コールかんばらでも何度か歌ったことのある「箱根八里」、この曲にも
ちょっとしたエピソードが残されています。
明治34年に発行された当時の音楽教科書の一つ「中学唱歌」は、
面白いことに掲載曲が公募され、当選した歌の一つがこの「箱根八里」です。
東京音楽学校教授でありこの曲の作詞者である鳥居忱(とりいまこと)から
出されたこの課題は、「非常に曲を付けにくい歌詞」と諸先輩が
尻込みする中、瀧廉太郎が見事に曲を付け一同の舌を巻かせました。
その独創的なアイデアは「箱根の山は」「万丈の山」「雲は山を巡り」等の
部分によく表われており、さすが瀧廉太郎、やはり彼は天才ですね。
以上
ちょっとしたエピソードが残されています。
明治34年に発行された当時の音楽教科書の一つ「中学唱歌」は、
面白いことに掲載曲が公募され、当選した歌の一つがこの「箱根八里」です。
東京音楽学校教授でありこの曲の作詞者である鳥居忱(とりいまこと)から
出されたこの課題は、「非常に曲を付けにくい歌詞」と諸先輩が
尻込みする中、瀧廉太郎が見事に曲を付け一同の舌を巻かせました。
その独創的なアイデアは「箱根の山は」「万丈の山」「雲は山を巡り」等の
部分によく表われており、さすが瀧廉太郎、やはり彼は天才ですね。
以上