しているような向きもあるのです」(水田さん)
側から見れば、水田さんに甘えが見えるようにも映るだろうし、努力が足りない、自身に問題がある、などなど、彼にぶつけたいのは一言や二言では済まない。しかし、彼は普通の人が想像する以上の壮絶な環境で暮らさざるを得ず、そうした環境からやっと這い上がってきたばかりである。そんな彼が絶望し、また社会からこぼれ落ちそうになっている。
「働いたら負け、なんてネットでよく言われますけど、このままだと本当にそうだなと思いました。懸命に頑張っているつもりなんですが、生活が良くなるとは思えないし、いつまでも元犯罪者で、発達障害の話をすると“そう言う人だ”と距離を置かれ、二度とまともな人とは見なしてくれない。働いていれば辛いことも多く、これなら生活保護をもらって施設で作業をやっていた方が楽なんです。施設で過ごしながら将来が見えないと嘆いていましたが、働いても将来が見えないなら、もう絶望するしかない」(水田さん)
生活保護者向けの寮を運営する都内のNPO団体代表も、こうした元生活保護者の「回帰」について警鐘を鳴らす。
「特に若い生活保護者の社会復帰に向けた支援については、社会復帰までと言うより、復帰後の支援体制が薄いと感じます。復帰までは生活保護などの金銭的なバックアップ、食住の支援体制はある程度整っています。しかし、いざ復帰しましたと言う後の支援は全くないと言っていい。施設の職員などが個人的に相談に乗ったりすることはあっても、それ以上のことはできません。だから結局、会社や人間関係、慣れない社会生活に溶け込めず、生活保護に舞い戻る。そうして生活保護者の中には、生活保護費をだまし取るような悪質な自称支援者の口車に乗せられ、家畜のような生活を強いられる人も、ホームレスになる人もいる」(NPO団体代表)
いつまでも支援に頼る人々を「甘えだ」「金の無駄遣い」と断罪することは簡単だ。しかし、彼らが支援に頼らなくて済むような制度を作ること以外に、この社会をよくしていく術がないのも事実だ。労働力不足の現在、皆が活躍できると言う社会を作るためには、弱者を一方的に斬り捨てるのではなく、どんな人手も社会の一員として働いて生きることができる仕組みを成立させるのが、一番の近道だと言うことも忘れてはならない。
『ある生活保護受給者の声』
安倍首相が最初に手をつけたのは生活保護費カットだった。2013年から生活保護基準の最大10%にも及ぶ引き下げを断行し、全国で約1000人の原告が裁判で戦うと言う前例のない運動が起きた。
その一方で「生活保護受給者は楽してお金をもらっている」と言う発言がネット上で散見されるように
生活保護の生活とは、どんなものなのか?私が生活保護を受けていたのは安倍政権前なのだが、参考までに、自分の体験を語らせていただきたい。
私は30代の時に生活保護を三年間受けていたのだ。
住宅扶助に収まる家は、どこもボロボロ
私は20代の時、仕事で失敗して実家で引きこもりをしていた。時代はリーマンショックのあおりを受け、健康な男性ですら職を失う時代だった。そんな社会情勢のため、私は簡単なバイトすらも受からず、実家で母と暮らしながら精神科に通院するだけの日々を送っていた。
働いて家を出たいのに、それができないのは非常にストレスで、時折自殺未遂をして精神病院に入院した。そんな中、通院しているクリニックのスタッフから「家を出たらどう?一人暮らしができるようにサポートするわよ。一人暮らしを始めたら就労支援もするから」と言われて、私は家を出る決心をした。30歳の時である。
物件探しは母とした。生活費は実家の仕送りと障害年金で賄うつもりでいたが、贅沢な生活ができる金額でもないので、家賃はなるべく抑えたい。それに、クリニックのスタッフから「家賃は念のため、生活保護費の住宅扶助に収まる金額で」「45000円以内(都道府県によって上限金額はばらつきあり)で」と言われていたので、その通りの金額で探し始めた。
予算内の物件はどこもボロボロで、狭かったり、環境が良くないところばかりだった。大きな道路に面していて、部屋の中まで轟音が響いてきたり、洗濯機が玄関の前に置いてあって、洗濯をする際に、いちいち外に出なければならなかったりした。でも、お金がないのだから、文句は言えない。私は妥協に妥協を重ね、1Kのアパートを契約した。今まで住んだ中で一番ボロボロの部屋だったけれど、実家を出られる喜びは大きかった。
生活保護受給者は差別を受けることが多い
一人暮らしを始めてからは楽しかった。今までは、成人しているにも関わらず母親と暮らしていることに負い目を感じていたけれど、立派に自立している気持ちになれた。台所で包丁を持ってキャベツを刻むと、それだけで生き返った気がした。
日中は精神科のクリニックのデイケアに通い、それ以外は何もすることがないので、本を読んだりテレビを見て過ごした。スタッフから就労の話はなかなかでない。そうこうしているうちに一年が経過し、定年退職を迎えた父から「お金がないので、送金できない」と言われた。それをクリニックのスタッフに告げると「じゃあ、生活保護を受けましょう」とあっさり言われた。恥ずかしながら、この時、私は生活保護に関する正確な知識がなかった。差別を受けることが多いものだということすら知らなかったのだ。多分、生活保護という単語が大きく話題になったのは、お笑い芸人の母親が生活保護を受けていたことが発覚してからだと思う。そのニュースの前は、生活保護という単語があまり身近でなかったのではないかと記憶している。
福祉を受けることは、プライドを捨てること
クリニックのスタッフに「貯金が10万円以下になったら教えてください」と言われ、その金額になったので、そう告げると市役所に同行してくれると言った。その人はクリニックのソーシャルワーカーだったので、申請の仕方や、手続きに慣れているのだろう。それに、市役所側も、専門職の人間が一緒なので、無下に追い返したりはしなかった。
私は資産がないと言う証明のため、通帳を役人に渡した。その後、「財布の中身を見せてください」と言われ、戸惑いながら、札入れと小銭入れを開いた。役人は小銭の金額までチェックする。自分は精神障害者なので、障害支援課にはよく来ているし、手続きに関しても慣れているが、小銭の金額までチェックされるのは驚きだった。
「これ、読めますか?」
そう言って渡された書類には生活保護に関することが書いてあるのだが、ご丁寧に全ての漢字には振り仮名が振られていた。私はこの書類すら読めない人間だとカテゴライズされているのだと悔しかった。福祉を受けるということは、プライドを捨てることなのだとようやく分かった。
今までは国民健康保険証を持っていたが、それも使えなくなるので、返納した。生活保護受給者は医療費がかからないので、保険証の必要がない。しかし、病気になった時、どうやって病院にかかればいいのかは教えてくれなかった。
なぜ、私は生きているのだろう?
生活保護を受け始めて、分かったのは、この先に明るい未来などないということだった。定期的に生活費が振り込まれるが、生活するだけで精一杯の金額だ。友達から海外のミュージシャンが来日しているからコンサートを一緒に観に行こうと誘われたけど、お金がないので断った。友達に飲みに誘われても、飲み代を捻出するのが大変だし、友達の税金で生活していると言う罪悪感が湧いてしまう。
私は徐々に友達に会わなくなった。大好きだった映画館からも足が遠のいた。毎日、スーパーで底値の野菜を買い、洋服はユニクロで売られているセール品の中でもさらに安くなっているものを買った。自分が好きなものを食べ、好きな服を着ることができない。私は次第になぜ生きているのか分からなくなった。
