A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

理解不能な日本の礼節

2007年04月09日 03時31分32秒 | 思想、警句
 世間では謙虚や礼儀正しさが求められているが、それは違う。表面上礼儀を重要とする考えが蔓延している中で、礼儀の本来の意味は失われつつある。本来、礼儀とは本当に尊敬する人に使うものである。もし礼儀正しさを頑強に求める人がいるならば、その人には自信がないことになる。なぜなら自分の弱さを他人に露呈する事を恐れているからだ。
 「天才に謙虚さは必要ない」と、よく言われる。確かにそうだ。天才ともなれば、自信に満ち溢れ、謙虚さは必要なくなる。もっとも謙虚さとは他人を欺く行為なのである。こちらが腰を低くすれば、相手は満足し、充実感を得るだろう。だがそれは凡人の何の才気もない人々にしか通じない。もっと博識な人々に言わせれば、謙虚さと言うものの存在価値すら、認めない。これは真に当を得ている。謙虚とは自分に自信がない人が好んでする事である。したがって、年上なので敬語を使え、などという戯言に耳を傾ける必要はない。まず独立独歩で学問を開拓した人に謙虚な人はいない。それを顧みて思うのが、社会構造の問題である。社会とは単なる馴れ合いでしかない。頭を下げ、自分の能力に自信を持てないものは、そっこく謙虚になるべきである。なんと言っても自分に力のないものは謙虚さを求める。それは明らかに不条理である。
 例えば、昔の武士が通行人に会うときに軽く手を挙げ、会釈をしていた。これを礼儀作法と勘違いする人々は多いが、それは違う。武士はとっさの攻撃に備えて、会釈をしていたのである。
 ほかにも色々と曲解されていることが多い。まず古来の日本では、礼儀ではなく、実生活にそくした挙動が多く見られた。いつ殺されるかも分からない状況において、様々な技術があみ出されたのである。したがって、昔の日本では礼儀作法より、それをいかした実践的な行動が多かった。もし礼儀を用いるとすれば、せいぜい大名の前ぐらいである。ほかは決まって常に武士は臨戦態勢だったのである。


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