寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

バンドでの友人の話・・・・。。。

 

帽子を被った写真ですよく撮れては居ませんが。。。(*´∇`*)

 

 

私は高校在学中から大学以降少しまで、バンド活動をして居た事は今までに散々書いて来たが。その事で付き合って居た、バンドのメンバーとの間には、いい事などは殆ど無かったも同然だった。大体が、あるボーカリストは突然人の部屋にレコードを100枚持って来て置いて帰った。私が困ると言うと、「聴いててくれ、そのうちに一緒に住むから」と言い出した。私は怒った。「何言ってんだ、勝手に言いやがって。此のフーテン野郎、、」とさえ思った。「フーテン」とは、職業に就かず、異様な風体で盛り場などをふらつく人。また、家も定職も持たず、放浪生活をする人の事です。そもそも「フーテン」とは、漢字で「瘋癲」と書き、精神の状態が正常で無い事、精神疾患を持つ人のことを指す言葉でした。

それが漢字の「瘋癲」ではなく「フーテン」と言われる様になり、無職でふらふらして居る人の事を指す様になったのは、1967年(昭和42年)に、ヒッピー風の服装をして、新宿駅前にたむろする無気力な若者たちを「フーテン族」と呼んだ事がきっかけと言われて居ます。私が青春時代の半分を過ごした1970年代1980年代に掛けても此の言葉は使われて居ました。最近の若い人には最早死後ですよね。此の頃に流行った漫画で、永島慎二著の「フーテン」と言う漫画があります。

 

永島慎二

 

 

要するにいい加減な人間が多かったですね。そのボーカリストは、、私がバンドの練習風景の音源を録音した、カセットテープを部屋の棚に大切に保管して居たら、8本中5本のカセットテープを黙って盗んで行った。そして当時私が大切にして居た「続・荒野の用心棒」のレコードも盗んで行った。その人だけでは無い。弟もそうだった、、ある時に私のロック・バンドでの演奏を録音した貴重なテープを、弟に聴かせたら、「ちょっと貸して」と言って、貸したらもう返さなかった・・・・・・・恐らくは弟は私が楽器演奏をする事に物凄いジェラシーを持って居た為に、そう言う行動に出たのだろうと思う。母が言って居た。「あいつはね、『兄貴の様に僕も楽器演奏が出来る様になりたいんだ!!』って言って居るのよねぇ」と、、

しかし私は弟に言った。「お前は勉強一筋の奴なんだから。勉強で勝負しなよ」とね。高校1年生の頃だ。私は初めてのロックバンドを組んだ。ドラムとベースとギターのトリオだった。歌はベースが歌った。演奏した曲は殆どが、ジンジャーベイカー。ジャック・ブルース。エリック・クラプトンの3人が作った「クリーム」からのハード・ロックの曲だった。「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」「ホワイト・ルーム」後、当時エリック・クラプトンが弾いて流行って居たブルース「ハウ・ユー・エバー・ラブド・ア・ウーマン」なども演奏した。どれも1曲が長いのでどの様にもアドリブで演奏出来た。後はハード・ロックのデープ・パープルの「バーン」などを演奏して楽しんで居た。

 

Cream - Sunshine of Your Love

Cream - White Room ( Farewell Concert 1968)

Eric Clapton Have You Ever Loved A Woman Blues in C Live From Crossroads Guitar Festival 2004 YouTube2

Deep Purple-Burn (Live in 1974)(London) BETTER SOUND QUALITY!!!

 

処が、ベーシストが、レコードショップに行った処、何とスケッチ・ブックにエリック・クラプトンのレコードを挟んで万引きして来て。待ち合わせ場所に居た私に「レコードを万引きして来た。後で聞かせてやる」と言うのだ。私は「なんだ〜!!」と思って居たら。背が少し高い補導員のお姉さんが何時の間にか、そいつの後ろに立って居て。そいつの肩を掴んで「はいそこまで、、君、万引きの現行犯逮捕だから」と言うのです。そして何と私の方を向いて、私に「此の事はあんたが命令したのか?」と聞くのですよ。私は「とんでも無い、今初めて聞きました、、」と言ったら、「なら君は関係が無いわね、」と言い。もう一人の子、丁度、その時は女の子も一緒だったから。彼女は盗む時に側に居たと言われて、「何故、注意しなかったのか?その事は同罪です。」と親元に電話を掛けて親に来て貰う様に言われて居た。

