「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉
朝日新聞デジタル 3月11日(水)16時24分配信
「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉
東日本大震災4周年追悼式で宮城県の遺族を代表して言葉を述べる菅原彩加さん
=11日午後3時21分、東京都千代田区の国立劇場
■東日本大震災追悼式の宮城県遺族代表、菅原彩加(さやか)さん(19)=石巻市出身=のことば
私は東日本大震災で甚大な被害を受けた
宮城県石巻市大川地区で生まれ育ちました。
小さな集落でしたが、朝学校へ行く際すれ違う人皆が
「彩加ちゃん! 元気にいってらっしゃい」
と声をかけてくれるような、温かい大川がとても大好きでした。
あの日、中学の卒業式が終わり家に帰ると大きな地震が起き、
地鳴りのような音と共に津波が一瞬にして私たち家族5人をのみ込みました。
しばらく流された後、私は運良く瓦礫(がれき)の
山の上に流れ着きました。
その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、
かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。
右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと
頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、
大きさでした。
母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。
「行かないで」という母に私は
「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、
一夜を明かしました。
そんな体験から今日で4年。
あっという間で、そしてとても長い4年間でした。
家族を思って泣いた日は数えきれないほどあったし、
15歳だった私には受け入れられないような悲しみが
たくさんありました。全てが、今もまだ夢の様です。
しかし私は震災後、たくさんの「諦めない、人々の姿」を見てきました。
震災で甚大な被害を受けたのにもかかわらず、
東北にはたくさんの人々の笑顔があります。
「皆でがんばっぺな」と声を掛け合い復興へ向かって
頑張る人たちがいます。
日本中、世界中から東北復興のために助けの手を
差し伸べてくださる人たちがいます。
そんなふるさと東北の人々の姿を見ていると
「私も震災に負けてないで頑張らなきゃ」という
気持ちにいつもなることが出来ます。
震災で失った物はもう戻ってくることはありません。
被災した方々の心から震災の悲しみが消えることも無いと思います。
しかしながらこれから得ていく物は自分の行動や気持ち次第で
いくらにでも増やしていける物だと私は思います。
前向きに頑張って生きていくことこそが、
亡くなった家族への恩返しだと思い、
震災で失った物と同じくらいの物を私の人生を通して得ていけるように、
しっかり前を向いて生きていきたいと思います。
最後に、東日本大震災に伴い被災地にたくさんの支援を
してくださった皆様、本当にどうもありがとうございました。
また、お亡くなりになったたくさんの方々に
ご冥福をお祈りし追悼の言葉とさせていただきます。
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朝日新聞社
【こてくんの感想】
・・・・ふうっ。
まだ4年しか経ってないんだな・・・・。
それにしても、彼女。
批判されるかもしれないのに・・・・。
ふうっ。
震災の時の決断の難しさを
改めて感じさせるエピソードでした・・・・
と、わたしは他人事のように書いていますが・・・・・
ほんと難しい・・・・・。
・・・・ふうっ。