山村留学体験記&棚田復活!         あの山の向こう

横浜→長野へ山村留学した長男(中学3年間)と次男(小4-5)の記録と山留「その後」+山村の耕作放棄棚田の再生挑戦記♪

親の覚悟

2010年03月23日 | 優しい時間
子供たちを 初めて山村留学に送り出した春・・・

motoは中1から、 Joは小4からのスタート時期を

ちょっと振り返ってみると・・・


motoは 小3から短期の山村留学に行っていて 4年生あたりから

1年の山村留学に行きたいと たびたび言っていたので

「念願かなって」 の 山村留学だったから

親子ともに心の準備は万端。 


入学を目前に控えたこの時期は

慌しく準備をしながらも 特に不安なく家族の時間を楽しんでいました。

とりあえず、「 1年 」 という 父親との約束もありましたが

私としては 「 motoは行ったら中学卒業まで帰ってこない 」 だろうと

思っていたので ある意味 覚悟は決めていました。


覚悟・・・ といえば

夫婦で話したことがあります。


つまりは 親が手元から離して 子供を まったく目の届かない地へ送り出す・・

ということは、 その先で たとえどんなことが起きようとも

全ては 送り出した自分たちの責任である・・・ということ。

万が一のことがあったとしても 子供を責めることなく 他者を責めることなく

全てを受け入れようと。


腹は決めたつもりでも 現実になったら どうなるかわからないけど

でも それは 親子一緒に暮らしていても 同じことで

どのみち 親が四六時中 子供とくっついて いれるわけではないし

学校で起きてること 登下校中、 塾で、 友達と・・ 遊びに行った先で・・

どこにでも ネガティブなことが発生する可能性はある。


まだ未成熟な自分の子供が 能動的に起こす可能性も否めないし

子供に非がなくても 巻き込まれたり受動的に起こる事もある。

人為的ではない 自然災害も含めて

どこで誰とどんな風に暮らしても 生きてる間は 危険と隣りあわせで私達は生きている。



話が飛躍するように思うかもしれないけど

そもそも論で

私達は なぜ人として この世に生まれてきたのか・・・ というところに

たどり着く。


今 縁している場所、 縁している人々は

どうあれ、 やはり自分にとって 深い意味持っていること・・を感じている私は

子供たちが なぜ私たちの元に生まれてきたのか

私たちが この時期に この家族のなかの「自分」として生きている意味を

よく考える。

そして それぞれに 生まれてくる時に 「 宿題 」を持ってきているのだと

私は思っている。

宿題という以上、 当然 楽しく幸せなことばかりなわけはなく

むしろ 宿題は自分にとって難題が多いはず。

それは超えないと 終われない宿題。 先送りしても やがてまた向き合う時は

やってくる。


そんな中で 似たような宿題、 または反転的な宿題を持つ人時と場を共有し 

宿題をクリアした人は ステップアップした環境へ

先送りしたり、レベルが合わなくて ステップバックが必要な場合は

それなりの環境へ・・・

学ぶ場を変えながら 寿命まで魂を磨いていくのが 「 人生 」 なのだと

いうのが 私の持論。

子供たちにも そういう話を折に触れすることがあります。



だから 縁あって この山村留学に送り出すことは

親子ともに 必要な 「 魂磨き 」 の場が そこにあり

村のしきたりに寄り添い

センターのルールに従い

農家さんの家庭方針に委ね

関わる人々を信頼し、 そして子供を信じて

全てを預けるつもりで 手放す 「 覚悟 」 をしているつもりです。


そうでもなければ 

短気で脱走癖が完璧に治っていない? 10歳の子を

山村留学に出すなんてことはできないこと。


それでも この1年、 正直 Joのことがとても心配でした。

なぜかというと 100% Joの意志での山村留学ではなかったから。

「 行ってもいいかな・・ 」 と 「 行きたい! 」 は やっぱり違う。

そんな中で もしものことがあったら

きっと私達は Joに対しても 周囲の方に対しても