そのベーシストは家に電話を掛けたら、丁度、親戚が来て居た処で、「何と言う事をしてくれたんだ!!親戚にも知れ渡ってしまったじゃないか!?」と怒声で電話口で怒られて居た。私は「あの、僕も親元に電話を掛けるのですか・・・」と恐る恐る聞いて見たら、「君はいいわよ、知らなかったのだから。掛けなくて、、」と言われて安堵したのだった。そんな事からそのベーシストとは段々と疎遠になって行きました。大体が今でも覚えて居るけど、バンドの練習場所のドラマーの家に行って見たら。私の他にギタリストが居て。そいつが私を見たら横柄な態度を取り始めたので、、「ああ、もう私とは一緒にこいつらはやりたくは無いんだな」と思って。もう彼らとは一緒の演奏はしなかった、、其れから、ほぼ半年ぐらい経って、私が教室に一人で居たら、あのベーシストが寄って来て言った。「ドラマーが言って居るよ。矢張りブルージーなギターはお前じゃないとなぁとさ」、、でも、私は何を言われても2度と彼らと一緒に演奏する事は無かった、、バンドは、いや何でもそうだが、グループと言うのは信頼関係で成り立って居る、その事が守れない相手とは、私は2度と組まない事にして居る。

其れから、こう言った事もありました。あるドラマーと一時期、組んで演奏をしたのですが、バンド放浪記でも書いて居ますが、そいつは物凄いテクニシャンで、何の曲のドラムでも叩けたのですが。好きなバンドはビートルズと10CC、そしてジェネシスとキング・クリムゾンが好きで、後はクラシックが好きだった。要するに綺麗な旋律のメロディーだ、ロックと言っても、そいつが或日に、私に自分が組んで居るバンドのギタリストの家に行こうと言い出した。私は嫌だったが、何か相手は専門学校の生徒で、プログレのバンドだと言うので、「まあいいか・・・」、と思い行って見た。そうしたら、そのギタリストはベーシストと共にエレキ・ギターでヴィヴァルディーの「四季」の譜面を見ながら演奏し出した。私もギターを持って居たので、演奏して居ると、得意になって譜面を見て居る。私は譜面は見ないでも弾けるから、見ないで弾いて居た。

すると譜面を隠すのだ。私は譜面無しで弾けるので、弾いて居た。するとこう言う。「君、暗譜してるの?」私は、まあ、そうとも言えるが、暗譜では無い。レコードの音源を耳で聴いて覚えて居るだけだ。そして演奏が終わって、私はブルースのアドリブを弾いて見た。3連譜を多用したものだった。すると、そいつが言うのだ、、「その今弾いた、真ん中に穴が開いて居る音のフレーズどう弾くの💦」私は「何だぁ〜〜」となって仕舞って居た。その男は先程の「四季」も実は譜面は見ては居たが譜面を見て弾いて居たのでは無くて、ただ格好だけ見て弾いて居る、振りをして居ただけだったのだ。譜面は読めないのだ。私は「成程ねぇ〜」と思って帰って来た事があった。其れから数日経った或日に、自宅の自分の部屋でロックのフレーズを弾いて居たら。窓の向こうから「何だ!!ブルースとか言って居て、ロックじゃねえかよ〜!!バカくさ!!」と声が聞こえて来た。そいつだったのだ。自分の鼻をへし折られたとでも逆恨みをしたのか?私の隣の家の庭に勝手に入り込んで聴いて居たのだ。私はその後そのドラマーとは絶交した。。。。

 

寝起きの気休めです。。。。ブサイクなツラですみません。。。

今日撮った写真、、行けない!!相当に太って仕舞って居る。ブタじゃ〜!!ブタ見参じゃ〜!!

