~天守の分類(現存天守、復元天守、復興天守、模擬天守)~現存天守は比較的有名なのでわかりやすいですが、その他のお城を訪問する際に、そのお城が復元天守なのか、復興天守なのか、あるいは模擬天守なのかを調べておくのも楽しいと思います。お城めぐりをはじめると復興天守や模擬天守を「偽物」と感じてしまうこともあるかと思います。しかし現代の城下町にとってはその天守が本物で、地域になじんでいるのも事実です。また天守は鉄筋コンクリートで再建されていても櫓や門は当時のまま現存しているということもありますので、天守以外の建築遺構についても調べていくといいです。
「現存天守」12城
まず、現存天守です。これは日本に12城しかありません。江戸時代以前から残っているお城です。約400年以上当時のままの姿で天守が残っているお城です。
現存12天守は弘前城、松本城、丸岡城、犬山城、彦根城、姫路城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城、の12城です。
復元天守(14城)
木造復元天守(5城)
木造で忠実に復したもの。実質上の天守とされていた三重櫓、天守やそれに類似する象徴的なものとして認識されていた事実のある建築も含みます。
白河小峰城三重櫓(福島県白河市 1991年)掛川城天守(静岡県掛川市 1994年)白石城大櫓(宮城県白石市 1995年)新発田城三階櫓(新潟県新発田市 2004年)大洲城天守(愛媛県大洲市 2004年)
福島県白河市「白河小峰城」三重櫓
口語短歌
「天守こそ御三階櫓は木造で 総石垣の名城刻む」
白河小峰城は日本100名城のひとつで、東北では珍しい総石垣造りの城です。盛岡城、会津若松城とともに東北三名城のひとつにも数えられています。天守相当の御三階櫓は戊辰戦争の際に焼失しましたが、1991年(平成3年)に復元されました。この御三階櫓は数少ない木造復元天守のひとつで、JR白河駅のホームからもよく見えます。
静岡県掛川市「掛川城」天守
口語短歌
「一豊の居城と知られお城には 家康への厚い信頼も」
掛川城は山内一豊の居城として知られています。「関ケ原の戦い」の際に一豊が徳川家康に掛川城の提供を申し出た逸話は司馬遼太郎の『功名が辻』にも登場します。明治以降は、廃城令によってほとんどの建物が撤去されましたが、1994年(平成6年)に天守が再建されました。この天守は日本初の木造復元天守です。重要文化財にも指定されている二の丸御殿は二条城などと並んで全国でも数少ない完存御殿建築遺構です。
宮城県白石市「白石城」大櫓
口語短歌
「春霞桜に浮かぶ大櫓は 木造復元往時を偲ぶ」
白石城は蒲生氏郷が会津若松城の支城として築いた城ですが、伊達政宗の右腕であった片倉小十郎景綱の居城として知られています。一国一城令が敷かれる中、特例として認められた数少ない城のひとつです。「大櫓」と呼称された天守に相当する三階櫓は明治初頭の廃城令によって壊されましたが、1995年(平成7年)に当時の姿をほぼ忠実に復元されました。戦後の木造復元天守としては高さ、広さとも日本最大級を誇ります。
新潟県新発田市「新発田城」三階櫓
口語短歌
「三匹のシャチホコ載せられ三階櫓 城郭建築特徴的も」
新発田城は新潟県内では唯一、江戸時代当時の城郭建築が現存する城跡です。実質的な天守とされる御三階櫓(三重櫓)は特徴的な構造で、丁字型の屋根になっており、棟上には3匹のシャチホコが載せられている新発田城だけに見られる大変珍しいものです。この三重櫓は1874年(明治7年)に破却されましたが、2004年(平成16年)に辰巳櫓とあわせて復元されました。積雪対策として用いられる海鼠壁も見ることができます。
愛媛県大洲市「大洲城」天守
口語短歌
「戦国の名馳せた武将建築の 栄華とロマン今に伝える」
大洲城を近世城郭として整備したのは藤堂高虎です。藤堂高虎は宇和島城とほぼ同時進行で大洲城を普請しました。その後、1609年(慶長14年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、このふたりの時代に天守をはじめとする建造物が造営されています。また脇坂安治の時代に従来の「大津」から現在の「大洲」に城名が変更されたといわれています(異説あり)。2004年(平成16年)に主に市民による寄付によって完成した木造復元天守は、戦後初の当時の工法を用いて復元されたものです。
参照
https://blog.kojodan.jp/entry/2019/02/25/191515
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