Joを送り出したことを後悔したかもしれない。

ちょっと ハラハラ ドキドキの Joの1年でした、、


なので 今回の・・・・

Joが 親の私たちに相談もせずに 

「 ぼくは 山村留学 継続します! 」 と意気揚々 宣言した その言葉を聴いて 

心底 ほっとした私です。


これで やっと Joの山村留学に対して

本当の意味での 「 覚悟 」 ができました。



子供には 子供の 「 魂 」の 意志があると思っています。

心の絆が しっかりと感じられていれば

親子は 必ずしも一緒に暮らしていなくても ちゃんと「家族」として

ともに生き ともに成長していけると 信じています。


motoを 山村留学に送り出すとき ブログにも書きましたが

もし、 親子関係が悪く 家庭内に問題があり

心が離れてしまっていたら 逆に 子供を家から出すことはしなかったと。

親子関係が良好で 心の絆を互いに感じられるからこそ

子供の今を信じ 子供の未来を信じて  

全てを山村留学先に 委ねようと思えたから 送り出しました。


発展途上の子供の成長期ですから 山村留学の3年間の間には

当然 たくさんの方に迷惑や面倒をかけましたし

moto自身 思春期のまっただ中 いろいろな苦悩がありました。

そしてそして・・ たくさん いい事もありましたし

周囲の方に 感謝されたり 喜んでいただくようなこともありました。



山村留学先で 「 暮らす 」 ということは

それは 一時的な観光旅行でも イベントごとでもなく

全てにおいて その場の慣習の中で 「 生活 」 として根付くことを意味すると

思います。

意識的に学ぶ・・・ 考える・・・ というより

習慣の中で 定着し、 毛穴から染み込むように 無意識に身につくものがあって

はじめて そこで 「 暮らした 」「 生活した 」 と。


motoが 受験で帰省した時 一緒に行った スーパーの野菜売り場でひとこと・・

「 お母さん! これって 今 旬(の野菜) じゃないよね~

    都会のスーパーって 年中 何でもあって 感覚 狂うわ~ 」


私以上に 旬の野菜を よく知っている。

そんな小さなことですが

motoは 八坂・美麻で 体験学習をしているのではなく

「 暮らしている 」 のだと実感した私です。

3年もやっていると こんな風になるんだなぁ~と 感心すると同時に

motoは 八坂・美麻の子になったんだなぁ~と うれしく思いました。



そんな覚悟を 山村留学に子供を送り出している 親御さん全員がしているかどうかは

わかりませんが・・・・

でも 私が受け入れる側だったら そのくらいの覚悟で送り出してもらえなかったら

やりきれないなぁ~~ と思います。

受け入れる側の 覚悟は 送り出す側以上のものがあるはずと思うから。


親ができないことを 山村留学先で与えていただいている、補っていただいていることを

子供たちを通して 実感しています。


子育てにおいて 何が正解か・・なんて誰にもわからない。

親だって 紆余曲折、、、、自問自答の毎日。

育った環境も 価値観も個性も バラバラの子供たちが集まり

1年をすごす山村留学の現場では おそらく一難去ってまた一難・・・みたいな

忙しない子供たちとの攻防?があることと思います。

我が子 一人2人でも結構 手をこまねいたりしてるくらいなので

さぞかし 山村留学の現場では 骨が折れることと思いますが・・

そんな中で センターの指導員さんも 農家さん、 学校・・

その時々の状況において 悩みながらも ベストを尽くしてくれています。


創設者の意志に賛同し 子供を思う気持ち、 子供の心と体を育てる気持ち、

山村留学に関わる意義の深さを思わずして

「 この場 」 を共有することは 現実的に 非常に難しいことと感じています。



もしも 「 信じる気持ち 」 と 「 委ねる覚悟 」 が持てないとしたら

やっぱり 自分の手元において 子育てをするほうがいいのかもしれない・・



なんてことを 考えた今日この頃です~~
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