Everyday's a beautiful day.

コンパクトデジカメとスマホの日々

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2020-04-07 21:00:30 | 写真集

 

角田和夫 「ニューヨーク地下鉄ストーリー」

全編モノクロームのストリートフォトグラフィー。

1995年~2002年のニューヨークの地下鉄を撮影している。

9.11以降の難しい時期に撮ったと思われるものもある。

 

 

いわゆるソール・ライター的なあっさりした構図。

キャンディッドもあるが、撮られている人たちが楽しそうにしているものも多い。

地下鉄の汚い床が最高の質感を伴っている。フィルムはトライxかなー?

メッセージ性を孕んだ被写体を多く撮っていて、色んな意味でニューヨークらしい。

 

 

全体的に好きなトーンだ。くっきりしているが細部は柔らかい。

ノイズの乗りがよく、白はふんわり、黒は締まっている。

地下鉄で音楽を演奏する様子を多く撮っていて、スローシャッターも多い。

その他にも映画のポスターや動く列車を背景にして上手く処理している

 

 

水平などはあまり気にしていないようだ。良い意味でゆるい写真も多い。

恋人たちや友人たちの親密な関係を、より近い距離間で撮っている。

何枚か同じテーマの被写体を続けて載せ、数枚でのブロックを構成している。

人々を近距離で撮ったものは、表情の切り取り方が豊かだ。

 

 

日本人がこの地で写真を撮るということはそれなりのリスクがあるはずだ。

それでもこんないい笑顔を写真に収めることができるというところがプロの技。

所々で混ざる無機質な無生物の被写体。壁、ゴミ、影のみなど。

モノクロだけではないコントラストが、写真集全体で構成されていた。

ここはニューヨークなのだ。


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2020-03-23 20:34:33 | 写真集

 

中平卓馬  「新たなる凝視」

「私の写真はほとんどすべてを忘却してしまった私自身の止むを得ぬ行為だ」

記憶の断片としての心象風景を描いた作品。

ハイコントラスト・ウォームトーンのモノクロ部分は特に圧巻だ。

被写体は奇を衒わず中心にドンと置き、陰影と視線の集中のみで様々なものを想起させる。

 

 

自然のものを撮っていても自然な感じではない。

硬く、人工的で、被写体を形象的に視ているのかもしれない。

白と黒に過不足がなく、必要以上にバラツキがない。

 

 

ブレ・ボケはほとんどなく、あえて基本に忠実な技法で撮られている。

しかし通り一遍ではない被写体と光線である。

インパクトはないが、ノーマルな視点から記憶を再構築しているのかもしれない。

 

 

カラー写真も良い。田舎の風景・人物・スナップなど。

シャドウを起こしそうになる点をあえて残している木こりの写真。

背景と彼の背中だけが白い。

 

 

100mm程度の画角で撮られた視野の狭い写真が多い。

記憶を絞り出しているかのような印象。

庭や街を何の変哲もなく撮る。

写真そのものの上手さもあるが、プリントの質は特筆すべきだ。

 

 

「素朴な、またある意味では基本的な撮影行為そのものが

逆に対象を明確に捉えることになる、と信じ撮影し抜いた」

中平卓馬自身がこの写真集に残した言葉だ。

 

 

失われた記憶の断片を求めて写真を撮る。

撮影者の行為とはそうしたものかもしれない。

その行為は、ラストの反転した魚影に集約されている。


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2020-03-03 20:26:26 | 写真集

 

「マグナム・ファースト」

ロバート・キャパをはじめとするマグナムメンバーによる初期写真集。

合計8名の写真家が参加しているが、何人か抜粋して紹介する。

 

 

まずは何といってもアンリ・カルティエ・ブレッソンだ。

ガンジーの暗殺される前後の写真。ドキュメンタリーとして迫真だ。

水平とかは割とテキトーである。

画としての完成度などよりも、被写体の表情や情景の豊かさが目立つ。

何を伝えたいのか一目瞭然の写真である。

 

 

続いてはマルク・リボー。個人的には彼の写真が一番好みだ。

石造りの街のトーンが非常に美しいドゥブロヴニクの日常を切り取っている。

人と風景。風景と人。これぞスナップという形。

ブレッソンのような生々しいうねりはないが、淡々として美しい。

 

 

最後にエリック・レッシング。

他のマグナムメンバーに比べると、より人にフォーカスしている。

動きやしぐさ、一瞬のシチュエーションを上手く捉えている。

はっきりしているが柔らかいトーン。子供たちを撮っているのも特徴的。

 

 

全体的に、キャンディッドとは何かを考えさせられる写真だ。

シーンを撮るのか。表情で伝えるのか。光景を捉えるのか。

フィルム時代の不自由さが、写真という報道手法を芸術に高めていったのかもしれない。


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2020-02-21 21:16:47 | 写真集

 

東松照明  「サクラ66」

4x5の大判カメラや中判・35mmカメラなどで撮られた桜写真。

リバーサルフィルムで撮られたと思うが、小さいゴミなどもリアルに写り込んでいる。

全国の桜を撮り歩き、特別な「映える」桜ではなく、全体的に何気ない桜を撮っている。

電線や民家等の写り込みも気にしない。人や墓が写っているものもある。いずれも効果的。

 

 

油絵のような立体感を伴うシャドウ部。黒が実に黒い。

黒とのコントラストの面白味は、八重桜が散った写真が最大である。

地面の黒・桜の根の影・花びらの濃淡。そして射し込む光。

現代の流行のハイキー画像と比べると、かなりローキーだ。

 

 

全体的にアンダーだが暗い印象は少ない。空は青く抜ける。ややくすんだ青。

背景とのコントラストも鮮やかだ。

秋の桜と紅葉。菜の花の黄色との対比。芝桜や草の緑とのコントラストも見事だ。

逆光や透過光の捉え方は独特で、あまりギラつかず、自然である。

 

 

木の頭頂部を切っても根元の被写体を残す。

メインは桜全体の姿ではなく、光の当たった中央部とその風情だ。

特にストロボで撮られた桜と鴉の死骸は、風情を超えて死のイメージを抱かせた。

伊藤俊治による本作の解説で締めくくる。

「写真とは、ある個人によって見られた『幻という現実』」


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2020-02-11 20:34:33 | 写真集

 

鬼海弘雄  「SHANTI Children of India」

”SHANTI”はヒンドゥー語で「しあわせ」の意。インドの子どもたちを撮ったポートレイト集。

デリー・アラーハーバード・ベレナスなどで撮られている。

子どもたちを撮っているので、基本的な構図は俯瞰だ。

 

 

縦写真で構成され、ほとんどの写真が下半分に被写体を配置して撮られている。

残りの上半分を大胆に背景として残し、インドを表現している。

コントラストの低い柔らかいモノトーン。

解像度もくっきりではないが、ニットの網目までふんわりと写し出す。

撮りすぎず、かといってきちんとキャッチも入っている。

 

 

子どもたちの表情は必ずしも笑顔ではない。辛さや厳しさも表している。

ポートレイトにありがちの極端な背景ボケが少なく、被写界深度が自然だ。

淡々とした展開が、目に見えないインドの風や、砂の熱さを想像させる。

ポートレイトで何を伝えたいのか、改めて自問させられる。撮るだけが写真ではないのだ。