熊野醉軍

天に導かれるままに、旅紀行を綴っていきまする。

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医師による過去の医療犯罪をもみ消す日本

2025-05-18 15:24:36 | Cooking
アフィリエイト、商用利用、公序良俗等の規約違反により、又は、法令上規定された手続により現在、1件の記事を公開停止させていただいております。 該当記事を確認する 該当箇所の修正・削除をしていただき、gooIDを明記の上info@goo.ne.jpまでご連絡ください。確認後再表示いたします。 詳しくはブログが表示されなくなったらをご覧ください。
こういうことらしい。日本の法律は良心がないというのかね。
過去の医師が起こした不祥事事件をもみ消そうとし、それをこのGooブログは弁護士に申請されてこういうことをする。この方々は、治療を受ける側が医師の過去の不祥事などをもみ消されることにより、選べなくすることに終始したいのである。もちろんその程度のブログの有料会員でいる価値は皆無なので、すでに有料会員はやめている。ということで、写真もこれ以上はアップロードもできないのでこれが最後の更新になるだろう。まあいいねんけどな。
自分の不祥事を棚に上げて、行政的に制裁を受けた、社会的制裁を受けたとかいって過去をもみ消そうとする医師なんぞ信用はできないわな。
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人材派遣会社に登録した結果

2022-08-23 14:09:11 | LIFE and WORK
医療職なので、いくつかの医療介護の求人サイトに登録したわけだが

いくつか、書いてみよう。

今まで利用したことがあるところ。

1.キャリアブレイン(今のCBホールディングス)

2.PTOT人材バンク

3.クラシス

4.PTOTSTワーカー

5.マイナビコメディカル

6.イキイキヒューマンネット

7.Indeed

8.ハローワークなど


 使った、感想。

1.キャリアブレイン時代だけど、ここからは二つほど面接までに至った。面白いところを紹介してくれた記憶がある。結局、私側の都合で就職には至らなかったが、担当の方は優秀だったように記憶している。

2.PTOT人材バンク。まあ、一度も面接に至ったことなどもない。というか、求人紹介以前に、担当になった人が今も昔も歴代全員社会人の落後者のような人たちで、コミュニケーション能力も低く、これで就職斡旋できるの?と言いたくなるレベル。古くは11年くらい前には存在していたような気がするけれど、コンサルタントの社会勉強のほうが優先事項じゃねえか?といいたいね。ということで登録解除。

3.クラシス。ここは基本薬局系で、そこが一度昔訪問看護事業の求人を出していて、そこで勤務に至った。かなりスムーズに面接から採用まで決まり、いい感じだったと思う。ま、その職場では、執行部が総入れ替えになり、色々約束を反故にされてやめることになったが、これはクラシスさんの責任ではないからね。

4.PTOTSTワーカー。最初の仮登録メールで、連絡はメールを希望の方はこのアドレスに、というのがあり、詳細な内容のメッセージを送るも、見ることもなく朝から電話。で、そのことを伝えると、登録完了のSMSが来て、それ以来一切の連絡はなく、求人への問い合わせにも返事は来ない。そんなところ。

5.マイナビコメディカル。昨夜、登録してみて、仮の状態で、現在連絡待ちの状態。評判はかねがねいいところではあるけれど、この時間帯で返事がないということはここも来ないかもしれないね。まあ、様子を見ているところ。

6.イキイキヒューマンネット。今はないみたい。何度か、面接まで入ったんだけど、ちょっと、面接前の情報などが弱く、こっちの条件も伝わっていないこともあり、遠隔地の面接などは、面接行く前にわかっていなければいけないことなどがお互いにあり、結局、万単位で交通費を損しただけとかもあり、なんだかな、と。壱岐さん自体は、いい人そうだったんだけどねえ。

7.Indeed。海外時代では普通に求職のツールで最も有名だったので、今後日本でもそうなっていくのだろうという予感がある。悪くはない。

8.ハローワーク。経験上、結局、自分で足を運んで、面接に至り、決まったことが多いけれど、打率は低いと思う。そもそも、受け付けてくれる人たちも契約社員で次の更新がわからないわけだから、他人のことしてる場合ではないものね…

 今のとここんな感じ。
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2007年5月1日 8 洲本八幡神社境内

2008-11-23 23:43:12 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************
1.柴右衛門大明神社

 洲本八幡神社境内にあり、八幡神社本社に向かって左側に赤く目立つ建物があり、それが柴右衛門大明神社。




★柴右衛門大明神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・元大阪中座に人気の神、芸能の神、商売繁盛の神としてお祀りされて、片岡仁左衛門、藤山寛美さん達の役者や関係者に大事に
お祀りされてきたという。
・平成11年中座の閉館と共に里帰りし、この地に祀られているらしい。
・淡路狸の頭領であり、日本三名狸に数えられピアノ上達など芸事の神様として崇敬を受けている。


