寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

『「にのみや・あきら」さんとの対話2』

お邪魔いたします。
大変遅くなりました。なにしろ50年前ことなので、状況は思い出しても名前を思い出せなかったりして、手間がかかりました。TBSでのアルバイトを辞め、TBSに出入りしていた大映テレビの助監督の誘いで、制作進行をやることになりました。「ザ・ガードマン」をヒットさせた組の配属になり、宇津井健さん主役の「シークレット部隊」アクション物を担当することになりました。ガードマンのようにヒットせず、その後、3作品担当することになりました。3作品で一緒に仕事をした人たちを列記します。
 
宇津井健・藤巻潤・目黒祐樹、そして新人の三浦友和・川口厚、などがレギュラーで、後は有名な俳優がゲスト出演と言う配役でした。以下がその人たちです。津川雅彦 ( 遅刻常習犯で苦労 ) 緒形拳・前田吟・緑魔子・山本学・西郷輝彦・研なおこ・田村亮( 田村正和の弟 ) 大原麗子・大門正明 ( 大変な事があった )・春川ますみ・川津祐介・赤木春恵・長山藍子・谷隼人・松岡きく子 ( 嫌な女 )・南田洋子・中尾彬・藤田朋子・寺田農・渥美マリ( 泣かされた )・佐藤蛾次郎( 目が離せない )・沢村貞子・中条静夫・原田大二郎・藤木悠・地井武男たちです。監督は井上昭・国原俊明・土井茂・佐藤純弥・そして助監督から昇格した合月勇と言ったメンバーです。
 
もっと多くの人たちと働いていましたが、何しろ50年前のことですから思い出せません。記憶に残ってる人たちだけを列記しました。監督は井上昭さんが気さくで人情味があって、対話も多く交わし一番好感が持てました。カッコをしてある内容を説明します。津川の遅刻は分かると思います、遅刻しても済ました顔。大門正明は、阿蘇山で川の中のロケで、緩い流れでしたが、どうしたことかグイグイ流されてしまいました、困ったことに川下に壺があり、それに吸い込まれてしまいました。あるスタッフが飛び込み暫くして彼を抱えて浮き出てきました。それ以来、彼のことを大門嵌りが渕と呼ぶようになりました。松岡は、羽田空港でのロケの時、まだ集合時間前でしたが、挨拶がてら確認に行ったら、「何時まで待たせるのよ」と食ってかかられました。気が強くて我儘まる出しでした。その後、ロケ地移動で、谷隼人とスポーツカーに乗りロケバス追い抜いて行くのを見て、気分が悪い思いをしました。
 
渥美はやはり阿蘇山ロケでのことです。大映映画で出演していたピンク物が嫌いでノイローゼ気味になり精神的におかしかったようです。阿蘇の人影のない所で撮影をしていて、生理になった、と言い出したのです。でもナプキンを持っていませんでした。調達に行くのは私の役目です。山を滑降して麓に人家を探し、人里離れた所にやっと薬屋を見つけ買いはしましたが、方々歩き回ったのでロケ現場に戻れなくなりました。これには参りました。何とか戻り間に合いましたが、彼女は芝居をする状態ではありませんでした。周りの人に助けられて演技をしてました。佐藤蛾次郎は、挙動不審で、富士急ハイランドでのロケの時、借りたの大きなホールで、周りに幾つもの飲み物の販売機があり、それを片っ端から開け、鍵が掛かってない販売機を見つけ飲み物を取り出し飲んでいました。私の仕事は、そんなことも取り締まらなければならない役目でした。相手は大人で有名人です困りました。
 
嫌な事ばかりではありませんでした。担当柄、役得もありました。在職中、阿蘇山や北海道ロケがあり、撮影隊より先行して、監督場合によってはカメラマンを伴ってロケハンに行きます。ホテルとはタイアップなので、関係者約50名の宿泊・食事は負担してもらえました。勿論、食事はホテル・地元の名物が出ました。それを先行のロケハンでは、先に頂けたわけです。旅費も全日空とタイアップでしたので、ドラマの中で、何カットか空を飛んでる飛行機を映せば、関係者の往復運賃が無料になる仕組みでした。大映は丸儲けって感じです。
 
