小説家 夢咲香織のgooブログ

私、夢咲香織の書いた小説を主に載せていきます。

短編SF小説 星降る畑 08母さん

2021-03-26 17:54:47 | 小説

 そう口に出した所で目が覚めた。古びた木の天井を見ながら、涼太は呟く。

「夢……」

ハナが涼太の顔に前足を乗せた。涼太はハナの足を退けて、枕元を見る。紙に包まれた植物の種が置いてあった。

「じゃなかった」


 涼太は朝飯を済ませると収穫したトマトの仕分けを始めた。これは村上さん家の分、あれは安田さん家の分、といった具合に。お昼も過ぎた頃、珍しく玄関の呼び鈴が鳴った。近隣の物は皆、呼び鈴を鳴らさずに引き所を開けて大声で涼太を呼ぶ。ははあ、これは遠来の客だな、と涼太は思った。

 
 玄関の戸を開けると、老女が立っていた。エレガントな水色のスーツに身を包み、つば広の帽子を被っている。ふんわりと爽やかな香水の匂いが漂った。道路にタクシーが停まっている。涼太は何処かで見た女性だと思った。そうだ、睡蓮だ。大分歳をとっているし、髪と瞳の色が違うが。老女は、涼太の顔を見るなりハラハラと泣き出した。

「涼太……」

「どうしなさったね?」

「覚えてない?」

「あっ。もしかして……。いや、違ってたらすまんが、母さんかね?」

「ええ。ええ。貴方の母の絹枝《きぬえ》です!」

絹枝は大粒の涙をこぼした。その姿を見て涼太は戸惑いを隠せなかった。

「どうして……。いや、まあ、こんなところで立ち話も何だし、上がって下さい」

 
 涼太は努めて冷静さを装い、麦茶とお茶菓子を卓袱台《ちゃぶだい》の上に置くと、絹枝の向かいに座った。

「まあ、遠くから来なさったんだろうし、まずは茶でも上がって下さい」

「有り難う。頂くわ」

絹枝は涙をレースをあしらったハンカチで拭うと、麦茶に口を付けた。

「それで……。どうしてまた急に来なさったね? 俺は母さんが生きとった事も知らんかったですよ」

「今まで連絡もせずに悪かったわ。でも、辰雄さんと喧嘩別れしてしまった身だったから。けど、私も歳だし、どうしても貴方に会っておきたくてね」

「何が原因で親父と別れたんですか?」

「私は田舎暮らしって馴染めなかったから、辰雄さんに畑を辞めて東京で暮らすように言ったのよ。仕事なんてどうとでもなるからってね。あんな細やかな畑じゃ収入も知れているでしょう? そしたら、お義父《とう》さんが怒ってね。『畑を辞めるなんて許さん!』って。辰雄さんは散々悩んだ末、お義父さんに従ったわ」

「そうだったんかね……」

「ええ」
 

絹枝は麦茶を一口飲むと続けた。

「今日は、貴方に同じことを言いに来たのよ。いい加減畑なんて辞めて、私達と東京で暮らさない? こんな田舎で、独り暮らしじゃ心配だわ。経済的にも苦しいでしょう? 今時、独りであくせく農作業なんかしなくても、都会で働けばそれなりに稼げるわ。私東京で再婚してね。子供は居ないけど、主人と仲良く暮らしているわ。とても良い人よ。私達、きっと上手くやっていけるわ」

涼太はしばらく押し黙った。

「そんなに悩むことかしら?」

「母さん、悪いけど、俺はここで畑を続けようと思うんです」

「まさか、お義父さんの『天女』の話を信じてるんじゃないでしょうね」

「俺は……。俺は信じます。うちの畑は天からの授かり物です。俺はそれで村の衆が天へ行けるようにしたいんです。食べることは生き物の基本だし、それを支える仕事に俺は誇りを持ってます。それに、俺はここの暮らしが好きだし。すみません」

「そう……。残念だわ」

絹枝は落胆を隠さなかった。

「これ、私の住所よ。何かあったら何時でも連絡して」

小さなメモを手渡すと、絹枝は待たせてあったタクシーで帰っていった。
 

 涼太はタクシーを見送った後、しばらく呆然と立ち尽くしていた。あれが母さんか。身なりを見る限り、東京で幸せに暮らしている様だ。なら、それで良いではないか。今さら来られても、俺はもう星降る畑の農夫だというのに。

「ミャー」

ハナが足元で寝転んだ。

「ハナさん。そうだな、俺にはお前が居るしな」
 

 夕方になって、謙治が淳を連れてやって来た。

「お陰様で、淳の具合良くなったわ。これはほんのお礼だし、受け取ってくれ」

謙治は空色のTシャツと、菓子折を涼太に手渡した。

「それは良かったな。でも、こんなに礼を貰ったら、却って悪かったような気がするわ」

涼太は首の後ろを掻いた。

「いやいや、それだけの事はしてもらったしな。それに、涼太んとこの野菜はやっぱり特別だと思ってるからな。淳が言うとったわ。涼太のトマト食べたら、何やら体がスーッと軽くなって、楽になったって。な、淳?」

「うん。楽になって、眠れてな、不思議な夢を見た」

「そうか、夢か……」

「宇宙を旅行する夢。綺麗な女の人がガイドしてくれてな、変な星へ行ってきたわ。おじちゃんも居たよ」

「宇宙……」

「おじちゃん、僕、おじちゃんの畑手伝っても良い?」

「おう、もちろん良いよ」

「有り難う」


謙治と淳は笑顔で帰っていった。

 
 涼太は謙治の車を見送りながら、村を見渡した。日が既に傾いて、周囲を赤く染めている。今日もまた、空には満点の星が輝くことだろう。星は優しく涼太の畑を照らして、野菜を清めるだろう。星降る畑の野菜を食べて、村人たちは天へ近付いて行く。こうしている間にも天では心ある人々が魔界と戦っている。いずれ地球人も明確な意思を持って、魔界と闘うようになるだろう。その為に涼太は畑を世話するのだ。祖父ちゃんと同じように。それはきっと意味のあることに違いなかった。

 
 ハナが涼太の脚に体を擦り付けた。

「おう、ハナさん。それじゃ、そろそろ飯にするかね」

涼太はハナを抱き抱えると、家へ戻った。