歴史には興味が無いけど
時代劇は見るよって人はいるでしょう😀
少し江戸時代って本当は、、?
知って時代劇を見ると楽しいよ😃
例えば、、江戸の町の様子
江戸時代の宿場町を思い起こされる
奈良井宿なんだけどね
江戸時代って瓦葺き屋根って
あまり無く
藁葺き屋根が多かったんだよ
だから
こちらの大内宿の方が近いかな(^ ^)
江戸の市内でも
瓦葺き屋根になって行ったのは
8代将軍の徳川吉宗の時代だよ
人口が増え火事が多かったからね
事の発端は
目安箱の投書からなんだけどね
江戸町奉行の大岡越前が
町名主達を集めて瓦葺き屋根を
奨励したんだけど
中々、進まなかったんだよ
当時(徳川吉宗以前)
瓦葺き屋根は江戸城と寺、土蔵位でね
大名屋敷でも藁葺き屋根だった
屋敷がある位なんだよ
てか、瓦葺き屋根を幕府が
禁止していたからね(笑)
火事が多くて目安箱に耐火性のある
瓦葺き屋根を許可してとの投書から
徳川吉宗も同感だったんだろうね
それ以上に町奉行の大岡越前は
感じていたのかもしれないね
(火事の火消しの責任者だから)
藁葺き屋根から瓦葺き屋根に
変えるには費用もかかったし
当時の瓦葺き屋根は
本瓦葺きと言って瓦が重いから
柱から作り変えないといけないからね
大岡越前は何度も(何年も)
町名主を説得するんだけどね
中々、上手く行かないので
補助金を出す事を決めて
町名主を説得にかかったけど
それでも話しは進まなかったんだよ
でも、、、
浅瓦って言うのが発明されて
瓦が軽くなったし安くなったから
瓦葺き屋根が増え出したんだよ
これが本瓦葺きの屋根だけど
京都などの大きなお寺に行くと
見られるよね(^-^)
(平瓦と丸瓦の組み合わせだね)
これが浅瓦で現在の瓦と変わらないよね
江戸の町の屋根が瓦葺きになったのは
8代将軍徳川吉宗〜9代将軍徳川家重の
時代だからね
ちなみに
浅瓦は現在の滋賀県の大津市の
三井寺の用を務めていた
西村半兵衛と言う人物が浅瓦を
発明したんだよ😁
(西暦1674年に発明)
江戸城を抜け出して江戸の町を
よく散策していた
3代将軍徳川家光の時代は
瓦葺き屋根は町家にはなかったんだよ😛
瓦の話しを書いたけど
江戸町奉行の年俸や与力の年俸
同心の年俸も知ると面白いよ
次回は、これを書こうかな😃
あっ、参勤で地方から出て来た
藩邸で暮らしてた武士達の日常も
面白いんだよ〜🤣
暇で退屈な生活を如何に楽しむか
なんて話しがあり
実際に当時の武士達の日記に
書いてあるんだけど、、、ね
う〜ん、江戸町奉行の事を書くよ
真衣
茅葺で囲炉裏のある家で
生まれ育ったんだ)^o^(
凄〜い!
今は、特別な所ではないと
修理や葺き替えも出来ないからね
私は個人的には縁は無いけど
観光地で資料館として残ってる
古民家など見に行くと
藁葺き屋根に台所は土間で
囲炉裏があり
柱は煤で燻されて虫からも
食べられてなく残っていて
昔の人の知恵には感心して
見てますよ(^^)
農家とかになると
牛小屋と一緒になってたり
でも、トイレは家の外なんですよね
あはは🤣
排泄物も今と違い
大切な資源ですからね(#^.^#)
だからかな、茅葺き集落はいっぱい見て回った、なんか懐かしく魅力的なんだよね。