まだお話したいことがありますが、長くなりましたので、次に続きをします。
 
 
 
 
akiraさんお久し振りです、、
今回の話は宇津井健さんぐるみの話でしょうか、、

前に言ったかと思いますが・・・・・・。

宇津井健さんは親戚筋に当たります、、
1980年代初頭、姉の結婚式に出てくれました、

彼は撮影の合間を縫って出てくれたのですが、、
お付きの人、多分マネージャーだと思いますが
やって来て二言、三言、話をして居て頷いて、、

披露宴を見て居ましたが・・・・・・・。

みんなが盛り上がり、、その時に彼の席を見たら、、
もう居ませんでした。仕事が外せなかったのでしょうね。
母に聞いたら宇津井さんが足早やにやって来て、、

「大変申し訳ない、撮影が急遽入りましたので、、
これで、、」と言って居なくなったそうです。

それから10日程したら三浦友和と山口百恵の結婚式があって、、
確か宇津井さんが仲人でしたよね。後で宇津井さんが、、、
「百恵ちゃんの式も良かったけど、其方の式も豪勢でした
大したものだった」と言ってくれた様でした・・・・・・。


そうですか、、大映テレビのアルバイトを辞めて、、
制作進行をやる事になったのですね・・・・・・。


「ザ・ガードマン」の後の番組、、「シークレット部隊」ですか、、
私もシークレット舞台は見て居ましたが、、確かにあまり
 人気は出ませんでしたよね・・・・・・・・・・( ´ ▽ ` )


https://www.youtube.com/watch?v=RqZ0Qch4A3I


>宇津井健・藤巻潤・目黒祐樹、そして新人の三浦友和・川口厚、などがレギュラーで、後は有名な俳優がゲスト出演と言う配役でした。以下がその人たちです。津川雅彦 ( 遅刻常習犯で苦労 ) 緒形拳・前田吟・緑魔子・山本学・西郷輝彦・研なおこ・田村亮( 田村正和の弟 ) 大原麗子・大門正明 ( 大変な事があった )・春川ますみ・川津祐介・赤木春恵・長山藍子・谷隼人・松岡きく子 ( 嫌な女 )・南田洋子・中尾彬・藤田朋子・寺田農・渥美マリ( 泣かされた )・佐藤蛾次郎( 目が離せない )・沢村貞子・中条静夫・原田大二郎・藤木悠・地井武男たちです。監督は井上昭・国原俊明・土井茂・佐藤純弥・そして助監督から昇格した合月勇と言ったメンバーです


しかし、毎度の事ながら、錚々たるメンバーですよね💦

津川雅彦さんの遅刻の常習犯は、なんか解る様な気がします・・・・・。

>大門正明は、阿蘇山で川の中のロケで、緩い流れでしたが、どうしたことかグイグイ流されてしまいました、困ったことに川下に壺があり、それに吸い込まれてしまいました。あるスタッフが飛び込み暫くして彼を抱えて浮き出てきました。それ以来、彼のことを大門嵌りが渕と呼ぶようになりました。

ロケ中の川の中の事故って結構ありますよね、、確かローハイドの
フィーバー隊長、(エリック・フレミング)は、ローハイドを降板後には
「ボナンザ」(カートライト兄弟)にゲスト出演したけど、1966年9月に
ペルーでの映画ロケの途中で不幸にも事故死しましたよね。矢張り
川の事故でしたね。。。

エリック・フレミングが「ローハイド」の最後の第8シーズンを降板
したので、最後のシーズンは相棒であった「ロディー」役の
クリント・イーストウッドが隊長格になりましたが、
このシーズン限りで製作を中止して居ます。

そして日本では、この最後のシーズンの作品は放送されて
居ませんよね。イーストウッドはローハイドの撮影が途中で
中止された後に、イタリアに行き、マカロニ・ウエスタンの名作
「荒野の用心棒」に出演して、その後に、「夕陽のガンマン」
「続・夕陽のガンマン」で一気に大スターの道を歩んで行きました。

「松岡」とは?「松岡きっこ」の事でしょうか?彼女は、1963年、
今井正監督に見出されて、東映の大作「武士道残酷物語」で、
メインキャストのさと役に抜擢されましたよね、
(「第13回ベルリン国際映画祭金熊賞」受賞)

1967年には、あの007ジェームス・ボンドの「007は二度死ぬ」に
置いて、お米の苗を植えるお百姓の美しい村娘の役で、、
本の1、2分でしたが出て居ましたよね・・・・・・・・。

そうですか谷隼人とスポーツカーに乗って居ましたか、、
まあ、自我が強そう気はしますよ。。。

>渥美マリが阿蘇山ロケで。大映映画で出演していたピンク物が嫌いでノイローゼ気味になり精神的におかしかったようで。阿蘇の人影のない所で撮影をしていて、生理になった、と言い出したのです。でもナプキンを持っていませんでした。調達に行くのは私の役目です。山を滑降して麓に人家を探し、人里離れた所にやっと薬屋を見つけ買いはしましたが、方々歩き回ったのでロケ現場に戻れなくなりました。これには参りました。何とか戻り間に合いましたが、彼女は芝居をする状態ではありませんでした。周りの人に助けられて演技をしてました。

こう言う事があるのですよね、女性は、、私の姉などは生理になると、
気が立って、弟の私を叩いて居ましたから・・・・・・・。
まだ、人里離れた所に薬局があってナプキンが買えて良かったですね

佐藤蛾次郎は、素のまんまと言うか、そうですか、飲み物の
自動販売機を開けて飲み物を飲んでしまったのですね。

いずれも大変でしたね、、ただ、ロケハン時にホテルの宿泊がタダ、
またホテルでの食事の地元の名産品が先に食べられたと言うのは
いいですね。また旅費も全日空とタイアップなので撮影さえ終われば
関係者の往復運賃がただというのは凄いですよ・・・・・・・・・・。

おしゃる通り大映は丸儲けでしたよね。処で今回、話に出て来た、
佐藤純弥監督ですが。私は彼の事が大好きなので、、もし、
逸話などありましたら、お教え下さいね。

それでは、また話の続きを待って降ります。。。
また来て下さいね。宜しく。。。。
 
 
 
 
 
お邪魔いたします。演劇活動の続きです。と言うか
宇津井健さんとご親戚でらっしゃるようですので、宇津井さんに関する思い出になります。私が担当していた進行係は、撮影隊を外から見守る仕事でしたので、中に入って関係者と親密に対話することは少なく、大した話題ではないかもしれません。3件ありまして一つ目は、富士急ハイランドでのことです。前に話しましたが蛾次郎が飲み物を漁っていた会場でのことです。食事時間になり、皆が去った後を確認していると、宇津井さんが現れて、ただっ広いホールの真ん中に、三脚に乗っけたままのカメラを見て「このままで大丈夫なのかなあ。物騒だね」とおっしゃいました。俳優さんがこんなことにまで心配されるのかなあ、と思いました。後で判ったのですが、宇津井さんは、大映テレビの重役でらっしゃったのです。テレビ映画制作は使用器材は全部レンタルです。盗難に合い紛失したら弁償しなければなりません。その辺のことを心配なさったようです。
 
次は、成城学園の宇津井さんのお宅を訪ねただけの、他愛ない話です。誰の指示でなんの用事で伺ったのか覚えてません。駅の近くの閑静な場所に三階建てのモダンな建物でした。一階が半地下になっていてレストランを経営されていらっしゃいました。宇津井さんに会うわけでもなく、休業の日だったようで、お客さんのいないレストランで、ただ待っていた記憶しかありません。でも、大スターのお宅を拝見しただけで、良い思い出になりました。
 
次は、私の自慢話になりますが、ドラマの撮影で、台本にない街の風景をワンカット欲しい、と監督が言い出し、チンピラ風の男が宇津井さんとすれ違い、肩が触れてにらみ合う、と言う設定でした。そのチンピラ役に私が指名されたのです。こんな感じで出演することは、良くありました。初冬の設定なので、背中を丸くしてフラフラ歩きながら宇津井さんとすれ違います。肩がぶつかって二人は睨み合いますが、長くは続かず二人は別れます。分かれて暫くすると監督の「カット、OK !」と言う声が掛かりました。私は宇津井さんの肩が痛かったのではないか、それを気遣って振り返りました。
 
