小説家 夢咲香織のgooブログ

私、夢咲香織の書いた小説を主に載せていきます。

SF小説 ホロスコープの罠 11変化

2021-06-18 02:55:20 | 小説

 俺を乗せたベッドはゆっくりと穴へと入っていった。ハッチが閉じられ、真っ暗な中へ入るとオレンジ色のランプが点灯して、空間はオレンジ一色に染められた。微かに機械の唸るような音が聞こえ、多分今電磁波を浴びせているのだな、と俺は一人納得する。三十分もそうしていただろうか? プシュッと入り口のハッチが開く音がして、俺はベッドごと元居た部屋へと押し出された。

「お疲れ様。終わったよ」
富永がそう言ってベルトを外す。もう終わりか? 随分とあっけないものだな、と俺はいささか拍子抜けだった。服を着た俺は富永に礼を言って、鞄から現金を取り出して渡した。
「お約束の金です」
「ああ、どうも」
富永は丁寧に札を数えると、ニンマリ笑って、
「これからの貴方の人生は、きっと素晴らしいものになりますよ」
と俺の背中を軽く叩いた。

 俺と美樹は再び車でマンションへと戻った。その日の夜、美樹はいつになく俺を求めた。余りの貪欲さに、俺が思わず
「なあ……どうかしたのか?」
と訊くと、
「うん……何か今日は凄いわ……やっぱり貴方、治療を受けて正解よ」
と喘ぎながら言う。
「なあ、やっぱり俺以外の男と寝るのは止めてくれないか?」
「そうね……考えても良いわ」
俺は心の底から富永に感謝した。明らかに治療の効果だ。そうに違いない。
「金の事なら心配するなよ。一緒に暮らそう。そうすれば他の男に体を売らなくても暮らしていけるだろ?」
「分かったわ」

 それから俺は自分のアパートを引き払って、美樹のマンションで一緒に暮らす事になった。二人で家賃を払えばやっていける。美樹はとうとう他の男と手を切り、晴れて俺達は真の意味で恋人同士になったのだ。俺はまるで夢に描いたような甘い時をしばらく過ごした。それは至福の時間だった。夢なら覚めないでくれ――俺は毎日眠る前にそう唱え続けるのだった。

「山下さん」
ある日の夕方の事である。職場の事務員の女の子が、俺に声をかけてきた。その子は二十歳位の若い女性で、髪をお団子にした、中々可愛らしい顔立ちの娘だった。三橋加奈子という名前だ。
「何です?」
俺がパワースーツ越しに答えると彼女は
「ちょっとお話があるんです。こちらへいらして下さい」
そう言って、俺に付いてくるように促した。俺はパワースーツを脱ぐと彼女に付いていった。給湯室に入ると、加奈子はモジモジしはじめた。赤らんだ頬が可憐だ。
「話っていうのは?」
「はい……あの……好きです。私と付き合ってもらえませんか?」
「えっ?」
俺は正直驚くと共に、少々戸惑った。嬉しい申し出だが俺には美樹がいる……。
「あの、いや、実は俺には彼女がいるんだ。悪いけど」
俺は気の毒そうな目で加奈子を見つめた。
「良いんです」
「は?」
「私は本当に山下さんの事好きですから。だから、貴方に他の女がいたって構わないんです」
「……」
俺はしばらく絶句した。加奈子は思い詰めた表情で、
「私、山下さんと付き合えなかったら死んじゃいます!」
と俺に抱きついた。俺は激しく動揺した。まさかこんな展開になるとは。ここでイエスと言えば、美樹を裏切ることになる。だがこの時、俺の心に魔が差した。以前は美樹だって他に男が居たのだ。ここで加奈子の思いに答えたところで、お相子ではないか?
「……分かったよ。でも、俺に他に女が居るっていう事は理解しておいてくれ」
「はい……嬉しい! 今日この後一緒に食事に行きませんか?」
「う、うん」

