俺なら 報道番組にして何発 落とされたかを報道する
戦争がいかに 問題解決になるかを 定義する。
幼い頃、戦争について質問した答え、身近な大人
玉音放送は、多くのひとから聞いた、幼児の俺が、大人に質問した それを話すね
「今日から、空から爆弾落ちてこないので よかった~だって」
そんなもんだ!それは、そうだよねと思った、でも
ついでに質問した 原爆について話を訪ねてみた
「広島にピカドン落ちただけで えらいこっちゃ~」って思って それで強制的に戦争終わったて話してくれた
幼児の私も知識が無いので聞いても分析出来なかった。
これは、神戸から2歳半まで住んでいたときの記憶力です。
神戸では、空爆の神戸大空襲の話しているの よく耳にした
家は灘なので焼け野原とか 防空壕とか 学校、軍事訓練、軍需工場の仕事とか
空襲はこんな感じでとか どこに爆弾落ちたか
「あそこには不発弾が埋まっている」とか大人が話してたのも さらに質問した!興味新深々でね、
その後明石に引っ越ししたら平和だった もう現在社会で そのような話は聞かなかった
神戸では、ガサではないけど 廃墟も爆撃の跡も、見た そしてそれは、焦げていた
引っ越しした明石では、高度成長の集団就職で 九州とか、四国の田舎の人たちで それも戦後世代の
大人たちの集団就職で明石市の郊外が出来ていた、幼児なので その新興住宅から出ては行けないので
地元の人の接点は無かった、(年寄りいなかった)そして新興住宅は、明石飛行場の跡地なのだが、
大人達は、知らなかったし興味なかったようだ、
明石は、カワサキの街なので 明石大空襲もあったけど
百姓の家は沢山残っていたよ無傷でした! 空爆はあったけど 焼夷弾は
田舎の農家には、落とされ無かった事だ、でも工場と飛行場は空襲された!
きれいになったので復興されていた、明石駅前周辺も 西明石駅周辺も 昭和だった
そしてピカドンの話を訪ねてみた けど広島、長崎の人は居なかったよ。
今考えれば、放射能で差別されるからか?集団就職させなっかたかも
それが、日本が日本である所以 知らんけど、ホンマに知らんけど。
因みに小学校の男の先生達は、赤だったな、ろくなでない事を指導していた
そして俺は、生意気になっていった 教育って裏と表に効く、俺はと云うと 裏です。
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