2.末社の一つ



 名称を見てこなかった・・・ ミステイク

3.国端彦護国神社




★国端彦護国神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・藩主蜂須賀家の守護神として阿波から分祀された由緒ある神社が最初。
・現在は地元出身の戦没者を合祀し国端彦護国神社となった。
・宝物庫には藩主や稲田城代家老の使用した鎧や兜などが多数保管されている。
・ちなみに、稲田騒動により淡路島は徳島から兵庫になる原因を作った。

4.金天閣



★金天閣★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

 兵庫県指定文化財

・寛永十八年(1641)、阿波藩主蜂須賀至鎮三熊山北麓の洲本城内に建てたと伝える。
・江戸初期の書院造。
・明治以降の数度の移築の中で改変の跡が残るが内部はほぼ初期のままと言う。

5.境内から見る洲本城




6.山藤



7.この日最後のM子師匠





 この後、通りすがりの店で淡路のたまねぎを大量に買い、また両親への土産を適度に買い、実家に帰ったのだ。
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2007年5月1日 7 洲本八幡神社

2008-11-23 23:43:02 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 さらに、洲本城のある三熊山麓にある洲本八幡神社へといった。境内の前には足湯もあり、面白そうな
ところであった。また、お守りに釣り針の入ったものもあり、ユニークな発見があった。

 では、境内の写真から始めよう。

1.石鳥居



 昨今は、経済的にも苦しいためか神社の境内に月極駐車場を作るところも少なくない。この洲本八幡神社も
同様のようであった。

2.手水舎



 小さな龍だ。

3.隨身門と神木「楠」



 隨身門の脇にある神木楠は兵庫県下第4番の巨木らしい。

4.拝殿




5.神龍



 心清き人には見えるでしょう。

6.本殿





★洲本八幡神社★ 兵庫県洲本市山手2-1-10

・淳仁天皇(淡路廃帝)のご創祀と伝わる。
・淡路州神と言われ、江戸時代には徳島藩主蜂須賀氏、洲本城代稲田氏の祈願所として淡路の国の安寧
 が祈られた。
・洲本の氏神として、開運導きの神、災い除けの神として信仰を集める。
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2007年5月1日 6 淡路國洲本城跡③

2008-11-23 23:42:51 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

(続き)

8.天守台から見る洲本の海




9.模擬天守閣



 M子師匠の雄姿です。



 そしてそれがし。



 さらに西の丸方面へと行く通路があったので西の丸を目指した。

10.天守台から西の丸への道

 そこからみる天守閣。



 そして、M子師匠。




11.籾蔵跡




12.そして、西の丸への階段



 格好つけているM子師匠だ。



 そして、わしじゃ。



13.西の丸跡





14.南の丸跡




15.南の丸隅櫓跡




16.最後はサイバーショットで撮ったいけてない模擬天守




★洲本城跡★ 兵庫県洲本市小路谷

 国史跡

・日本で最も古い模擬天守閣をもつ。
・別名三熊城。
・大永6年(1526)、三好氏の重臣・安宅治興が築城、その後、養子(三好長慶弟)
 安宅冬康、冬康死後は長男信康さらには二男清康へ受け継がれた。
・天正9年(1581)、織田信長による淡路討伐のとき討伐軍総大将羽柴秀吉に
 降り、洲本城は仙石秀久に与えられた。
・その後、秀久は九州討伐での不祥事で高野山に追放となり、脇坂安治が
 城主となり、天守が造営された。
・江戸時代、池田輝政の三男忠雄が領主になった際に洲本城は廃城となり
 由良成山城に居城となった。
・現在ある模擬天守は、昭和三年(1928)に御大典(昭和天皇の即位式)を記念
 して、鉄筋コンクリート製で築造されたもので、江戸時代の天守を復元した
 ものではないが模擬天守としては日本最古のもの。
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2007年5月1日 5 淡路國洲本城跡②

2008-11-23 23:42:42 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

(続き)

5.本丸虎口跡



6.武者走台跡



 ここをすぎると、本丸だ・・・

7.本丸跡



 本丸跡に入ると正面には日本最古の模擬天守が見える。鉄筋コンクリートだ。



 とりあえず、M子師匠の写真。



 わては石垣の上。



 さらにノーマルバージョン。



 本丸跡には、芝右衛門狸を祀ったお堂があるのだが、よくみると・・・



・・・・・・



 藤山寛美の名前が、ドン、とある・・・ なぜ???

