まえがき
私は2004年、45歳で乳がんステージⅡ~Ⅲを宣告され、九州大学病院で左乳房を全摘する手術を受けた。
マスコミ業界で広告制作会社に勤務していた私は、ご多分に漏れず日々、長時間に及ぶサービス残業を繰り返していた。また当時は正社員に昇格したばかりで張り切っていたし、新聞のパブリシティ(記事体広告)全盛期でもあり、各界の著名人のインタビューや対談ものを担当しており、帰宅時間は毎晩〝午前様〟ということが少なくなかった。当時は健康にほとんど無関心で、毎晩のように飲酒、喫煙し、睡眠不足、高ストレスという悪習慣の日々を送っていた。
もともと母方はがん家系だった。6人いるおばたちのうち、長姉は大腸がん、次姉は子宮がん、三番目は脳腫瘍で亡くなったことから、大腸と子宮のがん検診だけは受けていたが、まさか自分が乳がんになるなど想定外だった。後から考えれば、祖父は胃がんで移住先の南米で客死したし、あらゆるがんの可能性を想定すべきであった。
2015年には、母の末妹が70歳を過ぎて乳がんとなり、改めてがん家系を裏付ける結果となった。まさか私より後に、高齢の親族に乳がん患者が出るとは思ってもいなかったが、私も病院にも付き添い、医師の説明(インフォーム・ド・コンセント)を聞くこともできたし、いろいろアドバイスもできたので、少しは役に立てたかもしれない。
私が乳がんになってからも、会社の同僚やかつての同級生、友人や知人たちの中にも乳がんを発症する人が増えた。2017年6月22日に亡くなった、フリーアナウンサーの小林麻央さんに続き、残念なことについ最近も、かつての隣人で乳がん患者だった女性の訃報に接した。
そこで私が試行錯誤してたどり着いた乳がん養生法ついて、不幸にも罹患した人たちに伝えたいと思いながら、多忙な日常に取り紛れていたが、少しずつ時間を見つけながら、ようやく筆を執ることにした。
乳がん手術後、21年も再発せずに生きた私のがん養生法が少しでも役に立てば幸いである。
(2018年執筆の文章を2025年2月に改訂)
乳がんの発見
よくあることらしいが、乳がんに初めて気付いたのは連れ合いだった。触れると硬いので、医者に診せた方がいいと言ってくれた。今から思えば無知だったが、乳がんというのは、てっきり梅干しの種のようなものと思っていたので、自己検診してもそんなものはないし、乳房の上から触れても、それらしき小さな塊はなかったので安心していた。ただ左の乳房を左右からつまむと、切り餅のような状態になることは確かだった。
やがて日を追うごとに、授乳中でもないのに、わずかだが乳汁や血液のようなものが出たこともあった。そしてもともと乳房は小さめでAカップだったのに、Dカップぐらいになり、下着専門店で買い換えたりしたことを覚えている。「まさかこの年で成長しているのか?」と疑問に思っていた。看護師さんに聞くと、半年ぐらいで急に大きくなる乳がんもあるらしく、私の場合は気付いたときには、がんが乳管を突き破って左乳房全体に浸潤していたようだ。
だが、その年の春に福岡市でも歴史のある総合病院で人間ドックを受け、触診がA判定だったので単純に結果を信じきっていた。後で知ったことだが、実は「触診は無意味」ということだった。40代以降は必ずマンモグラフィーによる検診でなければ正確には判定できないらしい。そんな知識もなく、マンモグラフィーがオプションで高額だったので受診しなかったことが後悔してもしきれなかった。母親からは「けちやけん、がんになるったい」などと心ない言葉を浴びせられたが、どちらにせよ後の祭りである。
マンモなら洗剤粒状態の乳がん(0期)も写るので信頼性が高い。ただしそれは40代以降の場合で、20代から30代までは乳腺が発達しているため、エコー検査で見つかることが多いので注意したい。
話は横道にそれるが、私の知人で25歳で乳がんになり、1年余りで命を落とした女性がいた。訃報を聞いたときは彼女が新婚だったこともあり、本当に悲しかった。彼女には本当にお世話になったのに、何も恩返しができないままだった。残された夫の慟哭も、見ているだけで胸にこたえた。
ポピュラーな例では、フリーアナウンサーの小林麻央さんが34歳で幼い子どもを残して亡くなられたことは記憶に新しい。闘病3年だった。若いほど、新陳代謝が早い分、がんの進行も早い。20代なら1年、30代なら3年という印象だ。
乳がんを宣告された当初、患者の誰もがそうだが、痛みなどの自覚症状は全くなかった。後で考えると、それはとても恐ろしいことだった。ただ一つ思い当たるのは、不規則な不正出血が数回あったことだ。その都度、かかりつけの産婦人科クリニックで何度か診てもらったが、結果は「異常なし」。子宮がんではないからと安心しきっていた。