遠くで宇津井さんが、腕でグットと言うアクションをしてくださいました。その瞬間、スタッフ全員から拍手喝采です。誰かが「役者やればいいのに」と言いました。他のスタッフが「役者志望なんだよ」と言ってくれました。とにかく突然の出演は大成功でした。僕はアクションは凄く得意なんですが、声が悪く台詞が下手なんです。アフレコが大の苦手で、あるドラマで、こんなことがありました。アフレコが上手く出来なくて、監督がたまりかね、僕の代わりにスタッフが代役をやったことがありました。役者の先輩にアフレコの骨を教わったことがあるんですが、監督の演技指示に逆らってでも、アフレコの時、口元が分かるようカメラを意識して演技をする。だそうです。
 
私が芝居を諦めたのも、食べて行けないこともありましたが、これも原因の一つです。

広範囲に渡らない話ですが、今回はこの辺でご了承ください。よろしくお願いいたします。
では、次をご期待ください・・・
 
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akiraさん書き込みどうも有難う御座いました、、

宇津井さんとの絡みがあったのですね・・・・・・。
そうですか宇津井さんは、大映テレビの重役だったんですか、、
確かに宇津井さんとは親戚筋にあたりますけど、、

遠縁の親戚です・・・・・・・・。

宇津井さんはジャックナイフの蒐集家でしたよね。
彼の部屋には夥しい程のジャックナイフがありました。
確か、仲代達矢さんにプレゼントして居ましたっけ、、

宇津井さんは姉の結婚式に来てくれました。。。

色々と思い出しました。有難う御座いました。。。。
また来て下さいね。それでは、、、、( ´∀`)
 
 
 

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お邪魔いたします。 佐藤純弥監督のことを気になさっておられたので、印象をお話しします。と申しましても、担当柄、撮影隊を外側から見守っている仕事でしたので、余り対話を交わすことはありませんでした。ですから外から見ていた感想になります。それも、これと言う内容ではありませんので、ご了承ください。監督はお見掛けしていて、誠実で真面目な方だった、と記憶しております。スタッフが次の準備をしている間でも、カメラの所から離れないで案を練ってらっしゃいました。それで近寄りがたかった面もありました。東大卒でいらっしたようなので、生真面目でらっしたのではなかっと思っております。私が大映を辞めて、2年位経った時、偶然、山手線の車内でお会いしました。短い時間でしたが、大映テレビの思い出話をして別れました。そんな所が佐藤さんとの思い出です。 余談になりますが、井上昭監督とは対照的でした。私は、屈託のない井上監督が好きでした。作品も対照的なようでしたね。佐藤さんは、オーソドックスで社会問題を扱ったものが多かったようですが、井上さんは、時代劇で人情味のあるものが中心だったようです。作品と人格がマッチしていたようです。井上さんも、今年の1月に93歳でお亡くなりになりました。

演劇活動のお話しも終盤になりました。今までは時代に沿って話して来ましたが、これからは会った有名人を中心に、順不同でお話しすることになると思います。ご了承ください。大映テレビでヒット作が出ないので、野添さんが降板することになり、春日プロデューサーにバトンタッチをすることになりました。春日さんは、岡崎友紀などを使った若者向けのドラマを担当してらっしゃいました。次に企画されたのが、アクション物ではなく西郷輝彦を主役に立てた、家庭物ドラマに変更になりました。春日さんとは、今まで事務所に出入りしていて、お見かけはしていましたが、口を聞いたことはありませんでした。余り肌が合わない感じでした。私は制作部だったので継続することになりました。でも外のスタッフは総入れ替えになり、新しいメンバーとやることになりました。所が助監督が底意地の悪い人で、何かにつけてケチを付けるのです。一緒にやって行けない、と思い辞めることににしました。 演劇の世界では食べて行けない思いながら、捨て切れずフリーで模索していました。