ある冬の日、とうとう風邪を引いた。熱が出て、咳が止まらなくなり、病院に行きたいのだが、どうしたらいいか分からない。市役所に電話をすると「医療券を出すので取りに来てください」と言われた。しかし、市役所は自転車で20分近くかかり、バスも頻繁に出ていない。私が電話口で戸惑っていたら「市役所の出張所でも医療券は出せますので」と言われたので、コートを羽織って、出張所に歩いて向かった。
出張所の受付の人に「生活保護受給者なんですけど、病院にかかりたいんです」と小さな声で告げると、書類を手渡された。かかりたい病院名や診察を受けたい理由、それに名前を書く欄がある。書類を提出すると、受付の女性は電話をかけた。きっと市役所にかけているのだろう。電話が終わると書類にハンコを押して返してくれた。それを受け取って、病院まで急ぐ。病院でも「生活保護なんですけど……」と伝えなければならなくて、恥ずかしかった。
働けるなら、働きたい。でもどうやって仕事を…
そうしたちょっとしたことの積み重ねで、生活保護を受けていると、恥の感情が自分の体の中に染み込んでいく。生活保護を受けることは国民の権利であり、相互扶助の精神で行われていることなのに、私はとても居心地が悪かった。生きているのが申し訳ないし、働けない自分が悔しかった。
生活保護を受ける生活は、ただ、生きているだけだった。朝起きて、味噌汁と納豆をかけたご飯を食べ、お昼はデイケアでお弁当を食べる。簡単なプログラムをこなした後、家に帰り1人で夕食をとる。
最初は楽しかった一人暮らしだけれど、生活保護を受けても、就労支援は行われず、生活保護のワーカーからも何も言われない。働けるなら働きたいけど、仕事のブランクが10年以上ある自分がどうやって仕事を探したらいいのか見当がつかない。
半年くらい経った頃、この生活が永遠に続く気がして怖くなった。友達にも会えず、胸を張って街を歩くこともできない。欲しいものも買えず、楽しいこともできない生活。私は早く死にたいと考えるようになった。
自殺未遂をして入院。でも生活保護だから入院費は無料
平日の昼間、河川敷まで散歩に行った。川向こうには小さなビル群が見える。あの中でたくさんの人が働いているのに、私は何もしてない。私と同じ年代の人は会社で仕事をし、仕事が終わればどこかに飲みに行き、家に帰れば家族がいる。それなのに、私には何もない。
生活保護費は本当にギリギリの額なので、家計簿をつけながら、うまくやりくりしないと生活が続かない。自転車で遠くにある激安スーパーに行くのが日課になり、人生の目的が生活費を節約することに変わっていった。私はなんのために生きているのだろうと思うと、後から後から不安が湧き上がってきて、頭の中には死の影が漂い始めた。私はとうとう死ぬことを決心した。
ネットの掲示板で自殺のスレッドを見つけて読み込むと、市販薬でも死ねるということが書いてあった。私はその薬を買うために行ける範囲内の薬局を何軒も回った。
アパートに帰ると、大きな錠剤を口に放り込み、何度も飲み干した。確実に死ねる量を飲まなければならない。未遂で終わってはいけない。大量の薬を飲んだ私は疲れて横になった。気がついた時は、救急病院に搬送されていた。鼻にはチューブがつけられ、胃洗浄を何回もされた。警察官に実家の電話番号を聞かれるが、意識が混濁している上に、薬のせいできちんとしゃべることができない。私はその後、何度も人工透析をし、一週間ほど入院をした。なんとか一命を取り留めたが、死ねなかった絶望の方が大きかった。会計の時に母が驚いていた。
「エリちゃん、生活保護だから、今回の入院費はゼロですって」
私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?