連れ合いの強い勧めで、仕事が一段落した次の土曜日、不安と疑念がないまぜになったような気持ちのまま、かかりつけの産婦人科クリニックを受診した。ようやく自分の順番が来て、なぜか女性医師に症状を告げるときから涙声になってしまった。
果たして乳腺エコーの画面に現れたのは、インベーダーゲームのギャラクシアンのような顔をした乳がんの影だった。それが悪性腫瘍であることぐらいの予備知識は持っていたので、やはりそうだったかと、暗く落胆するしかなかった。
何度も子宮を見てくれた女性医師から「あなた、乳腺エコーはしてなかった?」と質問されたが、記憶になかった。だが彼女が言うには、子宮と乳房は別で不正出血との関連はないとの説明だった。しかし私は今でも両者はしっかりつながっているような気がするのだ。その後、人間ドックで検診を受けても子宮がんは発見されないが…。
すぐに乳腺外科に紹介状を書いてもらい、土曜午後でも開いているという福岡市中央区の病院に行った。生検、つまり乳房に針を刺して細胞診をした医師は、即座に乳がんに間違いないと告知した。もちろん事前に私自身が告知を希望したからだが、このころすでに乳がんは、自分でも触れることができるためか、告知が当たり前になっていた。
連れ合いが一緒に説明を聞いてくれ、いろいろ質問をしていたが、私は暗然たる思いに駆られ、何も頭に入らなかったのを覚えている。だがなぜかその時、医師の厳しい口調や手荒い触診が嫌で、その病院で手術を受ける気にならなかった。
そこで勇気を振り絞って、当時普及し始めたばかりの「セカンドオピニオン」(第二の意見)を申し出た。何も当てはなかったが、連れ合いの勤務先が近いというだけで、九州大学病院(福岡市東区)に、X線検査その他の検査結果を持って受診したのだ。中央区の病院の医師がそれに快く同意してくれたことには、いまも感謝している。
九大病院には、第一外科で乳腺を担当していた黒木祥司先生がおられた。待ち時間の長さには閉口したが、外見に似合わず触診がとても優しく、説明も丁寧だった。そして何より本当のことを言ってくれたことがうれしかった。
当時、放映中の人気テレビドラマ「87%」で、妻を乳がんで亡くした医師を好演した本木雅弘君の役名が黒木先生だった。あまりの偶然に驚いたが、黒木先生は初診のこの時から今まで、私の主治医を務めてくださっている。
左乳房はマンモグラフィーの映像を見る限り、真っ白で当然のことながら切除を勧められた。右乳房には嚢胞はあるものの、まだがんの塊は見られなかった。こうして2004年7月、私は九大病院で手術を受けた。
手術の前には万が一のことを考え、身内や親しいへ遺書をしたためた。手術当日には、連れ合いと看護師だった母と小学校5年生になった娘が来てくれた。手術室に入る前、娘と手を握ったときのぬくもりは忘れられない。
その後は寝台に載せられ、特急電車並みのスピードで手術室に運ばれた。ちらっと目に入ったのは「4」という数字。九大病院の手術室の号数には「4」があることを知った。中国では「四」と「死」が同じ発音「スー」なので、忌み嫌われている。しかし日本では「よん」とも読めて「良い」に通じると思い直した。
麻酔から覚めると、すでに病棟(4人部屋)のベッドの上だった。暗闇の中、たくさんの管につながれ、身動きができない。手術痕は痛くなかったが、なぜか以前からテニス肘だった左肘が異様に痛かったのを覚えている。看護師さんに痛み止めを打ってもらい、何とかしのぐ。
病棟では午前中、例の「白い巨塔」みたいな教授の回診があった。しばらく点滴につながれていたが、ある時、若い女性医師がタンクを交換しようとやってきたので、氏名欄を見たら別人の名前が書いてあったのには驚いた。それからはぼんやりしていないで、必ず自分でも確認するようにした。医療現場でも小さなミスは、日常起こっているのかもしれないと思った。
3、4日たつと、食事は食堂でとることになった。九大病院のメニューは、糖尿病患者向けなどは用意されているが、がん患者向けはなく、あまり配慮されていない感じだった。「医食同源」といわれているのに、残念ながら栄養学との連携はできていないようだ。がん患者は何を食べて良いのか、どんな日常生活を送ればいいのか、誰からも教えられることなく退院していくのだ。私もここに至って、自分で学ぶしかないことを悟った。