 仕事が終わった後、俺達はイタリアンレストランで食事をし、ラブホテルへ直行した。初々しい加奈子の体を堪能した俺は、富永の言葉を思い出していた。

――貴方の人生は素晴らしいものになりますよ

全くその通りだ。やはりこれは治療の効果に違いない。美樹に悪いと思わないわけではなかったが、せっかく降ってわいた幸運を、俺は無駄にする気はなかった。

 それからの俺は、美樹と加奈子の間を行ったり来たりした。ある夜の事だ。加奈子と逢瀬を楽しんだ後帰宅した俺に、美樹が詰め寄った。
「ねえ、前から言おうと思っていたんだけど、貴方他に女が居るんじゃない?」
美樹は疑いの眼差しで俺を見据える。
「何言ってるんだ」
「女の勘よ。それに……」
そう言いながら美樹は俺のシャツの匂いを嗅ぐ。
「やはり、女ね。私のじゃない香水の匂いがするわ」
そう言われて俺はなすすべもなく廊下に立ち尽くした。こんな時どうすれば良いのか、俺の辞書にはない。取り敢えずその場を取り繕おうと、嘘を付いた。
「これか? 今日職場の女の子が急に具合が悪くなって倒れてね。一番近くに居たのが俺だったんで、抱き抱えて応接室のソファーに寝かせたんだよ。その時移ったんだろ」
我ながらスラスラと口を付いて出る言葉に、俺は驚いていた。

 


SF小説 ホロスコープの罠 10治療

2021-06-16 21:24:21 | 小説

 それからというもの、俺は必死に働いた。美樹との関係は恋人とも、悪友ともつかない微妙な状態だったが続いていた。だがホロスコープを変えることさえ出来れば、きっと美樹との関係も変化するに違いない――俺はその希望に向かって、汗を流した。一年たって、まとまった金が出来たため、俺は改めて美樹に話をした。
「金は用意出来たよ。親父さんに頼んでもらえるか?」
「ええ、良いわよ」
美樹はそう言って携帯電話を取り出すと、電話をかけ始めた。
「あ、もしもし、パパ? うん……うん……いえ、そうじゃないの。実は私の彼がホロスコープを変更したがっているの。お金はあるわ……ええ、分かったわ」
「どうだった?」
「今週の土曜日にホロスコープを持ってパパの家へ行って頂戴」
「場所は?」
「大丈夫よ。私が送っていくわ」
「そうか……ありがとう」

 土曜日。俺は美樹の車に乗って、奥多摩の寂れた村に居た。ほとんど山の中と言って良い寒村の、こんな辺鄙な所に本当に美樹の父親が居るのか? といぶかしんだ矢先、
「あそこよ」
美樹の目線を追うと、白亜の四角い大きな建物が目に飛び込んできた。どうやら住宅部と治療施設が繋がっている様だ。美樹は玄関脇の駐車場に車を停めると、俺に降りるように促した。車を降りた俺が美樹に続いて玄関口に立った時、ガチャリとロックの外れる音がして、中から白髪混じりの骸骨のように痩せた顔をした背の高い男が現れた。

「パパ」
「来たな。そちらが患者かね?」
パパと呼ばれたその男が掠れた声で訊ねる。いかにも頼り無さそうな、痩せた体をしていた。俺は内心、こんな男に頼んで大丈夫だろうか? と不安になったが顔には出さず、
「はい。山下海と申します。よろしくお願いいたします」
と頭を下げた。
「富永です。ま、中へどうぞ」
俺は言われるままに中へ入った。長い廊下を歩いて、治療施設と思われるエリアに入ると、永富が廊下の壁に設置されているドアを開けた。
「どうぞ」
部屋へ入ると、そこは普通の個人病院の診察室の様だった。
「椅子にお座り下さい」
診療デスクの脇に向かい合う様にして置かれている黒い椅子に俺が座ると、富永は診療デスクの革張りの椅子に腰掛けて訊ねた。
「ホロスコープの変更でしたね。ホロスコープはお持ちになりましたか?」
「ええ、これです」
俺は持ってきたホロスコープとその解説書を富永に手渡した。富永はしばらくホロスコープをしげしげと眺めていたが、おもむろに顔を上げて話し始めた。

「よろしい。これは改変可能です。未知の度数だけが気がかりですが、まあそれ程問題にはならんでしょう。それで……どんな運命をお望みかな?」
「はい。ええと……とにかく女に好かれて愛されたいんです。出来れば結婚もしたい」
「ふむ……なるほどね。案外普通の願望ですね。良いでしょう。出来ますよ」
「そうですか……」
俺はホッと溜め息を付いた。だが改変するといっても、ホロスコープは誕生時の惑星の配置である。まさか生まれた日を今さら変える事も出来ないだろうに一体どうやるというのか?
「人間には物理的肉体の他にもエーテルやら体アストラル体といったエネルギーの体がありましてな」
俺の疑問を察したように富永が答えた。
「人の運命を決定付けているのは主にアストラル体です。特殊な電磁波を浴びせる事でアストラル体が変容する事が分かっております」
「電磁波……ですか?」
大丈夫なのだろうか? 俺は少し尻込みした。
「大丈夫ですよ。健康に影響はほとんどありません。目に見えないエネルギー体の部分を変えるだけですからね。では、隣の部屋の施術室へいらして下さい。すぐに始めましょう」

 俺は言われた通り、隣室の施術へと入った。広くて白い空間に幾つもの複雑な機械の付いたベッドがあり、そのベッドは壁に開いた円い穴へと入る様な構造だった。CTスキャンの様な感じである。壁の穴からケーブルが這い出して、大きなコンピューターに繋がれていた。物々しい雰囲気に俺は少し気圧されたが、自分の幸せのため、と勇気を振り絞ってベッドへ近付いた。
「服を脱いで、そこの籠に入れて。脱いだらベッドへ横になるんだ」
俺は服を脱いでパンツ一丁になると、恐る恐るベッドへ仰向けになった。富永は機械類のスイッチを押すと、そこから出ているコードの付いたパッチを俺の体に張り付けていく。
「これは、心電図やら体温やらを測るためだよ」
貼り付け終わると富永はベッドに取り付けられたベルトで俺の身体を固定した。身動き出来なくなった事で、俺の不安は更に増した。
「何も心配は要らんよ。君はただベッドで寝ているだけ。後は機械が全てやってくれる。痛くも無いし……まあ、少し熱くなるがね」
「はあ….分かりました」
「よろしい。では始めるよ」

 


SF小説 ホロスコープの罠 09転職

2021-06-15 23:01:49 | 小説

「おい! 開けろよ!」
ドンドン、とドアを叩くとすぐに清美がドアを開けた。
「何よ、叩かなくても良いでしょ!」
「さっきの男は何なんだよ?」
「何の話?」
「とぼけるなよ。俺はさっき、この部屋から男が出ていくのを見たんだからな!」
「ああ……良いわ、取り敢えず上がって」
俺は部屋へ入ると、美樹の肩を掴んだ。
「それで、誰なんだよ、アイツ」
「……店の常連さんよ。手を離して」
俺は美樹から手を離すと大きく一つ溜め息をついた。
「なあ、噂は本当なのか?」
「どんな噂よ?」
美樹は腕組みをして壁にもたれ掛かる。
「お前が……常連客に体を売ってるって」
「ええ、そうよ。それがどうかした?」
美樹は悪びれもせずにそう言うと薄ら笑いを浮かべた。
「どうかした? って、じゃあ俺は何なんだよ! そういう事して、俺に悪いとか思わないのかよ?」
「思うわよ」
「じゃあ、どうして……!」
「お金よ。まだ小説だけじゃそんなには稼げないしね」
「稼げないなら生活レベルを下げれば良いだろう? 独り暮らしなんだし、何もこんなお高いマンションに住まなくても」
俺は改めて部屋を見渡した。4LDKの広い白い空間……独身女の独り暮らしには贅沢すぎる。
「……嫌よ」
「は?」
「私は貧乏暮らしは嫌なの」
「だからって……何も体を売らなくても」
「だって私は他に何も出来ないし、それじゃあ貴方が貢いでくれるとでも言うの? 無理でしょ?」

パン!

俺は思わず美樹の頬を平手打ちした。
「何よ! ぶたなくても良いじゃないの!」
「馬鹿にするからだ! なあ、お前は俺を愛しているのか? 俺と結婚したい……とか思わないか?」
「……分からないわ。私には愛が何なのか、良く分からないのよ」
「畜生! 今度は上手くいくと思ったのに! 」
俺は思い切り壁を叩いた。
「どういう意味?」
「……ホロスコープだ。あれが俺に一生付いて回る! 俺は女に愛されたいだけなのに。!」
「ホロスコープ?」

