2024年6月28日(金)
きょうの潮流
明治大学博物館で開催中の「虎に翼」展で、当時の学内新聞「駿臺(すんだい)新報」に目がとまりました。ドラマの舞台となった女子部設立時の学長あいさつと同じ2面に載った「授業料値上げで東大の学生大会」の記事です
https://dl.ndl.go.jp/view/prepareDownload?itemId=info%3Andljp%2Fpid%2F8693273&contentNo=2
▼「十五日三千の学生が大会を開き学校当局の反動政策をコキ下し値上げ反対、思想善導反対の叫びを挙げるや折から張込んでいた私服警官が『弁士中止』を命じたのに端を発し…」。1929年(昭和4年)5月18日付。学生運動や思想への弾圧が深刻化していく時代の姿が伝わります
▼8年後の1937年9月25日付には「女子部に揚(あが)る凱歌 見事高文の難関をパス」。寅子(ともこ)のモデル・三淵嘉子の先輩が論述試験に合格したことを伝える記事です。翌年の3人の女性弁護士誕生へと進む様子を感じさせる一方、同じ紙面には「銃後の護(まも)り固し 学園に赤心沸(たぎ)る」の見出しが
▼「非常時の認識に海洋講座設置」の記事は、「支那事変の勃発以来学校当局は学生に対し時局の重大性を知らしむべく…教壇より国防思想の強化をなさんもの」として、現役の軍人を招いて軍事講義をおこなう、と
▼「赤旗(せっき)」はこの2年前に発行不能に陥っていました。やがて日米開戦へと動く中、寅子の周囲にも戦争は静かに忍び寄り、多くの人々の人生を破壊していったのです
《赤旗》(読み)せっき
世界大百科事典(旧版)内の《赤旗》の言及
【赤旗】より
…これは,1922年創立の第1次日本共産党の党員,山川均,市川正一らによって出された日本共産党合法理論機関誌である。機関紙《赤旗(せつき)》は,28年2月1日に謄写印刷で創刊され,月2回刊,定価5銭で,完全な非合法新聞として刊行されつづけたが,相次ぐ官憲の弾圧によって35年に停刊した。《赤旗》の発刊は,コミンテルンで決議された〈27年テーゼ〉と〈日本共産党の組織テーゼ〉の方針にそったもので,創刊号は600~800部発行された。…
【三・一五事件】より
…1926年12月再建された共産党は,金融恐慌下の労農争議や田中義一内閣の山東出兵に反対する対支非干渉運動を日本労働組合評議会(評議会),日本農民組合,労働農民党(労農党)などの合法組織をとおして闘いみずからの姿は秘匿していた。しかし27年12月の拡大中央委員会で,この年の7月に作成された綱領(<ref id="00263335" type="文中リンク" style="font-style: normal;">27年テーゼ</ref>)を採択し,テーゼで指示された独自活動の方針にもとづいて工場内の組織づくりに着手し,翌28年2月には機関紙《赤旗》の創刊や第1回の普通選挙に徳田球一,山本懸蔵などの党員を労農党候補者として立てるなど新たな活動を開始していた。 共産党の動向を極秘裡に内偵をすすめていた警察当局は,3月15日未明を期して1道3府23県にわたって共産党員とその同調者と目される1568人を逮捕・勾留し,うち488人を治安維持法違反で起訴した。…
▼展示室には、「虎に翼」展の紹介記事が載った5月8日付本紙も。女性の地位向上と合わせて、戦争への警鐘を鳴らし続けるメディアの必要を展示は語りかけているようでした。
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