生活保護受給者の自殺率は、受けていない人の二倍以上だ。30代になると5倍を超えるという。
30代の生活保護受給者は精神疾患の人が多く、彼らの就労は依然として厳しい。そこへ生活保護バッシングが加われば、元からストレスに弱い彼らには耐えることができない。若い生活保護受給者には復職への支援が必要であるし、働くことに困難を抱える人たちへの理解は不可欠だ。
私の友人の夫は良い企業に勤めていて、とても収入がいい。そして、時々、差別的な発言をする。私は意を決して彼に聞いた。
「私が生活保護を受けたのは、自分の責任だと思う?」
彼は私から目を逸らして黙っていた。
「黙っているって言うことは、私が悪いと思うの?」
彼はさらに黙り続けた。否定しないと言うことは、そう言うことだと思っているのだろう。
私はその姿を見て、世の中のマジョリティたちは、私たちのことを少しも理解していないのだとようやく分かった。そして、自分たちが恵まれた立場にいるのは、自分が努力して勝ち取ったものだと勘違いしていることにも気がついていないのだと察した。
障害者になるのが耐えられず、障害者手帳を拒否
マジョリティである健康な人たちも、将来は歳をとって老人になる。歳をとって、身体が動かなくなった時、身体障害者手帳を取得することができるのだが、それを拒否する人が多いと言う話を何かの本で読んだことがある。若い時に、自分が差別していた障害者になるのが耐えられないと言うのが理由だそうだ。さらに、生活保護を受給している高齢者世帯は過去最多を記録している。今、健康で働いていようとも、将来自分がどうなるかは分からない。
菅首相が総裁選の出馬会見で「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」とニュース番組で述べたが、自助と共助は国が行う公助が行き届かない場合に行うものだ。自分たちでなんとかしてくれ、とはあまりにも無責任だ。
政権交代という、大きな動きの中、私たち国民も政治の動きから目を離してはならない。そして、おかしいと思った時は声を上げよう。10万円の特別定額給付金が給付されたのも、SNSで声を上げたからだ。小さな声が集まれば国に届くのだということを忘れないようにしたい。
(編集:榊原すずみ)
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もしあなたが、もしくはあなたの大切な人が、ひどく落ち込んだり、気持ちがふさぎ込んだりして、いつもの気持ちが保てなくなっていたらーー。
そんな時は、次のところに相談してください。
厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」(全国共通)0570-064-556
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悩みを抱えている人のためには、以下のような相談窓口があります。
ある人が言っていた。その人の団地に住んでいる40歳の女性は生活保護者で、、毎日ビデオを見て煎餅を齧って居て許せないと言うのだ。どう言う事なんだろうか、生活保護者はDVDもNetflixも見ては行けないのか???煎餅一袋百円だ。。。そして大概の人は生活保護者は贅沢をしていると言う。そして問題にするのが生活保護費の病院での診療費がタダになると言う事だ。「透明性が無い、許せない!!」と言うが、生活保護受給者は、大抵が精神疾患を持って居る病人で障害者だ。生活保護費は皆さんが考えて居るよりも遥かに低いのですよ。もし、此の生活保護費で医療費まで出させたら、生活保護者は死んでしまう。だから国が面倒を見て居るのですよね。健常者の方達は、多少の負担があっても自分で医療費は払えるでしょうに、、何で障害者の事をいちいち槍玉に上げてウサを晴らす真似をするのか・・・・・・。此間、大阪の精神クリニックに罹っていた、61歳の男性が放火をしてそのクリニックの院長ともども患者を皆殺しにしたと言う事件がありましたが。
