平成24年8月3日、震災前からの目標でございました「福島ふるさと暮らし案内人」に認定されました。
皆様のご協力、ご尽力に深く感謝しここにご報告させて頂きます。
「福島ふるさと暮らし案内人」とは、移住を希望する人々と地域との調整役を担っている個人または団体に
贈られるもので、平成20年2月に8名4団体、平成21年8月に1名6団体に引き続き3度目の認証と
なりました。この認証式においてセンター活動をご報告させて頂きました。
ここで皆様にもご披露させて頂きます。

○南相馬市ふるさと回帰支援センターとは
南相馬市ふるさと回帰支援センターは、平成21年12月15日に「首都圏の団塊の世代を始め、ふるさと回帰希望者を、
積極的に南相馬市や相双地域ヘ迎え入れることにより、定住及び交流人口の増加を図るとともに、その知恵、経験、技術、
情報、人脈等を活用し、地元の産業、経済、地域活性化を推進し、都市と地域の交流を通じた豊かさを実感できる社会の
形成に寄与する事を目的として道の駅南相馬、観光交流館内に作られました。
センター設立の前段となる「野馬追の里、IJU推進委員会」のメンバーを中心に、南相馬市内の個人、団体、企業から
なり初めは30数名でスタートいたしましたが、半年後には40名を超え、震災後の現在は65名の会員に登録を頂き、
活動させてい頂いております。
○震災前の活動状況
震災前、南相馬市の人口は7万1千561人でありました。「温暖で自然災害の少ない暮らしやすい環境が整い、美しい
自然や相馬野馬追を代表とする文化遺産、山、川、海からの豊富な食材など他地域に誇れる地域資源が数多くあり、二地
域居住や田舎暮らしを希望する方に豊かなスローライフをお届けする事ができる風光明美な地域でありました。
その地域資源を活用したグリーンツーリズムやサーフツーリズムも活発に行われ、海外の大学生や小学生も訪れ長期滞在
型体験付農家民泊の受入や、世界サーフィン大会開催による観光誘致など様々な催しが行われ、当地を訪れる人々に二地
域居住の候補地としても提供できる自然環境にセンター活動の手ごたえを感じておりました。
○東日本大震災 そのとき
追い風と共にセンター活動が順調に波に乗り始めた頃、東日本大震災、そして原発事故災害が発生。
無情にも、その歩みはスタート地点を通り越しマイナス地点にまで引き戻され、「センター活動凍結」も否めない状態に
まで追い込まれました。しかし、その状況の中「こんな時だからこそ避難に追い込まれた地域住民の為に必要な活動では
ないか」との独自の信念から活動を再開させました。
震災直後の4月、センターのある「道の駅南相馬」は自衛隊、機動隊、警察、消防署など様々な救援活動の方々の為の災
害対策の拠点となった為、ダンボールに持ちだせるだけの資料をまとめ、会員様の事務所の机を一つお借りし、事業継続
にむけてまず一番に取りかかったのは、移住者の方と会員様の安否確認でした。
地震、津波、そして原発事故、この未曾有の災害からすでにひと月が経ち、当時、緊急時避難準備区域となり屋内退避と
なった原町区、警戒区域となり全区民避難をよぎなくされた小高区。30㌔圏外とはいえ、津波により壊滅的な被害を受
けた鹿島区から避難された住民の方を、ひとりひとり捜しだすのは困難を極めました。町はゴーストタウンと化し、情報
収集もままならない中、ようやく避難先にたどりつくと、すでに次の避難先に移動された後という事もあり、移住者の中
には6・7回も避難先の移動を繰り返されている方もおられました。
しかし驚いた事に、センターが把握していた移住者の方の殆どが、まだ屋内退避の解除もされていない南相馬市に戻り、
生活をしていることがわかりました。
自宅に戻られた移住者宅には直接訪問し、再会の喜びと現状への対応もできる限り行いました。
「誰も頼る人がいない移住者の面倒は誰がみるのか!避難もせず、この地で頑張って生きていく事をきめた移住者の支援
