まず、長い文章になってしまいましたこと
お詫びします。
・・・・・しかも、まとまってないし・・・・。
タイトルが
「太閤の野望」
である。
関白では当然都合が悪いのだ(笑)
と、いうわけで、とってつけたように
秀次が関白に任じられました。
えっ・・・・秀次って誰だよっ(笑)
このドラマでいうと・・・・・
(ほとんんどカットされた・笑)
小牧・長久手の戦いで秀吉軍大敗の原因を作った
『中入り』の将だった男で、秀吉の甥である。
まあ、今回ちょこっとしか出てなかったけどぉ~~~~
(笑)
と、いうわけで、太閤秀吉である。
それにしても、前関白になんでこんなに権力が
あるのかね・・・・・(笑)
というわたしの疑問をよそに、
16万の大軍が、朝鮮を渡っていきました。
(いやいやまだ渡ってないって・笑)
突貫工事の名護屋城の普請に尽力した
黒田家でしたが・・・・
別に石田三成はねぎらいの言葉をかけるわけでもなく
スルー!!
まさに『三成クオリティー』!! (笑)
しかも・・・・
腰ぎんちゃくとして、増田長盛がオプションに
つき更に威力倍増。
この日も
感じの悪い命令口調で
マイナスの存在感を見事にアピールしました。(笑)
ちなみに・・・・
加藤清正と小西行長の先方争いは、
官兵衛の
「先手(さきて)は1日交代としたら」
の言葉が採用され、
官兵衛の存在感はいやがおうも増し、
ここでも、石田三成は煮え湯を飲まされることになりました。
しかも、小西行長が薬屋といわれのない非難を受けていると、
官兵衛さりげなく、
「かく言うわたしは『目薬屋』の出だ!!」
と『自虐アピール』。
場を見事になごませました。変に存在感が目立ってしまいます。(笑)
開始早々は快進撃で、朝鮮の首都『漢城』も制圧した
(5月3日陥落)のですが、
制圧すれば、維持しなければならないのが
侵略軍の常。
異民族制圧・統治の歴史がほとんどない当時の日本に
とっては、
やはり言葉の壁は大きく、情報収集も
ままならない状況でありました。
そういうのが(情報収集が)得意そうな
黄海道に駐屯していた黒田家臣団も
お金をあげたりして道の情報を求めていたのですが、
なかなか・・・・。
【ちゃちゃちゃちゃ編】
そのころ茶々は、あまり食がすすまぬものの・・・・
まだ諦めておらず、
「わたしはまだ若うございます」
と新たな世継ぎを生む為に、
秀吉さんと日夜激しくエッチしていたものと
思われますが、そのシーンはもちろんありませんでした。
(笑)
さてさて、一進一退の攻防が続く朝鮮出兵。
官兵衛ついに渡海を決意!!
しかしあろうことか、石田三成も・・・・・
「『戦場』のさまを、この目で確かめ
正しく殿下に申しあげます」
と宣言し、渡海することになりました。
渡海中に、朝鮮の地図上で、以前やっていた、
賤ヶ岳の戦いの『不敗碁』の打ち込みをする官兵衛でしたが、
しかし、船の中で考えていた時点ですでに
戦況が思わしくないことをうすうす感じて
いました。
そして官兵衛、黒田陣に参上しました・・・・が、
やはりというか当然というか・・・・
惨憺たる現状なのでした。
そもそも・・・・渡された地図が
朝鮮の全体図しかなく、細部の地図が全然ないので・・・・・
やはり敵の地理・地形を知っていないのはつらいです。
しかも・・・・
朝鮮水軍が輸送路を寸断。
兵糧がなかなか届かず、
飢えとの戦いにもなっているのが実情でした。
なお・・・・
朝鮮水軍といえば
李舜臣(李氏朝鮮)将軍
が大活躍している・・・・予定なのですが、
『嫌韓』の視聴者も意識したのかそのシーンは無く、
いや、違った。
余計なものは全てそぎ落とすという、利休風大河ドラマ『軍師官兵衛』
の面目躍如と言った所か。
とすれば・・・・奉行で補給担当の石田三成が
矢面に立つのは必死。
「腹は減っては戦ができぬ」
というわけで、戦線縮小を提案する官兵衛だったのですが、
三成も首都(漢城)死守は殿下の命であると言って
聞かない・・・・。
加藤清正は朝鮮の王子を追って深追い。
そして、小西隊は朝鮮の宗主国、明の援軍によって
大敗。
「かんべえさまの言う通りでした」と反省。
官兵衛も味方のあまりにの困窮ぶりに、
殿下に直に進言することにし、
一時日本に帰国しました。
