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お邪魔いたします。 佐藤純弥監督のことを気になさっておられたので、印象をお話しします。と申しましても、担当柄、撮影隊を外側から見守っている仕事でしたので、余り対話を交わすことはありませんでした。ですから外から見ていた感想になります。それも、これと言う内容ではありませんので、ご了承ください。監督はお見掛けしていて、誠実で真面目な方だった、と記憶しております。スタッフが次の準備をしている間でも、カメラの所から離れないで案を練ってらっしゃいました。それで近寄りがたかった面もありました。東大卒でいらっしたようなので、生真面目でらっしたのではなかっと思っております。私が大映を辞めて、2年位経った時、偶然、山手線の車内でお会いしました。短い時間でしたが、大映テレビの思い出話をして別れました。そんな所が佐藤さんとの思い出です。 余談になりますが、井上昭監督とは対照的でした。私は、屈託のない井上監督が好きでした。作品も対照的なようでしたね。佐藤さんは、オーソドックスで社会問題を扱ったものが多かったようですが、井上さんは、時代劇で人情味のあるものが中心だったようです。作品と人格がマッチしていたようです。井上さんも、今年の1月に93歳でお亡くなりになりました。
演劇活動のお話しも終盤になりました。今までは時代に沿って話して来ましたが、これからは会った有名人を中心に、順不同でお話しすることになると思います。ご了承ください。大映テレビでヒット作が出ないので、野添さんが降板することになり、春日プロデューサーにバトンタッチをすることになりました。春日さんは、岡崎友紀などを使った若者向けのドラマを担当してらっしゃいました。次に企画されたのが、アクション物ではなく西郷輝彦を主役に立てた、家庭物ドラマに変更になりました。春日さんとは、今まで事務所に出入りしていて、お見かけはしていましたが、口を聞いたことはありませんでした。余り肌が合わない感じでした。私は制作部だったので継続することになりました。でも外のスタッフは総入れ替えになり、新しいメンバーとやることになりました。所が助監督が底意地の悪い人で、何かにつけてケチを付けるのです。一緒にやって行けない、と思い辞めることににしました。 演劇の世界では食べて行けない思いながら、捨て切れずフリーで模索していました。
そして知ってる演劇志望者を募って、アマチアですが、劇団「道」を主宰することになりました。2回発表会をやりましたが、劇団「造形」の若手連中で、劇団「華」を旗揚げして、参加しないかと誘われ、「道」を解散するこしにしました。 良かったことは、狂言師の泉元秀 (保之) さんが、「道」の発表会を観に来ていただたことです。元秀さんは、泉元彌さんの父親です。当時、役者志望の間で狂言を勉強するといい、と言われており、大勢の人が教わっており、私も参加しました。自慢話になりますが、発表会を観に来ていただき、「君は大器晩成型だね。頑張りなさい」と言っていただきました。2年間位お世話になりましたが、ちょうど節子さんとご結婚が決まったころ辞めました。ですから節子さんにも元彌さんにも、お目にかかったことはありません。 こんな状態で、舞台活動ならいいだろう、と活動再開をしました。 今回はここまでで、続きは次の機会にいたします。では・・
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お邪魔いたします。 劇団「華」での活動で、出会った有名人は、前にお話ししましたリッチーさんと能狂言の研究家・演出家の堂本正樹さんのお二人です。両方とも同性愛者でした。「華」も同性愛劇団と言われていて、それらしい役者が何人かいました。「華」も3回公演をやって、自然消滅しました。これで私も演劇から全く関係がなくなりました。ちょうど子供が生れ、妻が仕事を辞めたので生活がでなくなり、ブルーノート東京を経営しているライカに就職しました。54歳の時、義父が亡くなり、それを切っ掛けに詩作を始めました。詩作の勉強をしたくて教室を探しましたが、詩の教室はなく、アパートの知り合いに、推理作家の福田洋さんを紹介され、大衆文学研究会に席を置いてらっしたので、そこを紹介してもらい入会しました。 会長が文芸評論家でゾルゲ事件の研究家としても有名な尾崎秀樹さんでした。他に推理作家の津村秀介さん詩人の安宅夏夫さんがいらっしゃいました。安宅さんには私の作品を見てもらい批評していただいたことはありました。
それも片手間にやっていただき、本格的な勉強にはなりませんでした。 会は文芸誌の出版に携わっている方たちが主体の集会で、詩の勉強にはなりませんでした。5年間位在籍しましたが、うつ病にかかり活動できなくなり辞めることにしました。ライカでの有名人との出会いは、建築家の安藤忠雄さん、歌手のジェリー藤尾・渡辺友子夫妻と言ったところです。 これら有名人のエピソードもありますが、割愛させていただきます。 最初、会った有名人は90人と申し上げましたので、調べましたら125名でした。 これで私の演劇活動と出会った有名人の説明は終わりになります。長々とお付き合いをしていただき、ありがとうございました。 では、また・・・ 追 伸 記載忘れの有名人がありましたので、記します。何処でどう出会い、何をしたかの説明は、省略させていただきます。もし、お知りになりたければ、名前を言っていただければ、説明いたします。 役者の、でんでん 辻萬長 落語家の、三笑亭圓窓 僧侶・歌人の、福島泰樹 作家の、榛葉英治 詩人の、谷川俊太郎 映画監督の、黒澤明 以上7名です。
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にのみやさん、長い間、掲示板にての経歴紹介有難う御座いました。今回で彼との対話は終わりになります。それから、にのみやさんの書いた文章で、少し、問題のある箇所がありましたので、文章をその部分だけ訂正致しました。多分、にのみやさんに悪気は無く、歳のせいだと思います。にのみやさんすみません。。。。