 と、いうことで調べてみた。

「その昔,中座で芝居を興行中,木戸銭箱に木の葉が一枚入っていた。
 なんと客の中に芝居好きのタヌキが混じっていたのである。みなでこれを
 捕まえ,殺してしまう。ところがこれ以降,客足が急に遠のいてしまった。
 これはタヌキのたたりに違いないと,そのタヌキの出身地であった三熊山
 にお祭りすることになった。この祠は昭和37年に藤山寛美さんら松竹新喜劇
 の役者さんなどが建てたものだ。」

 なるほど・・・

 とりあえず、さらにわての写真だす。



 そして、天守台へと向かう。
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2007年5月1日 4 淡路國洲本城跡①

2008-11-23 23:42:33 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 磤馭盧島神社のあとは、私の希望の洲本城跡。天気イマイチで雨が
降ったり止んだりする中、まずは福良を目指して走り、途中から洲本へと
向きを変え、無事到着した。山の上のほうにあり、裏手から車で登れたの
で割りと楽であった。

 では、登城にと候。

1.大手門跡(大手口跡)



2.日月の池周辺



3.八王子木戸から八王子神社

 八王子木戸に鳥居が立ち、それをすぎると怒涛の如く鳥居と社殿が並び、
奥の岩の下に主祭神が祭られている。






 雨のせいもあるだろうが、なんとなく暗い気が漂うのであるが、山なんて所詮
そのようなものなので気にせず、記念撮影をしてもらった。

 八王子神社は元々、城の鎮守として安宅隠岐守治興が建立したといい、
奥には城下町に降りる登山道があるそうだ。



4.そして、本丸への道。


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2007年5月1日 3 おのころ島神社(自凝島神社)

2008-11-23 23:42:09 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 次は、ほとんど道標もなく不案内な淡路島の中をM子師匠のリクエスト
に答えて、自凝島神社(磤馭盧島神社)へと向かった。大きな鳥居が目印
でした・・・

1.大鳥居



・日本三大鳥居の一つ。
・昭和五十七年三月に、日本の国生発祥の地を顕彰すべく建立された。
・鉄筋鉄骨朱塗りの大鳥居。  

 鳥居の下に写る二人組の女の子が、M子師匠が境内に入っていき消えて
いくのを確認した後に写真を撮ってほしいと頼んできた。ま、遠近感が
わかっていらっしゃらないのでかなり場所を移動して鳥居と自分たちが
何とかいい感じで写れる場所まで移動して写してあげると非常に喜んでいた。

2.磤馭盧島神社社殿



 前で、もちろん記念写真。




 ま、個人的には、ま、多少、地からのエネルギーを感じたが、興味ない
こともあり、ふ~ん、という感じだった。ま、そんなにすごいということ
はない。

3.セキレイ石



 つがいのセキレイがこの石に止まり、御祭神の二神に「交(とつぎ)の道」
を教えたとされている。
 このセキレイは夫婦円満の神鳥として崇められているらしい。

4.神木




 枯れてるやん・・・

5.安産のお砂所



6.葦原国分社(多分、葦原遺跡にある国常立の分社)



7.摂社 八百萬神社



 磤馭盧島神社の祭神の御子の神々を祀る神社だそうだ。


★磤馭盧島神社(自凝島神社)★ 兵庫県南あわじ市榎列下幡多415番地

・祭神 伊奘諾命、伊奘冉命。
・合祀 菊理媛命・
・神徳は健康長寿、良縁堅固、夫婦和合、安産塩砂。
・当神社は古代の御原入江の中にあって、伊弉諾・伊弉冉命の国生みの聖地
 と伝えられる丘にあり古くから、おのころ島と親しまれ、崇敬されてきた
 らしい。
・古書に誉田大王(応神天皇)・淳仁天皇の参幸されたことが伝えられてい
 る。が、淳仁天皇は淡路廃帝として知られているので、そのときか?
・キム兄と辺見えみりちゃんが来たことで有名になったとか。
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2007年5月1日 2 淡路國一之宮 伊奘諾神宮

2008-11-23 23:41:59 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.磤馭盧島神社(自凝島)

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 前の記事よりかなり時間があいてしまったようだ・・・
 伊勢久留麻神社の記事を書いてからしばらくになる。
 もう約一年前の話になってしまったよ・・・

 というわけで、淡路国一之宮伊奘諾神宮。少し道を間違いながらも雨天
の中、無事到着。その頃には、小雨となっていた。

 では、写真等どうぞ。

1.大鳥居



 新しいためか小奇麗だ。

2.表参道




 人が見えず、さびしいものだ。

3.放生の神池近辺



 ここで、自分の写真も撮ってもらった。



 髪の毛の赤染め時代。なつかしい・・・今より痩せてるし・・・



 水神様と、伊奘諾神宮のパンフレットには書かれている。弁財天のこと?



