まぁ、時代の流れに則せば、恐らく、眞の共産主義への国民の支持が難しいのは日本共産党の支持率動向に全てが、現わされているのではなのか、と思う。
桐蔭だと、極端かどうかは分からないけれど。
運動もそうだけれど。
学力を巡っては、20期生も58期生も学校方針に変貌がないのであれば、能力別が厳しい学校なのでね。
桐蔭卒としては、手塚治虫先生、それも、晩年の手塚先生の「アドルフに告ぐ」は傑作だと想うのですけれど・・・
愛に恵まれて育つだと、社會に飛び出すと不愛に苛まされる結果となる。他者より、優にしても、劣にしても、偏差がその職場(学校現場であってもそうだと思うけれど)
離れすぎていると、ターゲット(標的)に晒される可能性が高いのですね。
桐蔭生なら、α1というクラスがどういうクラスかご存じであろうけれど、知能指数が160を超える天才(天才の定義とは、知能指数160以上なので)がいらして、常に学業成績が首席だったのですけれど。
左利きでいらした。書道の授業が切っ掛けだったんだけれど。書道教員が左利きを無理矢理、右利きに直そうと、指導し、その叱責も度が過ぎていたのだろうけれど・・・
その天才学友は次第に成績を落とされ、転校されていないのであれば、高等学校入学時の試験で理数科生にはなれなかったのでね・・・
常に首席だった、氏が、学内上位50位以内に食い込めない筈がないので、転校されたのかもしれないけれど。私とその天才学友とはそれほど、親密な仲ではなかったのですけれど。
その天才学友は在日だと想われますけれど。韓国人だったので。
大人たちの政治に巻き込まれた可能性も高いのです・・・
通常はそういうことは社会人にならないとなかなか、気づきませんけれど。
年端もいかない中学生を大人の政治に巻き込むような真似事をするのも私立中学ならではのことかもしれないと思ってね。
中学生は純だからね・・・
心にダークはでちゃっただろうね。
となると、
詩才には確実に落ちるね・・・
学生用「詩人」としてではですけれど。
大人びた詩人になったのかもね。
ゲーテとか、そういう世界でも明暗が書けるという、中学生だったかと。
その桐蔭の能力別クラス編成という学校制度が学生にどういう影響を与えるのかは、私は勿論、神ではないので、穿った角度でしか分析できないし。
東大法に現役合格した、桐蔭女子学生にモテモテだった、彼氏はΓクラスから桐蔭中時代が始まって、理数科の試験でも失敗されて、普通科に進まれ、現役で東京大学文科一類に合格されたけれど・・・
高校野球だよ。
中高の学業を巡ってでの波乱という騒動はね・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます