卑弥呼は天照大神だった、、、とか
卑弥呼の一族が天皇になったなど
力説する人が居るんだけどね
卑弥呼の時代って
約1800年前の弥生時代なんだよ
丁度、初代天皇の神武天皇の時代ね
しかも、卑弥呼って
中国では三国志時代ね
魏国、蜀国、呉国に分かれていて
魏国の書物の魏志倭人伝だけ
邪馬台国の女王として卑弥呼が
登場するんだけど
邪馬台国が日本全土ではないのよね
てか、卑弥呼って名前じゃ〜ないんだよ
卑しいって漢字を入れてるよね
魏国から見たら小さな国として
下等な国扱いなんだよね
そもそも、人の名前って(指導者など)
軍事機密なんだよ
名前が分かると呪いがかけれると
信じていたからね
卑弥呼って、"日の御子" って言って
太陽で占う事ができるって意味で
日御子(ヒミコ)って呼ばれていたと
思うけど
卑弥呼って漢字ではなかったんだよ
多分弥生時代には極一部の人には
漢字は伝わっていただろうし
(中国との交流もあるしね)
邪馬台国は日本の一部の国だったと
思うんだけどね
場所は九州だと思うよ
その後の遣唐使なども九州から出てたし
外国との付き合いで太宰府には
行政機関が置かれていたり
蒙古襲来は太宰府から鎌倉幕府に
伝えてるんだよ
九州(福岡)から大陸に渡る
海路の無事を宗像大社で
昔から祈ってるしね
大陸に渡るには一番近いし、、、
これは、吉野ヶ里遺跡なんだけど
深い堀や柵を周囲に作り
外的から守ってたんだよね
これが卑弥呼の時代だよ
これを国と言うなら
小さな国の女王だった可能性が高いよね
神武天皇の時代だから
もし、大きな国なら古事記や日本書紀に
書かれているはずだし
当然古事記や日本書紀を編纂した人達は
魏志倭人伝も読んでるし
卑弥呼も知ってるはずなのに
一切書いてないからね
では何故に名前ではないと言えるのか?
なんだけどね
この時代には名前を
呼ぶのは伏せてるって書いたでしょう
それに女性を呼び捨てにする事は
無いんだよ😀
日御子(卑弥呼)って役職みたいな物で
名前は伏せていたと考えられるよね
現在でも皇室は自分の持ち物には
名前を書かないんだよ
印(しるし)があり
今上天皇は小豆、雅子皇后はハマナス
愛子様はゴヨウツツジなど
皇室の方々は自分の印を持ってるんだよ
私達でも言霊って言うよね
言葉には霊力があるって言うでしょう
明治天皇の玄孫の竹田恒泰さんは
絶対に本当の誕生日は
言わないんだってよ
名前は知るれてるから隠しはしないけど
誕生日を言うと呪いをかけれるから
言わないんだってよ(笑)
現代でも言霊って信じられてるから
弥生時代ではね〜
本名を教えるなんてあり得ないよ
ましては忌み嫌う卑と言う文字を
入れるなんてね
何故教科書に卑弥呼の事は
出てくるのに
こんな事は教えないのかな?
私ケチ子は不思議でたまらないよ(笑)
真衣
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます