本部半島の先っぽの海の向こうはかつて祖父が基隆から門司へと通った道。
敗戦後80年の時を経て、祖父の最後の航海と最後の地はどこなのか?
昨年から亡くなった祖母や父の言葉を頼りに旅をしています。
ただ、久しぶりに祖父の軍事通信を見直すと、基隆から門司のルートは徴用
される前のルートだったか、配属部隊が変わったのか?
昭和18年の軍事通信は南海派遣暁2950部隊で部隊長名も資料と同じなので
最後はこの部隊だったんだろうな。この部隊はパラオからパプアニューギニアに
転戦する部隊なので、基隆は徴用される前の航海だったのか? だから息子の父に
語って聞かせていたのかもしれない。祖父の最後は東シナ海やら黄海やら日本海
と諸説があったけど、本当はもっと違う海なのかもしれない。
ホテルのTVで朝2回もこの本の紹介を見ました。
お取り寄せ中でまだ読んでいないのですが、母もパポちゃんのように旅を
しているのかもしれない。祖父は兵隊さんじゃなく船の賄い方? 料理をしてい
たようです。最後の航海ではこの船は多くの兵隊さんを運んでいたのか?
敗戦後80年、今年はいよいよ戦没した船と海員の資料館に行って調べるか。
「海に墓標を」というのは重い言葉だと思ってきました。
母の泊まったホテルの近くには備瀬地区戦没者の碑がありました。南部だけ
でなくこちらにも犠牲になられた方が多くおられます。その碑の前は
エメラルドビーチ。海にも陸にも多くの悲劇があったことを想いながら散策
しました。戦争は遠いことじゃない。すぐそこにあることを忘れない。