 

 

 

 
 

 

 

 

私が中学生だった頃、隣のアパートに鹿児島から日大に来ていた学生が居た。まあ、九州男児と言う事でバンカラな男だったが、面倒見がいいらしくて、友達の学生がよく来ていて、何時もワイワイ楽しそうに、アパートに数人来ては、食事をして居た。或る日、私が隣のその学生の部屋の前を(道沿いにその学生の部屋があり、1階だったからよく外から見えた)通ったら、食事を美味そうに皆んなで食べて居て、丁度、此方は腹が減って居たもので立ち止まって、「皆んな美味そうに食べているなぁ・・・」と思い見ていたら、その学生が私に気がついて「坊主!腹減ってるのか?」と部屋の中から声を掛けて来た。私は少しびっくりしていたら、部屋の中まで入って来いと言う。どうしようかと思っていたら。「いいから来なよ」と言われたのでアパートのその学生の部屋まで入って行くと、「来たか、まあ飯食っていけ!」とご飯を奢ってくれた。

それ以来、私はその学生のアパートにちょくちょく遊びに行く様に成った。その学生は今まで私が接してきた大学生とは違っていて、バンカラな男で私の興味を惹いた。極真空手が好きで、よく一升瓶を新聞紙で包みその上からバスタオルで包んで、手刀を下ろし割っていた。まあ、私は土曜の晩に来いと言われて居たので、よく遊びに行くと、そのうち勉強を教えてやると言う。私は何だかなぁと思いつつ、勉強を教えて貰って居た。そうしたら、うちに来て母に「〇〇君の家庭教師に成りました。」と言うではないか。私は驚いて話を聞いて居たら。うまく母に取り込んで、一ヶ月、毎週土曜日2時間ほど自分のアパートで勉強を教えると言うのだ。私は「参ったなあ・・・うまく乗せられた」と思っては居たが、勉強を教えると言う事で母も了承して仕舞った。月謝は月1万6千円ぐらいだ。私は困ってしまって居たが、母は勉強を教えて貰いなさいと言う。まあ、やられた、と思ったが仕方がない。毎週、その学生のアパートまで行く事となった。

その学生は、付き合ってみると少し偏屈で当時の流行のロックは大っ嫌いだった。勉強はいつも土曜日に行くと夜11時迄は私と話をしていて、それ以降夜の1時まで勉強を教えると言うやり方だった。何時も夜中の1時に勉強が終わると当時のラジオの深夜放送を二人して聴いた。処が、尽く私とは話が合わなかった。当時の深夜放送ではブリテッシュ・ロックがよく掛かり、当時の学生は皆んな喜んで聴いて居たのだが、その男はロックが掛かると「ああ、また、俺の嫌いな音楽だ!」と呟くのだ。私はだんだんその男に対して興味が無くなって行った。するとある日、その日大の学生は私と同じ位の子供を連れて来て、一緒に素潜りをやろうと言うのだ。強制的にシュノーケルと水中マスクとフィン(足ひれ)を店に行って買わせて、川まで連れて行って強制的に、練習をそのもう一人の中学生とさせられた。私はだんだん不満が募り、やってられないとばかりにその学生のアパートには行かなくなった。そして、家庭教師を辞めて貰った。しかしその学生は、今度は家庭教師を辞めて貰ったし、私はその学生のアパートには行かないのに、私の部屋に突然現れては勉強をしろと言うのだ。私の家は下宿をやっていた手前、鍵が開けっ放しに成って居る。部屋は1階の玄関の前だ、ほぼ毎日来るのだやってられない。気が付いてみるとその男には友達が誰も居なく成っていた。そして大学受験のある日、その子分らしき学生を連れて私の処にやって来て。私が2階に居たら、勝手に部屋に入り込み。「これが受験生の部屋か、なんだエレキギターなんて置いていて!!」と言って居るのだ。私は慌てて自分の部屋に降りて行って「なんですか、勝手に部屋に入らないで下さい!!」と言うと、「俺はロックなんざ大っ嫌いだ!!」と言う。