彼は自分も黙って死んで行ったので、「凶悪な犯行!!人でなし!!」と罵られていますけど。警察が動機を調べた処、彼は勿論障害を持っていて、何と所持金が〇円だったらしい。其れで大阪の区役所に生活保護を申請に行ったらしいですけど、、彼は持ち家を持っていたので撥ねられたらしいですね。、何でも持ち家の他に親から今から40年前ぐらいに遺産相続したアパートも一軒持っていたらしい。原則としては持ち家があったら生活保護は降りないんですよ。ましては彼には貸していたアパートもあった。しかし2軒とも老朽化が酷く、入居者は一人も入らずに生活苦だったらしい。何故、国は持ち家があると生活保護を認めないのかと言うと。家屋はともかく土地は高く売れるからだ。まあ、あの男は誰か親身になって相談してくれる処か人が居ればよかったのだろうけど、、一般の人たちが考える様な甘い事は通らないのですよね。其れからよく引き合いに出して言う人がいるけど、不正受給ですが、ある人のblogを見に行ったら、生活保護の受給者は皆、不正受給者みたいな認識でしたが、、、
Rurutia / ルルティア - 爱し子よ(Ballade Ver)
不正はいけません。あたりまえです。とりわけ、悪質で規模の大きい不正には厳しく臨む必要があります。生活保護の不正受給についても、それは当然です。とは言うものの、生活保護と言えば不正受給を連想すると言うような風潮が、あまりにも過剰に広がっています。まるで不正だらけのように言う国会議員もいて、実態とかけ離れています。生活保護の不正受給はごくわずかな比率だし、不正と扱われていても悪質と言えないケースは多いのです。全体の100%のうちの0,4%にしか過ぎません...。
神奈川県小田原市の生活保護担当課が「保護なめんな」などのローマ字が入ったジャンパーを作り、相当数の職員が着用していたことが問題になりました。保護の申請者・利用者を不正予備軍のように見て、不正受給防止を職員の主たる仕事のように位置づけるなら、本末転倒です。威圧的な姿勢は、助けの必要な人を阻む壁になります。他の自治体も、不正受給の実情を冷静に見つめ直し、職員のスタンスに問題はないか、この機会に点検するべきでしょう。
金額で見た不正受給率は0.45%
厚生労働省は、2015年度(平成27年度)の生活保護の不正受給の状況を 全国厚生労働関係部局長会議 の資料(社会援護局詳細資料2)の中で公表しました。不正受給の件数は4万3938件、不正金額は169億9408万円(過年度の支出分を含む)。1件あたりの金額は38万7千円でした。これに伴う保護の停廃止は1万0587件。悪質性が高いとして刑事告発に至ったのは159件でした。約170億円というのは、軽視できない額です。
とは言え、15年度の保護費の総額は3兆7786億円(予算ベース)。不正受給額をそれで割ると、0.45%にすぎません。ごくわずかな比率であって、不正がはびこっているとは、とうてい言えません。逆に見ると、99.55%は、いちおう適正な支出だったわけです。
保護世帯数は、15年7月末時点で160万2551世帯(被保護者調査)。不正件数をこの世帯数で割ると、2.7%(ひとつの世帯が複数の不正にかかわることもあるので、これが単純に不正率とは言えない)。36.5世帯に1件の不正があったというレベルの数字です。
細かな不正の発見が増えた
まず、年次推移を見ましょう。厚労省の資料をもとに、不正受給の件数と金額(総額)をグラフにしたのが、図1です。2000年代に入って不正の件数も総額もどんどん増え、とくに11・12年度は大幅な伸びでした。しかし、13年度から件数は頭打ちになり、不正の総額は減ってきています。
件数が増えたと言っても、2000年代は生活保護の利用者そのものが急増しているので、不正の程度がどれぐらいかは、比率を見ないといけません。それをグラフにしたのが、図2です(保護世帯数や保護費総額は、厚労省と国立社会保障・人口問題研究所の統計データを用いた)。
不正件数を保護世帯数で割った比率は、しだいに上昇を続け、11・12年度に大幅に上がり、その後は微増ないし横ばいです。不正の見つかる率がだんだん高まったけれど、ここ数年は頭打ちということです。一方、不正総額を保護費総額で割った比率は、じわじわと上昇したものの、上がり具合はゆるく、13年度からは低下傾向になっています。また、不正1件あたりの金額は、どんどん減少が続いています。これらは、どう言うことを意味しているでしょうか。
簡単に言うと、細かな不正をたくさん見つけるようになった、あるいは細かい案件まで不正として扱うようになった、と言うことです。
水面下に不正受給がたくさんあるわけではない、という判断も、このグラフから可能です。
