難病パーキンソンと共に・生きる!

初めまして、私がパーキンソン病と宣告を
受けてから現在に至るまでを出来るだけ
克明に記したい・・と、思っています。

入院 2日目 9月26日 (金)

2012年08月15日 | 日記


  今日は、朝から検尿・・それに・・採血・・を5本採った。


  今日は、若い男の看護師さんが担当だった、午後からは、泌尿器で診察があり


  貰って来た、泌尿器の薬を飲んだら急に血圧が低下した・・L 50 H 90・・と、

  なったので・・止めた。

検査入院のため名大附属病院に・・

2012年08月14日 | 日記


  それから・・名大からの連絡を家にて待ったがなかなか連絡がないので、此方から毎週のように電話をして聞いた。

  検査入院を待ってる内にも・・症状は段々と悪くなってるので(殆ど一日中目が閉じた状態が続いた)・で・毎週のように

  病院に電話した・・。そして、やっと・・2008年9月25日入院・・と、決まった。


  2008年9月25日 木曜日 朝6時に起きて家内に連れられ午前9時に国立名大附属病院に着いた・・・そして

  先ず、地元の病院から借りてきたMRIのフィルムを出して、渡した・・。

  自分の部屋は 10Fの西病棟1008号・・略して・・10W1008に入る前にいろいろ・・書類を書かされた。


  そして、自分の部屋に入れてもらった・・当日の 担当看護師は野々垣さん・・で、もう早速に10時になると

  頭の検査のための・・MRI・心電図・単純撮影 など・・をして、11時30分頃部屋に戻った。


  午後は 院内(病棟内)を案内してもらった、

  そして、また午後4時からは首のMRIを撮った。

  そして、また室内に入ると身長を測られたが・・また、4cmちじんでいるのにはビックリした。

  これで・・学生時代より8cmも身長が短くなった訳だ・・歳老いて背骨が曲がったのが原因である。

初めての診察・・

2012年08月13日 | 日記


  そして、そして・・平成19年11月8日に初めて地元の市民病院の「神経内科」にて、「T] Drに

  診察をしてもらい・・MRIも撮ってもらった結果「パーキンソン病」と診断され・・コレを飲むように・・と、

  「マドパー」と、言う薬を処方されたが・・3日間続けて飲んだら・・元々胃の弱い私には強過ぎたのか・・

  胃がキリキリ痛くなったので止めてまた次週来院し事情を言って薬を変えてもらった。

  今度は、「ネオドパストン」・・と、言う薬をもらい一日2錠飲んだが効果はなく・・段々と悪くなるようだし・・

  以前にも此処の病院の内科で誤診された事もあるので・・担当医に「悪いけれど・・病気が病気なので・・

  もう少し、しっかりした病院に行って診察してもらってはダメですか?」・・と、言い難くかったけれど・・

  思い切って頼んでみた所・・快くOKしてくれた・・ので・・翌年6月に名古屋市鶴舞の国立名大附属病院にて

  また、最初から検査をしてもらう事となり・・2008年6月より検査入院のための部屋待ち・・と、なった。

  平成20年・・2008年の事である・・。

難病パーキンソンと、共に生きる私の人生

2012年08月10日 | 日記


 私が、自分自身の身体にハッキリと、異常を感じ始めたのは今から5年前の平成19年位だった・・と、思う

 61歳になり市内のマックにて、シルバーとして、バイトをしてたが・・2・3年するとショッピング内を

 歩いていても・・真直ぐに歩かれなくなり度々人にぶつかりそうになったが・・相手が人だから避けて

 歩いてくれるが・・ショッピング内の柱などに・・良く頭をぶつけたりした。

 その内、手摺りを、持たないと真直ぐに歩く事も・・出来なくなって来た。

 けれど・・少し前・・私が64歳の頃兵庫県に住んでる私の義姉が亡くなったので葬儀のために姉夫婦と私達夫婦で

 兵庫県迄行く事になった・・そして、宿が姫路にとってあったので・・姫路で一泊した・・

 姉夫婦は義姉が入院中にも一度来てるので・・私達に此処から姫路城が・・近いので未だ時間があるので見て来るように・・

 と、勧められたので・・私も歴史は好きなので・・家内と姫路城に向かって歩き始め目の辺りに姫路城が見えて来た所で

 突然に・・眼が見えなくなってきた・・折角此処まで来たのに・・とは・・思っても目は見えないので・・

 仕方なく、断念し!宿に引き返した・・。

 そして、葬儀をすませ、帰宅後・・平成19年9月頃・・市内の総合病院の眼科に行き診察してもらったが・・結果

 これは・・「眼科」でなく・・「神経内科」・・に行って診てもらうようにと・・言われた。