さてさて、日本では・・・・大政所さま死去。
ということで、愕然としている秀吉・・・・・。
官兵衛が『講和』をというと・・・・
今回の秀吉、なぜか聞き分けがよく
「あいわかった!!」
と即答するものの、その和睦の条件が
明国の皇女をよこせとか、朝鮮の領土の半分を
割譲せよ。
とかもうむちゃくちゃである。
家康は家康で、
「殿下が夢から覚めるのを待つ」
の一点張り。
我関せず。他人事である。
官兵衛も『秀吉の和睦の条件』は、無かったことにして・・・・と、
小西行長の持っていた『秀吉の書状』を
”なんと火でくべる”くらいの大胆さ。
なんとか、和睦にもちこみ日本国の危機を
乗り切ろうと舵を取り始めました。
そのころ日本では、
舞を舞っている秀吉。
(ふざけんな、と、テレビのディスプレイに
物をぶつけたいと思った視聴者も
多かろうシーンです。)
(茶々が舞を踊らないのは)
「何ゆえじゃ、何ゆえじゃ、何ゆえじゃ」 (笑)
と迫る秀吉に、
茶々が身ごもったことを発言。
またまた秀吉を喜ばせます。
「殿下の命を守って、皆討ち死にせよと申すか!!」
一方、朝鮮では・・・・結局釜山まで撤退ということになり、
奉行の三成は窮地たたされてしまいました。
官兵衛に頭を下げる三成。
「いままでの事の説明を、殿下に申し上げてくだされ」
みたいなニュアンスのことをいい、
わかった・・・・と、三成と共に帰国することになった
官兵衛でした・・・・が。
待っていたのは、秀吉のご機嫌な姿でした。
今度の赤ちゃんの名前は拾にするとかとか・・・・・
不満顔で聞いている官兵衛と浅野長吉・・・・・。
そこで用件のおもむきを聞く秀吉。
『講和』のこととかを申す半兵衛。
そこで官兵衛に、
「今回の戦い負けるように持っていったやろ」とか、
「朝鮮での囲碁の一件で、奉行職
(秀吉の耳目となっている石田三成ら)をないがしろにした
だろう」
とか、
あげくのはてには・・・・
「まだ官兵衛には帰国命令は出していないぞ」
と凄みのある顔で官兵衛を睨み付け、
「蟄居して沙汰を待て。」
(みたいなニュアンス??)
と秀吉に死刑宣告に等しい厳しい事を
言われてしまいました。
そうです。
三成に土下座までしてこわれて、
まじめに帰国して報告したのに、
なんと、殿下に”先に”三成が虚言を吹き込み、
官兵衛を死地に追いやろうとしていました。
官兵衛に責任をなすり付けて、
今までの補給の失態の叱責を見事回避せしめた
責任転嫁の三成。
官兵衛も処理できて一石二鳥と、ほくそ笑むのでしたが・・・・・。
ではではっ。
【こてくんの感想】
まさか、三成が海を渡るとは思いませんでしたよねぇ~~~~
(笑)
しかし、今回の補給の失敗は・・・・。
緻密そうな三成らしくないですよねぇ~~~~。
でも・・・・これは酷い。
道理で官兵衛が関が原で東軍に走るわけです。
(「ドラマな話ですけど」・笑)
後・宇喜多秀家がおぼっちゃんやね(笑)
後・・・・朝鮮での囲碁のシーン
なかったですね・・・・。
何故か小寺の殿様との囲碁のシーンが出てきて、
「勝ちすぎるのはいかん。
たまには主人に華ををもたせよ」みたいなシーンが出てきて、
「ああ、俺は無意識に石田三成を追い詰めていたのでは
ないか・・・・・」
と思わせるようなシーンが出てくる・・・・・と、
思ってたんだけどなぁ~~~~~
(笑)
お詫びします。
・・・・・しかも、まとまってないし・・・・。
タイトルが
「太閤の野望」
である。
関白では当然都合が悪いのだ(笑)
と、いうわけで、とってつけたように
秀次が関白に任じられました。
えっ・・・・秀次って誰だよっ(笑)
このドラマでいうと・・・・・
(ほとんんどカットされた・笑)
小牧・長久手の戦いで秀吉軍大敗の原因を作った
『中入り』の将だった男で、秀吉の甥である。
まあ、今回ちょこっとしか出てなかったけどぉ~~~~
(笑)
と、いうわけで、太閤秀吉である。
それにしても、前関白になんでこんなに権力が
あるのかね・・・・・(笑)
というわたしの疑問をよそに、
16万の大軍が、朝鮮を渡っていきました。
(いやいやまだ渡ってないって・笑)
突貫工事の名護屋城の普請に尽力した
黒田家でしたが・・・・
別に石田三成はねぎらいの言葉をかけるわけでもなく
スルー!!
