人倫の基盤は宗教教育に他ならないと先ずはそう思えますけれど。古い人間なのでしょうか。
他者の痛みは自分の痛みだと想えるのは、学校教育機関、もしくは、実社会でどれだけ、被害に遭ったのかを競っているのですけれど・・・。
学業成績の優劣というのは無常でね。
私の学生時代の学業成績の優劣を問うても、今の時代には通用しないでしょうね。
その教育は或る意味では骨身には染みていても・・・。
ひらがな、カタカナ、高等学校卒業者と同程度の漢字を知っているかどうか。
高等学校を卒業したと同程度の政治・経済・倫理・物理・化学・生物・地学・国語・外国語・
が不動の基盤といえば、この基礎教育が基盤ですね。
社會は生き物なので、どういう社会が実社会の現場となるのかは、個人差・集団意識差がありすぎかもしれない。
社會という現場に出る前に、自分の家庭現場、或る意味では生育過程が自分の属する社会との意識間格差があり過ぎると、大体、精神を病みがちに至ると思えますけれど・・・。
ジェネレーション・ギャップというものは、ありますけれど。
学校教育機関の延長線上とは、自分が勤める(務めた)組織の現場体験の意識が余りに食い違い過ぎると、大体、そのギャップから、激しく、心を乱され、意識の是正にしくじると、職場体験が自分と合わなくなり、心を病むという話ですね。
例えば、自分の親が労働は楽しいと、普段から話す家庭環境で育つと、
例えば、自分の属した労働現場が、働くことは苦だとすることを職場の現状だとすると、大体、意識間格差で精神が思い切り、乱れ、未体験ゾーンに及ぶことにより、自己の未体験な情感が溢れ出すことにより、職場環境に馴染めなくなり、社会から落伍しますね・・・。
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