A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

論理学

2007年05月14日 15時11分20秒 | 哲学
 人々は往々にして、論理学を知らないうちに用いている。これは人間性の一つの特徴であり、なおかつ理性のなしうる技である。まず理性とは概念をつかさどる。この概念の相違が論理学の出発点となる。概念のいくつもの可能性が論理学の根本的な意味である。人々によって、概念の持つ意味合いは多少違う。それが暫時、組み合わさっていき、論理が成り立ってゆくのである。例えば、旅行という概念を見てみよう。ある人にとって、それは楽しい事である。またほかの人にとっては面倒くさい事である。すでにここから概念の相違が見られる。そしてこの概念の相違を吟味し、統合してゆく事で、論理は成り立ってゆくのである。もしここにかくかくを証明しろなどという愚かな事を述べるのは、精神的な盲者のみである。なぜなら、概念という代物はそれが形成された時点ですでに論証不可能なものになっているからである。私が前に述べた旅行の概念にしてもそうである。だが論証可能なものも存在する。それは現実世界の表象である。木や水などがそうである。これは感覚が直接に感じ取る一種の複合体である。この部分についてはすでに過去の哲学者が詳しく述べている。それをかいつまんで述べるとこうなる。
 「我々が同じ表象を感じ取るのは、そこに直覚的な機構が関与しているためである。我々は常日頃、意識せずにそれを行っているが、そこにこそ人間同士の深いつながりの根底がある。我々がそこに物理的な論証を用いる事は可能であろう。しかし我々はそこに直覚的な論証を行う事はできないのである。」

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