「Bluesは奴隷制が廃止され奴隷が解放されることによって生まれたものである。」とは、有る音楽評論家が云っていた事で有るけど、厳密に云えば、黒人が奴隷ではなくアメリカ人として認知され、自由人に成った、しかし、それなのに抑圧を受ける、そこで初めてBluesが生まれたと云えるのでしょう。ブルースの形態と云うのはアフリカの部族ダンスとワークソング、それにホラーが ヨーロッパの諸音楽と融合して出来たものですよね、
要するに「ブルー・ノート」の誕生でしょうね。1970年代、NHKで「シカゴ・ブルース」と云う、ドキュメンタリー番組が放映されました。
時はブリティッシュ・ロックの代等が著しく、1960年代半ば、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、特にストーンズが「フーチー・クーチー・マン」とかの、マディー・ウォ-ターズの曲をカバーして歌い、それがヒットし、アメリカに逆輸入され、ビートルズを始めに、ロングヘアーを、イギリスのロックミュージシャン達が流行させ、それが、後に、アメリカのフラワー・ムーブメント、ヒッピー文化へと発展していくことに成ったのだけども、(当時ビートルズがアメリカ公演の為、アメリカに行った時の記者会見の模様を観ましたが、「君たち、それ、かつら?」「アメリカの床屋がストライキ起こしますよ、」とか、云われていましたね、)ストーンズのミック・ジャガーから、「俺らのやっている事は、あなたたち、アメリカ人の黒人の音楽ですよ」と云われて、アメリカではそれまで、レース・ミュージックとして、Blues等の、黒人音楽は、白人はレコードを余り買わない風潮が有ったみたいなのですが、この発言を受け、若者がレコード店にBluesを買いに走ったという話を聞いています。それで、話は戻りますが、NHKの番組でシカゴのブルースクラブでの、バディ・ガイとジュニア・ウェルズの、アグレッシッブな、シカゴ・ブルースの演奏を初めて観た、日本人が、感銘を受け、特に、関西方面の大阪から、ウエスト・ロード・ブルースバンド、ウイーピング・ハープ・セノウ&ヒズ・ローラーコースター等が出現し、その後、憂歌団、ブレイク・ダウン、サウス・トウ・サウス、ダウン・タウン・ブギウギバンド等の優れた日本人のミュージシャン達のブルース・バンドが出てくる事へと成りました。変わった処では、北海道から、スカイドック・ブルース・バンドとか(フェントン・ロビンソンのサムバディー・ロンミー・ア・ダイムを日本語に訳して演奏してました)
私は、当時、まだ、小学校高学年から中学生位でしたが、丁度、ジョン・メイオール&ブルース・ブレイカーズ、レッド・ツェッペリン、フォガット、ロリー・ギャラガー、ディープ・パープル。ZZトップ、クリーデンス・クリウォーター・リバイバル、シカゴ、ピンク・フロイド、イエス、クリーム、イ・プー、オルメ、タンジュリン・ドリーム、ジェスロ・タル、キング・クリムゾン(挙げてると切りがない(笑))等の、ロック・バンドに夢中になってましたが、高校生に成ってから、ギターを始めて、エリック・クラプトンのミュージック・ライフでのインタビュー・記事を読んでいたら、彼が、影響を受けた、ギタリスト達として、BB・キングやら、マジック・サム、フレディー・キング、オーティシュ・ラッシュ(此れも挙げてると切りがないです)等から影響を受けている事を知り、矢張り、レコード店に走りました、始めに買ったのがBBキングの「ジャングル」と云うLPでしたっけ、しかし、そんなに、レコードを買う、余裕も無いので、当時、中村とうようの「Bluesの世界」と云う、ラジオ番組とか、Blues喫茶に入り浸り、とにかく、Bluesを聴きまくりました。そして、幾つものブルースバンドを作っては解散させ、まあ、、高校3年間はBlues一辺倒でした。大学に入ってからもバンド活動を続けてましたが、ギターは、jazzとBluesの融合を試み、挫折して(笑)ギターと同時にちょっとやって居た、Bluesharpをやる様になりました。それから、障害を持つ事になってからは、バンド活動は出来なくなり、1980年代はjazz喫茶通いを始めました。1998年位まで今度はjazz一辺倒でした。始めはスイング、ビパップとかを聴いていたのですが、世代的にズレるのですが、中上健次や白石かずこや唐十郎やら若松孝二、足立正生や相倉久人、等の個性的な芸術家とかインテリたちが1960年代後半から新宿文化の担い手として小説やら映画やらエッセイの作品でフリー・ジャズに言及している事を知り、フリー・ジャズにも、傾倒して行きました。その後、1998年頃から又Bluesharpを吹く様になりました。
