今朝の自分の行動を観察してみると、ストレスという
言葉が適切かどうかは分かりませんが、まさに昨日
考えた通りの動きをしていました。
今朝4時すぎに、姑が、薬ちょうだいと言って、私に
声をかけたのですが、それはいつもの胸がパクパクなる
症状でした。時間が経てば治ったり、空のカプセル飲んで
治るような精神的な症状なので、私は、起きたくないよう
とゴロゴロしていました。
そのうち、薬ちょうだいや!とキレ出したので、起きなきゃ
起きなきゃと思っていたら、2階で主人が起きたような音
がしました(早起きなのです)。
別に、今起きないと主人に怒られるわけでもなく、逆に、
私を夜中でも遣う姑にイライラしてて、私がかわいそうだ
と言ってくれてるくらいなのですが、
2階での物音がした瞬間、スッと体が軽く、起きれたの
です。これは、怒られるを通り越して、褒められたいとか
同情されたいとか、そういう気持ちも無意識にあるの
かもって思いました。
姑の介護をしていると、主人が優しいから、あまり苦に
ならないのかも知れないですね…
まるで、昔、教育熱心な父が、勉強しているか見回りに
来る時に、それまで、勉強する格好をしながら寝ていた
のに、足音がしたら、目が覚めて、また勉強するふりを
していた頃と同じだと思いました。
とにかく、他人に合わせて意識的にも無意識にも必要な
動きをしている感じで、それが無意識に疲れるので、
他人を意識するストレスがなくなること=私の幸せ
という部分があるのかも知れないと思いました。だから、
動かなくてはならない時間ギリギリまでは、その幸せに
浸ろうとするのかな、と思いました。
こうやって、できない理由を考えてて、できない言い訳を
してるように自分でも思えますが、どうすればできない
ことができるようになるのか、っていうことが目的です。
もちろん、たまには動こうとがんばって動ける時もある
のですが、継続ができないので、やはりなにか根本的な
問題をクリアにするべきだと思っています。
動けないときは、思考が原因であるという感じもします
ので、あーでもないこーでもない、とこうやって、うだうだ
書き連ねて文章を貯めていくことによって、動かなきゃ
いけないと思うその時に、もう考えなくて良くなるかも
知れないという気持ちもあります。
うちの母と、昨日電話で久しぶりに話しました。
(ゆっくり話したのは何年ぶりだろうか…)
母も、私と同じような部分があると思っていました。でも、
父はバカにしますが、ひどくは怒らないので、私ほど
悩んで来なかったようです。
なので、80才近い今も何も変わってなく天真爛漫な感じ
です。昨日も、探し物ばっかりしてるから、部屋がいつも
ぐちゃぐちゃ、って、笑って言ってました。認知症に
なったかもって言ってたので、それは、生まれつきの
認知症だよ、私と一緒で、って言ったら、納得してました。
そして断捨離しなきゃとか言ってました(できもしない
のに)。
多分、私も、もし、優しくて私のことが大好きな人と
一緒に暮らしてて、時間に追われる生活でなければ、
わがままになって、甘えて、今の悩みを病気にして
しまっていたと思います。
私が、発達障害とかで脳に障害があるかも知れないと
思った時、原因が分かって少し気が楽になったのですが
それを主人に伝えると、自分の出来が悪いのを障害の
せいするな!甘えるな!って言われました。
その時は、泣きそうでしたが…
私はそう言われて、頑張らないといけないと思ったので、
がんばろうと思わせてくれた主人と一緒になれたことに
感謝してます。これは、本当です。
社会の中でも、もし、努力し続けてなかったら、今、
もっと生き辛いと思うので
他人の中では、表面的には、ちょっと抜けてる人ぐらいの
評価で済んでいるのは、主人の厳しさのおかげだと思っ
ています。