私がその子分にしていた学生に「あの人は少しおかしいよ、君もいい加減に離れなよ」と言うと、その学生も「解っています」と言って居て私に深々とお辞儀をすると帰って行った。それから暫く経ってその男は自殺未遂を起こし、私の処には来なく成った。私は大学へは別段苦労もなくすんなりと受かった。中学の頃は不良に舐められない為に相手には悪かったが、学級委員をぶん殴った。案の定不良たちから「おめえは根性あるからカツアゲはしねえよ」と言われたが。高校は都立でもなく私立なのだが制服がなかったので、私は敬愛する原田芳雄と松田優作の真似をしてジーンズのジャケットとジーパンで高校に通って居た。するとある日、姉がその学生が陸橋の上でミニスカートを履いた女の子が転んだら駆け寄って行って「大丈夫?」と言いながらお尻を叩いたのだそうだ、多分、埃を払ったつもりだったのだろうがやりすぎだ。そうしたらその子が「何するんですか!!」と怒って去って言ったのを見たと言い。「あの人一体何?」と言うのだ。そして或日、突然家に乳飲み子を連れてやって来て。「この子もどうせ不幸になるんだ!!」と見せて来るので。姉と私は「可愛いですね。」と言うと「名前は佳菜子と言うんだ、辞書で調べて見な」と言うのだ。結局その学生は大学を中退してから自動車の整備学校へ行き。整備士の資格を取ったのだと言う。なんで大学まで行ったのか解らない、本末転倒だと思った。その日大の学生はバンカラで何時も下駄を履いて居て、しかも一枚刃の下駄を履いて居たのを自慢にしていたのが印象に残って居る。

 

 

我が良き友よ - かまやつひろし

 

Charlie Kosei Lupin III

 

 

♪ Charles Bronson in "MANDOM" CMソング/ Jerry Wallace

 

〜〜懐かし映画劇場〜〜

「メカニック」です。(原題:The Mechanic)は、1972年のチャールズ・ブロンソン主演によるアメリカのアクション映画。1970年代はブロンソン旋風が映画界を覆ったのです。はっきり言ってブサイクなその顔は、しかし男臭さに溢れて居た。私は好きな俳優でした。チャールズブロンソン主演作では「Death Wash」シリーズが有名です....。

 

The Mechanic/Killer of Killers Trailer

Charles Bronson - THE MECHANIC - Ending (spoilers)

荻 昌弘 解説「メカニック」

 

 

‘70年代のアメリカで吹き荒れたチャールズ・ブロンソン旋風。もともと『荒野の七人』(’60)や『大脱走』(’63)で個性的な脇役として頭角を現し、巨匠セルジオ・レオーネのマカロニ西部劇『ウエスタン』(’68)やアラン・ドロンと共演したフレンチ・ノワール『さらば友よ』(’68)などの国際的な大ヒットで、一足先に日本やヨーロッパでスターダムを駆け上がったブロンソンだったが、しかし肝心の本国アメリカでの人気はいまひとつ盛り上がらなかった。なにしろ、この時期の出演作はどれもヨーロッパ映画ばかり。アメリカ公開までに1~2年のブランクがある作品も多かった。『夜の訪問者』(’70)なんか、全米公開は4年後の’74年。日本で大ヒットした『狼の挽歌』(’70)だって、アメリカの映画館で掛かったのは’73年である。それゆえに、外国でブロンソンが受けているとの情報は入っても、そのブーム自体が本国へ逆輸入されるまで少々時間が掛かったのだ。

しかし、ニューヨークでロケされたイタリア産マフィア映画『バラキ』(’72)を最後に、ブロンソンはハリウッドへ本格復帰する事に。そして、チンピラに愛する家族を殺された中年男の壮絶なリベンジを描いた、マイケル・ウィナー監督の『狼よさらば』(’74)が空前の大ヒットを記録した事で、ようやくアメリカでもブロンソン旋風が頂点に達したと言う訳だ。そのマイケル・ウィナー監督とは、ハリウッド復帰作『チャトズ・ランド』(’72)以来、通算6本の作品で組んでいるブロンソン。中でも私が個人的に最もお気に入りなのが、ブロンソン=ウィナーのコンビ2作目にあたるハードボイルド・アクション『メカニック』(’72)である。

