いろいろ虹色日和

虹は七色、心もいろいろ。
日々の様々な色や大好きな事&物を綴っていこうと思っています。

シガ廃人(シークレット・ガーデン廃人)の為に話題は継続中

2011-01-18 09:49:25 | シークレットガーデン
↓こちらは昨日の記事ですがイノライフさんより
http://www.innolife.net/

  キム・ウンスク作家、『シークレットガーデン』平凡なエンディング…描きたいことを全て描いたか?



秘密の花園のキル・ライムは、人魚姫ではなくシンデレラだった。
16日に放映終了したSBS週末ドラマ『シークレットガーデン』で、
キム・ジュウォン、キル・ライムカップルの波瀾万丈のラブストーリーは、
結婚式は挙げることはできなかったが、婚姻届を出して3人の子供に恵まれ
仲睦まじく暮らしながらハッピーエンドをむかえた。

放映終了を目前にして、キム・ウンスク作家は結末に苦労したと明らかになった。
放映終了を控えて『シークレットガーデン』のある制作関係者は、
「キム作家が結末をめぐって最後まで悩んだようだ。台本流出も問題だが、
結末をめぐる視聴者の反応も無視することはできないだろう」とささやいた。
そして結局蓋を開けた『シークレットガーデン』の結末は、平凡なハッピーエンドだった。
シンデレラストーリーを超える強力な結末が予測されたが、
結局愛を完成した王子様とシンデレラの平凡なラブストーリーだった。
2%不足した平凡なハッピーエンドは、
キム・ウンスク作家が視聴者の意見や視聴率を意識しないで、
作家が描きたい内容を思い切り描いたのかという疑問が生じる。



特に最終回にハッピーエンドを望んだ視聴者の願いを聞き入れたかのように、一時間に4回のキスシーンの他に、
甘いロマンスが続いた点も視聴者のためのファンサービスのようだった。
最終回で葛藤が終結して、すべての出演陣が各自の幸福を求めるハッピーエンドで視聴者は満足したが、
長い余韻を感じさせることができなかったという点では物足りなさを感じる。


[写真=SBS画面キャプチャー]



↓こちらはOSENさん本日の記事

  オ・メイチンあるドラマ、'シークレット ガーデン'が犯したこと

打者(タイプ)をまた発見するようにさせたドラマ、'シークレット ガーデン'


[OSEN=チョン・トクヒョンの四角形の世の中]
いったいこのオ・メイチンあるドラマが私たちにどんなことを犯したのか。
35%の最終回視聴率で'シークレット ガーデン'のあらゆる事を話すことにはならないようだ。
正統メロドラマがますます退潮しているこの頃、35%という視聴率の体感温度は50%以上の国民ドラマに次ぐことであるから。
その体感を語るように、'シークレット ガーデン'はその一挙手一投足に症候群を産んだ。
"がオ・メイチン1人の女性だ。" "これがチュェソニムニが? 確実ですか?" "キルライムシはいつからそんなに美しかったか?"
キム・ジュウォン(ヒョン・ビン)がした話はそのまま流行語になったし、
彼とキルライム(ハ・ジウォン)のスタイルは流行になったし、さらに彼らが読んだ本は一挙にベストセラーになった。

いったい'シークレット ガーデン'のその何がこういうオ・メイチンある症候群を産んだのだろうか。
先に指定することはキム・ウンスク作家のより安らかながらも深さがある台本だ。
恋人シリーズで大衆の愛を受けたキム・ウンスク作家が'シークレット ガーデン'で
また彼女が上手なシンデレラの話を持ってきた時、多くの人々は"また、財閥集息子の話が"と疑問を持ったのが事実だ。
だが、同じシンデレラの話でも全く違う響きを投げることができるということを
キム・ウンスク作家はこの作品を通して見せてくれた。

'オンエア'と'シティーホール'をたどりながらキム・ウンスク作家の作品はもう少し意味が深くなったのが事実だ。
もちろん視聴率は過去と比較できなかったが'シティーホール'のような作品は
メローがある程度まで拡張されることができるかをよく見せたし、
何よりこの作家が今は一つの空間と世界を作り出すことができるという可能性を見せてくれた。
だが、ドラマがどこ大衆性から自由なことができるだろうか。
結局またメローに戻ったが'シークレット ガーデン'は彼女が最も上手に出来る
その安らかな世界の中でも十分に新しくて意味ある作品ができた。

'シークレット ガーデン'はト詩人らのための同化(動画、童話)だ。
現代版白馬弾王子様はキム・ジュウォンというデパート社長で、
シンデレラであり人魚姫でありアリスのキルライムは猛烈に全身をぶつかって生きていく
現代女性らを表徴するスタントウーマンだ。
ドラマはシンデレラ、人魚姫、不思議の国のアリスのような苦戦らでモチーフをつかんできて
都市人の同化(動画、童話)で再構成する。
それは互いに違う世界がぶつかりながら時には葛藤して時には共感して徐々に一つに成っていくその過程を描く。
シンデレラと人魚姫の王子様と公州(王女)らの出会いはキム・ジュウォンとキルライムの話に入ってきては
時にはハッピーエンドを時にはセドゥエンディンを予告して大衆を泣いて笑うようにした。

そして'不思議の国のアリス'は魂チェンジという魔法的なファンタジーで再誕生されながら
私でない他の出て行ってなりたい欲望と逆にまた私に帰りたい欲望の変化をこの階層も性別も他の男女を通して見せてくれた。
この一連の苦戦らを引き込んで'シークレット ガーデン'が描き出した世界は
それで互いに違う存在らがお互いを体験しながら持つようになる共感の話だ。
'その男'とは'その女'になって、'その女'とは'その男'になるその過程は
階層で男女に区分される現代人らの一つになりたいファンタジーを引き出した。

何よりこういう台本の中キャラクターらを完ぺきに延期(煙、演技)やり遂げたヒョン・ビンと
ハ・ジウォン、ユン・サンヒョンとキム・サランをはじめとする及ぼした存在感の助演俳優たちの
演技があったのでこういう世界の構築が可能になった。
ヒョン・ビンいないキム・ジュウォン、ハ・ジウォンいない道ライムを想像できなくなったことは
それだけキャラクターと一切なった彼らの延期(煙、演技)のおかげだった。
もちろんこういう台本と延期(煙、演技)を最も美しく描き出したシン・ウチョルPDの演出も省けない。

名作は完全に新しいどんなもので作られるのではない。
最も習熟して最もありふれていることの中でかえって名作は誕生する。
それほどお決まりの人生が私たちの日常であり、作品はそのお決まりの人生に特別な意味を付与するためだ。
'シークレット ガーデン'はそのように常時私たちが体験するものである
私と打者(タイプ)との関係をまた見るようにさせた。
あなたの'その男','その女'は今どこにあるか。
その平凡に見えても特別な存在らはもしかしたらすぐにあなたのそばにあるかも知れない。
こういう認識がすぐにオ・メイチンあるドラマ'シークレット ガーデン'が私たちに犯したことだ。


/チョン・トクヒョン大衆文化コラムニストmansuri@osen.co.krブログhttp://thekian.net/

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