 俺は美樹に例のホロスコープの話を説明した。美樹は大人しく聞いていたが、聞き終わると笑顔を向けて、信じがたい話を始めた。
「ホロスコープの運命は変えることが出来るのよ」
「なっ? どうやって!?」
「父がね……」
美樹の話によると、彼女の父親は科学者らしい。元々はホロスコープが人間に与える影響を研究機関で調べていたのだが、辞めて闇で人のホロスコープの運命を変更治療する商売を始めたのだ。もちろん違法だ。治療にはかなりの金が必要だが、金さえ用意すれば変更が可能だという。今まで何人も治療を受けて、それなりに効果が上がっているらしい。また、仮に効果が無かったとしても、そもそもそうした治療を受ける事自体が違法行為なため、訴えられる事も無いのだという。

「貴方も受けてみる?」
美樹はキッチンへ向かいながら俺に訊いた。俺は藁にもすがる思いで答えた。
「治療を受けるにはどうすれば良いんだ?」
「先ずはお金を用意して。それさえ出来れば、後は私から父に言っておくわ」
「……分かった」
俺は美樹の差し出したオレンジジュースを一気に飲み干した。

 翌日から俺は新たな仕事探しに奔走した。出版社の給料では、とても間に合いそうになかったからだ。ネットの求人広告で、建設現場の作業員の仕事を見つけた。肉体労働だが、会社から自給されたパワースーツを装着しての作業のため、肉体的条件はさほど問題にされない。苛酷な現場作業のため、給料は破格だった。俺はすぐさま履歴書と応募のメールを送った。それから返事が来るまでの一週間は、まるで一年にも感じた。一週間後に返事が来て、書類審査が通ったから面接の準備をしておくように言われた。俺は久しぶりにクローゼットからスーツを取り出してブラシをかけた。それから三日後、俺は
面接を受け、自分でも意外だったが、あっさり合格したのだった。まあ、業種が作業員であるから、真面目な勤務態度と、仲間とのコミュニケーションスキルさえあって若ければ、後は基本作業を覚えるだけなのだ。

 俺は出版社を辞めて、建設会社で働く事となった。パワースーツを支給され、資材の運搬やら組立やら、基本的な作業を覚えていった。現場監督はちょっと厳しいタイプだったが、仲間や先輩格の作業員達は皆陽気で気の良い奴等で、それが俺の救いだった。地上百メートルの足場を歩きながら、俺はふと横に目をやった。眼下に東京のゴチャゴチャした街が広がっている。真昼の空は青く澄み渡って、白い太陽が作りかけのビルをジリジリ焼いていた。風がパワースーツの隙間から頬を撫でて、汗を乾かしてゆく。出版社に居たときとはまるで違う環境だが、悪くなかった。給料は申し分ないし、確かに作業はキツいが、若い俺にはそれ程苦にはならなかったし、デスクワークしていた時とは違った達成感があった。何より治療費を稼ぐため、という明確な目標があったため、むしろ俺は以前より充実していたのだった。


SF小説 ホロスコープの罠 08逢瀬

2021-06-11 13:44:47 | 小説

 結局俺はそのまま美樹にお持ち帰りされた。ほろ酔い気分で部屋へ入るや否や、俺達は熱いキスを交わし、そのまま寝室へ雪崩れ込んで今に至る。事が終わった後の至福と少しばかり気だるい頭で、俺はこれは現実だろうか? と自問した。隣に目をやると、美樹が下着を着けている所だった。
「何か飲むでしょ?」
美樹はそう言って笑うと、キッキンヘ向かった。形の良い尻が左右に揺れている。夢ではない――この時の俺は最高に幸せな気分を味わっていた。

 冷たい麦茶の入ったグラスを美樹から受け取ると、俺は率直な気持ちを呟いた。
「今の気持ちを正直に言うなら、俺は嬉しいよ。ずっと美樹の事が好きだったし。でも、貴方が俺とこんな関係になりたかったとは意外だった。それに――」
クラブの客に体を売っているっていう噂は本当なのか? そう聞きたかったが、俺はその質問を飲み込んだ。
「それに?」
「い、いや、何でもない」
美樹はフッと笑みをこぼすと、
「私は寝たい男と寝ただけよ。貴方だってそうでしょう? そんなに深刻な顔しないで」
そう言って麦茶を一気に飲み干した。

――寝たい男と寝ただけ――

この言葉に俺は引っ掛かった。
「な、なあ。それってつまり、俺達は恋人同士っていう事で良いんだよな?」
「そう思うわよ。何で?」
「いや、それなら良いんだ」
「変なの。ね、もう一回しましょ」
美樹は俺を押し倒した。

 翌朝、俺はシャワーを浴びると、美樹のマンションを後にした。幸せな充足感で胸が一杯だった。上を見上げると、朝の高い空が青く澄み渡って、まるで今の俺の心を映した様だった。
「ニャー」
足元を見ると、一匹の白い猫が俺を見上げている。猫は少し歩くと振り返り、俺に向かって鳴くのだった。

――何だろう?

