寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

夢。。。

最近、思うのだけども、、近頃は夢が追えない時代ですよね・・・・
私は、はっきり云って、もう、歳ですから、、(此処で、自分の歳を云うつもりは有りませんが。(;一_一))
仕方が無いのかもしれませんが、最近の世の中の移り変わりを見て居ると、確かに、インターネット、
サイバー空間、便利だとは思いますが、、私みたいな者でもこうやってblogを書いてるのだから・・・

しかし、誰でも、発言出来るのは良いとしても、匿名性を盾に、余り夢も希望も無い事を云うのも、どんなものかと、、思う時もあります。特にプロレスについてなのですが、、ユーチューブで、長州襲撃事件をこの間、ああ、あんなこともあったな、と観て居て、書き込みを観て見たら、猪木から乱闘をやれと指示が有って、アドリブでやったもので、当時、古館アナとかも、周りは知らせられずに居たので、パニックになったと、新日本プロレスの当時の高橋レフリーが云って居たと書いて有りましたが。。

所詮、プロレスは八百長みたいな風潮は力道山の頃から、有りましたが、、プロレスはスポーツですがショウ的要素が強い物ですよね。格闘技を本気でやれば、大抵、相手は死にますよ。プロレスでは無いですが、昔、確か沖縄の骨法と云う空手のトーナメントを見ましたが、試合中、師範が弟子の顎を浴びせゲリで砕いてしまった事が有りました。真剣勝負と云えば聞こえが良いですが、人殺しを見たいですか、、
スポーツである以上は、選手たちは受身を知っています。此処では云いませんが、プロレスにはあるルールが有るのです、皆、選手はそれを守って戦っています。それでも、橋本真也選手みたいに亡くなる人も居ますよね、確か天竜はプロレスは、jazzと同じだ、スイングしなけりゃ、意味が無い、と云って居たし、猪木も、モハメッド・アリのパフォーマンスは見習う処が有りますと過去に云ってましたよね、、、

勝手、1980年代に藤波、長州の因縁対決が有って、当時は初代、タイガーマスクこと、佐山聡とかが出てきて、社会現象を巻き起こしましたよね。佐山さんはその後は、UWFで後にU系と言われる独自のルールと打・投・極による格闘技色の強いプロレススタイルを発明し、更に総合格闘技の元祖となる団体・シューティング(後の修斗)を創設しましたが、、、

最近は格闘技は余り見て居ないもので、何も云えないのですが、、時代性と云うか、当時は皆、テレビに噛り付いて観ていた物ですよね。そう、時代性ですよね、問題は、当時は熱狂的に皆、観ていたし、それは、演出も有るとは思って見て居ましたよ、、、唯、最近は、余りにも露骨に云いすぎるきらいがあるのではないかなぁ、、
要するに、娯楽は楽しめれば良いのではないでしょうか、、今、オリンピックの真っ盛りで、連日、メダルを取ったと云うニュースが流れています。なんか、私がアンダーグラウンドな人間なのかもしれませんが、選手達の活躍を観て居て素晴らしい事だと思いますが、競技と云えども、観て居る側の人からすれば、矢張り娯楽なのですよね。。。人間、何が正しくて、何が悪いのか何て、所詮、観念的な物ではないでしょうか。。。

此処で、オリンピックの選手たちを悪く云って居るつもりは有りませんよ。彼らは真摯に競技に立ち向かい正々堂々と、メダルを勝取ったのですから、立派ですよ。。。唯、本当に露骨に批判したり非難するのは良くないのではと思うのです、唯ですら、夢の無い時代です、、フィクションも、ノン・フィクションも感動できれば良いのではないかな・・・・話は変わりますが、此の間、吉本隆明氏の糸井重里さんが企画をした、2008年にNHKで放映した、「吉本隆明語る」と云うDVDを観たのですが、この時も、ボケ老人、老人の戯言とか皮肉を云う人が居ましたが、、

一時代を築いた人を貶すのは良くないと思うのですが、、吉本隆明氏は今年に入ってから亡くなりましたよね。。。

最近、此れだけは切実に云いたいのですが、訪問看護婦の横暴な物の云い様とかに、頭に来ていたのですが、、
今日は、母が介護施設に行っているので、外出したのですが、昨今、サービス業は隆盛ですので、、
店員の対応が良くて、久々に、ホッとしました、、しかし、この分野も物凄く過酷ですよね、、、
此の間、デリバリーでピザを取ったら、ピザ屋からアンケートの電話が掛かって来まして、運んだ店員の態度はどうだったか、挨拶はちゃんとしたか、敬語は使ったか、粗相はなかったか、、いやぁ、、此れでは、息が詰まるし、とんだ管理社会だと、思いますよ。だから、抑圧された感情を他者に、特に弱い者に向けるのでしょう.

