A collection of epigrams by 君塚正太

 君塚正太と申します。小説家、哲学者をしています。昨秋に刊行されました。本の題名は、「竜の小太郎 第一話」です。

作家になるための必須条件1

2007年01月26日 00時19分52秒 | 思想、警句
 近頃、作家という肩書きの生物が異常繁殖している。そろそろこれらの生物を駆除した方がいいと私は思う。とは言っても、それができない相談なのである。作家の資質を持って生まれてくる人はごく一部である。彼らだけに文筆業を限ってしまった場合は、大衆への娯楽が激減してしまう事だろう。しかし本物の作家は必要なのである。もちろん贋作の作家が多数いてもよろしい事はよろしいが、そのせいで偉大な作家たちの土壌が根こそぎ奪われてしまうのである。これは許しがたい事実である。だいたい金儲けのために作家をしようなどという人間は馬鹿げている。そもそも作家とはなるべくしてなるものであって、決して就職さきにあるものではない。この原理を忘れた大馬鹿者の作家連はつまらない作品を世に送り出している。そしてそのせいで日本の文化は低俗になるのである。またこの行為を甘受している国民にも責任はある。文学者とは大衆と文化のためにある、と誰かが言っていた。
だがその大衆が堕落し、低俗化していることを否むものもいない。低俗な本を大衆が買い、その後に低俗化した大衆が増加してゆく、そしてまたそれが振り出しに戻る。このような悪循環が繰り返されるために次第に大衆も馬鹿になっていくのである。
 そして昔の日本はこれとは多少違った。大正時代の人々が哲学書を読みあさっていた、というのは有名な事実である。このような傾向は戦後のすぐ後や戦中に多く見られた。したがってここらへんで大衆にきついお灸をすえてやらなければならないのかもしれない。
 さて、話がずいぶん脱線したが、本題に戻りたいと思う。作者とは自分以上の作品を作れない。この言葉がどういう意味か?というとそれは一言に尽きる。ようは作者は無意識にもしくは意識的に作品に自分の姿を投影しているのである。もっと細かく言えば、その作者の人格が反映されているとも言える。これは並大抵の問題ではない。人格とは一言で言えば、簡単だが、現実の人格とは相当複雑である。まあ、人格がすばらしく単純な人も世の中にいるが。
 そしてこの人格の複雑さが良い作品を生み出すのである。天才などの人格像はかなりの部分で錯綜しており、今に至ってもなお解決の糸口は見つかっていない。まあ、それはおいといて、とにかく人格の複雑さが作品を魅力的に、また衒学的に見せるのである。前者の良い例は、ゲーテ、レッシング、リルケなどに見られる。後者の例は、カフカ、ニーチェ等に見られる。文学者とは生まれもっての才能から突如として湧き上がるものであり、決して後天的に出現するものではないのである。より細かい説明は次項で行うので、今日はここいらで失敬させていただきます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。