回るモノの話:1️⃣

2022-05-02 11:57:17 | まとめノート(精神世界)
回るモノと聞いて何を想像するだろうか。地球?時代?メリーゴーランド?
色々な想像ができるかもしれない。
では、それらは我々にとって
どういう影響しているだろうか。

宇宙や自然界において回るというのは、
全てのモノの本筋と言っていい。
虫が巣を作る方法であったり、
巻貝の殻の形であったり、
地球の自転や公転であったり、
太陽が銀河系を回りながら
移動していたり、
あげただけでも色々だ。

では、人間に対してはどうだろうか?
実は人間も例外ではない。
人間の場合は「ループやスパイラル、
習慣やルーティン、循環」と言えばわかるだろうか。

実は人間の場合は「因果応報」や
「情けは人の為ならず」という
言葉にも関係がある。
あまり知られていないが、
「情けは人の為ならず」
ということわざは、
「誰か他人が困っていた時、
貴方が何か情けをかけて助けてあげても、その人が次、同じ問題にぶち当たった時に1人で解決できなくなるから。タメにならないので止めておきなさい。」
という意味ではなく、

誰か他人が困っていた時、貴方がその人を助ける事で、今した行いはいずれ自分が困った時に帰ってきますよ。
という意味で、
「情けは人の為ならず、
巡り巡って己が為に」というのが
本来の形であったりする。

最近は悪い方ばかりの意味で
使われてる事が多いが、
本来は因果応報も
上記のことわざと同じで、

善悪関係なく、自分がしたことはいずれ自分の元に戻ってきますよ。
という話だ。
これが分かると、
意外と幸せになる方法というのは
簡単だった事に気がつける。

ぜひ今後に活かして貰えると
嬉しいと思い、
今回は違う視点の話を書いてみたが、
どうだったであろうか…?

信仰の話

2022-05-01 17:23:37 | まとめノート(精神世界)
今回は信仰についてを、
掘り下げていきたいたいと思う。

まず、信仰とは何か。
例を2つあげるので読んで頂きたい。

1️⃣:人間以外を対象とした場合。
(今回は水を例にあげます)
まず水に人間と似た様な身体を、
想像し当てはめて見る。
すると水の魂が宿った人間と
似たようなモノが出来上がる。
外側は人間と似てはいるが、
元が人間とは違うモノなので、
分類としては神や精霊となっていく。
すると神や精霊となったそれは、
己に身体を与えた者達に、
助言や警告をする。
その助言や警告を聞き入れて
適切な行動をする者が信者となり、
神や精霊を崇める。

2️⃣:人間が対象の場合。
目に見える対象が人間の場合、
1つ目のような想像はしない。
目に見えるそれが、
周囲の者に助言や警告をする。
その助言などを聞き入れ、
適切な行動をとった者が、
信者となりその人間を崇める。

どちらも、ある特定のものを崇めている。これを信仰と呼ぶ。
上記の例により「信仰とは何か。」
を知ることが出来たが、
それと同時に2パターンあったのを
理解頂けただろうか。

1️⃣の例は、どんなモノにも魂が
宿るという考え方で自然信仰と呼ぶ。
アミニズム、シャーマニズムとも呼ぶ事もある。
凄く簡単に言うと自然(宇宙を含む)を
擬人化し、その対象にお話を頂くという考え方だ。
日本の神道はこの考え方が多い。
(偉人を御祭神としている場合のお社は、次の例に該当します。)

2️⃣の例は、
要するに仏教やキリスト教などの
信仰の仕方だ。
元々目に見える信仰対象なので、
その人達からからお話をいただく
という考え方だ。

要するに大まかな違いは、
見えるか見えないかだ。
どんな宗教を選んで、
何を信仰しようと構わない。
というのは、
結局この部分に繋がってくる。
見える見えないだけの話なら、
両方を信仰しても良いし、
両方とも信仰しなくても良い。
何も信仰しなくても良い。

外界の神は興味なくて、
信仰したくないけど、
自分自身を信仰したいというのであれば、自分自身を信仰すれば良いのだ。

自分自身も内なる神なのだから。

神の話:2️⃣

2022-04-30 22:01:47 | まとめノート(精神世界)
前回は、
創造主様と宇宙の関係について触れたが、今回はもう1つの方の神の話。
一般的に宗教などで神と呼ばれている存在たちの話だ。

ひと口に一般的に神と呼ばれている存在でも、地域や宗教の考えによって異なる。

西洋系宗教の考え方には、
大まかに2つの種類があり、
それを一神教多神教と呼ぶ。
どちらの考え方も大元は同じ教えであったが様々な地域に伝えて行くにつれて、各地に元々あった別の信仰と統合された事で信仰の仕方が変わり、
分岐して様々な宗教になって行った。

次に東洋系の仏教系の考え方だ。
東洋系宗教にも西洋系と同じように各地に元々あった別の信仰と統合される動きはあったものの、そもそもの話、
神よりも解脱した人間の方が偉い
という考えがある。
(解脱とは悟りを開いたという事です。)

