まず、表象としての世界は、自然科学の諸法則を定めている。自然科学はいくら行っても、途中で、頓挫する。なぜなら、表象としての世界しかとらえていないからである。表象という言葉を分かりやすく言えば、それは現前する世界であり、そこらへんに転がっている石や、木、さらには荘厳な建物や太陽や銀河系なども含まられる。これらを研究するのがもっぱら自然科学である。だけども、注意してほしいことがある。自然科学とは、倫理や理性については教えてくれない。もちろん、私の記憶が正しければ、第一巻の第八節でショーペンハウアーは理性について触れている。そして、何といっても彼の文体は分かりやすい。同時代のカントやヘーゲルに比べてはるかに明快に書かれているのである。
表象としての世界では、もっぱら自然科学は証明を必要とする、と書かれている。それは確かにそうである。さらには、図解入りで詳しく論理学や化学などのことが説明されている。これは、哲学入門者にも分かりやすいであろう。
それから、第二巻に移り、意志の説明が始まる。これは、端的に述べれば、盲目的に生きることを意志と述べているのが、第二巻の内容である。しかし、第三巻の意志の捉え方は違う。このことは、次回に繰り越すことにしよう。
表象としての世界では、もっぱら自然科学は証明を必要とする、と書かれている。それは確かにそうである。さらには、図解入りで詳しく論理学や化学などのことが説明されている。これは、哲学入門者にも分かりやすいであろう。
それから、第二巻に移り、意志の説明が始まる。これは、端的に述べれば、盲目的に生きることを意志と述べているのが、第二巻の内容である。しかし、第三巻の意志の捉え方は違う。このことは、次回に繰り越すことにしよう。
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