1950年朝鮮戦争勃発の年に生まれました。(私は記憶のカケラもありませんが)
終戦直後の物の無い時代より少し恵まれた、戦後の急成長の中で成長期を過ごしました。今のように物に溢れた時代ではなく、次々と新しい物が出現し、ワクワクドキドキを味わえる時代でした。
小学5年生の時、父親を事故で亡くしましたが幸い祖父が健在で生活の苦労はありませんでした。ただ、父の死に直面しても涙が出なかった泣かなかった記憶があります。
幼かったのか、ショックで呆然としていたのかわかりません。
今のように傷ついた子供の心のケアなんて無関心だった時代で、親もそんな心の余裕も無かっただろうと思います。
6年生の時に書いた詩に「花の命は短くて・・人の命も・・」と言う内容のものが、父兄の中で評判になったような記憶があります。
「亡くなった父親」に想いを寄せるときは、卒業や結婚、子供の誕生の時、「生きていたら喜んでくれただろうに・・・」と一人で涙したりしました。
また、たまに得体の知れない深い寂しさに襲われる時がありました。
今考えると、ショックの傷がふっと痛むときだったかもしれません。
中学の修学旅行で、東京の三越デパートで大きい犬の縫いぐるみを、お小遣いははたいて買って帰ったのが私の初縫いぐるみ。
ハグの欠乏症、癒しの目玉・・・縫いぐるみ作成の原点はここだったかも!
そうして元気な学生時代、青春時代を過ごし無事結婚し、親になり、婆になり、還暦を迎えることができました。
今は、物に溢れる中での生活。
今後は少しづつ整理して、身辺をシンプルにしていかなくてはと思っています。
今日は、息子達家族がお祝いの席を設けてくれました。
プレゼントも頂きました、とても幸せな時間をありがとう!
お友達へ、心ある御祝メッセージをありがとう!
そして愛するベアたちへ、いつも癒してくれてありがとう!
皆さん、本当にありがとう!
終戦直後の物の無い時代より少し恵まれた、戦後の急成長の中で成長期を過ごしました。今のように物に溢れた時代ではなく、次々と新しい物が出現し、ワクワクドキドキを味わえる時代でした。
小学5年生の時、父親を事故で亡くしましたが幸い祖父が健在で生活の苦労はありませんでした。ただ、父の死に直面しても涙が出なかった泣かなかった記憶があります。
幼かったのか、ショックで呆然としていたのかわかりません。
今のように傷ついた子供の心のケアなんて無関心だった時代で、親もそんな心の余裕も無かっただろうと思います。
6年生の時に書いた詩に「花の命は短くて・・人の命も・・」と言う内容のものが、父兄の中で評判になったような記憶があります。
「亡くなった父親」に想いを寄せるときは、卒業や結婚、子供の誕生の時、「生きていたら喜んでくれただろうに・・・」と一人で涙したりしました。
また、たまに得体の知れない深い寂しさに襲われる時がありました。
今考えると、ショックの傷がふっと痛むときだったかもしれません。
中学の修学旅行で、東京の三越デパートで大きい犬の縫いぐるみを、お小遣いははたいて買って帰ったのが私の初縫いぐるみ。
ハグの欠乏症、癒しの目玉・・・縫いぐるみ作成の原点はここだったかも!
そうして元気な学生時代、青春時代を過ごし無事結婚し、親になり、婆になり、還暦を迎えることができました。
今は、物に溢れる中での生活。
今後は少しづつ整理して、身辺をシンプルにしていかなくてはと思っています。
今日は、息子達家族がお祝いの席を設けてくれました。
プレゼントも頂きました、とても幸せな時間をありがとう!
お友達へ、心ある御祝メッセージをありがとう!
そして愛するベアたちへ、いつも癒してくれてありがとう!
皆さん、本当にありがとう!
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