此れは私の持論なので、容認出来ない方もいらっしゃるかとも思いますが、、、
勉強ってなんですか?学問をすれば、全て旨く行くのでしょうか、良い学校を出て、良い会社に入れれば良いのですか?最近は大学を出ても職が無い場合も有りますよね、、学歴だけで人を測れるのでしょうか、、、
問題なのは、学歴を付けることではなく、知恵を付ける事ですよね。勉強が幾ら出来ても、何ら、物事を解っていない人が居ます。能書きなんて、本を読めば幾らでも云えますよね。私の知り合いで、某有名大学院に行った人から、「僕は頭が良いから、、、OOさんは馬鹿だから解らないんだ、、」と云われて、「そうですよ。。」と云ったら、、「でもOOさんは知ってらっしゃる!!」「はぁ、、何を??」「生きる術を知ってらっしゃる!!」そう云われて、「それが知りたいのです!!、何で学んだんですか!何の本に書いてあったのですか?教えてください!!」そう云われて、困り果た事がありました、、まあ、この人は稀な人なのでしょうけど、、はっきり云って、こう云った呆れた事が有りました。自分は知識が此れだけある、だから自分以外で知らない人より偉いんだ、丸で、子供です。。私も一応は大学に行きましたが、、良く、教授は専門バカだと云う人も居ますよね、、


勉強をしなさい、と云う、親御さん達に訊きたいです。あなたの子供の時の成績はどうでしたか??
時に、知識を身に付けても、精神的に未発達な人が居ます。知識を学ぶのは良いですよ、しかし、
それが、実生活で活かされなければ、、学問と云えるでしょうか?譬え、活かされて居たにしても、、
書物から得た知識を振りかざし、知らない者を、罵倒する、貶す。。子供の頃は感受性が豊かです、、
大体、14歳位から20歳までに、何に興味を抱き、何を信望したかで、その後の人生なんて決まってしまいますよね。。。
最近、陰湿ないじめが有りますが、この様な論理から来ているのですよね。。。

勉強は大切ですよね、、それはそうですね、、でも、単に頭でっかちに成ってしまって、自分より知識がない人を、嘲笑い、罵倒する。また、大学に行けなかった人は、学歴コンプレックスを持つ、私はこんな事は最低に下らない次元だと思いますよ。学者はともかく、有名になった人が必ずしも高学歴では無いでしょう・・・・


私は映画が好きなので、身近な映画監督から例に出しますが、、黒澤明が中学生位まで、劣等生だったのを知って居ますか、「蝦蟇の油」と云う自伝で、彼は「私が森村学園の小学校の頃、学校と云う処は、私にはまるで牢獄のような気がした。教室では、ただ辛い苦しい思いで、じっと椅子に腰掛けて、家から付き添って来た者が心配そうに廊下を言ったり来たりしている姿をガラス越しに眼で追ってばかりいた。精薄児だったとは思いたくないが、知恵が遅れていたのは確かである。先生の云っている事は、さっぱり解らないから、どうも勝手なことをして遊んでいて、しまいには他の子供達とは離れた処へ机と椅子を移されて、特別扱いされるようになってしまった。そして、授業している先生が、時々、私の方を見て、「此れは黒澤君には解らないだろうけど」とか「此れは、黒澤君にはとても無理だが」とか云われた。その度に他の生徒が私の方を見てクスクス笑うのを、何かひどく辛く感じても、先生の云う通り、先生が説明している事はまるで訳がわからないことが悲しく苦しかった。」彼は大学なんて勿論行って居ませんし、若い頃は非合法政治活動に加担してました。
でも、巨匠となり、あれだけの立派な作品を残しましたよ。。。

人には分相応と云う事が有ります。私が思うに学問で大成することは、多分、一番簡単なことなのではないかなと思います。。。だって、勉強さえすれば良いのですから。大学時代に教授から、課題の本を与えられ、その本から出題するから一冊丸暗記するようにと云われた事が有りました、、要するに、記憶力の問題です。特に文系は、、こう云う事を云って良いかとは思いますが、、まあ、教授に寄っては、唯、本を読んで終わりという人も居ました。今はどうだか、又、大学、学部によっても文系と理系では異なると思いますが、、
要するに、自分でやりなさいと云う事ですね。何で、こんな事を書くかというと、大学に行ってない人は、大学を神秘化するからです。

入ってしまえば、どうと云う事はないのです。私は、殆ど学生時代は、音楽活動に邁進していました。大学では今はパソコンでしょうけど、、只管、教授の云う事を速記していました。そんな物です。。団塊の世代などは、学生運動で授業が潰れて、ロクに試験もなく、卒業した人も居たのではないでしょうか。。。結局、自分次第なのです。

どんな職業についていても、自分のやりたい事を見つけ、それに邁進して、それを極める。。。それが大切なことではないでしょうか・・・

人間、ある程度の生活が出来れば其れで良いのではないでしょうか、ブッタが云ってましたよね、自分の身の丈に合った家に住みなさいと、、孤独に歩め、悪をなさず、求めるところは少なく、林の中の象のように、、それで良いのでは・・・

夢と云うものは、成りたいと努力する事で、成就するものですよね、、奇跡とは願った者にしか起こらないものですよね。。。そろそろ、人に敵意を向けるのは止めた方が良いのでは、そういう私も、訪問看護婦の事を悪く云って居ますが、、

此れも、相手が敵意を向けて来たからです。。。以前に、知人から、あんたは、何時も物事を平等に見過ぎるそんなに世の中、平等には出来ていないと批判された事が有りますが、、自分の目標を成し遂げるのに、他人を批判する必要は無いと思うのですが、、、また、捻くれる必要もないですよ。。。自分は自分なのだから。。。天上天我唯我独尊ですよ。。。

最後に、今、原田芳雄主演のドラマ1969年の「5番目の刑事」と1972年の「冬物語」を観て居ます、、、また、原田芳雄か?と云われそうですが、彼には特別な思いが有りますので。。。この2作品とも、私が子供の頃のTVドラマなのですが、DVDやら、CS放送で観ていて、何故だか古さを感じさせないのですよね、、、、今観ても、充分に楽しめます。最近のドラマでは「妖怪人間べム」の映画化に期待しています。12月15日上映だそうで、今から楽しみです。

後、若松孝二監督の最新作、「千年の愉楽」もベネチア映画祭のオリゾンティ部門に正式招待されました、独立プロで頑張っているのだから、此れが機会と成り、上映館が増えることを期待しています。

若松孝二も、三上 寛も藝術の根源は怒りだと云って居ますね。。。
三上 寛が出てきた頃、連続射殺魔の19歳の永山則夫が逮捕された事に付いて「俺は政治家とかは殺さない、知識人、藝術家を殺すんだ」と云い、彼は千葉のコンビナート下請けで働き、土曜は渋谷のライブハウスで”怨歌”を歌いました。三上は永山と同じ青森から上京していて「永山は東京に負けた。俺は俺の殺し方をする」と云ってましたっけ、、殺すというのは何も人を本当に殺すことではなく、精神的に殺すということですが。

このblogで前に書きましたが、「時には母のない子のように」で紅白歌合戦に出ることに成った、カルメン・マキは紅白に出たくないが故に、自慢のロングヘヤーを丸坊主にしたそうです。慌てたプロダクションが、急遽、カツラを用意して紅白に出させました、しかし彼女は出たことは出たのですが、、裸足でした。。。当時の若者は体制に反逆し、組み込まれることを良としなかったと思います。だからといって、今の若者が駄目だとは云いたくありません。

原発廃止のデモも、今、老若男女問わず、人々が自ら声を上げ始めました。勝手の学生運動での新宿騒乱みたいな過激な運動ではなく、今は静かにしかし、確実に世の中を変えなくては駄目だという機運が高まっているのだと思います。世の中、旨く行かないから、藝術が世の中に必要なのだと思いますよ。。。

スポーツも藝術だと私は思うのですが。。。最後まで戯言を聞いて下さり、有難う御座いました。。。。

世代闘争勃発


飛龍革命(昭和63年4月22日)


新日本プロレス 1988年(昭和63年)ヒストリー


新日本プロレス 1990年(平成2年)ヒストリー


いつも一緒に/倍賞美津子


あしたのジョー2 第23話 「燃える野獣と・・・氷」のレストランのシーン (1/2)


あしたのジョー2第23話「燃える野獣と...氷」のレストランのシーン(2/2)


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2013/05/22吉本隆明『言語にとって美とはなにか』を読む(1)高橋順一


山崎ハコさん「蛍」


冬の東京 山崎ハコ cover

山崎ハコ 1981 8/10 小さな海


三上寛 誰を怨めばいいのでございましょうか


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泉谷しげる すべて時代のせいにして


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