待機患者が居るとのことで、手術から8日後、まだ微熱が残っているのに退院を命じられ、自宅に戻った。それから私は全ての生活習慣を改め、14年後の今に至るまで再発もせず、入院前はあれほど頻繁にひいていた風邪もひきにくくなり、健康を維持していることに感謝している。
いまや乳がんの発生率は8人に1人ともいわれる。昔は20人に1人だったのが、欧米化された食生活の影響などで、発症率も欧米並みになってきた。だが日本では女性の乳がん検診受診率が低いことが問題視されている。
がん研究会有明病院のスーパードクター、大野先生によれば、がんの種類(顔)にはいろいろあるらしく、最近では進行の早いがんもあれば、転移能(力)のないがんもあることが分かってきた。将来、自分のがんがどんな性質なのか知ることができたら、抗がん剤を使わなくて良いケースも判断できるようになるという。
さらに遺伝子検査で乳がん罹患率も判明するようになり、女優のアンジェリーナ・ジョリーは両乳房をあらかじめ摘出した話は有名だ。
だが、そもそもがんの最大の原因は何か? 遺伝、環境などの因子もさることながら、「働き過ぎ、悩み過ぎ」つまりストレスこそが要因だといわれている。
がんは生活習慣病
乳がんの手術のため入院することを会社に知らせると、同僚のNさんが父から預かったといって、石原結實著「体を温めると病気は必ず治る」という健康本をくれた。いつもなら「胡散臭い健康本だわ…」と思うところだが、そのとき、がん患者なら誰でも経験することだが、「わらにもすがりたい」「良いといわれるものは何でも取り入れる」という精神状態だったので感謝して頂戴し、帰宅すると一気に読んでしまった。後で振り返ると、これが、がんを学ぶきっかけになったと言っても過言ではない。
会社を休職してからは、入院まで1カ月ほどあったので、次々にがん関係の書籍を買い集めては読破していった。がんのメカニズムや免疫細胞療法を解説した本、フコイダンサプリなど民間療法の解説書、がん患者のための料理本、「余命6カ月から読む本」(ファイナルステージを考える会)など、あらゆるジャンルの関連書を読みあさった。
そこで分かったのは「がんは生活習慣病」ということだった。それならまずは生活習慣を変える必要がある。だが医師はそんなことは教えてくれない。勇気を奮って尋ねたとしても「バランスの良い食事をしてください」ぐらいが関の山だ。その「バランス」にしても、その昔、学校の家庭科で調理や栄養について学んだ女性ならともかく、男性ならよほど分からないだろう。つまるところ、自分で知識を集めて学ぶしかないのだ。
がん患者はどんな生活を習慣とすればよいのか? 私は毎日の生活の全てを見直すことから始めたが、それが養生法となった。
朝日と酸素
朝日には、人間に必要なエネルギーを与える作用があるといわれている。がん患者はこれをたっぷり浴びて規則正しい生活を送りたい。従って寝室は、朝日の当たる部屋を選び、できれば天気の良い朝は、軽めの散歩をしたい。
酸素が少ないと、体内に活性酸素が増えて、さまざまな病気を引き起こす。その原因としては、紫外線、大気汚染、電磁波、たばこ、激しいスポーツ、ストレス、医薬品、排気ガス、加工食品、食品添加物、殺虫剤、X線(レントゲン)が挙げられている。特に電磁波は、電子レンジ、IHをはじめとする電化製品やコピー機、携帯電話などからも出ているので、60センチ以内には決して近づかないこと。肌に触れやすいドライヤーやひげそり機からも出ているらしいので要注意だ。
特に気を付けたいのは、携帯電話。ガラケーにしてもスマホにしても、電波を発信したときが一番電磁波が多いという。強い電磁波により脳腫瘍になる可能性もあるらしい。発信するときは手のひらに載せておき、つながってから耳に当てた方がよいと思う。携帯電話であまり長く話していると頭痛が起こる人もいるので、相手のこともおもんぱかって会話したいものだ。
温浴施設などで酸素吸入器や酸素カプセルを利用してみるのも良い。意外と酸素が少ない現代人は多いそうだ。私が体験した限りでは、頭がすっきりして頭痛が改善されたように思う。日頃から排気ガス、二酸化炭素、PM2・5といった汚れた空気を吸わないことも大切。肺がんの原因になるし、乳がん患者は肺に転移することが多いからだ。
室内には空気清浄機を用意して、換気にも注意したい。今はPM2・5や花粉にも対応した先進的な製品が登場しているので、がん患者には必須アイテムと言える。