時代が結構、1970年代は、まだ、不安定でしたよね。海外ではべトナム戦争、パレスチナ問題、国内では、三島由紀夫の割腹事件、浅間山荘事件、シージャック、よど号ハイジャック、等、子供ながら、学校の帰りに、立ち喰い蕎麦を手繰りながら、「まだ、やってるのかよ、、」と浅間山荘の映像が蕎麦屋の14型のテレビに延々と映し出される映像を観て、ため息をついて居た事が思い出されます。後、映画は、洋画はフィルム・ノワール、アメリカン・ニューシネマ、マカロニウエスタン、邦画は黒沢 明、溝口健二、小安津二郎を始め、岡本喜八、坂本順治、若松孝二、市川 準等(此れも切りがない)を良く観てました、劇場で観たマカロニは「大西部無頼列伝」「荒野の無頼漢」は封切で観てます、あと、レオーネのドル三部作、「荒野の用心棒、夕陽のガンマン、続・夕陽のガンマン」は日暮里の三番館で後追いで中学の時、友人と観に行ってます。アニメも第一期アニメ・ブームでの手塚治虫のアニメラマ・三部作「千夜一夜物語、クレオパトラ、哀しみのべラドンナ、」の時は子供だったので、1970年代中場の、第二期アニメブーム、「宇宙戦艦ヤマト、」「銀河鉄道999、」その後の「ガンダム」、の洗礼を浴びた時に、矢張り後追いで、イメージ・フォーラムで「哀しみのべラドンナ」は観てますね、、それ以後、段々と、ハリウッド映画の「ランボー」、「ゴリラ」、辺りから、マッチョなスーパーマンが活躍する、1980年代以降のハリウッド主体の映画からアメリカ映画が嫌に成り、ロシア映画、やら、ヨーロッパ映画を良く観るように成りました。1980年代以降は香港ノワール、アニメでは、「うる星やつら」で知った、押井 守が好きに成り、ハイファイ・ビデオの登場により、(それ以前のU・マチックは存在は知っていましたが、買えようはずもなく、)映画はレンタルビデオの普及も相まって、色々観ましたね、、押井 守の映画で初めて観た、アニメ映画は「天使のたまご」でした、その後、「ビューティフル・ドリーマー」を遅れて観てから、以後「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「イノセンス」等、実写では「紅い眼鏡」「アヴァロン」とか観捲り、そして、現在です。自分の歳を考えれば、アニメ?と云われそうですが、若い頃、マンガ家を志していた時期が有り、そんな事から、アニメ関係者の知り合いが出来て、本当は、そちらの業界に行こうかと思った時が有った物で、同い年の人から観れば、何だかと思われそうですが・・・・・
まあ、ざっと、Bluesブームを解説するつもりが、何だか、自分の話を書いてしまいまして、、、
でも、今の若者たちは、湾岸戦争から始まって、アメリカ同時多発テロ、イラク戦争、国内では、秋葉原殺傷事件、東日本大震災と、矢張り、、今も、激動の時代ですよね、唯、其れによる弊害も有るけれども、パソコン、インターネット、携帯電話の普及で、便利に成りましたよね。
昔は音楽喫茶が情報の蓄積場でしたが、今はインターネットで情報は手に入りますよね。著名な人とも話が出来る時代です。
音楽の媒体はCDですら古く、今はダウンロード配信ですよね、今、普及し始めたブルーレイですら、近い将来無くなるのだそうです。
時代は刻一刻と目まぐるしく変わって世の中は変貌して行きます、此れでは、歳を取る筈ですね・・・・・・
長文、失礼致しました。
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