もし、発覚する不正が本当に氷山の一角であって、本格的な不正がそこらじゅうにあるならば、1件あたりの金額が減り続けるという現象は起きないはずです。いつまでたっても高額の不正が見つかるでしょう。不正の件数が横ばいなのに不正の総額は減り、1件あたりの金額がどんどん小さくなる。これは、どんどん細かなものを見つけ、不正として扱うようになったからです。
稼働収入の無申告・過小申告、年金の無申告で8割近くを占める
次に、不正の内容を見ましょう。15年度の内訳を表に示します。いちばん多いのは稼働収入の無申告で、過小申告と合わせると58.9%になります。次いで各種年金等の無申告が19.0%。これらだけで不正件数の8割近く(77.9%)を占めています。
生活保護世帯は、すべての収入を福祉事務所へ申告しないといけません。働いて得た収入があるか、年金・福祉給付があるのに、申告しないまま保護費を受け取ると、本来、収入に応じて減額されるはずだった部分が不正受給になるわけです。
不正の9割は、税情報などの照会・調査から発見
不正が見つかったきっかけは、下の表の通りです。照会・調査が89.2%と、大部分を占めています。福祉事務所が生活実態に疑いを持って照会・調査することもありますが、多くは、市区町村が持つ税情報との定期的な照合や、日本年金機構への定期的な照会によるものです。
これ以上の詳しいデータを厚労省は公表していません。総務省が14年8月に発表した「 生活保護に関する実態調査 」の結果報告書の中に、12年度の不正受給のデータ分析があるので、それを少し参照しましょう。12年度の不正受給は4万1909件。内訳は、稼働収入の無申告46.9%、稼働収入の過小申告10.6%、年金等の無申告20.8%と、15年度とほぼ同様です。
そのうち監査報告書に個別事案が記載された6693件の分析によると、不正額は10万円未満が39.6%。10万円以上20万円未満が15.3%と、少額のものが目立ちました。発見のきっかけは課税調査(税情報)が59.7%、実施機関(福祉事務所)が28.6%。とくに稼働収入の無申告・過小申告は、81.8%が課税調査による発見でした。年金等の無申告は48.8%が課税調査、40.5%が実施機関による発見でした。年齢層や世帯類型で見ると、稼働収入の無申告は60歳未満・母子世帯・その他世帯に目立ち、年金等の無申告は60歳以上・高齢者世帯に目立ちました。
市区町村には、給与・年金の情報がすべて届いている
此処まで読んできて、なんだか不思議な感じがしませんか? 不正受給と言っても、大部分は稼働収入の無申告・過小申告と年金等の無申告であり、その大半は、市区町村が持つ税情報との照合、年金機構への照会といった定期的な事務作業で発覚しています。収入をごまかすために手の込んだ偽装工作をしていたわけではなく、簡単にばれているのです。
なぜ、簡単にばれることをするのか? いくつかの原因が考えられます。
ひとつは、給与や年金の情報が市区町村に届くことを、保護の利用者が知らないケースです。
すべての事業主は、法人・個人を問わず、前年中に支払った給与について、「給与支払報告書」を作成し、1月1日現在の従業員等の住所地の市町村(東京23区内は各特別区)に提出する義務があります(地方税法317条の6)。
アルバイト、パート、役員を含め、給与の額の多少にかかわらず、提出しないといけません(違反すると刑事罰がある)。所得税や住民税を源泉徴収するかどうかには関係ありません。
また、公的年金や企業年金を給付する団体は、「公的年金等支払報告書」を同様に市区町村へ提出します。国税当局は、所得税の確定申告書の情報を市区町村へ届けます。市区町村は、そういった情報をもとに住民税の額を決めます。
このデータは「課税にかかる資料」「税情報」などと呼ばれますが、たとえ課税されない額でも、給与や年金の情報は市区町村に入っているわけです。福祉事務所は少なくとも年1回、本人の申告内容と課税情報を照合する作業をします。今はコンピューターで自動チェックできます。年金機構には別途の照会もしています。
不正受給の中には、少しのアルバイトやパートで税金もかからないし、役所にはわからないだろう、と安易に考えていたケースが、けっこうあるようです。
申告義務がしっかり伝わっているか
もうひとつは、生活保護の利用者が、収入や資産の申告義務をきちんと理解していないケースです。