主人公アーサー・ビショップ(チャールズ・ブロンソン)は、とある組織のもとで秘かに働くメカニック。普通、メカニック(Mechanic)と言えば「機械工」や「修理工」を意味するが、しかし裏社会に於いては「プロの殺し屋」を指すらしい。組織から送られてきた資料をもとにターゲットの詳細な個人情報を把握し、その身辺をくまなく調べることで入念な暗殺計画を練り、偶発的な事故に見せかけて相手を確実に仕留めるビショップ。足のつくような証拠は決して残さない。仕事が仕事なだけに、普段から人付き合いは殆ど無し。広々とした大豪邸にたった一人で暮らし、趣味の美術品コレクションを眺め、クラシック音楽のレコードに耳を傾けて余暇を過ごす。決して感情を表には出さず、淡々と殺しの仕事をこなして居るが、しかし内面では心的ストレスを募らせて居るのだろう。精神安定剤と思しき処方薬は欠かせない。それでも心が休まらぬ時は、馴染みの娼婦(ジル・アイアランド)のもとを訪れては恋人を演じさせ、つかの間だけでも偽りの温もりに孤独を紛らわせる。

そんな一匹狼ビショップのもとへ、新たな殺しの依頼が舞い込む。ターゲットはハリー・マッケンナ(キーナン・ウィン)。組織の大物だった亡き父親の部下であり、ビショップがまだ子供だった頃からの付き合いだ。しかし、ビジネスに私情を一切持ち込まない彼は、普段通りに淡々と任務を遂行。何事もなかったかのようにハリーの葬儀にも出席し、そこで彼の一人息子スティーヴ(ジャン=マイケル・ヴィンセント)と知り合う。謎めいたビショップに好奇心を抱き、なにかと口実をもうけて彼に接触して素性を探ろうとするスティーヴ。一方のビショップも、父親の死に動揺する素振りすら見せず、冷酷なまでに合理的で客観的なスティーヴの言動に暗殺者としての素質を見抜き、いつしか自分の弟子として殺しのテクニックと哲学を伝授する様になる。2人はお互いに似た者同士だったのだ。

そこへ次なる仕事の指示があり、ビショップは組織に断りなくスティーヴを同伴させるのだが、弟子の判断ミスで危うく失敗し掛けた事から、これを問題視した組織のボス(フランコ・デ・コヴァ)から口頭で注意を受ける。その場で新たな任務を依頼されるビショップ。すぐにターゲットがいるイタリアのナポリへ向かうよう急かされ、怪訝そうな顔をしつつも渋々引き受けた彼は、計画を相談しようとスティーヴの留守宅へ上がりこみ、そこでたまたま自分の暗殺資料を発見して仕舞う。要するに、組織はビショップの後釜にスティーヴを据え、もはや用済みとなった彼を始末しようとして居たのだ…。

孤独な老練の暗殺者が、育てた若い弟子に命を狙われるという皮肉な筋書きは、同じくマイケル・ウィナー監督がバート・ランカスターとアラン・ドロンの主演で、生き馬の目を抜く国際スパイの非情な世界を描いた次作『スコルピオ』(’73)へと引き継がれる。また、ストイックで寡黙な殺し屋ビショップのキャラクターは、ブロンソンの友人でもあるドロンが『サムライ』(’67)で演じた殺し屋ジェフ・コステロを彷彿とさせるだろう。そういえば、あちらも数少ない他者との接点が美しき娼婦(しかも演じるのは主演スターの妻)だった。なんか、いろいろ繋がって居るな。ビショップの仕事ぶりを克明に描いたオープニングは、アメリカでも高い評価を得た加山雄三主演の東宝ニューアクション『狙撃』(’68)と似て居る。安ホテルの一室からターゲットの住むアパートの室内を望遠レンズ付きカメラで何枚も撮影し、その写真を並べながら暗殺工作の段取りを計画。ターゲットが留守中に部屋へ忍び込み、予めマークしていた数か所に細工を仕込む。あとは向かいのホテルに潜んでターゲットを監視し、此処ぞと言うタイミングで一気に仕留める。『狙撃』は冒頭7分間でセリフが一言だけだったが、こちらは此処までの15分間で一言のセリフもなし。それで居て、主人公ビショップが何者なのかをきっちりと描いて居る。実に見事なプロローグだ。

