検閲印が無いものは発行・発刊不可能なのでね。
マスメディアに精通すればするほど、政府の狗に成り下がるだけ・・・
その頂点にいるのが
東大卒
爆笑!
呑む
打つ
買う
呑む・打つ・買うの三拍子
古今亭志ん生は、明治23年生まれ。若い頃から親の言うことをきかない困った子どもで、十代半ばに、とうとう家を飛び出してしまいました。
ズボラな自分でも、バカッぱなしなら商売になるだろう、と落語家の橘家円喬に入門。長いながい貧乏生活がはじまりました。
人は生きていくために、衣・食・住をなんとかしなくてはなりません。ところが、志ん生の貧乏生活では、この三つを全部満足させるのは、ムリです。
わずかの収入を、まず食べること、次に着るものに充てていくと、住まいに向けるお金が残りません。6畳ひと間を2人借りたときも、3畳ぶんの家賃も払えないというありさま。
家賃が溜まりにたまり、新しい借家を探しては前の借家を夜逃げする繰り返しです。
この生活は、結婚しても、子どもが生まれても相変わらずです。夏は奥さんが裸同然でくらしていたとか、自分たちは食べたふりをして子どもに食べさせた、なんて話は、いくら面白おかしく話されても、やっぱり切ないですね。
だいたい、貧乏な理由の半分は、本人が飲む・打つ・買うの三拍子そろった道楽に血道をあげているからです。
「あたしは、酒は好きだが、そんなにバカ呑みするほうじゃァない。一ぺんに一升五合ものみゃァ、もう十分です」
なんていうくらいですから、お酒の失敗談は山のように書かれています。打つほうの(バクチ)話も、買うほうの(吉原の)話もたくさん回想しています。
びんぼうだ貧乏だという前に、その道楽をやめりゃいいでしょう! かたぎの人間なら、そう考えます。
ところが落語家というのは不思議なものですね。
こんな人間失格を絵に描いたような道楽者が、年齢を重ね、芸暦を重ねて落語界の重鎮となり、とうとう文化勲章まで授与されました。
明治から昭和まで、貧乏神に追われながら、それでも陽気に生き抜いた落語家の物語でした。
土鳩が二羽、向かいの邸宅を挟んで、電線に停まった。ブイン・ブインと啼いている・・・😨午前八時三十三分 現在
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