二酸化炭素をなぜ吸ってはいけないか疑問に思う人もいるかもしれない。私の高校時代の恩師は、家庭科のベテラン教師で在任中から引退後も食品添加物の問題を研究しておられた。つまり発がん性をはじめとする有害性について啓発もされていたのだが、なぜか肺がんで亡くなられたので不思議に思っていたら、お連れ合いがヘビースモーカーだったというので納得した。本当に本人も無念だったと思う。
たばこの場合、成分のニコチンが体内で発がん物質に変化するといわれている。だが私はたばこの葉の栽培に問題があると思っている。JT(日本たばこ産業)のたばこ畑を見たら分かるように、たっぷり農薬を使って栽培されている。産地の一つである沖縄の伊江島でも、たばこ畑から農薬が海に流れ出て問題となるほどだから、製品になっても人間が大量の農薬を吸うことになるか、火を見るより明らかなのだ。そうして発がんに至るのではないかと疑いたくなる。
農薬だけでなく、肺がんになる人の中には常日頃、自治体のごみ回収袋を節約するためか、自宅でごみ焼きをしている人がいる。私の母の友人で自分も家族も喫煙者でないのに、肺がんに罹患した人がいた。母が聞いたところでは、その人の生活習慣の中に毎日、庭でごみを燃やす作業があり、排煙を吸い過ぎたのではないかというのが母の見立てだった。
ごみを燃やすことで出る二酸化炭素だけでなく、塩化ビニール製品を燃やしたときに出る猛毒のダイオキシンが問題だ。ダイオキシンはビニール袋、壁紙、医療品の一部、防虫網、包装材料、レコード盤、水道のパイプ、プラスチック消しゴム、フィギュア(人形)などに多く含まれている。
これらのごみは自治体のごみ焼き場で高温で焼けば問題ないようだが、家の庭などで低温で燃やしたとき、ダイオキシンが発生し、燃やした本人も近隣の人々にも悪影響を与えるので注意したい。このためすでに各学校の焼却炉は廃止となり、各自治体ではこのような行為は条例で禁止されているはずだ。
もしプラスチックゴミを燃やすような臭いがしたり、燃やす様子を見掛けたら、すぐに自治体の環境担当課または警察に通報したい。
ゆっくり入浴
帰宅したら、必ず手洗いとうがいは欠かせない。花粉や雑菌が付いていると、かぜもひきやすくなり、免疫力がそれだけ落ちるからだ。足も風呂の残り湯で洗い、膝から下だけだが温めることを習慣にしている。
フロは夜にゆっくり入るという人が多いと思うが、残業で疲れて帰宅すると、眠気と空腹感が交錯しているので、とにかく晩ご飯を食べてバタンと寝てしまう生活が長く続いた。本来は、早めに帰宅して午後9時ごろまでに晩ご飯を済ますのが理想だが、仕方がないので、入浴は朝早めに起きて入ることにしている。
よく考えると、冬の朝方は一番寒いときなので、その時間帯に入浴するのはかえって体の細胞を活性化して目覚めさせ、脳が回転しだすような気がする。
一日のうちでも一番寒い朝に入る。毎日、全身を洗浄し、浴槽に十分以上漬かると、体の免疫細胞や脳が活性化し、ストレスも飛んでゆく。湯上りにはしっかり皮膚の水分を拭き取り、ドライヤーを使い髪の毛や脇、二の腕、胸、下腹部、外陰部などを中心に乾燥し温める。意外と二の腕や脇、後頭部に残った水分が後刻、汗と一緒になって体の冷えにつながるので念入りに。
その後、出勤して冷房の効いたオフィスや室内にいると、女性は特に突出した乳房の先端や二の腕が冷たくなっているのに気付くだろう。私自身、午前10時に出勤し、昼頃にトイレに入って、乳房が恐ろしく冷たくなっていることに気付いて慄然としたことがある。冷えたところは血行が悪くなり、キラーT細胞の働きも悪くなるので、がんが発生するのだろうと思われる。
がん細胞は、血液中の脂肪などをえさにして増殖するといわれている。血行が悪いところに巣食ってがんの塊をつくるらしい。血液の流れが良いところでは、がんも活動しにくいのではないだろうか。
あるがん患者が面疔にかかり、数日間高熱にうなされて目覚めると、がんが消えていたという話もある。この件がきっかけとなり、がんの温熱療法(ハイパーサーミア)が研究されている。今では大きな基幹病院などで実施されている。
病院まで行かなくても、温浴施設に設置されている岩盤浴もぜひ試す価値がある。温泉とともに、いろいろ効能は宣伝されているが、汗をびっしょりかくと同時に体内の毒素が出ていき、軽くなる感覚は病みつきになりそうだ。血行も良くなるし、ストレスも発散、鍼灸を1回終えた後のように体がぽかぽかして、寝付きもよくなる。
食品添加物や農薬、アルコールを避ける
食品添加物や農薬、放射性物質といった化学合成物質を体内に入れないことが大事だ。これらは有機物質でつくられた人間のDNA(細胞の設計図)を狂わせ、体内で新たな細胞が作られる際にミスコピーさせる。ミスコピーされた細胞が集まると、がん細胞ができるといわれている。これが、現在までに判明しているがんのメカニズム説である。