保護開始の際、担当ケースワーカーは、保護利用者の権利と義務を伝える文書を渡し、口頭でもよくわかるように説明する必要があります。その内容を理解したと言う書面にサインしてもらって受け取るよう、厚労省は求めています。保護継続中も、同様の説明文書を年1回以上、世帯主と世帯員に配布するよう求めています。これらの説明の中には、収入の申告義務がもちろん含まれています。
けれども、文書配布や口頭説明、書面提出が必ず実行されているとは限りません。いいかげんにやっている自治体やケースワーカーも存在するようです。実行されていても、利用者側がいろいろな書類や手続きにまぎれて、きちんと認識していない場合や、よくわからないまま、わかったと答えている場合もあります(たとえば軽い知的障害のある人は、そういう返事をしがち)。
高校生のアルバイトは、申告して、学業の費用や進学資金など使い道の計画を示せば、収入認定されない(保護費が減額されない)ことが今は多いのですが、申告しないで後から税情報などで発覚すると、不正受給として扱われます。親の知らない間にバイトしていることもあります。だから世帯主だけでなく、高校生本人にも申告義務を説明するべきですが、不十分なことも多いようです。そういう高校生の無申告アルバイトも、不正受給件数の中に入っています。
保護の利用中に障害年金、遺族年金、老齢年金などの受給を始めた時や、年金の増額改定がされた時も、すぐ申告しなかったり、うっかり申告を忘れたりするケースがあるようです。
不正は、まず未然に防ごう
元大阪市ケースワーカーの松崎喜良・神戸女子大教授(公的扶助論)は「不正受給を見つけて摘発することより、未然防止に力を入れるほうがよい。『収入は必ず申告してくださいよ』と言うだけでなく、『給料や年金は少額でも支払報告書が提出されるから、必ず役所でわかりますよ』と伝えておくべきだ。年金は生活費用を確保する重要な手段だから、ケースワーカーが受給を手助けすべきなのに、年金の知識が足りないから、把握せずに不正を招いてしまう。悪質な不正をする人間もいるのは確かだが、定期的に家庭訪問して生活の実情を見ていれば、おかしいことに気づく。ケースワーカーの人数と資質が足りないせいで、そういう基本的な努力が不十分な自治体が多い」と強調しています。
保護費を支給した後、税情報で申告のない収入を見つけ、不正の認定手続きをして、返還を求める。それには、かなりの手間がかかります。その時点では、返還できる資力が当事者にないかもしれません。そう言うやり方より、税情報の仕組みがあることを保護利用者に周知しておけば、生活保護の不正受給は大幅に減り、そこにかけている職員の労力も減るはずです。
Aさんは、生活保護の不正受給を問題にする報道や「働けるのに働かずにパチンコへ行く生活保護の人」と言うSNSへの書き込みを見る度に、調子を崩し、引き籠りがちになった。当然、作業所の工賃は安定しない。Aさんの住む1Kのアパートの同じ階には、他に5世帯が住んで居る。年金生活の単身高齢者のBさん(女性)とCさん(男性)、幼児を抱えたシングルマザーのDさん、「生活保護は羨ましいかも」と時々思う若いワーキングプアの男性Eさん、と言う構成だ。
ある朝、目覚めたAさんは、昨晩のテレビ番組で紹介された、「どう見ても五体満足で働けるのに、働いて居ない生活保護の男性が居る」と言う視聴者の声を思い起こして、どうしても布団から出られずに居た。最悪なのは、他の出演者が「本当にそうですよ、働いて居ないのに医療も無料で受けられるし。年金暮らしで医療費が儘ならない方が沢山入るのに・・・。」と同意した事だ。その「五体満足で働ける生活保護の男性」は、もしかするとAさん自身の事かも知れないではないか。
司会者は曖昧な笑みを浮かべ、明確な「ノー」を言わなかった。そして手元のスマホの中では、ツイッターに「生活保護受給者は許せない!!」と言う同意ツイートがあふれた。Aさんはテレビの電源を切り、スマホをロックし、睡眠薬を飲み、なんとか眠りに付いたのだった。なんとも心地よくない寝覚めではあるが、Aさんは顔を洗い、歯を磨き、衣服を着て靴を履いた。そのとき、ドアの向こう側から単身高齢者Bさんと誰かの会話が聞こえた。
Bさんは、会社に勤めて居た夫をパート主婦として支えて来た女性だった。夫が病に倒れた為、保有して居た住まいを売却して療養資金と夫の葬儀費用に充て、夫亡き後はこのアパートで単身生活をして居る。受け取って居る老齢厚生年金は、生活保護基準より少し高い金額だが、医療費の自費負担などを支払うと生活保護以下の暮らししか出来ない。