こそ今やらなければならないセンターの使命ではないか」そう、実感できた瞬間でした。
と、同時にその頃から南相馬市には放射能汚染をも恐れず、食糧調達も儘ならないこの地に躊躇する事もなく、他県から
続々と駆けつけて下さるボランティアの皆様の姿が目立ち始めました。
その数は月を追うごとに増え続け、半年を過ぎる頃には2万数千人にも上りました。
寝袋や車中泊をしながら地域住民を励まし、心を寄せあい、泥だらけで支援活動を続ける皆様に、被災した住民もいつし
か励まされ、逆にボランティアさんの寝食を手助けするために被災を逃れた農家民宿も再開をするなど、お互いの手をさ
しのべ合いながら深い絆を築きあげていく姿がそこにありました。
そこで私達はその絆を深め、復旧、復興への足がかりを一緒に捜して頂くため、それぞれの立場で自由にデスカッション
をして頂く「地域住民、移住者、ボランティアによるふるさと復興会議、ざっくばらんに話しすっぺ!」を2回開催し、
ボランティア同志やボランティアと地域住民とのネットワーク作りをセンターが担うことにより交流の輪を広め、より一
層地域と深い関わりを持って頂けるよう努めました。
○ボランティアから移住者へ
そのネットワークがそのまま、ボランティアから移住への足がかりとなり震災後、センターが把握しただけでも30代
40代50代、2組のご夫婦を含む7人の方が南相馬市に移住をされました。
「ここの地域資源は人です。こんな大変な目にあったのにここの地域の方は皆さん笑顔をたやさず、逆にボランティア
の私達の事を心配して支えようとしてくれる。私達は震災前まで南相馬市という地名すら知りませんでした。
今はボランティアに来てこんないい地域を知る事ができて逆に幸せだと感じています。」
これは、東京から移住されてこられた武藤さんご夫婦がおっしゃた言葉です。武藤さんは元々俳優さんですが、そのス
キルを活かしボランティア仲間と共に相双地域を守り、子供達に放射能から身を守る方法を教えるご当地ヒーロー「相双
神旗ディネード」を作り、自らもアダマイ博士として出演し活躍中です。
ボランティア同志の交流を継続するためコミュニティカフェ「みんな未来センター」を開業した戸田さんや、ジャズピア
ニストの水口さん。
Uターンされた山本さんご夫婦は、南相馬市のまちなか広場に地元野菜と地鶏を使った親子丼中心の店をオープンし、自
ら育てた地元野菜を提供する事で安全安心をPRし、風評被害の払拭にも力を注いでいます。
また、南相馬市の「さいがいFM」では「移住者のゆるゆるいくよ」という移住者がパーソナリティを務める番組まで登
場。地域復興への支援活動は移住者の彼らの新しい地域支援活動と共に現在進行しており、その対外的な影響は次の移住
者を生みだす活性力ともなっています。
○これからの活動
現在も今年4月に警戒区域が解除された小高区の復旧のため、多くのボランティアの方が他県から駆けつけております。
そのボランティアの方の支援に応え、共に活動し支えるために震災前に移住されたご夫婦が5月に、風評被害に苦しむ
地元の農家の方が6月に、新らしく農家民宿を開業し南相馬市に来られる方の受入を始めました。またそれに続けと現在
も何名かの農家の方が申請中です。7月からはその様な状況に添う為「復興六起」に参加し、新しいふるさと復興に向け
てさらに邁進するべく、インターンシップやインキュベーション事業も展開させております。
また「地域住民・移住者・ボランティアによるふるさと復興会議」も引き続き開催し、ネットワークの強化に励もうと思
っています。
「もう誰も福島に住みたいなんていう人はいないだろう!」などという心ない言葉は、ここ南相馬市では通用しません。
ボランティアの方と地域住民との新たな交流が新しい移住体制をになう原動力なのです。
ここには絶対に無くならない魅力ある地域資源「ひと」があります。
>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ
皆様のご協力、ご尽力に深く感謝しここにご報告させて頂きます。
「福島ふるさと暮らし案内人」とは、移住を希望する人々と地域との調整役を担っている個人または団体に
贈られるもので、平成20年2月に8名4団体、平成21年8月に1名6団体に引き続き3度目の認証と
なりました。この認証式においてセンター活動をご報告させて頂きました。
ここで皆様にもご披露させて頂きます。

○南相馬市ふるさと回帰支援センターとは
南相馬市ふるさと回帰支援センターは、平成21年12月15日に「首都圏の団塊の世代を始め、ふるさと回帰希望者を、
積極的に南相馬市や相双地域ヘ迎え入れることにより、定住及び交流人口の増加を図るとともに、その知恵、経験、技術、
情報、人脈等を活用し、地元の産業、経済、地域活性化を推進し、都市と地域の交流を通じた豊かさを実感できる社会の
形成に寄与する事を目的として道の駅南相馬、観光交流館内に作られました。
センター設立の前段となる「野馬追の里、IJU推進委員会」のメンバーを中心に、南相馬市内の個人、団体、企業から
なり初めは30数名でスタートいたしましたが、半年後には40名を超え、震災後の現在は65名の会員に登録を頂き、
活動させてい頂いております。
○震災前の活動状況
震災前、南相馬市の人口は7万1千561人でありました。「温暖で自然災害の少ない暮らしやすい環境が整い、美しい
自然や相馬野馬追を代表とする文化遺産、山、川、海からの豊富な食材など他地域に誇れる地域資源が数多くあり、二地
域居住や田舎暮らしを希望する方に豊かなスローライフをお届けする事ができる風光明美な地域でありました。
その地域資源を活用したグリーンツーリズムやサーフツーリズムも活発に行われ、海外の大学生や小学生も訪れ長期滞在
型体験付農家民泊の受入や、世界サーフィン大会開催による観光誘致など様々な催しが行われ、当地を訪れる人々に二地
域居住の候補地としても提供できる自然環境にセンター活動の手ごたえを感じておりました。
○東日本大震災 そのとき
追い風と共にセンター活動が順調に波に乗り始めた頃、東日本大震災、そして原発事故災害が発生。
無情にも、その歩みはスタート地点を通り越しマイナス地点にまで引き戻され、「センター活動凍結」も否めない状態に
まで追い込まれました。しかし、その状況の中「こんな時だからこそ避難に追い込まれた地域住民の為に必要な活動では
ないか」との独自の信念から活動を再開させました。
震災直後の4月、センターのある「道の駅南相馬」は自衛隊、機動隊、警察、消防署など様々な救援活動の方々の為の災
害対策の拠点となった為、ダンボールに持ちだせるだけの資料をまとめ、会員様の事務所の机を一つお借りし、事業継続
にむけてまず一番に取りかかったのは、移住者の方と会員様の安否確認でした。
地震、津波、そして原発事故、この未曾有の災害からすでにひと月が経ち、当時、緊急時避難準備区域となり屋内退避と
なった原町区、警戒区域となり全区民避難をよぎなくされた小高区。30㌔圏外とはいえ、津波により壊滅的な被害を受
けた鹿島区から避難された住民の方を、ひとりひとり捜しだすのは困難を極めました。町はゴーストタウンと化し、情報
収集もままならない中、ようやく避難先にたどりつくと、すでに次の避難先に移動された後という事もあり、移住者の中
には6・7回も避難先の移動を繰り返されている方もおられました。
しかし驚いた事に、センターが把握していた移住者の方の殆どが、まだ屋内退避の解除もされていない南相馬市に戻り、
生活をしていることがわかりました。
自宅に戻られた移住者宅には直接訪問し、再会の喜びと現状への対応もできる限り行いました。
「誰も頼る人がいない移住者の面倒は誰がみるのか!避難もせず、この地で頑張って生きていく事をきめた移住者の支援
こそ今やらなければならないセンターの使命ではないか」そう、実感できた瞬間でした。