まさに『三成クオリティー』!! (笑)
しかも・・・・
腰ぎんちゃくとして、増田長盛がオプションに
つき更に威力倍増。
この日も
感じの悪い命令口調で
マイナスの存在感を見事にアピールしました。(笑)
ちなみに・・・・
加藤清正と小西行長の先方争いは、
官兵衛の
「先手(さきて)は1日交代としたら」
の言葉が採用され、
官兵衛の存在感はいやがおうも増し、
ここでも、石田三成は煮え湯を飲まされることになりました。
しかも、小西行長が薬屋といわれのない非難を受けていると、
官兵衛さりげなく、
「かく言うわたしは『目薬屋』の出だ!!」
と『自虐アピール』。
場を見事になごませました。変に存在感が目立ってしまいます。(笑)
開始早々は快進撃で、朝鮮の首都『漢城』も制圧した
(5月3日陥落)のですが、
制圧すれば、維持しなければならないのが
侵略軍の常。
異民族制圧・統治の歴史がほとんどない当時の日本に
とっては、
やはり言葉の壁は大きく、情報収集も
ままならない状況でありました。
そういうのが(情報収集が)得意そうな
黄海道に駐屯していた黒田家臣団も
お金をあげたりして道の情報を求めていたのですが、
なかなか・・・・。
【ちゃちゃちゃちゃ編】
そのころ茶々は、あまり食がすすまぬものの・・・・
まだ諦めておらず、
「わたしはまだ若うございます」
と新たな世継ぎを生む為に、
秀吉さんと日夜激しくエッチしていたものと
思われますが、そのシーンはもちろんありませんでした。
(笑)
さてさて、一進一退の攻防が続く朝鮮出兵。
官兵衛ついに渡海を決意!!
しかしあろうことか、石田三成も・・・・・
「『戦場』のさまを、この目で確かめ
正しく殿下に申しあげます」
と宣言し、渡海することになりました。
渡海中に、朝鮮の地図上で、以前やっていた、
賤ヶ岳の戦いの『不敗碁』の打ち込みをする官兵衛でしたが、
しかし、船の中で考えていた時点ですでに
戦況が思わしくないことをうすうす感じて
いました。
そして官兵衛、黒田陣に参上しました・・・・が、
やはりというか当然というか・・・・
惨憺たる現状なのでした。
そもそも・・・・渡された地図が
朝鮮の全体図しかなく、細部の地図が全然ないので・・・・・
やはり敵の地理・地形を知っていないのはつらいです。
しかも・・・・
朝鮮水軍が輸送路を寸断。
兵糧がなかなか届かず、
飢えとの戦いにもなっているのが実情でした。
なお・・・・
朝鮮水軍といえば
李舜臣(李氏朝鮮)将軍
が大活躍している・・・・予定なのですが、
『嫌韓』の視聴者も意識したのかそのシーンは無く、
いや、違った。
余計なものは全てそぎ落とすという、利休風大河ドラマ『軍師官兵衛』
の面目躍如と言った所か。
とすれば・・・・奉行で補給担当の石田三成が
矢面に立つのは必死。
「腹は減っては戦ができぬ」
というわけで、戦線縮小を提案する官兵衛だったのですが、
三成も首都(漢城)死守は殿下の命であると言って
聞かない・・・・。
加藤清正は朝鮮の王子を追って深追い。
そして、小西隊は朝鮮の宗主国、明の援軍によって
大敗。
「かんべえさまの言う通りでした」と反省。
官兵衛も味方のあまりにの困窮ぶりに、
殿下に直に進言することにし、
一時日本に帰国しました。
さてさて、日本では・・・・大政所さま死去。