俺は猫が付いてこい、と言っているような気がして、後を追った。歩いては振り返り、歩いては振り返りしながら、猫は住宅地の狭間の小さな公園に入って行く。ベンチの上にキジトラの雄が陣取り、その下に数匹の子猫が固まっていた。
「そうか、お前の旦那と子供か?」
俺は白猫に話しかけた。彼女が一声鳴くと、子猫達がわらわらと俺に近付いて来て、体を擦り付ける。俺は子猫を撫でながら、これは良い予兆だ、と思った。

――こんなふうに、俺と美樹も幸せな家庭を築けたら――

目の前のささやかだが幸せな光景が、俺達の未来を象徴している様な気がして、俺は珍しく期待に胸を膨らませた。俺は幸せな気分のまま自宅へ戻り、身支度を済ませると会社へ向かった。

「よう、夕べはどうなったんだ?」
オフィスに入るや否や、小林がニヤニヤしながら訊いてきた。もちろん、美樹との顛末を訊ねているのである。俺は本当の事を言うべきか悩んだが、結局、
「別に……楽しく飲んだだけさ」
と答えた。俺の気持ちにやましいところは無いのだから、正直に答えたって良いのだが、どうもこの小林には真実を告げる気にはなれなかったのだ。言えばきっと、小学生のように冷やかしの言葉を投げつけるのは目に見えていた。俺はそんなふうに二人の関係を茶化されるのは御免だ。

 美樹は一月おきくらいにオフィスに打ち合わせにくるだけで、毎日通って来るわけではないため、その点は気が楽だった。俺は出来る事なら、美樹との事は仕事場では秘密にしておきたかったのだ。もし結婚ともなれば、公にしても良いが、それまでは黙っている事にした。

 それから一月程、二、三日おきに俺達は逢瀬を重ねた。彼女はいつも明るく俺に笑いかけ、その美しい笑顔と、柔らかな体が俺を虜にした。

――ああ、女って良いものだな――

俺は心の底からそう思ったし、彼女にも同じように思って欲しくて、ベッドでは絶対に手を抜かなかった。美樹の顔と体が快楽に呻き、やがて満足の表情を浮かべる所を見るのが何より幸せだった。

――俺はこれだけの美女を満足させてやれるだけの価値がある――

そういった種類の自信が、俺の心身を駆け巡った。そしてそれは、事の他気持ちの良い物だった。俺は美樹に、彼女との関係に夢中だった。

 一月程経った頃だ。いつもの様に美樹のマンションへたどり着いた俺は、信じがたい光景を目にした。美樹の部屋から男が出てきたのだ。男は白髪混じりの中年で、高級そうなスーツに身を包み、
「じゃあな、ハニー。また来るよ」
とドアの向こうに甘いセリフを投げて部屋を出た所だった。俺は咄嗟に素知らぬ顔をして男とすれ違い、ドアの前を素通りして――どうしてだろう? 何故俺がそんな真似をする必要があるのか?――廊下の端まで歩いて振り返り、男の姿が消えたのを確認してから、美樹の部屋のドアを荒っぽく叩いた。


SF小説 ホロスコープの罠 07銀座

2021-06-10 21:18:35 | 小説

 七時をちょっとだけ過ぎた頃、美樹は約束通りやって来た。昼間は明るいパステルカラーのスーツだったが、今は真っ赤な体にフィットするスーツに着替えていた。ただでさえ派手な顔立ちがよりいっそう引き立って、女神というのが居るなら、きっとこんなふうじゃないか、と俺は思うのだった。
「ご免なさい。ちょっと遅くなったかしら」
「いや、俺も今仕事終わったところです」
「そう。じゃ、行きましょ」