と、同時にその頃から南相馬市には放射能汚染をも恐れず、食糧調達も儘ならないこの地に躊躇する事もなく、他県から
続々と駆けつけて下さるボランティアの皆様の姿が目立ち始めました。
その数は月を追うごとに増え続け、半年を過ぎる頃には2万数千人にも上りました。
寝袋や車中泊をしながら地域住民を励まし、心を寄せあい、泥だらけで支援活動を続ける皆様に、被災した住民もいつし
か励まされ、逆にボランティアさんの寝食を手助けするために被災を逃れた農家民宿も再開をするなど、お互いの手をさ
しのべ合いながら深い絆を築きあげていく姿がそこにありました。
そこで私達はその絆を深め、復旧、復興への足がかりを一緒に捜して頂くため、それぞれの立場で自由にデスカッション
をして頂く「地域住民、移住者、ボランティアによるふるさと復興会議、ざっくばらんに話しすっぺ!」を2回開催し、
ボランティア同志やボランティアと地域住民とのネットワーク作りをセンターが担うことにより交流の輪を広め、より一
層地域と深い関わりを持って頂けるよう努めました。
○ボランティアから移住者へ
そのネットワークがそのまま、ボランティアから移住への足がかりとなり震災後、センターが把握しただけでも30代
40代50代、2組のご夫婦を含む7人の方が南相馬市に移住をされました。
「ここの地域資源は人です。こんな大変な目にあったのにここの地域の方は皆さん笑顔をたやさず、逆にボランティア
の私達の事を心配して支えようとしてくれる。私達は震災前まで南相馬市という地名すら知りませんでした。
今はボランティアに来てこんないい地域を知る事ができて逆に幸せだと感じています。」
これは、東京から移住されてこられた武藤さんご夫婦がおっしゃた言葉です。武藤さんは元々俳優さんですが、そのス
キルを活かしボランティア仲間と共に相双地域を守り、子供達に放射能から身を守る方法を教えるご当地ヒーロー「相双
神旗ディネード」を作り、自らもアダマイ博士として出演し活躍中です。
ボランティア同志の交流を継続するためコミュニティカフェ「みんな未来センター」を開業した戸田さんや、ジャズピア
ニストの水口さん。
Uターンされた山本さんご夫婦は、南相馬市のまちなか広場に地元野菜と地鶏を使った親子丼中心の店をオープンし、自
ら育てた地元野菜を提供する事で安全安心をPRし、風評被害の払拭にも力を注いでいます。
また、南相馬市の「さいがいFM」では「移住者のゆるゆるいくよ」という移住者がパーソナリティを務める番組まで登
場。地域復興への支援活動は移住者の彼らの新しい地域支援活動と共に現在進行しており、その対外的な影響は次の移住
者を生みだす活性力ともなっています。
○これからの活動
現在も今年4月に警戒区域が解除された小高区の復旧のため、多くのボランティアの方が他県から駆けつけております。
そのボランティアの方の支援に応え、共に活動し支えるために震災前に移住されたご夫婦が5月に、風評被害に苦しむ
地元の農家の方が6月に、新らしく農家民宿を開業し南相馬市に来られる方の受入を始めました。またそれに続けと現在
も何名かの農家の方が申請中です。7月からはその様な状況に添う為「復興六起」に参加し、新しいふるさと復興に向け
てさらに邁進するべく、インターンシップやインキュベーション事業も展開させております。
また「地域住民・移住者・ボランティアによるふるさと復興会議」も引き続き開催し、ネットワークの強化に励もうと思
っています。
「もう誰も福島に住みたいなんていう人はいないだろう!」などという心ない言葉は、ここ南相馬市では通用しません。
ボランティアの方と地域住民との新たな交流が新しい移住体制をになう原動力なのです。
ここには絶対に無くならない魅力ある地域資源「ひと」があります。

>>南相馬市ふるさと回帰支/援センターHPへ

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