惨劇は79年前、米軍が沖縄本島に上陸した次の日に起きた。海岸から幾ばくの距離もない読谷村の小さな谷底でのことである。チビチリガマと呼ばれる洞窟に隠れた140人ほどの住民のうち、83人が火を放つなどして命を絶った
▼亡くなった人の名前と年齢を『読谷村史』に見る。比嘉幸次郎さんは11歳だった。大城スエ子さんは8歳だった。知花吉春さんは3歳だった……。「集団自決」といっても、死者の6割は18歳までの子どもらである
▼なぜ、こんな惨(むご)いことが起きたのか。「日本軍が中国人を虐殺したのと同様に、今度は自分たちが米軍に殺される」。中国戦線にいた経験を持つ住民の男性はそう考え、ガマのなかで火をつけたという
▼旧満州から里帰り中の女性が「敗戦国の女性がどんな目に遭うのか」を口にし、自死を勧めたとの証言も残る。「自分で死んだほうがいい、捕虜になったら虐待されて殺されるんだから」。日本の兵隊が中国で行った残虐な行為が、裏返ってガマにいた人々の恐怖心につながり、自決を促していた
▼沖縄で戦った日本の主な部隊が、中国の戦場から転じた将兵たちだったとの史実もある。被害者か加害者か、民間人か軍人か、そんな境界線がすべてぼやけ、地続きとなって弱き者が犠牲を強いられる。それが戦争なのだろう
▼きょうは沖縄慰霊の日。耐えがたい悲惨な歴史を経て、いまというときがあることを、かみしめる。死者が残したことばに目をこらし、ぐっと本気で、かみしめる。
令和六年六月二十三日 日曜日 午前六時四十二分 現在
土鳩が一羽、電線に停まって、自室を覗きこんでいる。鳩の唄を歌っていた・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます