*** Tezzaro's Private Journal ***

このコーヒーから湯気が上がっているのが分かりますか?
凄いですねぇ。

今日は朝からテニスで・・・・

2012年03月10日 | 日記
夜中少し雨が降っており明け方まで残っていたようだが、家を出る時には曇り空であった。
昨晩は4時間半の睡眠だったが、眠れないなと思っていながら朝枕元の時計を見ると既に4時間半がたっていたという塩梅である。
熟睡したという感じは無い。
テニスコートに着いた時には既に10時を少し過ぎていた。

練習も無くいきなり試合に出る。
十分睡眠をとった時とは異なり身体がやや思い。
しかしその力具合がちょうど良かったのかいつもよりはラケットとボールのタッチが合った。
噴出して飛び出すことも少なく、ボールコントロールが有る程度思うように出来た。
今まで強く振り過ぎていたのに気付く。
いまどきのラケットは当てるだけでも十分に飛んでゆく。

侭に成らなかったのはサーブである。
やはりフラットサーブが入らないと楽しくない。
ポイントが取れるかどうかによらずファーストサーブは8割位は入れたい。

しかし今日は収穫の多い一日だったのではないだろうか、今日のやり方でテニスをすればラケットはどんなラケットでも同じようなテニスが出来そうである。

来週それを試してみたい。

現代経営者の情けない堕落

2008年11月09日 | 日記
戦前戦後の一時期まで、いや江戸時代より連綿と続いていた商家と使用人、経営者と働く人の間には一種の信頼意識が存在していたのではないだろうか。確かに仕事の面では酷使されたり搾取されたりもしただろう。時代面も有るが長時間労働も当たり前であった。

しかし、あの製糸工場での労働でさえ、働く意思の有る者には食事を与え住居を確保していた。確かに歴史が示すように其の内実には問題が多い。前金で労働力を拘束し長時間労働を強いる。それでもである働く意思があり頑強な者には生きてゆく為の衣食住は担保されていた。江戸時代の商家にしても丁稚から始まり暖簾分けまでの制度があった。

明治・大正・昭和戦前までも商家に勤める者や会社に勤める者、即ち働く人は商家や会社の為に仕事をしてくれる人々であった。商家の主人も、会社の経営者も「働いてくれている」人々の人生全体を考えてくれていた。働いてくれている人の結婚問題・住居問題から家庭の問題までを考え、働く人も其の恩義に応え働いた。商家・会社の業績を伸ばし商家・会社を大きく発展させようとした。惹いてはそれが自分の出世でもあった。

商家や会社の苦境の時は、商家の主人や会社の経営者にそこで働く人々全てが知恵と汗を出して守って来た。それだけ自己の所属する組織に対するロイヤリティ(忠誠心)が長い時間を掛けて醸成されて来たのである。他方組織も其の働く人々の人生にも責任を負っていたのである。商家や会社が崩壊する時、主人や経営者とそこで働く人たちは共に其の痛手を負ったのである。

年功序列・終身雇用が基本とされたが決してそんなに硬直的なものでなく有能な者であれば若年者でも登用し重要な仕事に当たらせるという事は侭有ったことである。終身雇用制度にしても独立心の有る者は途中で辞めるであろうし、働く意欲の無い者もまた途中で辞めるであろう。入社から定年まで勤めきるのはどれ位だろうか?50%を切っているのではないだろうか。しかし変化を望まず実直に働こうとする者には極めて精神的な安定をもたらすシステムであった。入社して結婚して子供が出来て家を買って、子供を成人させ定年を迎えるそんな素朴な夢が手短に叶えられたのである。

このように江戸時代より連綿と続いてきた、今で言う経営者と労働者であるが、そこにはもっと人間と人間としての繋がりが根底に有った。

それに引き替え今の経営者たちや会社は如何であろうか?リストラや派遣社員化など何等知恵と汗の足跡も見えない。そんな事は5歳児でも解ることである。高額な報酬はブッタクリ以外の何者でもない。働く人の人生を考えないところにな社会的公器としての存在感は無い。それにそんな近視眼的なやり方が「天に唾している」事さえ解らないほど無能なのか。

働く人を切り捨て、会社を護り、己のみを護り、働く人の人生など考えもしない、そんな経営者ばかりになってきた。派遣社員の採用でコストを削減し、外需に頼り会社の業績を支えてきたが他国の発展に伴い外需は何れ無くなるものである。其の時に足元を見ても、内需の消費購買力は無い。自分達がそうしてしまったのである。

派遣社員で、其の人間が生きる為の衣食住が得られようが得られまいがそんな事は気にもしていない。得られなければ、他に兼業するしかないのである。生活の糧を得るまで何箇所も働かねばならない。これはまさに時代に逆行するものであり、製糸工場の女工や蟹工船の労働者よりも悪辣な労働環境ではないだろうか。「何百年の逆行」である。

こんなに経営者は無能なのか、それともエゴイストなのか?