食品添加物には発がん性のあるものが多い。これは細胞が増える段階で、従来の細胞をミスコピーする作用があるため、がんの原因となる。某有名企業のハムやソーセージには発がん性があることを、かつてWHO(世界保健機関)が警告したが、日本では情報が隠蔽されているので注意したい。
辛子めんたいこに含まれる着色料の危険性についても、週刊新潮が「ふくや」を名指して取り上げたが、なぜこんな危険な食物を野放しにしているのか不思議で仕方がない。
かつて合成洗剤の危険性について警告した東京医科歯科大学の柳沢文徳先生は、NHKの番組で厚生省(当時)の職員と喧嘩していた。台所洗剤や洗濯洗剤、シャンプー、歯磨き剤などに含まれる、石油から合成された危険成分は、金魚鉢に入れると金魚が死ぬのを見れば分かるとおり、人間の細胞を破壊し、がん化させるといわれている。家庭ではせっけんやせっけん洗剤(食器用・衣類用)を使いたい。環境にもよく、水で分解されるので、川も海も汚れない。
さらに農薬たっぷりで育てられた、海外産の野菜や果物、たばこなどは避けた方が賢明だ。生協に加入して、減農薬野菜、無農薬米を常食すべし。できればがん患者は、無農薬の玄米を食べて、ビタミン類を補給する方がよい。
放射能に汚染された野菜や魚介類を口にしないことも大事。粗悪なアルコール類、例えばにせものビール、醸造用アルコール入りの日本酒、亜硫酸入りのワイン、営業用アルコールの入った居酒屋でのキープ酒などはやめたがよい。もしどうしても飲みたければ、純米大吟醸酒、沖縄の離島産の泡盛、ビールならえびすビールかな。それも血行が良くなる程度にたしなむのが一番だと思う。
飲用水についても、水道水は殺菌用の塩素が強く、(特に福岡は)がんとの発生が疑われている。信頼できる浄水器を使うか、天然水のペットボトルかプレミアムウオーター(天然水の給水器)などを飲むのが体によいと思う。
乳がん患者の中には、「腸内環境を良くする」という宣伝文句に踊らされ、「毎日ヨーグルトを食べている」という人が多いのには驚く。乳がん患者は決して乳製品を多食してはならない。なぜなら日本の乳製品が偽装表示問題に揺れたように、あまり信用できないばかりではなく、粗悪な乳成分は確かにがんの餌になると考えられるからだ。ヨーグルトだけでなく、添加物だらけのアイスクリーム、乳化剤入りのにせものチーズ、バター、生クリーム入りデザート、パフェやサンデー、ケーキ、菓子パンなど挙げたらきりがない。日本の女性を乳がんにしてきた食文化は罪深いと思う。
洋菓子よりも和菓子、それもスーパーで売っている保存料入りではなく、無添加のものを生協などで購入して楽しむことをすすめたい。
そして日々食べたいのは野菜類。特に無農薬のニンジンやカボチャといったカロテン(ビタミンB)の豊富なものをたくさん摂りたい。これらには免疫力を活性化し、がんをやっつけるパワーを助けてくれるといわれているからだ。冬は大根やジャガイモ、ゴボウといった根菜類を食べると体が温まる。キノコ類や緑茶は、東日本大震災以降、よく放射能を吸収しているので、あまり摂らない方がよいと思っている。
「朝はパン食」という女性も多いが、最近はよく週刊誌や健康雑誌などに、「毎朝パンを食べる女性にがんが多い」と書いてあるのが目に付く。どうしてもパンより米の方が脂肪分が少なく、添加物も少ないと解説されている。確かに菓子パンはマーガリンやサラダ油が使われており、脂肪分の塊だし、砂糖も体内に入れば、運動不足の場合は特に脂肪として蓄積されて、がんのえさになっていくのだろう。
しかもパン食にすると、スープやハムエッグといった洋食メニューになるので、副菜も脂肪分が多いから、がん発生率も高くなる。加えて危険性が指摘されているのは、パンに天然のイーストではなく、化学合成物であるイーストフードによる製品が増えていることだ。大手パン製造会社の商品のほとんどに使用されているが、発がん性が指摘されているので気を付けたい。
ごく少数のパンメーカーでは、イーストフード不使用を標榜しているが、こちらも使用する小麦粉が海外産で農薬がたっぷりかかっていたりするので、あまり喜べない。結論としては、無農薬の小麦粉を使い、自分で作るのが一番だ。
フコイダンとビタミンC
そもそも人間の体内では、キラーT細胞が、がん細胞をやっつけてくれるので、これを活性化するビタミン類(特にB、C)を多食することが大事だ。私は毎朝、ビタミンCのサプリメントを飲んでいるが、沖縄産のシークワーサーを薄めたジュースや、ニンジンジュースをできるだけ毎日摂取するようにしている。春はイチゴ、甘夏、夏はシークワーサー、秋はブドウ、カキ、冬はミカン類など果物も有効だ。
