画像元:フリー写真素材ぱくたそ Photo by カズキヒロ
母が「子育てに疲れた」と言い残し出て行った小学校六年生。
それ以降の私は心の生気がどんどん失われ
どこか諦めや冷めた気持ちが心を占めていって
よく学び優しくいい子から、何もかもどうでもいい適当な人間になった。
それでも一応高校は卒業したけれど、欠席早退赤点でギリギリ。
夜遊びして、危なく際どい最悪な環境に身を置くこともあった。
父自身も徹マンや女遊びで離婚したんだから、私を叱れるわけもない。
キラキラした青春とは無縁でグレーがかって暗い陰鬱な世界に居た。
居た、というか、今でも違う意味でずっと闇の中に沈んでいる。
そんな過去でも思い出は大切なもので、
様々な物が押し入れに詰め込まれていた。
写真や貰い物、自分の書いた絵、小学校からの年賀状。
転居の度に持ち回るほど、本当に大事だった。
しかし、自分のある症状が明らかとなり
段々と自分の過去をとても忌まわしく嫌悪に感じ始め
母が居なくなった後の自分に関わるものや
当時の物や事に触れることがとても苦痛になった。
あんなに大事にしていた思い出の品々が
目を覆いたくなるものとなってしまった。
だから、母を失った後を思い出す物はほとんど捨てた。
心を平穏に保つにはそうするしかなかった。
そして最後に残った、一番見たくない衣装ケース。
今となってはパンドラの箱にもなりかねないそれを
部屋の隅に放置すること約半年、
ようやく昨日、空っぽにすることができた。
昨日で全て、終わった。
ただ、一つだけは手元に置くことにした。
中学校卒業の時、先生や友達にカードを渡して
メッセージを書いてもらう風習があった。
束ねたカード帳、怖いはずなのについ、めくってしまった。
そして、あるカードを見たとき、手が止まった。
書いてくれたのは、教育実習の美術の先生。
ボブカットで黒のロングタイトがとても似合ってて、
否応なく目を引くおしゃれな先生で
たびたび冗談を言ったり相談を聞いてもらったり
大人な雰囲気が素敵で大好きだった。
先生との授業は最後の半年だけだったけど、
頂いたカードにはこんな言葉が綴られてあった。
御卒業おめでとうございます。
私は**ちゃんとは、ほんの短い間のおつきあいでしたね。
でも、私にとって、この**中学校での半年間は
10年にも百年にも勝るぐらい貴重な、そして充実した日々でした。
しんどい時、いやなことがあって辛かった時も
**ちゃんの笑顔に会うと、何だかほっとして
また「がんばろう!」という気持ちが、ファイトが湧いてきたのです。
先生は**ちゃんに何度も助けられました。
くじけそうな私を、あなたの笑顔は励ましてくれました。
本当にどうもありがとう。
いつまでも いまのままの 素敵な あなたで いてくださいね。
私は今、人と関わることが辛くて、怖くて
人と親密になることを避けながら暮らしている。
薬を飲みつつ、なんとか社会生活から脱落しないようにと
騙し騙し、ギリギリ綱渡りで送る日々。
例えば、誰かに感謝されたり褒められたりしても
人間不信で欠陥だらけな私は素直に喜ぶことができず、
言われたことを信用できない。
人に信頼感を持てない私は人からも信頼されることはないだろう。
今はそんな欠陥だらけの私なのに
中学時代の私は「笑顔で心を通わすことができる人間」だったなんて。
先生、もうあの頃の私じゃなくなっちゃったんだよ、私....
そう思うと力が抜けて、うなだれ息が苦しくなった。
今の私はあまりにも情けなくて惨めで嫌な人間で。
この頃の私を、先生はそんな風に感じてくれていたんだなと思うと
感謝とかあの頃の輝きとか色々ないまぜになって
ぽろぽろと涙がとめどなくあふれて
拭っても拭っても涙はフローリングにどんどん溜まって
辛くて苦しくて悲しく...
でも、少しは自分を褒めてあげたくなって。
「心根にはきっと、あの頃の私が宿っている」
って。
私は愛着障害という症状を持っています。
別人のようになってしまって
自分を見失って、ずっと彷徨っています。
どこにも辿り着けず彷徨っている。
昨日見つけた先生のカードは
欠けていた私のピースの一つかもしれない。
あの頃の私は心の奥底にまだ居る...はず。
このピースは心のどこかにはまるのかな。
本当の自分をほんの少しでも取り戻せたらいいのに。
長いお休み、ま、色々あるし、考えるね。
考えて悩んで、見直すこと、しんどい作業だけど欠かせない。
あー。今夜、寝られるかなあ。