 美樹は俺の腕を取ると、半ば強引にオフィスの外へ連れ出した。エレベーターで一階のフロアまで降り表へ出ると、既に辺りは暗かった。通りに並んだ街灯と、オフィスの窓の明かりがアスファルトの道路に明るいモザイク模様を描いている。脇にタクシーが停まっていた。タクシーに乗り込んだ俺は、行き先を聞いていなかった事を思い出し、美樹に訊ねた。
「それで、何処へ行くんです?」
「銀座よ」
「え……でも、銀座のクラブとか、高級なんじゃないですか? 俺、そんなに経済的余裕ないですよ」
情けないが本当の事である。美樹はクスッと笑うと、
「そんな事は百も承知よ。私の働いているお店なの。割安で入れるわ。というか、私が奢るわよ」
と言って俺の脇腹を肘でつついた。
「何か悪い気が」
「良いのよ! 私の方が誘ったんだから。気にしないで。さ、行くわよ! 運転手さん、銀座ね」
ロボット運転手は
「承知いたしました」
と味気の無い声で告げると、ゆっくりとタクシーを発進させた。

 銀座の繁華街のとある高級クラブの前でタクシーは止まった。タクシーを降りた俺はクラブの下り口を見て固まった。本当にお高そうなクラブである。大理石の柱に嵌まったドアの作りからしていかにも高級そうだ。
「そんなに緊張する事ないわ。要するにただの飲み屋よ」
美樹はそう言って笑うと、俺の腕を掴んでクラブのドアを開けた。薄暗い廊下を進んでフロアへ出ると、眩しいシャンデリアの光が俺の目に飛び込んできた。夜の盛り場らしく、オフィスの様に明るいという訳ではなかったが、落ち着いた暗いオレンジ色の空間の中で、シャンデリアはダイヤモンドの様に輝いていた。

「こっちよ。席は予約してあるの」
美樹は自分の胸に俺の腕を押し付けるようにして腕を絡めると、一番奥の席まで俺を案内した。
「座って」
俺は言われるままにソファーに腰を下ろすと、改めてまじまじとフロアを眺めた。各ブロックに並べられた革張りのソファーが、一層高級感を演出している。
「これ、本物の革かい?」
俺はソファーを手で押した。
「え? ええ。そうだと思うわよ。でもそれがそんなに重要な事かしら?」
美樹はメニューを見ながら不思議そうな声を出す。重要かしら、だって? もちろんそうだ。今時本物の革を使った製品など、正真正銘の高級品にしか存在していない。地球環境保護のために、もう随分前から、動物の革を使った製品の製造は厳しく規制されているのだ。だが美樹はそんな事には興味が無い様子だった。

「とにかく、何か頼みましょ」
美樹は俺にメニューを渡した。俺はメニューに書かれた酒類の値段を見て、頭がクラクラしはじめた。ビール一杯が三千円だって!?
「心配要らないわ、私が払うんだから」
俺の心を見透かした様に、美樹はクスリと笑った。
「じ、じゃあ取り敢えずビールにしようかな」
「分かったわ」
美樹はテーブルのベルを押してボーイを呼び出すと、
「私はジントニック。こちらはビールね」
とオーダーした。俺はソファーの背もたれへ深く体を埋めると、フウッと一息付いた。新宿の焼鳥屋ならともかく、こんなお高い空間は落ち着かない。

 ビールとジントニックが運ばれてきて、取り敢えず俺達は乾杯した。俺はビールを一口飲んでみた。さすが、高級クラブだけあって、その辺で買うビールとは味が違う――とは思わなかった。正直、どこがどう違うのか分からない。こんな物が三千円……
「ほとんど場所代よ」
俺の疑問を察した美樹がすかさず答える。そうか、場所代か。言われてみればそうだよな。銀座の一等地だからな。

「あの……何て言うか、こんな高級クラブの高級ホステスやってる美樹さんが、何で俺なんか誘ってくれたんです? いつももっと上等な客達と飲んでるんでしょう?」
「そうね……私が貴方の事気に入ったからなんだけど、それじゃ駄目かしら?」
美樹は悪戯っぽくウインクすると、ジントニックを一口口に含んだ。
「駄目だなんて……」
俺の心は密かに舞い上がった。
「いや、嬉しいけど」

――体を売ったりもしてるって――

小林の声が頭を過った。
「それってつまり、俺の事が好きっていう風に解釈して良いのかな?」
「そうよ。好きでもない男にわざわざ奢ってまで飲ませる程物好きじゃないわ」
美樹は当たり前でしょう? という表情で溜め息を付いた。

 この時の俺の気持ちを想像してみてくれ。文字通り、俺は驚きと共に天にも昇る気分だった。