南相馬市ふるさと回帰支援センター

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防災の日 原町無線塔を偲ぶ  ~南相馬市ふるさと見聞録~

2012年09月01日 | 日誌
 9月1日は防災の日。

 
 1923年9月1日に起きた関東大震災。その大参事を決して忘れないためにこの日が作られたという事は

 多くの方がご存じのとおり。

 「関東大震災」という言葉を聴くと南相馬市民が思い出す名前があります。それは「原町無線塔」です。

  関東大震災が起こる2年ほど前の1921年7月に旧原町市のシンボルとしてそびえたった原町無線塔は、

 高さ200メートル、その当時としてはアジアで最も高い建築物だったそうです。

 「高い建築物だから日本国中でどこに建てるか捜したらしいよ。そこで選ばれたのが原町だっただ!地盤が

 固いって事でね」よく地元の方が教えてくれていた言葉です。その言葉は東日本大震災により照明される事

 となりました。(原町区内ではほとんど倒壊家屋がなくその地盤の強さが証明されました)

 一躍「原町無線塔」を有名にしたのは皮肉なことに関東大震災でした。当時第一報を無線通信によって世界

 中に打電したのです。大正から昭和と約60年に亘って活躍した原町無線塔もコンクリート壁の崩壊など建

 物の劣化により危険と判断され、昭和57年に解体、撤去されました。

 当時を知る地元の方にお話を聞くと「八木沢峠からも無線塔がよく見えたんだ。そうするともうすぐ原町だ

 なんて目印代わりにしていたのもんな。段々老朽化してきてなぁ。無線塔の横を通るとばらばらとコンクリ

 ート片が落ちてくるようになってな、危ないから近寄るな、なんて言われたりもしたな。」と懐かしんでい

 ました。それほど親しまれていた無線塔を何とか残したいという感情は根強く、当時の原町市や原町ライオ

 ンズクラブの方のお力により、10分の1のミニチュア無線塔を道の駅南相馬向い側に見ることができます。

     

 
 そして、実物の原町無線塔の跡は高見公園となり、地元の方に愛されていたかを表すように「無線塔跡花

 時計」の名づけられた称や当時の無線塔の雄姿を写した看板建てられました。


  

  
 
  
  東日本大震災を経験した私達。「想定外」というあやふやな言葉に奔老され続けたあの日々を決して忘れ

  ては行けないと強く感じています。「想定外」なんて言葉を二度と使わないように、しっかりと防災意識

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