ミカンについてはJAが研究熱心で、ある学者に研究を依頼し、一年を通してみかん、ミカンジュースなどを多く摂取した場合、がん発生率が低くなるという発表をしている。ミカンに多く含まれる「βクリプトキサンチン」が、がんの原因となる活性酸素を抑え、ビタミンCが免疫力をアップするからだとか。皮まで食べるよう推奨する向きもあるが、たっぷり農薬がかかっているのならやめた方がよいと思う。
以前はタヒチ産のノニジュースにもトライしたが、飲みにくいので挫折した。飲める人は続けてみることを薦める。実際にがんが消えたという話もよく聞くからである。
ちなみに、沖縄で抗がん効果があるといわれているのが、「沖縄センダン」という樹木だ。地元の新聞などでは医学的にも証明されていると報道されているようだ。製品化されて「センダンα」というドリンクをゴーヤパークで売っているが、一日何本も飲む人がいるという、知る人ぞ知る健康ドリンクだ。これは飲みやすいが一本千円ぐらいなので、たくさん買えないのがネックだ。今ではネットでも購入できる。
もう一つは、やはり沖縄の「モズク」。その成分「フコイダン」には抗がん作用があることが知られている。沖縄の人たちは毎日のように食べているので、恐らく長生きできるのだろう。しかしそのような食習慣がない私は、これを製品化した錠剤「フコイダン」を毎日9粒飲んでいる。こちらも今はネットで現地より安く購入できる。液体のフコイダンは消化器系、口腔がんの人にとって試す価値があるかもしれない。
私は手術後比較的早い時期に、福岡県小郡市のある病院の医師が書いた本と出合った。それは放射線や抗がん剤治療と並行してフコイダンを摂取したときの副作用の軽減を研究して本に記したものだった。この医師は、独自に研究開発したもずくの粉をカプセルに詰めたサプリを使っていたようだ。
それは大きめで飲みにくかったため、沖縄の健康食品メーカー「仲善」のフコイダンを愛飲している。一つ一つの粒が小さく飲みやすい。毎日9粒だが、抗がん剤の副作用を軽減するにはもっと飲まないといけないかもしれない。ともかく人間に必要な必須ミネラルが豊富で、私自身は体によいと実感できている。
サプリと言えば、咽頭がんが他の臓器に転移した従兄が、高額なキノコ系のサプリを摂取していたようだが、ほとんど効いていなかったと思う。最後はがんが脳に転移して痛みに耐えられず、ベッドの上でのたうちまわるようにして亡くなった。サルノコシカケ、霊芝などは今でも怪しい感じがする。
朝鮮人参は昔から病気治療に用いられてきたが、免疫を活性化する働きが知られているので、補助的に摂取するのはよいと思う。
実は九大病院を退院後、中国の東北地方の山脈で取れる薬草から作られた怪しげなドリンク「天仙液」を飲んでいた時期もあった。どす黒い漢方薬の液体だった。週刊ポストの編集長・関根進氏の食道がんが治ったとかいうので試してみたが、胃を悪くしたので中止した。残った物は友人の知人の患者さんにあげてしまった。本当に効果があったかどうかは今でも疑問だ。香港経由で個人輸入したが、価格は10万円ぐらいだったと記憶している。
サプリメントの場合、有害な添加物を含む物には注意したい。
朝晩、爪の付け根をもむ
暗殺された(?)とうわさのある新潟大学名誉教授・安保徹先生の著書も何冊か読んだ。今でも日々実行しているのは、爪もみだ。毎朝、バス(浴槽)と通勤バスの中で手と足の爪の下の角を20回ずつ爪で刺激するようにもむ。するととても血行がよくなるのを感じる。
安保先生の病院を受診しても、針を使って同じような施術をされるそうだから、きっと免疫力アップの効果があるのだろうと思う。
がんの手術前は、よく夜中に脚がつっていた。手術後はほとんどなくなったのが不思議だが、当時は体が冷えていたのかもしれない。低体温だと、がん細胞の働きがよくなるらしい。末期がん患者は、冬の冷たい時季に亡くなる人が多いのもその証左かもしれない。
最近は足がつる寸前で、市販のせんねん灸を脚のつぼに何カ所か据えると、うそのように快適になる。試す価値あり。そもそも鍼灸師さんに聞くところでは、寝る前の水分補給、冷え対策が大事とのこと。
そこで私は寝る前に沖縄産シークワーサーのジュースを飲み、布団の下に電気カーペット(電磁波カットタイプ)を敷いて休むことにしている。
体を締め付けるベルト、ガーター、窮屈な靴や靴下などは、免疫力を下げるので日頃から使わないほうがいい。デスクワークなら勤務中はスリッパかサンダルがお薦め。冬場や冷房の効き過ぎる室内では、足元にヒーターを置いて温めたほうがいい。就寝する際には、ゆったりしたパジャマか寝間着で。
そもそもがん体質の人は、寒いところに出掛けない方が賢明かもしれない。がんになった梅宮辰夫さんが、どうせ死ぬのだから好きなことをしようと思い、小笠原諸島で釣りを楽しんでいたら、がんが消えたというのは有名な話。暖かいところで、ストレスもなく、働き過ぎや悩み過ぎとは無縁の生活をすると、がんも逃げていくということらしい。
がんのメカニズムと鍼灸療法
私は東京で就職したとき、経絡治療学会の機関誌を刊行していた出版社に勤務していたことから、福岡市で同学会の副会長をされている馬場先生の「馬場回生堂」(福岡市中央区地行)に、手術後からずっと通い続けている。東洋医学は奥が深く、2千年以上の歴史がある。紀元前の書物「黄帝内経」に学んで現代に生かそうという同学会の研究もユニークだ。
私は左乳房だけを摘出したので、体のバランスが悪く、肩こりや首こり、腰痛にも悩まされてきた。月2回の鍼灸は、心と体のオアシスになっている。
足と背中、首と手を中心に針を打ってもらい、その後、お灸をしてもらうと血液が体中を巡り始め、胃腸も動き始め、なぜか目もすっきりよく見えるようになるから不思議だ。とても元気になり、やる気が出て気持ちも前向きになる。血行が良くなるということは、がんができにくくなるのかもしれない。
がんはどのように増殖するのか? そもそも人間の体の中では、毎日がん細胞ができては、キラーT細胞にやっつけられているらしい。だが免疫力が下がりキラーT細胞の働きが弱まってどろどろの血液が滞留すると、がん細胞は人間の血管に穴を開けて別の血管を引き込み、そこから栄養(特に脂肪)を取りながら増殖し塊となる。
もし体内の血流が良かったら、がんもゆっくり食事をしていられないのではないかと思う。乳がん患者の会「あけぼの会」のワット会長も鍼灸を続けていると聞く。ぜひ全てのがん患者に薦めたい。
しかし馬場先生曰く、まだ「鍼灸師はがんを治せない」。数年前にはご自身が舌がんになられ手術を受けられた。口腔内に舌に引っ掛かる入れ歯があり、そこからがんが発生したと聞く。毎晩の晩酌でビールを好まれていたので、なるほどと思った。壊れた傷口にアルコールが浸透して、傷口を修復する細胞ができる際に、ミスコピーを繰り返していたのだろう。そのミスコピーの塊ががん化したと思われる。
舌がんの除去手術は成功し、先生も仕事を減らして復帰されたが、私がこのがんのメカニズムを話すと驚いておられた。
放射線と抗がん剤
がんの手術前にがんを小さくするためといって、医師から放射線療法を勧められることがある。小さながん細胞をたたくためと言って、手術後に放射線の照射をするよう指示される人もいる。放射線を浴びると被曝するので、がんになることは自明の理だ。検査入院で疲れて弱る人が多いのは、そのせいかもしれない。
昔、私の伯母は子宮がんで入院し、筑後地方の個人病院で下腹部全体に、コバルト照射治療を受けていたが、日に日に弱って色黒く痩せ細り、とうとう冬の一番寒い日にあの世に旅立った。正常な細胞も多々傷つけられて、免疫力がなくなったのだ。
あれから半世紀近くがたつが、今は昔と違って副作用も少なく、ピンポイント照射や重粒子線なども登場していて、正常な細胞を傷つけないようになってきた。
抗がん剤も日進月歩。そもそも昔、第1次世界大戦の折にがん患者の兵士が苦し紛れに毒ガスを吸ったところ、がんが消えたことから開発されたものなので、正常細胞をも破壊して、体力が弱まって死んでいく人が多かった。つまりエビデンス(科学的根拠)がなく、その投与量や種類は医者の〝勘〟と〝さじ加減〟で決められていると、ある本で読んだことがある。もちろん厚生労働省の定める標準治療の中で抗がん剤や放射線が規定されているせいもあるが、医師と製薬会社が癒着しているので、医師は製薬会社からのリベートでもうかるから使いたがるのだと指摘されていた。
私も手術後、すぐに九大病院で、強い抗がん剤を薦められた。90%の確率で毛髪も抜けるといわれた。そして5年生存率のグラフを見せられ、投与した場合、10%も生存率が高いという説明を受けた。10%というのは、二千人から三千人ほどに当たるらしかった。しかしグラフの片隅には製薬会社の名前が記されていた。自社製品を宣伝するのに、当然高い生存率をアピールしているのだろうと思った。
私を手術してくださった医療チームには申し訳なかったが、抗がん剤については丁寧にお断りした。自分には合わないと悟っていたからである。幼い頃から体が弱かったので、粗悪な抗生物質をたくさん投与され、体力には自信がなかったし、免疫細胞療法の方が自分に合うような気がしたからだった。
そして今に至るまで21年間、主治医の黒木先生には検査だけ受けさせてもらっていて、抗がん剤でもうからせてあげられなくて申し訳ないと思い続けてきた。黒木クリニック(福岡市東区箱﨑)には、隣接してホスピスのようなマンションがあり、末期がんの人たちが住んでいる。1階では先生のお嬢さん(栄養士)が、すてきな「養生カフェ ことほぎ」を開いていて、住民や一般の人たちに、有機紅茶やデザート、自然食のランチなどを提供している。
先日、検査の帰りに立ち寄ってデザートをいただきながらその話をしたら、ほとんど製薬会社の利益になるので気にしなくていいと言ってもらえて、少し安心した。
私が乳がん手術をした2004年、免疫細胞療法はまだ珍しかった。驚きながらも、私の意向を尊重してくださった九大病院第一外科の医療チームには感謝している。それは免疫細胞療法のクリニックの朝長院長先生が、かつて九大病院の院長先生だったことも関係していたかもしれない。
だが、抗がん剤も合う人なら劇的に聞くと聞いたこともあるので、一概には言えないのだが、どのような患者にはこのような種類の抗がん剤、この分量で治療するというエビデンス(科学的根拠)が今後確定しない限り、まだまだ恐ろしいものだと思っている。
副作用がきついなら休んで正常細胞を復活させないと、合わない抗がん剤を続けるのは、自殺行為に等しいのかもしれない。
免疫細胞療法との出合い
免疫細胞療法を知ったのは、乳がんの手術を控えて、がん関連書籍を読みあさっていたときだった。あるフリーペーパーの編集長だったAさんのお連れ合いが「ファイナルステージを考える会」の本に書かれていたエッセイの中で、Aさんが医師の勧めでより強い抗がん剤を打っていくうち、乳がんが脳に転移、お連れ合いが推奨した免疫細胞療法には全く耳を貸さなかったとあった。
Aさんとは、同業者で同じ地方新聞の関連会社に勤務する者として、何度かお会いしたことがあった。最後に会ったのは、作家の高樹のぶ子先生を囲む食事会が福岡市内のレストラン、メゾン・ド・ヨシダで開かれたときだった。その日は近々、N新聞社のBさんと、TNCの女性ディレクターを主役とした、高樹先生の作品が映画化されるというので、マスコミで媒体を担当している女性たちが集められたのだった。
Aさんは抗がん剤治療の副作用で、頭髪はまばらで尼僧のようだったが、堂々として隠そうともしていないのが印象的だった。そこには「私はがんと闘っているのよ」という強い矜持のようなオーラさえ漂っていた。だが残念なことに、今里さんは手術から2年で亡くなった。互いの子どもの年齢も近かったので、私はそんなことになりたくない、と強く思ったのを機に、免疫細胞療法に興味を持つようになった。
前述のように、抗がん剤を丁寧にお断りした私は、手術前から免疫細胞療法のクリニックと相談して、手術時に取り出したがん細胞をマイナス80度下で保存してもらい、横浜市にあるセンターに送ってキラーT細胞と樹状細胞を取り出し、何億個かに増殖させた液体を体内に点滴するという「免疫細胞療法(樹状細胞療法)」を受けた。
樹状細胞は、細菌やウイルスの異常増殖を認めると、細菌やウイルス感染細胞を攻撃する免疫細胞に攻撃指令を出すので「感染症防御の指令塔」ともいわれている。
実はがん細胞は、体内(血管内)の脂肪などを餌に増えていくので、有機的に正常細胞と似ており、敵と認識されにくい。しかし免疫細胞療法では樹状細胞に、そのがん細胞の特質を覚え込ませ、攻撃指令を出させるという。
しかし残念なことに、まだ日本の厚生労働省が「エビデンスがない」として保険が利かないため、1クール(6回)だけで新車1台分ぐらいの費用がかかったが、納得して受けたので後悔はしていないし、今でも再発していないので、結果的に良かったと思っている。
主治医の黒木先生も検診のたびに、再発が見られない私のマンモ映像を見ながら、不思議そうに首をひねり、「がんの種類によるものだろう」と言っている。ある時、「無農薬野菜を食べています」と話したら、その後、ご夫婦で畑を耕し、無農薬野菜を栽培されて、レストラン「ことほぎ」でも提供されていると、ブログで知り驚いたことだった。
(続く)
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