マダムジュリーの場合

脱・筆不精&不デブ症

『その時』(マダムジュリー家族の場合)

2011-03-14 | 雑記帳
2011年3月11日午後2時46分

★3号と4号の場合
一番初めに連絡がついたのは3号とスカイプで。
3号と4号は近所の友達の家で、ゲームをしていて
激しい揺れに思わず外に出たら、近所の人も外に出ていたそうだ。
外でも揺れを感じ、ハッと家のことが心配になり、
ダッシュで家に帰って、家の中を点検してくれたらしい。

★ナビの場合
3号と4号が家に帰ると、机の下からほふく前進で
出てきたそうだ。
それからは、余震がおこると耳をレーダーのように
動かしてビクビクしていたとのこと。

★ばあちゃんの場合
3号と4号が家に帰った時、家にいなかったので心配したが、
その時は、スポーツジムの風呂に入っていたんだとのこと。
風呂の水は半分くらいあふれ出るし、自分は真っ裸だし
と、あせってスッテンコロリンしたらしい。
でも、なんとか着替えて、動いていたバスに乗って無事帰宅。
(3号からスカイプで連絡あり)

★1号の場合
会社で仕事中。
会社には特に大きな被害はなかったようだが、
帰宅できない帰宅困難者が多数出たらしい。
1号もそのうちの一人として会社に泊まることに。
連絡は、突然つながった携帯メールでとれた。

★ナビパパの場合
職場で仕事中。
そう、だいぶ回復していて、1週間前より職場に復帰していた。
でもまだ薬が必須なので、予備の薬を持っていないことが
とても不安だったよう。
車で私を拾って帰宅。
連絡は、固定電話から私の職場への電話で。

★2号の場合
なかなか連絡がつかなかったのが2号。
2号は、大学近くの教習所で路上教習中だったらしい。
町の看板がカタカタとなって落ちてきそうで怖かったとのこと。
電車が動かないのでどうしようかと思っていたら、
ツイッターで、大学を解放していることを知り、
大学に行って、泊まることに。

ということで、マダムジュリー家は皆無事です。


しかし

家族の安否確認やら、帰宅の算段、家の片づけと復旧で
精一杯だった私は、この時まだ、想像もしていませんでした。


東北地方がどれほど大きな被害を受けていたか。

そしてその被害が、原発にまで及んでしまうということを!!!




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