ということで、愕然としている秀吉・・・・・。
官兵衛が『講和』をというと・・・・
今回の秀吉、なぜか聞き分けがよく
「あいわかった!!」
と即答するものの、その和睦の条件が
明国の皇女をよこせとか、朝鮮の領土の半分を
割譲せよ。
とかもうむちゃくちゃである。
家康は家康で、
「殿下が夢から覚めるのを待つ」
の一点張り。
我関せず。他人事である。
官兵衛も『秀吉の和睦の条件』は、無かったことにして・・・・と、
小西行長の持っていた『秀吉の書状』を
”なんと火でくべる”くらいの大胆さ。
なんとか、和睦にもちこみ日本国の危機を
乗り切ろうと舵を取り始めました。
そのころ日本では、
舞を舞っている秀吉。
(ふざけんな、と、テレビのディスプレイに
物をぶつけたいと思った視聴者も
多かろうシーンです。)
(茶々が舞を踊らないのは)
「何ゆえじゃ、何ゆえじゃ、何ゆえじゃ」 (笑)
と迫る秀吉に、
茶々が身ごもったことを発言。
またまた秀吉を喜ばせます。
「殿下の命を守って、皆討ち死にせよと申すか!!」
一方、朝鮮では・・・・結局釜山まで撤退ということになり、
奉行の三成は窮地たたされてしまいました。
官兵衛に頭を下げる三成。
「いままでの事の説明を、殿下に申し上げてくだされ」
みたいなニュアンスのことをいい、
わかった・・・・と、三成と共に帰国することになった
官兵衛でした・・・・が。
待っていたのは、秀吉のご機嫌な姿でした。
今度の赤ちゃんの名前は拾にするとかとか・・・・・
不満顔で聞いている官兵衛と浅野長吉・・・・・。
そこで用件のおもむきを聞く秀吉。
『講和』のこととかを申す半兵衛。
そこで官兵衛に、
「今回の戦い負けるように持っていったやろ」とか、
「朝鮮での囲碁の一件で、奉行職
(秀吉の耳目となっている石田三成ら)をないがしろにした
だろう」
とか、
あげくのはてには・・・・
「まだ官兵衛には帰国命令は出していないぞ」
と凄みのある顔で官兵衛を睨み付け、
「蟄居して沙汰を待て。」
(みたいなニュアンス??)
と秀吉に死刑宣告に等しい厳しい事を
言われてしまいました。
そうです。
三成に土下座までしてこわれて、
まじめに帰国して報告したのに、
なんと、殿下に”先に”三成が虚言を吹き込み、
官兵衛を死地に追いやろうとしていました。
官兵衛に責任をなすり付けて、
今までの補給の失態の叱責を見事回避せしめた
責任転嫁の三成。
官兵衛も処理できて一石二鳥と、ほくそ笑むのでしたが・・・・・。
ではではっ。
【こてくんの感想】
まさか、三成が海を渡るとは思いませんでしたよねぇ~~~~
(笑)
しかし、今回の補給の失敗は・・・・。
緻密そうな三成らしくないですよねぇ~~~~。
でも・・・・これは酷い。
道理で官兵衛が関が原で東軍に走るわけです。
(「ドラマな話ですけど」・笑)
後・宇喜多秀家がおぼっちゃんやね(笑)
後・・・・朝鮮での囲碁のシーン
なかったですね・・・・。
何故か小寺の殿様との囲碁のシーンが出てきて、
「勝ちすぎるのはいかん。
たまには主人に華ををもたせよ」みたいなシーンが出てきて、
「ああ、俺は無意識に石田三成を追い詰めていたのでは
ないか・・・・・」
と思わせるようなシーンが出てくる・・・・・と、
思ってたんだけどなぁ~~~~~
(笑)