栃木・中禅寺 新緑の匂い
日光山中禅寺
開祖、勝道上人。男体山-なんたいさん-山頂をきわめた後、延暦3(784)年に中禅寺を建立、修行の場とした。当時は男体山の登拝口のほうにあったが、明治35(1902)年の大山津波をきっかけに、中禅寺湖歌ガ浜-うたがはま-に移転した。
本堂には重要文化財に指定されているご本尊、十一面千手観音菩薩-があり、胴体部分が根がついたままの立木の状態で彫られたことから、立木観音と呼ばれている。左右の手は寄木造り-よせぎづくり-で、素材はカツラ。大幅な修理はなく、造られた当時そのままの姿を現在に伝える。
脇侍(わきじ)にある四天王像は源頼朝が戦勝祈願に寄進したものといわれている。
仁王門 拝観料を払う
仁王門 天井絵
手を清めて
鐘楼に登って願いの鐘を打つ
身代わり瘤
立木観音の祀ってある観音堂
波之利大黒天(なみのりと書きはしりと読みます)
珍しく空気の入れ替えのため、窓が開いていました。
男体山と愛染堂(霧が出やすい場所で、男体山の全貌が見えることは一ヶ月に一、二回しかない)
五大堂からの景色
緑と赤が映える (手前、観音堂と奥、五大堂)
もう少しで山頂が
今まで、春にしか訪れたことのなかった日光・中禅寺。
4、5月はまだ雪が残りとても寒く、落葉樹の多いこの地域は、ちょっと殺風景な一面がある。
でも今回は、眩しいくらいの新緑の緑。
空と湖の青、そして木々の緑、その中にひっそりと佇む中禅寺の赤が絶妙なコントラストを醸し出す。
都会の緑とははまったく見え方が違うから不思議なものだ。
日光駅に着いた時、暑い雲に覆われていたが、中禅寺湖に近づくにつれ徐々に晴れ間が見えて来た。
そして、お参りを終えた後、雨が降ってきた。何かに導かれるように。
大切な友達の無事の出産を祈り始めた坂東お遍路、その子は先日、無事に生まれ
そして最近、別のお世話になった恩人に新たな命が誕生した。
その母子の無事と健康を願い、家族の健康を願い
これからもまた、お遍路の旅を続けようと思う。
最後に明智平からの、新緑に囲まれた華厳の滝と中禅寺湖の写真を一枚
2008.7.27
日光山中禅寺
開祖、勝道上人。男体山-なんたいさん-山頂をきわめた後、延暦3(784)年に中禅寺を建立、修行の場とした。当時は男体山の登拝口のほうにあったが、明治35(1902)年の大山津波をきっかけに、中禅寺湖歌ガ浜-うたがはま-に移転した。
本堂には重要文化財に指定されているご本尊、十一面千手観音菩薩-があり、胴体部分が根がついたままの立木の状態で彫られたことから、立木観音と呼ばれている。左右の手は寄木造り-よせぎづくり-で、素材はカツラ。大幅な修理はなく、造られた当時そのままの姿を現在に伝える。
脇侍(わきじ)にある四天王像は源頼朝が戦勝祈願に寄進したものといわれている。
仁王門 拝観料を払う
仁王門 天井絵
手を清めて
鐘楼に登って願いの鐘を打つ
身代わり瘤
立木観音の祀ってある観音堂
波之利大黒天(なみのりと書きはしりと読みます)
珍しく空気の入れ替えのため、窓が開いていました。
男体山と愛染堂(霧が出やすい場所で、男体山の全貌が見えることは一ヶ月に一、二回しかない)
五大堂からの景色
緑と赤が映える (手前、観音堂と奥、五大堂)
もう少しで山頂が
今まで、春にしか訪れたことのなかった日光・中禅寺。
4、5月はまだ雪が残りとても寒く、落葉樹の多いこの地域は、ちょっと殺風景な一面がある。
でも今回は、眩しいくらいの新緑の緑。
空と湖の青、そして木々の緑、その中にひっそりと佇む中禅寺の赤が絶妙なコントラストを醸し出す。
都会の緑とははまったく見え方が違うから不思議なものだ。
日光駅に着いた時、暑い雲に覆われていたが、中禅寺湖に近づくにつれ徐々に晴れ間が見えて来た。
そして、お参りを終えた後、雨が降ってきた。何かに導かれるように。
大切な友達の無事の出産を祈り始めた坂東お遍路、その子は先日、無事に生まれ
そして最近、別のお世話になった恩人に新たな命が誕生した。
その母子の無事と健康を願い、家族の健康を願い
これからもまた、お遍路の旅を続けようと思う。
最後に明智平からの、新緑に囲まれた華厳の滝と中禅寺湖の写真を一枚
2008.7.27