そのビショップと若き後継者スティーヴの奇妙な師弟関係が、本作における最大の見どころであり面白さだと言えよう。組織からの指示があれば、たとえ少年時代から良く知る恩人であろうと、顔色一つ変えず冷静沈着に殺すことの出来るビショップ。別に個人的な恨みなどない。確かに一瞬ギョッとはするものの、しかしあとはプロとして与えられた仕事をこなすだけだ。一方のスティーヴも同様だ。父親が突然死んだって何の感慨もなく、そればかりか葬儀を途中で抜け出し、自分のものになった豪邸に大勢の友達を呼んでパーティを開く。と言っても、バカ騒ぎしている友達を眺めて居るだけ。表面上は知的で社交的で魅力的な人物だが、しかし主観的な良心や感情と言うものに決して流されず、常に物事を客観的かつ論理的に捉えて合理的に行動する。ある種のサイコパスと言えるかも知れない。それを強く印象付けるのは、恋人ルイーズ(リンダ・リッジウェイ)が自殺未遂を図るシーンだ。恋人とは言え、そう思って居るのはルイーズの方だけ。スティーヴに取っては数いる遊び相手の一人に過ぎない。その冷たい扱いに腹を立てた彼女は、呼び出したスティーヴの前で両手首をカミソリで切って見せるのだが、彼はまるで意に介さないばかりか高みの見物を決め込む。「死にたいと思って死ぬ人間になぜ同情しなくちゃいけない、君が望みを叶える様子を最後までちゃんと見届けてあげるよ、」と言わんばかりに。その場に居合わせたビショップも、ルイーズの体重が110ポンドと聞いて、「だったら3時間以内に死ねるな。まずは悪寒がして、それからだんだんと眠くなるんだ」なんて平然とした顔で解説をはじめ、ルイーズに「あんたも彼と同じで人でなしね」と言われる始末(笑)。ここでビショップは、自分とスティーヴが同類の人間であるとの確信を抱き、やがて彼を自分の後継者として育てることを考え始める訳だ。

脚本家のルイス・ジョン・カリーノによると、当初の設定ではビショップとスティーヴの関係性に同性愛的なニュアンスがあったと言う。要するに、恋愛とセックスの駆け引きを絡めた新旧殺し屋同士のパワーゲームが描かれるはずだった様なのだ。だが、やはり時期尚早だったのだろう。主演俳優のキャスティングが二転三転する過程で、同性愛要素がたびたび出演交渉のネックとなり、いつしか脚本から削り取られて行ったらしい。なるほど、それはそれで刺激的かつ興味深い作品に仕上がって居たかも知れない。一方の完成版では、ビショップとスティーヴは疑似親子的な関係性を築いていく。年齢を重ねることで徐々に丸くなり、長年のストレスから肉体的にも精神的にも限界を感じ始めたビショップは、若い頃の自分を連想させるスティーヴに対し、つい親心にも似た感情を抱いたのだろう。その気の緩みが結果的に仇となって仕舞い、自らを危険な状況へと追い詰めて行く事に成る訳だ。

余計な説明を極力排したハードボイルドな語り口は、ともすると表層的で分かりづらい作品との印象を与えるかも知れないが、しかし登場人物の何気ない反応や仕草、一見した処、見過ごしてしまいそうなシーンの一つ一つにちゃんと意味があり、自分以外の誰も信用することが出来ない非情な世界に生きる主人公の誇りと美学、孤独と哀しみが浮かび上がる。フレンチ・ノワール…とまでは言わないものの、しかし多分にヨーロッパ的な洗練をまとったマイケル・ウィナー監督の演出が冴える。ナポリへ舞台を移してからの終盤も、いまや師匠と弟子からライバルとなった2人の、抜き差しならぬ共犯関係をスリリングに描いて見事だ。カーチェイスや銃撃戦も見応えあり。呆気なく決着がついたと思いきや…と言う捻りの効いたラストのオチにもニンマリさせられる。まさに違いの分かる大人のための上質なアクション映画だ。