そして知ってる演劇志望者を募って、アマチアですが、劇団「道」を主宰することになりました。2回発表会をやりましたが、劇団「造形」の若手連中で、劇団「華」を旗揚げして、参加しないかと誘われ、「道」を解散するこしにしました。 良かったことは、狂言師の泉元秀 (保之) さんが、「道」の発表会を観に来ていただたことです。元秀さんは、泉元彌さんの父親です。当時、役者志望の間で狂言を勉強するといい、と言われており、大勢の人が教わっており、私も参加しました。自慢話になりますが、発表会を観に来ていただき、「君は大器晩成型だね。頑張りなさい」と言っていただきました。2年間位お世話になりましたが、ちょうど節子さんとご結婚が決まったころ辞めました。ですから節子さんにも元彌さんにも、お目にかかったことはありません。 こんな状態で、舞台活動ならいいだろう、と活動再開をしました。 今回はここまでで、続きは次の機会にいたします。では・・

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お邪魔いたします。 劇団「華」での活動で、出会った有名人は、前にお話ししましたリッチーさんと能狂言の研究家・演出家の堂本正樹さんのお二人です。両方とも同性愛者でした。「華」も同性愛劇団と言われていて、それらしい役者が何人かいました。「華」も3回公演をやって、自然消滅しました。これで私も演劇から全く関係がなくなりました。ちょうど子供が生れ、妻が仕事を辞めたので生活がでなくなり、ブルーノート東京を経営しているライカに就職しました。54歳の時、義父が亡くなり、それを切っ掛けに詩作を始めました。詩作の勉強をしたくて教室を探しましたが、詩の教室はなく、アパートの知り合いに、推理作家の福田洋さんを紹介され、大衆文学研究会に席を置いてらっしたので、そこを紹介してもらい入会しました。 会長が文芸評論家でゾルゲ事件の研究家としても有名な尾崎秀樹さんでした。他に推理作家の津村秀介さん詩人の安宅夏夫さんがいらっしゃいました。安宅さんには私の作品を見てもらい批評していただいたことはありました。

それも片手間にやっていただき、本格的な勉強にはなりませんでした。 会は文芸誌の出版に携わっている方たちが主体の集会で、詩の勉強にはなりませんでした。5年間位在籍しましたが、うつ病にかかり活動できなくなり辞めることにしました。ライカでの有名人との出会いは、建築家の安藤忠雄さん、歌手のジェリー藤尾・渡辺友子夫妻と言ったところです。 これら有名人のエピソードもありますが、割愛させていただきます。 最初、会った有名人は90人と申し上げましたので、調べましたら125名でした。 これで私の演劇活動と出会った有名人の説明は終わりになります。長々とお付き合いをしていただき、ありがとうございました。 では、また・・・ 追 伸 記載忘れの有名人がありましたので、記します。何処でどう出会い、何をしたかの説明は、省略させていただきます。もし、お知りになりたければ、名前を言っていただければ、説明いたします。 役者の、でんでん 辻萬長 落語家の、三笑亭圓窓 僧侶・歌人の、福島泰樹 作家の、榛葉英治 詩人の、谷川俊太郎 映画監督の、黒澤明 以上7名です。

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にのみやさん、長い間、掲示板にての経歴紹介有難う御座いました。今回で彼との対話は終わりになります。それから、にのみやさんの書いた文章で、少し、問題のある箇所がありましたので、文章をその部分だけ訂正致しました。多分、にのみやさんに悪気は無く、歳のせいだと思います。にのみやさんすみません。。。。

コメント一覧

kiyasume
akiraさん、書き込み有難う御座いました。
今回、記事にするに当たって、掲示板から文を拾ったのですが、、
なぜか色が付いて仕舞いました。色を消そうとタグを操作しましたが、、
余計おかしくなったので、現状のままで記事にしました....。

ご了承下さい....。

また来て下さいね、よろしく。。。。。( ◠‿◠ )
1021akira
お邪魔いたします。
私との対話を掲載していただいて、ありがとうございました。
一つの思い出になります。
では・・・
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