 寒い? 眠い?

4.表神門




 一間一戸四脚門。檜皮葺に棟瓦を配している。元は、隨神門であったのを
明治十六年に現状に改めたらしい。

 なんか、綺麗に整った屋根というか、やはり「神宮」やなあ、と思わせる建物
だ。神気云々は余り感じないが、建物自体は好きである。

5.燈籠



6.拝殿



 檜皮葺(現銅葺)入母屋造。舞殿を兼ねている拝殿だそうだ。
 明治15年ごろのようだ。

7.本殿




 檜皮葺、三間社流造向拝付。棟に千木・鰹木を置き、前方の幣殿と連結し
一屋根に造る。

 多少、ピシッとした感があったが、それだけ。特に神がいるという感じ
はない。

8.夫婦大楠



 兵庫県指定天然記念物。
 樹齢約九百年、樹高三十米余で、淡路の地誌に「連理の楠」と記され、
信仰の対象として広く知られている。元々は二株の木が成長するにつれて
合体し、一株となった奇樹。伊奘諾・伊奘冉二神の神霊が宿る神木として
夫婦円満、安産子授、縁結びなどの信仰で篤く崇められているらしい。

9.神輿庫



 文化五年(1808)阿波藩主が造営寄進。平成六年夏、南西の旧地より
移築修理開始、八年に竣功。

10.淡路祖霊社



★淡路國一之宮伊奘諾神宮★ 兵庫県淡路市多賀740

・幽宮(かくりのみや)とも言われる。
・祭神は伊奘諾大神・伊奘冉大神。
・社格は、延喜式神名帳では名神大社で、明治十八年官幣大社、昭和二十九年
 には神宮號宣下を受ける。
・古事記・日本書紀国には、生みに始まるすべての神功を果たした
 伊奘諾が、子神・天照に国家統治の大業を譲られ、最初に生んだ淡路島の
 多賀の地に幽宮を構えて余生をすごしたある。
・日少宮、淡路島神、多賀明神、津名明神とも呼ばれる。
・伊奘諾の住居跡に御陵が営まれ、至貴の聖地として最古の神社が創始された
 のが起源という。

 → ちなみに、あまり、由緒は信用していない。
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2007年5月1日 1 伊勢久留麻神社

2008-11-23 23:41:43 | 近畿(兵庫)
((道))

 1.伊勢久留麻神社 → 2.伊奘諾神宮 → 3.自凝島神社(磤馭盧島)

→ 4.洲本城 → 5.洲本八幡神社

*********************************

 この日は、母親の車を借りて雨の中、淡路国一ノ宮に当たる伊奘諾神宮
を目標に旅に出、途中適当にいくつかの神社などに立ち寄っていった。
 最初に言ったのは伊勢久留麻神社。兵庫県淡路市東浦町久留麻2033に鎮座。
神戸淡路鳴門自動車道東浦インターチェンジから降りていった。




 この碑にも書かれていて、NHKにも番組で取り上げられたそうであるが、
伊勢神宮や奈良県の箸墓古墳をはじめとして数多くの古代遺跡が点在する
北緯34度32分の緯線上にあるらしく、古代ロマンの謎に包まれた神社の
ようだ。「太陽の通る道」と呼ばれているそうだ。

(補足)

 調べたところ・・・同緯線上にあるのは

 伊勢斎宮跡、室生寺、長谷寺、箸墓古墳、大鳥神社(大鳥大社)、
 伊勢久留麻神社、舟木石上神社





 参詣者も見かけず、なんとなくひっそりとひんやりとした感じであった。
嫌いではないが、寂しさが伝わってくるところだ。とにかく雨の中、つぎは
伊奘諾神宮に向かい旅立った。

((伊勢久留麻神社))

 祭神 : 大日孁貴尊
 創祀年代 : 不詳だが社伝によれば、「敏達天皇の御代に伊勢国奄藝郡
       久留眞神社を勧請した」とのこと。
 
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2007年10月10日 御所・吉野の旅 16 吉野神宮

2008-11-23 15:17:01 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 もう、何度行っていることか・・・
 奈良に住んでいたときは、海外旅行の前は必ず行っていたものだ。
 もちろん、祭神は大好きな南朝の後醍醐天皇。






 正直、自分の中では、この吉野神宮は、他の皇族を祭る神宮とは重みが違う。背負っているものが違うからね。

 ところで、ロック・バンドのゴダイゴ(GODIEGO)・・・ まさか、この天皇の名前は関係ないよね?