ちなみに、ご存知の通りジェイソン・ステイサム主演で’11年にリメイクされた本作だが、しかし両者は似て非なる作品だと言えよう。リメイク版では主人公ビショップを観客が「共感」できる親しみやすいキャラクターへと変えたばかりか、あえてオリジナル版では曖昧にされて居た背景や設定に説明を加え、スティーヴがビショップに弟子入りする明確な理由を与えてしまったせいで、その他大勢のジェイソン・ステイサム映画と見分けがつかなくなった事は否めないだろう。続編『メカニック:ワールドミッション』(’16)に至っては、まるでジェームズ・ボンド映画のような荒唐無稽ぶり(笑)。それはそれで別にいいのだけれど、あえて『メカニック』を名乗る必要もなかったのではないかとも思えて仕舞う。まあ、それもある意味、スター映画の宿命見たいなものか。

なお、ビショップの自宅として撮影に使われた豪邸は、ロサンゼルスのウェストハリウッドに実在するが、本作の数年後に全面改修されて居る為、当時の面影を残しているのは門から玄関までの急な坂道だけだそうだ。また、組織のボスが暮らしている広々とした大豪邸は、サム・ペキンパー監督の『バイオレント・サタデー』(’83)のロケ地にもなった場所で、もともとはハリウッドの大スター、ロバート・テイラーが所有して居た。さらに、スティーヴがチキンのデリバリーを装って押し入る邸宅も、ロサンゼルスに隣接するパサデナ市に実在しており、こちらはテレビ版『バットマン』(‘66~’68)のブルース・ウェイン邸の外観として使用されて居る。

_________________________________________

最近聞いて居るレコード、ダウンタウン・ブギウギバンドの「あゝブルースです」

 

 

 

今、一番困るのは愛機のハーモニカ・アンプ「ハーピスト」の上に置いてあるマイクだ。。。訪問看護婦も毎回言う。「凄いですね、これ?」だから言うのだ「ブルースハープの音をマイクで拾って、アンプから増幅させて出すために置いてあるんだよ」しかし。そう聞いても意味が良く解って居ない。どうしてもカラオケのマイクと言う認識なのだ。「増幅した音」とは単に音が大きくなるのとイコールではない。アンプの特性で歪んだ1950年代のシカゴ・サウンドを再現する為に必要な処置なのだ。その為に私の愛機「ハーピスト」は真空管を搭載して居るのです。

 

 

 

 

 

皆さん。ブルースについては殆ど盲目だ。特にブルースハープのアンプリファイドについては解って居ない人が殆どだ。だから、端的にアンプの上にマイクが6本もある。「フン!贅沢だ。何でマイクが6本もあるのだ」となる。私はこの6本のマイクは1本ずつ目的用途によって吹き分けて居るのです。手っ取り早く言えば、マイクが変われば音が変わる。マイクは普通のマイクと無線用の丸い形状のマイクを所有して居る。ブルースハープに使うマイクは声を拾うのではない。ブルースハープの音を歪ませる為に使うのだ。だからわざと音が歪む様なマイクを使うのです。シュアのマイクは昔からブルースハープには定評がある。だから私は著名なブルースハーピストたちが愛用したマイクと同じものを取り揃えて持って居る。バンドで吹く時には必需品だ。今はバンドでは吹いて居ないので、あまり出番はないが、アパートでもたまにアンプを通して小さな音で吹く事があるのです。私は精神疾患者だ。身体障害者と言っても。身体が不自由では無い。だから困るのです。なかなか、精神疾患とはどんなものかと言う事が周りの健常者には解らない。だから薬の副作用があると言うと。「じゃあ、薬を飲むのをやめればいい」と言う。だが飲まないとまた発病するのです。

