幕末・維新祭り 世田谷 松蔭神社
今年で十七回目を迎えた幕末・維新祭り
松陰神社を中心に、会津と萩の物産展が開かれ、
神社に続く商店街が様々なお店を出す。
二日目には幕末の志士と奇兵隊のパレードもある(仕事で見に行けず)
松陰神社の出店
松陰神社
長州藩尊攘派の理論的リーダーだった吉田松陰を祀る。
安政6年10月27日、安政の大獄で小伝馬町獄中にて刑死(享年30)した遺骸を、南千住回向院から高杉晋作、伊藤博文、等によって等地に埋葬し、明治15年11月松蔭門下の人々が墓畔に社を築いてたの始まる。
社殿は没後50年祭を祈念して昭和2年に造営されたもの。
神社のあたり一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸であった。
神楽殿
門下生などから寄進された石灯籠
吉田松陰が塾長を務めた、長州藩藩校、松下村塾の原寸大が復元されている。
祭りの日 幕末劇が行われてました。
境内の左奥に吉田松陰と幕末の志士が眠る(お墓は撮らない主義なのでここまで)
一坂太郎先生の講演会とサイン会(K田さんに似てると個人的に思った......w)
オレンジ色のコスモスと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松陰神社の存在を知ったのは、井伊直弼の眠る井伊家の菩提寺 豪徳寺を訪れた帰りだった。
ふと地図を見ると、近くに神社があるのでついでに行って見ようと思った、ただの偶然である。
吉田松陰が眠っていることももちろん知らなかったし、松陰神社の名前を見ても、そこに結びつくことはなかった。
なぜなら、井伊直弼の行った安政の大獄で処罰された一人が長州の吉田松陰だからだ。
松蔭が生きていたら明治維新もまた違った時代になっていただろう。
もしかすると日本という国自体が今とは違う国になった可能性もある。
徒歩で僅か10数分の距離に弾圧したものと、弾圧された者が眠る。
不思議な因果関係を感じた。
そしてこの幕末祭りは
戊辰戦争で敵対した、萩と会津の物産展が並び
奇兵隊と新撰組がパレードを行う。
松陰を祀る神社の神楽殿で、白虎隊の踊りが踊られる。
会津と山口の確執は今も残っている
そこそこ歴史を知る人が見ればあり得ない組み合わせだが、あくまでもお祭りはお祭り、盛り上がることが一番だ。
もしかすると日本が平和になった証なのかもしれないし、これをきっかけに交流が深まればとも思う。
今回のお祭りで、初めて吉田松陰という人物を詳しく知り、少し長州に対する考え方に変化がでた。
吉田松蔭の辞世
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
約:私の命がたとえこの武蔵野の野で終えることになっても、自分の思想はここに留めておこう
自分の命より国を想う、その気持ちは計り知れない。
獄中の松陰を訪ねて来た高杉晋作へは
「世に身、生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり」
とまで言っている。
松蔭の想いはその後、松下村塾四天王をはじめとした彼の弟子たちによって受け継がれる。
松下村塾四天王、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一。
しかしこの4人で維新の夜明けを見たものは一人もいない。皆、革命の過程でその若い命を散らしていった。
彼の死から9年、明治新政府が誕生したが、彼の理想が実現したかどうかはわからない。
お祭りという雰囲気の中で、いろいろなことを考えさせられた一日でした。
2008.10.25
今年で十七回目を迎えた幕末・維新祭り
松陰神社を中心に、会津と萩の物産展が開かれ、
神社に続く商店街が様々なお店を出す。
二日目には幕末の志士と奇兵隊のパレードもある(仕事で見に行けず)
松陰神社の出店
松陰神社
長州藩尊攘派の理論的リーダーだった吉田松陰を祀る。
安政6年10月27日、安政の大獄で小伝馬町獄中にて刑死(享年30)した遺骸を、南千住回向院から高杉晋作、伊藤博文、等によって等地に埋葬し、明治15年11月松蔭門下の人々が墓畔に社を築いてたの始まる。
社殿は没後50年祭を祈念して昭和2年に造営されたもの。
神社のあたり一帯は江戸時代から長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸であった。
神楽殿
門下生などから寄進された石灯籠
吉田松陰が塾長を務めた、長州藩藩校、松下村塾の原寸大が復元されている。
祭りの日 幕末劇が行われてました。
境内の左奥に吉田松陰と幕末の志士が眠る(お墓は撮らない主義なのでここまで)
一坂太郎先生の講演会とサイン会(K田さんに似てると個人的に思った......w)
オレンジ色のコスモスと
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
松陰神社の存在を知ったのは、井伊直弼の眠る井伊家の菩提寺 豪徳寺を訪れた帰りだった。
ふと地図を見ると、近くに神社があるのでついでに行って見ようと思った、ただの偶然である。
吉田松陰が眠っていることももちろん知らなかったし、松陰神社の名前を見ても、そこに結びつくことはなかった。
なぜなら、井伊直弼の行った安政の大獄で処罰された一人が長州の吉田松陰だからだ。
松蔭が生きていたら明治維新もまた違った時代になっていただろう。
もしかすると日本という国自体が今とは違う国になった可能性もある。
徒歩で僅か10数分の距離に弾圧したものと、弾圧された者が眠る。
不思議な因果関係を感じた。
そしてこの幕末祭りは
戊辰戦争で敵対した、萩と会津の物産展が並び
奇兵隊と新撰組がパレードを行う。
松陰を祀る神社の神楽殿で、白虎隊の踊りが踊られる。
会津と山口の確執は今も残っている
そこそこ歴史を知る人が見ればあり得ない組み合わせだが、あくまでもお祭りはお祭り、盛り上がることが一番だ。
もしかすると日本が平和になった証なのかもしれないし、これをきっかけに交流が深まればとも思う。
今回のお祭りで、初めて吉田松陰という人物を詳しく知り、少し長州に対する考え方に変化がでた。
吉田松蔭の辞世
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
約:私の命がたとえこの武蔵野の野で終えることになっても、自分の思想はここに留めておこう
自分の命より国を想う、その気持ちは計り知れない。
獄中の松陰を訪ねて来た高杉晋作へは
「世に身、生きて心死する者あり。身亡びて魂存する者あり」
とまで言っている。
松蔭の想いはその後、松下村塾四天王をはじめとした彼の弟子たちによって受け継がれる。
松下村塾四天王、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿、入江九一。
しかしこの4人で維新の夜明けを見たものは一人もいない。皆、革命の過程でその若い命を散らしていった。
彼の死から9年、明治新政府が誕生したが、彼の理想が実現したかどうかはわからない。
お祭りという雰囲気の中で、いろいろなことを考えさせられた一日でした。
2008.10.25
内容にとっても深いものを感じます。
歴史の重み、そして魂のつながり。。。なんだか言葉にするのはとっても難しいのですが、奥の深いものを感じました。
この時代については、ほとんど知らないのでとっても勉強になります!!
ありがとうございます*^-^*
ここ二年くらいなんです。
吉田松陰についても今回初めてどういう人物か知りました。
長州のや薩摩のことももっと勉強しないといけないなと思いました。
歴史に対する考えを自分なりの言葉にするのは本当に難しいですよね。いろんな捉え方がありますし。