 とりあえず、この日はこれにて旅は終了。
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2007年10月10日 御所・吉野の旅 15 村上彦四郎義光

2008-11-23 15:16:49 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 金峯山寺の階段を上ったところに村上義光の忠死の地の碑が建っているが、彼の墓が吉野神宮から少し離れたところにある。
何故、その地が選ばれたのか、までは知らないが・・・

 村上彦四郎義光(よしてる)は、信濃源氏村上氏の中でも最も歴史的に大きな働きをした武将であることは間違いない。
子孫の村上水軍も優秀であったし、弟の子孫である村上義清は、戦国時代に結局は武田信玄に追われ、上杉謙信を頼っている。

 彦四郎義光は、鎌倉幕府打倒に燃える後醍醐天皇の皇子であった護良親王を守るために死んだ勇将で知られる。
元弘の変の後、南都の般若寺から熊野へ逃れる護良親王に従い、道中、敵方に奪われた錦の御旗を取り返すという
活躍をしている。そして、もっとも彼の名を知らしめているのは、その最期の姿である。

 吉野城が、幕府軍二階堂貞藤の大軍に攻められ陥落する際、護良親王を逃がすために、親王の身代わりとなり、
敵の大軍の前で立ち腹を切り、絶命しているのである。
「天照太神御子孫、神武天王より九十五代の帝、後醍醐天皇第二の皇子一品兵部卿親王尊仁、逆臣の為に亡され、
恨を泉下に報ぜん為に、只今自害する有様見置て、汝等が武運忽に尽て、腹をきらんずる時の手本にせよ」の台詞は有名である。

 この地でともに死のうとした嫡子義隆は義光に親王の行く末を見届けるように命じられ、また、満身創痍、一人で500騎ばかり
を相手に半刻持ちこたえ、最期に自害しているのは有名な話である。

 南朝に尽くした楠木正成・正季兄弟や村上親子、新田一族、ただただ、彼らの生き様に感動するのみである。
最近の、性根も座らず、命の重みも知らぬおろかな若者どもにも彼らの生き様を学んでもらいたいものだ。


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2007年10月10日 御所・吉野の旅 14 柿ソフト

2008-11-23 15:16:36 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 勝手神社の前で昼食を頂いた後、その近くの酒屋兼喫茶店のようなところでマスターと話をしながら、柿ソフトをゲット。




 柿の実が入っており、自家製のソフトらしいがなかなかのものでしたな。

 M子師匠は酒を買ったようだが、美味しかったそうだ。
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2007年10月10日 御所・吉野の旅 13 喜蔵院

2008-11-23 15:16:28 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 今はユースホステルになっている宿坊だ。でも高野山と違ってあまり外人を見かけないな。


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2007年10月10日 御所・吉野の旅 12 櫻本坊

2008-11-23 15:16:20 | 近畿(奈良)
((行程))

1.巨勢山口神社 → 2.後醍醐天皇陵および長慶天皇皇子世泰親王墓 → 3.如意輪寺 → 4.金峯神社

→ 5.奥千本・西行庵 → 6.吉野水分神社 → 7.村上義隆公墓 → 8.東南院 → 9.吉野神宮

→ 10.蔵王堂 → 11.竹林院 → 12.櫻本坊 → 13.喜蔵院 → 14.村上義光公墓

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

 そして、次は、大海人皇子や役行者所縁の櫻本坊。「さくらもとぼう」と読む。

 特に、興味ないので調べていない。












 とりあえず、写真だけ。



★櫻本坊★ 奈良県吉野郡吉野町中千本

・金峯山修験本宗別格本山大峯山護持院。
・役行者霊蹟札所。
・天智天皇から逃れていた大海人皇子がとどまっていた日雄離宮跡に建立。
・ある冬の日に桜が咲き誇っている夢を見た皇子が役行者の高弟日雄角乗に訊ねたところ、「桜の花は花の王と云われ,近々皇位に着くよい知らせです」と答えといい、その後、壬申の乱に勝利し,皇位に着いた天武天皇は、夢で見た桜の木の場所に寺を建立したと伝わる。
・文禄三年(1594)に行われた豊臣秀吉の花見の際には、関白豊臣秀次の宿舎となった。
・もとは金峯山寺の蔵王堂の前に在って密乗院と称していたが、明治初年の神仏分離の際に「桜本坊」と改称された。
・現在、宿坊も営んでいる。
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