「浅間山明鏡止水」あさまやま めいきょうしすい

「印象派研究・エドガー・ドガ④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行

「印象派研究・エドガー・ドガ④」~写真と短歌で綴る世界文化紀行
 
印象派、または印象主義とは、19世紀後半にフランス絵画を中心に巻き起こった革新的な芸術運動の呼称です。印象派は、モネやルノワール、ピサロといった、当時パリで活動していた若い画家たちのグループによって確立され、徐々に広がりを見せます。
展覧会は、1870年代から80年代にかけてメンバーが微妙に変わりながら全8回行われ、明確な定義や境界線が決まっているわけではないものの、基本的に、その展覧会の主要メンバーが「印象派の画家」と呼ばれています。

この「印象派」という名称は、第1回の展示会に出品されたクロード・モネの作品『印象・日の出』に由来します。


「印象派の特徴」
① 屋外の制作
印象派の特徴の一つが、「屋外制作」にあります。保存や持ち運びに適したチューブ入り絵の具が、1841年に登場し、工場での大量生産も開始。画家たちが、街の画材屋で絵の具を手に入れることができるようになり、結果、屋外で絵画を完成させることができるようになります。こうした「近代化」という時代背景もあり、印象派の画家たちの屋外制作にも繋がっていきます。また、同時期に、都市部と郊外を結ぶ鉄道が徐々に広がり、画家たちのフットワークがいっそう軽くなります。作品のモチーフも、ダンスホールや劇場、カフェやレストラン、鉄道の駅や郊外の行楽地など、近代都市の市民たちの生活を多く描いている、といった特徴があります。
②光のための筆触分割
印象派の絵画の特徴的な技法として、「筆触分割」が挙げられます。筆触分割とは、絵の具を混ぜないで、そのままキャンバスに置いていく、という手法です。印象派の画家たちは、「絵の具は、混ぜることで発色が悪くなる」ことを考慮し、屋外の繊細な光を捉えるために、チューブから出した絵の具を、短い筆さばきによって、そのままキャンバスに置いていく、という方法を採用します。
③「印象」を描く
印象派の絵画は、主観的な、「印象」を忠実に捉え、表現する、という方向に注力されている、という点も特徴の一つと言えるでしょう。1839年写真の登場によって、肖像画家を筆頭に現実をそのまま写し取る役割が写真に取って代わられ、画家たちは、新しい世界に進んでいくことを求められます。写実性以上の新しさを模索し、この動きが「印象」を描くという方向に繋がっていきます。

エドガー・ドガ1834年~1917年
「自画像」1855年
「作品は都市部の暗部描き出し 動きのある絵多く残すも」



エドガー・ドガ(1834年 – 1917年)は、バレエの絵が有名なフランスの印象派の画家です。子供の頃は、銀行家の父に連れられ、色々な美術愛好家のコレクションを見て回るなど、絵画に触れ、中学卒業後に、画家を志望するようになります。画家アングルの影響を受け、デッサンを重視。形骸化するサロンに不満は持っていたものの、古典的技法を大切にします。印象派の創設者の一人と言われますが、ドガ自身は、自分のことを印象主義よりも写実主義だと主張し、「印象派」と呼ばれることを嫌っていました。踊り子や競馬場など、動きのある作品を数多く残し、モネのような明るい世界ではなく、むしろ都市部の暗部を、王道の古典的手法によって描き出した画家です。代表作としては、「ダンスのレッスン」「踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子)」「アプサントを飲む人(カフェにて)」などが挙げられます。ドガは、気難しく皮肉屋の性格ゆえ、仲間たちとの衝突も多くまた生涯独身でもありました。印象派展は、第7回以外の全てに出品しています。

「ダンスのレッスン」1875年
「関心は群舞の中の踊り子に 伝統的な絵画から離脱」



オペラ座のリハーサル室での練習風景を描いたこのくつろいだ感じの絵によって、ドガは当時の伝統的なバレエ絵画から完全に離脱した。最ダンス教室で生徒たちが休憩時間にリラックスしている場面を描いたものです。中央で白髪の男性(先生)ジュール・ベローが杖をつき、その周りで背中を掻いたりおしゃべりをしたり、振付の確認を行ったりと少女たちはみな思い思いのポーズをとっています。ドガは主役で活躍する有名なバレリーナよりもまだ若く無名の踊り子たちに関心を持っていたようです。今作は著名なバリトン歌手で美術コレクターでもあったジャン=バティスト・フォールの注文によって描かれ、ドガが踊り子を主題にした最初の大型作品です。得意な役柄の衣装をつけた有名なバレリーナを描く代わりに、彼は群舞のなかの無名の若い踊り子たちの日常の練習風景に関心を持った。

「アブサントを飲む人」
1875年
「大都会酷評された絵画こそ 生きる女性の哀しさ表現」



ドガのノートから、モデルの2人は女優のエレン・アンドレとドガの友人銅版画家のマルスラン・デブ―タンであることが分かっています。場所はドガのお気に入りだったカフェ・ド・ラ・ヌーヴェル・アテーヌ。ここで女性は娼婦であり、その表情は物憂げで疲れ切っているように見えます。大都会の片隅で、安ものの蒸留酒“アプサント”を飲んで酩酊する人々の惨めさや、社会の底辺で生きる女性の哀しさを表現し、そして当時社会問題にもなっていたアルコールの問題をも訴えています。伝統的に絵画とは「美しいもの」「聖なるもの」を描くものであり、こうしたリアルな現実を描くことは当時まだ許容されておらず、1876年にイギリスのブライトンで初めて今作が公開されたとき「胸が悪くなるようなおぞましい新奇な題材」として批評家から酷評されました。

「踊りの花形」1878年
「舞台でのソロを演じる花形と 出番待つ踊り子を見つめる」



足元からフットライトを浴びてソロを演じるバレエの花形。これはボックス席から見た上からの位置から描かれています。大きな舞台に一人華麗に舞う踊り子と、舞台袖には出番を待つ他の踊り子たちが対比的に描かれています。その同じ袖から彼女を見つめているであろう黒いタキシードの男がいます。その顔はセットに隠れ特定はできませんが典型的な“保護者”です。

参照
https://www.bou-tou.net/inshohaart/

コメント一覧

knsw0805
@pmr8559goo さわさん、こんばんは。
エドガー・ドガはバレエの絵画で超有名な印象派画家です。実家が裕福でお金があったのでオペラ座の回数券などを買い占めて入りびたり踊り子を見つめ夢中で描いたようですよ。印象派の画家はそれぞれが特徴があって当時は苦労したのでしょうが、死んでから後世になるとキラ星のごとく絵画が輝いて見えます。
pmr8559goo
こんにちは
人物画はあまりよくわかりませんが
じっくり見させていただきました

そちらは雨になりましたか?
こちらは気持ちの良い曇りの夕方を迎えています
窓をあけっぱにしていてちょうどいい具合です

庭のラベンダーが色づいてきたので
またまた忙しくなりそうです
kenさんはお楽しみがあって楽しそうですね♪
奥さまもドレスアップしてのお出かけは気分晴れ晴れとなりますね
明日は前祝だと言って乾杯しないでくださいね

では夕食にしてきます
( ^^) _旦~~  締めの一杯 お茶ですよ♪
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