西洋と東洋と言うだけでも、
神の扱いにおいてこれ程の考え方の違いがある。
その上、仏教的考えにおいては、
神というものの概念の違いだけではなく、宇宙創成の概念もない。
仏教系世界観において宇宙の概念とは、
この宇宙は、
ずっと昔から続いており、
これからも未来永劫ずっと続いていく、ただそれだけ。」
という考えである。
要するに前回の記事の
創造主様の話は存在しないのだ。

以前の記事にあれだけの量で、
書いた内容は仏教的考えから見ると、全く参考になるものでは無いのだが、日本神話(神道)においては宇宙創造が存在していたりする。
よって、の考えを信じるかは自分次第なのだ。

日本人は過去の戦争の影響によって
無宗教になった人が多いが、
神道は未だ廃れず、かと思えば、神道を強制されることも無くどんな宗教も自由に信仰できる。
すごく不思議で自由な国になった。
このチャンスを活かして、
自分自身が何を信じるか。
それを楽しんでみると良いかもしれない。

最後に私が小耳に挟んだ程度のウワサ話でほとんど参考にはならないと思うが、
興味があったら読んでみると良いかもしれないネタをおいて神の話は閉めようと思う。

「処刑後のイエス様は死んで蘇ったのでは無く、そもそも死んではおらず東洋の方へ旅に出てお釈迦様の教えを学び、とてつもなく感動した後、最終的に今の青森の辺りで生涯を終えた。」
この話を、信じるか信じないかはあなた次第だ。

神の話:1️⃣

2022-04-30 10:38:32 | まとめノート(精神世界)
以前の記事で宇宙とは神であると書い
たが、実を言うと厳密には少し違う。
その理由は、
1、宇宙が先ではなく神が先であるから。
2、神と一言で言っても、考え方や出身地、種類によって複数存在するから。
という2点の理由があげられるからだ。
今回の記事は1の理由の方の話を取り上げる。

確かに宇宙は全ての魂であるが、
宇宙を含め全ての魂は元々1つの存在から創り出されている。
それはどういう事なのか。
創造主とは何者なのか。
ビックバンとは何なのか。

創造主とは宇宙を含め全ての魂の原点で
あり、全ての魂の頂点であるお方だ。
宇宙ができる前、創造主様は何も無い中、光の塊として1人でおられた。しかしある時、創造主様は「私とはいったい、何者なのだろうか?」とお感じになられた。
そこで、ご自身のコピーである魂をお創りになった。
創造主様は魂達に「貴方達は、愛と幸せと光で、できています。」
と仰らた。
すると魂達は「それは何か?」と思った。
(以下は以前の記事で書いたので省略する。)

ビックバンとは、創造主様がご自身のコピーである魂を創造された事を言う。
ここでの魂とは宇宙も含め全てのモノの事だ。

何も無い中に何かが有るというのは、違和感があるかもしれないが、
量子力学において、
空気も何も無い空間を作りだしたとき、どこからともなく物質の粒子が現れた
という研究結果がでている。
何とも不思議な話だ。

ここまで書いておいてはなんだが、
神の話は全体的に、
とりあえず訳分からん事を書いている。
頭の善し悪しで理解出来る話では無いので、理解してもしなくても問題ない。
ただそういう事があったという風に理解してもらえれば大丈夫だ。

(補足:創造主様の話をもう少し簡単に理解されたい場合、ポケモン世界をご存知でしたらシンオウ神話のアルセウスのお話を参考にされると理解しやすくなります
YouTubeでシンオウ神話を取り上げて、簡単に説明してくださる方の動画などもございますので、機会がありましたらどうぞ。
*作者は日本神話→旧約聖書→シンオウ神話→2chスレの流れで理解しました。)

宇宙と個人の話:3️⃣

2022-04-29 20:57:42 | まとめノート(精神世界)
前の記事にて書いた、
動物的世界観
植物的世界観
機械的世界観
には、まだ続きの話がある。
(以下これら3つの世界観を、この様に表記していく。動物的:A 植物的:B 機械的:C)

Aの考えもBの考えもCの考えも、
今現在の私達が暮らしている次元に全て存在している。
Aは目に見える事に重点をおくので、
技術革新は凄いが同時に争いが起こり易い。
Bは目に見えない事に重点をおくので、
精神的能力は凄いが技術面はなかなか進化しない。
CABの長所短所を補いあった見え方だが、元々あったABの価値観からすると、全く理解されない考えなので、排除される可能性がある。

それぞれの考えを知っておくと、
どれが良くてどれが悪いか
では無い事が分かる。
どの世界観を選んでも、
楽しい事も苦しい事も起きるし、
私達は幸せになれる。
何を選ぶかは自分次第だ。

私達は生まれる前に、
宇宙に"幸せになる事"を義務化されている。
「幸せになる事は、
権利ではなく義務なのだ
それが分かっていて出来るのであれば、
どんな世界観の人生を選択しても、
私達は幸せになれるのだ。