私は10数年前に、薬を飲んで居なかった。自分の判断で飲まなくたっていいと思って飲まなかったのだ。そうしたら発病した。要するに言いにくいが脳の疾患なのだ。これは、先天的に備わって仕舞ったものなのだろう。障害です。だから私は身体障害者なのですよ。薬を飲んで居れば障害は止まるのです。だから一見健常者と変わらない。だが、無理は一切出来ない。私の場合、薬で寝てしまうし。体が怠くて仕方がない。向精精神薬はキツいのです。掃除ぐらい自分でやれるのだが、そう言う事で、へルパーに頼んで居るのです。それにこれは病院からの指示でもある。私の主治医が必要だと判断して契約を結ばせ派遣されて居るものです。精神疾患者は嫌われる。それは中には飛んだ変な人も居るからだ。でも大概は皆んな大人しいのですよ。ただ、頭の病気と言う事で嫌われるのです。あいつはおかしいだとね。偏見ですね。酷い人になると。「精神病は移るのか?」と言う人まで居る。無知と理解の無さが精神病患者を孤立させるのです。だから皆さん。精神疾患者は厄介ではないのですよ。たまに症状が酷くて、何言ってるか解らない人やら、おかしな挙動をする人間が居るので。精神病患者は頭がおかしいとなるのですね。まあ、確かに重症患者はそう言った人も居ますが。大抵は、そんな事はないのですよ。ただ精神疾患があると言う事で兄弟は縁を切りますね。大抵。要するに頭がおかしくなった兄弟は。認めないと言う事だろうと思います。私の様に軽症の精神疾患者でも。兄弟は見捨てましたから。私は逆にそんな薄情な兄弟だとかは此方の方から願い下げですが。私は今持って差別と偏見の中に身を置いて居ますよ。だけども私は自分がそうだから、人の痛みが良く解る。障害者になって、人に優しくなりました。そして私はブルースと言う音楽の意味が解り掛けて来た。本当の意味で”BluesMan”になれたと言えそうです。私に取ってブルースとは人生です....。

コメント一覧

kiyasume
101000dotlineさん、書き込み有難う御座いました、、

そうですか、、初めて私の下手なブルースハープの音源をお聴きに
なって下さったのですか、有難う御座います・・・・・・・・・。( ◠‿◠ )


『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』平山 秀幸監督作品は、精神病院物
ですよね。鶴瓶さんの演技がいいとか?私もよくは見ては居ませんけど、、
あるブロガーの方が、いいと言って居ました。

私はダイジェストだけ見ました。まあ、問題作ですよね。
しかし救いの無い話だけども、優しみもある映像に撮れて
居るそうですね、、以下に粗筋を綴った感想のHPが
ありましたので、、此処に記載して置きますね。。。

https://undazeart.com/heisabyoto/

予告編、、

https://www.youtube.com/watch?v=DFTMDcD2BOE
https://www.youtube.com/watch?v=oH0JDaQcpRQ
https://www.youtube.com/watch?v=gwGG9uyCd5Y

なお、「閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー」はYouTubeで、
数百円で見られますよ、、

なお、ユニコも数百円でYouTubeで見る事が出来ますよ、
以下は、ユニコの短編の無料放送です、観て見て下さいね。

https://www.youtube.com/watch?v=Paxjrzr6hcQ

また来て下さいね、、其れでは( ´∀`)
101000dotline
kiyasumeさん、こんにちは。

今日は、kiyasumeさんのブルースハープ動画、初めて再生して聴かせて頂きました。哀愁漂う音色にうっとりと聞き入りました。

おかげさまで、私もずいぶんと元気に毎日を過ごさせていただいております。

最新ページで、自分の発したコメントで未回収の部分を箇条書きにさせて頂くことを、どうかご容赦ください。

「観たDVDお話をしたい」とコメントしましたが、それも1週間レンタルで途中から最後まで観ましたが期限内に全部再生する時間がなく、もう一度借りないと、ストーリーを始めから観ていないから、話にならない。借りたのは
邦画『閉鎖病棟ーそれぞれの朝ー』平山 秀幸監督作品です。キャストは、笑福亭鶴瓶さん、綾野剛さん、小松奈菜さんほかです。もう一度借りようと思わせる、作品でした。

「ユニコ」という手塚治虫先生のマンガを、1巻途中まで公式ホームページから読めて、面白くて購入したくなった。子供時代に叔母に買ってもらったのは、やはり1巻ではなかった。kiyasumeさんにNetflixでアニメ映画を見られるとお聞きしたので、早速スマホのプランを来月からNetflix付きに変更した

星新一先生のショートショートは、立ち読み程度です。機会を見つけて、読んでみたいです

お元気で。
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