不眠と意識との因果関係
これは私自身の身体に起きた生理的現象、すなわち不眠の考察である。
初めに不眠と関わりがあると思われる事柄をいくつか箇条書きで述べる。しかしこのことはあくまで思われるのであって断定的見解ではない。
1、不眠と躁状態 私の遺伝的気質、及び環境的素因から構成された性質に突発的に起きる躁状態がある。この状態が起きるのは主に夜中である。深夜十二時から明け方にかけてこの状態は続く。その結果、極度の創作意欲と引き換えに体の不調が起こる。それが一週間以上続く場合に情緒不安定、感情的になりやすくなる。それと共に体には冷や汗が出る。これはおそらく自律神経が関わっているものと思われる。しかしその状態が昼間に起きることは皆無に等しいといってよい。反対に昼間は創作意欲が鈍く、主に考え事などをする。これと対を成すものにうつ状態がある。私の場合も一般の例に漏れず、その状態が必ずといっていいほど躁状態の直後に起きる。これはある一定の期間躁状態が継続されているときの合間、合間に起こる現象である。これとは別に季節的なものもある。それは主に冬場、十二月から二月にかけて起こる。
2、 不眠と先入観 この言葉の意味は私が極度に寝ることを嫌うと言うことである。そこには昔の体験が、(これはその体験に類似した出来事が悪夢となって再現されるということである。)関係しているのであろう。ある次期を境に私の中には寝ることを嫌う先入観が構成された。これには寝ることと死が同一視されていた観念が関係している。過去に私は睡眠薬による投与を受け続けた。その結果悲観的な観念が形成され、それが今日まで影響を及ぼしているのである。現在においてそこに不安は感じ取れない。しかしそれは偏見に形を変え、私の中に今なお根強く残っている。そのおかげで私はしばしば理由もなく、寝ることを拒否したがる。これは自らの発言をつぶさに分析すれば分かる。
3、 不眠と意欲 私は意欲の活発な人間である。それは遺伝的なものであろう。思春期のときそれは暴力行為、すなわち物を支配すると言う征服欲の形となって現れた。その素因が現在まで残っていることは疑う余地のない事実である。今、私はそれを創作に昇華しているだけの話である。それが活発化するのはある程度決まった周期がある。それが初めて見られたのはおよそ十歳のときである。それは十二歳まで続いた。しかしこの見解は正確ではない。なぜなら経験とは思い出すときには、不確かなものに成っているからである。次にそれが見られたのはおよそ十九歳のときからである。それは二十歳終わりまで続いた。
これは私自身の身体に起きた生理的現象、すなわち不眠の考察である。
初めに不眠と関わりがあると思われる事柄をいくつか箇条書きで述べる。しかしこのことはあくまで思われるのであって断定的見解ではない。
1、不眠と躁状態 私の遺伝的気質、及び環境的素因から構成された性質に突発的に起きる躁状態がある。この状態が起きるのは主に夜中である。深夜十二時から明け方にかけてこの状態は続く。その結果、極度の創作意欲と引き換えに体の不調が起こる。それが一週間以上続く場合に情緒不安定、感情的になりやすくなる。それと共に体には冷や汗が出る。これはおそらく自律神経が関わっているものと思われる。しかしその状態が昼間に起きることは皆無に等しいといってよい。反対に昼間は創作意欲が鈍く、主に考え事などをする。これと対を成すものにうつ状態がある。私の場合も一般の例に漏れず、その状態が必ずといっていいほど躁状態の直後に起きる。これはある一定の期間躁状態が継続されているときの合間、合間に起こる現象である。これとは別に季節的なものもある。それは主に冬場、十二月から二月にかけて起こる。
2、 不眠と先入観 この言葉の意味は私が極度に寝ることを嫌うと言うことである。そこには昔の体験が、(これはその体験に類似した出来事が悪夢となって再現されるということである。)関係しているのであろう。ある次期を境に私の中には寝ることを嫌う先入観が構成された。これには寝ることと死が同一視されていた観念が関係している。過去に私は睡眠薬による投与を受け続けた。その結果悲観的な観念が形成され、それが今日まで影響を及ぼしているのである。現在においてそこに不安は感じ取れない。しかしそれは偏見に形を変え、私の中に今なお根強く残っている。そのおかげで私はしばしば理由もなく、寝ることを拒否したがる。これは自らの発言をつぶさに分析すれば分かる。
3、 不眠と意欲 私は意欲の活発な人間である。それは遺伝的なものであろう。思春期のときそれは暴力行為、すなわち物を支配すると言う征服欲の形となって現れた。その素因が現在まで残っていることは疑う余地のない事実である。今、私はそれを創作に昇華しているだけの話である。それが活発化するのはある程度決まった周期がある。それが初めて見られたのはおよそ十歳のときである。それは十二歳まで続いた。しかしこの見解は正確ではない。なぜなら経験とは思い出すときには、不確かなものに成っているからである。次にそれが見られたのはおよそ十九歳のときからである。それは二十歳終わりまで続いた。